家から見上げると、剣が見える。仕事で車移動しながら、休憩時間に小説「剣岳」の続きを読もうと、立山連峰に目を移すと、そこに剣岳。
まさしく贅沢な読書だった。
上はiinaが富山に暮らしていたときに、新田次郎の『剣岳』を読んだときの印象だ。
前人未到の剣岳は、いまの時代は登山意欲をもった者は誰でも登れる。しかし、一般の登山者を剣岳は拒む。
その剣岳を目にしながらの読書は、単に足を踏み入れられる識った地区ではなく、やはりiinaにとっては相変わらず前人未到の剣岳なので、人を寄せつけない剣岳を生々しく感じられた。
映画は美しい立山と自然の厳しさ凄まじさを映し出していた。エンドロールには、監督のこの映画への思いが伝わる「出演者」とつづる代わりの「4文字」が目を惹いた。
映画館は、平日の朝10時30分開幕というのに、かなり混み合っていて中高年齢の方が多かった。
しかし、残念なことに、上映中にヒソヒソ話。
終わって、体験した観光ルートを話している夫婦連れがいた。あるいは、ヒソヒソ話は登山したときの自慢をしていたのかも知れない。
前にブログにアップした[ 立山の布橋灌頂会 ]と、富山の祭もご覧ください。
まさしく贅沢な読書だった。
上はiinaが富山に暮らしていたときに、新田次郎の『剣岳』を読んだときの印象だ。
前人未到の剣岳は、いまの時代は登山意欲をもった者は誰でも登れる。しかし、一般の登山者を剣岳は拒む。
その剣岳を目にしながらの読書は、単に足を踏み入れられる識った地区ではなく、やはりiinaにとっては相変わらず前人未到の剣岳なので、人を寄せつけない剣岳を生々しく感じられた。
映画は美しい立山と自然の厳しさ凄まじさを映し出していた。エンドロールには、監督のこの映画への思いが伝わる「出演者」とつづる代わりの「4文字」が目を惹いた。
映画館は、平日の朝10時30分開幕というのに、かなり混み合っていて中高年齢の方が多かった。
しかし、残念なことに、上映中にヒソヒソ話。
終わって、体験した観光ルートを話している夫婦連れがいた。あるいは、ヒソヒソ話は登山したときの自慢をしていたのかも知れない。
前にブログにアップした[ 立山の布橋灌頂会 ]と、富山の祭もご覧ください。
>上映中にヒソヒソ話。
同じ体験です。不思議ですね。
奥様方の場合は上映前はべらべらうるさいですが、始まると大体は静かになるのに、
ご夫婦はどうして旦那様が上映中にお喋りになるのでしょうか、
不思議です。
山の案内役を演じられた香川照之さんが、一番印象に残りました。さすが俳優さんですね。本当の案内役の人みたいなオーラが感じられました。また、私のブログにもたまには遊びに来て下さい。
他の邦画では、みられぬヒソヒソ話でした。
やはり、富山あるいは立山を観光ないし登山した方たちが、懐かしがったか
自慢したかったと思えます。
エンドロールの4文字=「仲間たち」は、監督の映画に対する姿勢がそうさせた
のでしょうね。
(銭無のとっつあん)へ
お釈迦様にまつわる「沙羅双樹」の花とは、なにやら有難く思えます。
こうして花を見てみると、見たことのありそうな花ですね。こんど、
注意してさがしてみます。
立山連峰は、真下から見上げるばかりでなく、変な表現をすると、
遠くに遠ざかるほどに立山連峰がその全体像を浮かびあがらせ見事な
一面を見せます。
ちょうど、孫悟空が遠い果てに行った印に証拠を残したら、お釈迦様
の指だったみたいなイメージです。
(走快エイト)さん へ
小説の限界を、映画は「百聞は一見に如かず」を地でいった感じでした。
ただ、艱難辛苦して剣岳には、登ってしまったというイメージでしたが、
小説のクライマックスは「雪を背負って登り、雪を背負って下りる」のは、登るの
を拒む傾斜を雪が埋めて登りやすく一瞬さが描かれてなく、実写のみに
頼った限界を感じました。
ただ、そのシーンを想像することでも映画は成り立ってはいます。
映画を見ているのにひそひそ声は
気が散ってしまいますね。
剣岳を知っている方はついその場の
情景を思い出してしまうのかも
知れませんがこういう場所では
静かに見てもらいたいですね。
それから、他のブログも拝見させて
いただきました。良くいろいろな事
を調べてあり感心しました。
これから参考に見させていただきます。
立山観光を何度もしました。
一度、3000m級の雄山にも登りました。
それが笑い話ですが、ついでに登ったのです。
11月間近で終バスが15時なので、室堂から一ノ越山荘まで行って折り返す
と伝えていたのに、先行した愚妻と娘は雄山登ってしまい、仕方なく息子を
山荘に止めて、後を追わざるを得なかったのです。
結局、登りきり僅かな時間の眺望をたのしめました。
このときの景色は、快晴に恵まれ絵葉書のようでした。
また、お越しください。
「国家の品格」の藤原正彦は、原作・新田次郎の息子さんだったのですね。
その藤原正彦氏の奥さんと長男が、役所広司の妻と強力役で出演しているそうです。
週刊誌に紹介されていました。
(My ordinary life)さん へ
富山県人には、うれしい映画ですね。
真に"きときと"情報でした。
ストーリーの進行と同時に撮影したようです。
自然の厳しい暴風等のシーンが、よく映っていました。
それにしても、明治人の気骨をよく表現していました。
剣に初登頂を命じられ、先人がいたことを隠さずに軍に報告し、
小説もこの映画も誤魔化そうとは一切していません。
山好き人間にとって「山岳映画」は魅力一杯で今回の「剣岳」の最後の[手旗信号」のシーンもとても印象的でした。
剣岳を見上げながら 原作を読まれてたなんて なかなかに贅沢な読み方でしたね
明治の時代に 今のような装備も持たない人たちが剣岳を登った事実に圧倒されました
その扮装で登った俳優たちにも 撮影者たちにも 映画を作ろうとした監督にも
深く感銘を受けました
職種も記さずに思いを込めて名前を並べて まさに”仲間たち”で作った映画だと思います
>小説のクライマックスは「雪を背負って登り、雪を背負って下りる」のは、
登るのを拒む傾斜を雪が埋めて登りやすく一瞬さが描かれてなく
なるほど そういう意味だったのでしたか
やっと 言葉の意味がわかりました
雪の立山を見るには、よほど恵まれていたと思います。
富山は、気まぐれな山の天気なので「弁当を忘れても、傘を忘れるな」
という格言があるほどです。
それに12月から春にかけてしか雪に覆われた立山を望めません。
空気の澄んだ冬の立山を見渡すと、その雄大な景色に見惚れてしまいます。
(華やぐ時間)さん へ
いま、小説本『剱岳』を手にもってコメントしています。
その「あとがき」によると、新田次郎が小説を描くにあたり剱岳に登って
いました。得がたい取材を通して書き下ろしたのでした。
剣岳に登るのを拒む傾斜を、雪が埋めて登りやすくする一瞬を探し出すのは、
極めて難しく、更に登山の素人である俳優たちがやるには危険すぎたので映像
に撮るのは困難だったと思います。
http://blog.goo.ne.jp/rei-na7/e/5c4f36c8bfc0dc75d8c77c031c39deb1