今日は友人が書いた本の紹介です。
田中奈保美著、新潮社発行「枯れるように死にたい」
ー「老衰死」ができないわけー
長年の友人の田中さんは以前から「看取り」の本を書きたいと取材をしていた。
私の所にも、母親が亡くなった頃の話を聞きにこられたり
友人のアチコチにも回っていた。
それからだいぶ経った今年の春に「ようやく出版のめどがついた」と教えられた。
それが先日、とうとう出版社から直に届いた。
「その長生きは幸せですか?」
「人間らしい最期」の在り方とは?
衝撃的な文字が踊る帯
「鼻や胃に通した管から栄養を送られ、ただ時を過ごすお年寄りの涙・・」
「人工栄養という延命治療が高齢者から自然な最期を遠ざける-----。」
早速仕事の合間に読み出すと、
奈保美さんが父親の死に直面したこと、義母を自宅で看取ったこととリンクしつつ
医師の夫の死生観(?)や、病院で死ねずに高栄養を与え続けられる老人達の実態が書かれている。
私も母親の入院先で寝たきり(眠りきり)ながらも血色がよく
人工呼吸器につながれて家族が見守る姿を見た。
かすかな違和感を覚えつつもそれほど不思議には思わなかったし、
その人たちが胃に直接栄養を入れられている(胃ろう)人とは知らなかった。
老人保健施設や老人ホームでは老人が末期になると病院へ送るのが当たり前
高齢者の世話をしながらも「死」は受け入れてはいなかった。
奈保美さんのご主人が施設長をし、職員を説得しながら「自宅(施設)での看取り」を進める。
普通の人にとって「死に場所=病院」は常識になってしまっているが
ご主人は「病院は病の治療をする場所、死に場所は家族の元の家」シッカリと信念を持っている。
少し前まで当たり前のことが、今や特殊なことのように思えるが
「その人にとってどこが一番安らぐ所か?」と考えると「家で・・」は当たり前のことになる。
食事や水分を獲らなくなると10日程度で亡くなる所が
胃ろうにすると1~10年は生きてしまう。
本人が生きたいと望むのなら良いが、
意識のないまま機械的に生きながらえるのは、本人としては「不本意」に違いない。
確かに「私は嫌だ!」だけど「親には生きていて欲しい」誰しもがそう思うだろうが
死に往く人の命をもてあそんでいるような気もする。
しかし、情報過多のこの時代でも「死に往く自然な姿」の情報は無いにも等しい
9年前に亡くなった母のことを思っても知らないことばかりだったのが
この本を見て納得することが多かった。
涙を出しつつ、母親を思い出しつつ、
母親の自然死を受け入れてくれた病院に改めて感謝をしラッキーだったと思った。
長年医師として働き多くの命を救ってきた夫佐藤氏の「自然な死に方」感と
「死に行く人の命を救う」ことを使命にに生きている医師
同じ医師でもこんなに考えが違うのか・
なら死に往く者の家族が、成り代わって考えなくてはならないし
自分の死に往く時の「自然死を望む」むねキチンと伝えておかねばならない。
巻末に「尊厳死の宣言書」の書式も役に立つだろう。
空き時間に読み出したら止まらなくなってしまった本でした。