日々好日・いちよう

ちょっとした日々の一コマです

大山崎妙喜庵(待庵)見学

2016-04-28 | 仕事・建物
一泊旅の目的は、千利休の茶室「待庵」だった。
随分と前から頭の隅っこにあったが
FURUさんのフェイスブックで知り
即・見学を申し込んだ。

国宝茶室『待庵』と聴竹居
詳しく読みもせず、「待庵」の二文字で決めてしまった。
正式名称
「2016 桜花爛漫・京、大山崎 講師と巡るハイグレードな大山崎探訪
・・・国宝茶室『待庵』と聴竹居・・・」

4月23日 9:20山崎駅で集合



JR京都線の駅は可愛いがアールの縁取りがタイルになっていた。
右手に重要文化財の立て看板(待庵は国宝)



妙喜庵の一画にあるらしい、
予約をすれば誰でも見学出来ると知ったのは、後の祭り
大山崎探訪の後について行くと
広間に座らされて、郷土史家の林亨氏のお話し

山崎に来たはずなのに「大山崎」と連発される。
年代と土地の繋がりを調子良くお話しくださり「講談」みたい・・
今ではサントリーの山崎工場としか知らなかった地が
秀吉の時代に山陽道の要の地で、
本能寺の変で秀吉が掛け戻り戦をし、明智光秀軍を破った地。
山と河に挟まれたわずか100mの場所に独特の文化が栄えた。
栄えた富の源泉は今人気の「えごま油」!
灯りとして使われた荏胡麻を絞り販売する地域だった。

町の名前が「大山崎」
駅名が「山崎」なので紛らわしいが「大山崎」の駅は阪急の駅名だった。

あこがれの「待庵」wikiは2帖の小間
利休屋敷の一画にあった茶室を解体保存をし、江戸時代に移築した。(と言われている)
二畳小間のにじり口には竹の格子で塞がれ、覗き見しか出来ない。
(待庵)

江戸時代は茶会に使われていた模様だが、
明治以降は妙喜案の茶室で三千家が毎年茶会を開ているとか・・

ゆっくり見たかったものの順番でつかの間の覗き見をした。

次は、駅より西の「離宮八幡宮」



こちらも畳に座りお話しを聞き
「油の神様」として崇められている。
本殿奥には各種油缶が奉納されていた。

横に進んだ地味な疎水

    

京都府大山崎町と大阪府島本町の府境
山崎の駅のホームの中程を府境線が走っている。

この後は急坂をドンドン進み、聴竹居へ(明日)へ続く

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