今月は本をよく読めます。
一昨日で6冊目。
みんな作者が違う節操のなさ。
その中の冒頭の本の1ページ目、
作者が卒業した小学の校庭で同級生と待合せし、
小学生の頃の物語がひも解かれます。
熊谷達也の本にしては「たわいもない?子供の冒険」八つの物語。
「コの字型をした寄棟造り二階建ての洋風建築は、・・」
ここで何とは無しに'98年に訪れた学校をイメージして読み進めていました。
著者は宮城県の人、私は宮城の学校といえばここしか知りません。
読み進むと八作目「山姥の里」
冒険の先は「・・採石場の跡。スレートを切り出す・・」
でジャストヒット!!
思い浮かべた学校と同じところみたいです。
宮城県の登米市(とめし)で現在登米教育資料館で国の重要文化財建造物。
解説で「冒険の日々 マイ・ホームタウン」の文庫本でない本の表紙に
学校の写真が使われていると知り、早速紀伊国屋で探しました。
98年に私が撮った写真と同じ学校と証明されました。
鳥肌が立ちました。
あ~何だか小説より一人よがりの物語が出来ちゃいました。
98年は仲間と「町場技術探検隊」で「石屋根」の見学に行った先です。
宮城県の塩釜のもっと奥の「雄勝」「登米」にスレートの民家があり、
当時も石が出荷されている。
屋根に葺けばスレート(東京駅)
床に貼れば玄昌石、硯にもなり、
ビリヤード台のフェルトの下にも使われる高価な石。
98年当時は東京や横浜の古い建物の補修があり
住宅屋根にも使われ、生産が続いていました。
学校の屋根は瓦葺きで研究の対象外でしたが、重文で見学。
校庭にスレートの副産物の黒い砂利が敷き詰めてありました。
近所の武家屋敷は黒いスレート葺きが点在。
採掘の山も見学をしました。
今は高級住宅よりローコスト住宅の時代。
見学先の雄勝のスレート屋さんは廃業、
登米の石屋さんはどうしていることでしょう?
ライバル意識で頑張っていたのに。
ひょんな事から接点(?)が出来て、
ますます「熊谷ファン」になってしまいそう・・
一昨日で6冊目。
みんな作者が違う節操のなさ。
その中の冒頭の本の1ページ目、
作者が卒業した小学の校庭で同級生と待合せし、
小学生の頃の物語がひも解かれます。
熊谷達也の本にしては「たわいもない?子供の冒険」八つの物語。
「コの字型をした寄棟造り二階建ての洋風建築は、・・」
ここで何とは無しに'98年に訪れた学校をイメージして読み進めていました。
著者は宮城県の人、私は宮城の学校といえばここしか知りません。
読み進むと八作目「山姥の里」
冒険の先は「・・採石場の跡。スレートを切り出す・・」
でジャストヒット!!
思い浮かべた学校と同じところみたいです。
宮城県の登米市(とめし)で現在登米教育資料館で国の重要文化財建造物。
解説で「冒険の日々 マイ・ホームタウン」の文庫本でない本の表紙に
学校の写真が使われていると知り、早速紀伊国屋で探しました。
98年に私が撮った写真と同じ学校と証明されました。
鳥肌が立ちました。
あ~何だか小説より一人よがりの物語が出来ちゃいました。
98年は仲間と「町場技術探検隊」で「石屋根」の見学に行った先です。
宮城県の塩釜のもっと奥の「雄勝」「登米」にスレートの民家があり、
当時も石が出荷されている。
屋根に葺けばスレート(東京駅)
床に貼れば玄昌石、硯にもなり、
ビリヤード台のフェルトの下にも使われる高価な石。
98年当時は東京や横浜の古い建物の補修があり
住宅屋根にも使われ、生産が続いていました。
学校の屋根は瓦葺きで研究の対象外でしたが、重文で見学。
校庭にスレートの副産物の黒い砂利が敷き詰めてありました。
近所の武家屋敷は黒いスレート葺きが点在。
採掘の山も見学をしました。
今は高級住宅よりローコスト住宅の時代。
見学先の雄勝のスレート屋さんは廃業、
登米の石屋さんはどうしていることでしょう?
ライバル意識で頑張っていたのに。
ひょんな事から接点(?)が出来て、
ますます「熊谷ファン」になってしまいそう・・