ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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ばば、クラシックを聴く

2008年08月05日 21時35分17秒 | Weblog

8月6日(水)

加計呂麻から帰ってインターネットを覗いていたら、

5日14時から文化会館でクラシックコンサートがあるという。

クラシックを生で聴くことなんか滅多にないチャンスとばかりに

姉を誘い出かけた。

観客は会館の前4分の一程度。

平日の昼だからかな?と思いながら席に着いた。

 

 

コンサートが始まった。

外国人の年配の男性と、小柄な日本女性が登場しすぐにコンサートは始まった。

男の方がピアノ伴奏、女性が歌う。

おぉ~~っ、その声の素晴らしさ。

鈴を転がす声とはこういう声なのかと思いながら聴く。

ドイツ語なので意味は全然分からない。

マイクなしで歌い手の声はホールの隅々まで響く。

 

モーツアルトの歌曲を3曲歌い終えると二人は舞台の袖に下がり、

今度は男の人だけが登場しシューベルトの曲を2曲演奏した。

次ぎ歌い手の方も登場しシューベルトの歌曲を7曲歌って

10分間の休憩。

 

第2部はショパンのバラード演奏で開演。

そして女性がブラームスの歌曲を8曲歌った。

なにせ、演歌とか、普段聞き慣れた曲なら拍手のしどころも分かるのだが

ブラームスの歌曲となると、何処が終わりなのか分からない。

伴奏の方がピアノの鍵盤から手を放し、歌い手さんが口をつぐんで

ちょっとポーズをとった時が曲の終わりかと観客は一斉に拍手をしようとする。

すると、歌い手さんが口に指を当て「シィ~~~」とゼスチャーで拍手を止める。

そんなことが何回もあって8曲歌い終わった

 

そして、いよいよ日本の歌曲。

「中国地方の子守歌」・「平城山(ならやま)」・「この道」

ここに来ると、みんなのよく知っている曲なので、ばばの横の年配の方は

小さな声で口ずさみ始めてびっくりした。

今までにもまして大きな大きな拍手の中でコンサートは終わった。

 

ばばが、コンサート会場へ行って驚いたことは、聴衆のほとんどが

伊仙町の方だったこと。

それにしても徳之島町、天城町の方が少ない。

不思議に思って伊仙町からきていた友人に聞いてみると、

今日の歌い手さん堀江麻美さんは、

伊仙町鹿浦出身の方のお嬢さんだということだった。

道理で、堀江WEBAR麻美帰郷コンサートと書かれていたわけだ。

 

麻美さんは東京の渋谷で誕生、

武蔵野音楽大学院を経てドイツ国立音楽大学を声楽科を修了し

現在はコンサートの傍らドイツバーントルツプ市立音楽学校の講師を

されてるそうだ。弱冠まだ30才である。

 

一方伴奏なさったのが麻美さんのご主人でRAINER WEBERさん。

ドイツ生まれ。現在ドイツデトモルト国立音楽大学教授で、

ドイツでは有名な歌曲歌手ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの

伴奏者として有名な方なのだそうだ。

 

今回、麻美さんのおばあちゃんたちを訪ね帰省されたご夫妻に

急遽お願いして実現したコンサートだったらしい。

 

ばばは、クラシックコンサートなる物を生で聞くのは初めてのことで

歌の意味などは全く分からなかったけれど、麻美さんの表情豊かな歌声と

ご主人の素晴らしい演奏を聴けたことを光栄に思った。

 

観客の中には幼稚園生もいたが、誰一人おしゃべりをする子もなく、

ばばは感心した。

 

隣の奄美市まで行けば、文化的な行事も多く、

ライブ・講演会・コンサートなども多くある。

これからは徳之島でも色々な

文化的なイベントなどがあればいいなあと思いながら帰途についた。

 

若き島人が、外国で活躍しているということ嬉しいですね。


松坂慶子と共演??

2008年08月05日 12時39分00秒 | Weblog

8月5日(火)

今回加計呂麻旅行の仲間のMさんが古仁屋に向かう船の中で

「私、松坂慶子と共演したことがある・・・・」と語り始めた。

Mさんは話題が豊富で、話もうまくて、いつでも座を盛り上げてくれる素晴らしい仲間だ。

Mさんの話によると・・・・・今をさかのぼること10数年前。

渥美清さんが亡くなって、その後、西田敏行さん主演の「虹をつかむ男」というドラマが作られ、

その撮影が徳之島でも行われた。

当時Mさんは、徳之島町内のある幼稚園に勤めていた。

その幼稚園が併設されている小学校の体育館が

撮影現場だったそうだ。

普通の授業のある日だったのか、夏休みとか冬休みとかの

休暇中だったのかは聞き忘れたが(きっと長期休暇中だったろう)

ヒロインの松坂慶子さんが突然校長室に入ってきてソファーに座り

スカートの裾をまくり上げて足にクリームを塗り始めたらしい。

校長先生は目のやり場に困り、すぐに席を立ち外へ出たそうだ。

そして、撮影が進む中、職場の若い人たちが「自分も映画に出たい、私も・・・」と

次々名乗りを上げたそうだ。

すると、監督が「あなたに出てもらいます」とMさんを指名したそうだ。

Mさんは、もう天にも上る気持だったと述懐した。

Mさんの役どころは松坂慶子さんの友達という設定で、

前を行く松坂さんに「○○さ~~ん」と呼びかけると、

松坂さんが振り向いて何か台詞を言い、それに短く応えるという場面だったそうだ。

 

まず、夜の体育館が映画館の設定になり、集落のエキストラやMさんは

座布団を小脇に抱えて映画館に向かう。

(映画館に座布団を敷いて映画を見ていたのかな?徳之島では)

そして、Mさんは前を行く松坂慶子さんに気づき声をかける・・・・

たったそれだけのシーンでも、校門の入り口には紙テープ(何で紙テープなの?)で、

印がつけられ、Mさんはそこに立ち、助監督さんか何かが

ポンと肩を叩くと「○○さ~~~ん}と松坂慶子に呼びかけたそうだ。

 

Mさんは続ける。

映画って凄いのよ。監督がソテツの木が欲しいと言うと、

あっという間にどこからか大きなソテツが運び込まれて植えられ、

雨が降ればいいなあ・・・・と言えば、消防車を持ってきて

本当に雨が降ったように水を撒く・・・・といったぐあいだったそうだ。

 

また、Mさんの知人は、桟橋で釣り糸を垂れるエキストラになり、

延々と何時間も何時間も釣り糸を垂らし続けていたそうだ。

 

さて、集落の人たち、Mさんの映画に対する関心は高まるばかり。

 

やっと、映画は完成した。

そして、Mさんには招待券が送られてきた。

Mさんは胸高鳴らせて、夜、体育館での上映に駆けつけたそうだ。

瞬きしてなるものかとばかり、じっと目を凝らし自分の登場場面を今か今かと待っていた・・・・・・・

が・・・・しかし、ついに最後までMさんの髪の毛1本さえ写らなかったと・・・・・・・

 

ばば達は真剣に話すMさをんじーぃと瞬きもせず見守っていたが、

ついにこらえきれず吹き出し、笑い転げてしまった。

「自分は山田監督に選ばれた!!!」と有頂天になり、

張り切って演技したのに・・・・・・髪の毛1本さえ写らなかったとは・・・・・・・・・・・。

ばばは言った。

「もし、あの時、画面に映っていたら、今日、こうしてこの船には乗っていなかったよね」

言いながら、又笑った。もう涙が出るほど笑った。

たくさんの集落のエキストラも映画館の中の後ろ姿だけ写っていて、

誰が誰かはわからなく、桟橋から釣り糸を垂れていた人たちは

遠すぎて顔などは全然分からなかったそうだ。

エキストラなんて、普通きっとこういうものなんだろうな。。。。

 

ばばは今回のMさんの話から、長女か三女かが話したことを思い出した。

まだ娘が高校生だった頃、英語の先生で○○バンドという

音楽バンドを作って活動していた先生がテレビの取材を受け、生徒達に

「今晩、○時から先生がテレビに出るからみてよ」と言ったそうだ。

その晩、家族は深夜と言っても言い時間まで起きて、その先生の登場を待った。

しかし・・・・・・・・・・・・・・しかし・・・・・・・・・・・・・・・

先生は登場せぬまま番組は終わった。。。。。。。。。。。。。。。。。

翌日、生徒達に前宣伝を大々的にした先生は、生徒達に何と釈明しただろう?????

今回のMさんのエキストラ話と似ていて「いと、可笑し。」