横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

地震の史料は日本書紀に始まる

2017-08-02 05:50:58 | 日記



東洋文庫では8月6日まで「ナマズが暴れた!? 安政の大地震 大災害の過去・現在・未来」というテーマで展示をしている。

日本の地震の記録は「日本書紀」に登場する允恭天皇年間(416年頃)に起こったとされる地震が史料上最古だそうだ。
右ページの1行目に(允恭)五年秋七月~地震 のことが記されている。





また、この左ページ7行目に天武十三年(684年)の白鳳地震について記されている。
国中の男女が叫び逃げた。山は崩れ河はあふれた。諸国郡の官舎や百姓の倉や寺社が壊れたなど。
白鳳地震は記録上初の巨大地震で九州、四国、中国、畿内と広域を地震と津波が襲ったそうだ。

ほかに599年の奈良周辺の地震についても記述されている。






太平記は南北朝時代を中心に1318年からの50年間を書いた軍記物語だ。
この間に静岡から四国にかけて南海トラフ地震が頻発していて、太平記にも記述されている。
元弘元年の地震については、左ページ7行目から
七月三日の大地震で紀伊の浜が干上がった、七日の地震で富士の絶頂が崩れたと記されている。






左ページ6行目から、正平16/康安元年(1361年)の地震と異常気象が記されている。
6月から10月にかけて地震が頻発し大津波が遅い夏に雪が降るなどのことが描かれている。






大地震は歌舞伎の演目にもなっている。
文禄5年(1596年)に京都を震源地に大地震が発生し大阪、兵庫にかけて大きな被害があった。
秀吉の本城として改築したばかりの伏見城も天守閣が崩落した。
この際、蟄居を命ぜられていた加藤清正が桃山御殿にかけつけて忠誠を示した。
すぐには秀吉に許されなかったが後に無実を申し開き朝鮮へ出陣した。
このあたりのことが歌舞伎十八番の「増補桃山譚」になっている。
本図は歌舞伎興行の宣伝用に明治時代に作成されたチラシだ。







この図は「江戸大地震出火場所附」と題され安政江戸大地震の出火場所を示している。
左右に流れる大きな川は隅田川、縦に流れているのが神田川。右側が上野浅草方面、左側は江戸城周辺。
描かれている炎の大きさは火災被害の大きさを表している。
川の外側の方が炎が大きいように見える。






右側を拡大して見る。「東ゑいざん」は寛永寺のこと、その他 せんさうじ、よし原などの地名が今も残る。
不忍の池の左下に長者丁と記される辺りの炎が一番大きい。今の上野5丁目だそうだ。






安政江戸大地震の直後2か月間ゲリラ的に「鯰絵」と呼ばれる浮世絵が200点以上も発行された。
いずれも地震の原因と信じられていた鯰を題材にした風刺絵だったようで、
本図では大鯰を新吉原界隈の江戸庶民が一丸となって懲らしめている。
文字が書かれているのは一種の吹き出しで、人物たちの言葉が書かれている。
たとえば中央上で長煙管を振りかざしている遊女のセリフは次のようなものだ。
「いまいましい大なまづめ。せっかくいい人がくるばんにあばれやがった。
にくらしいなまづめ。たんとぶてぶて」 なるほどね。
「こいつめ ゝゝ ゝゝ」とか「あれのひげを はやくぬいてやっておくれ にくらしいよ」などもある。






これは1855年1月発行の「イラストレーテッド ロンドン ニュース」。
イラストレーテッド ロンドン ニュースは世界で初めてニュースをイラストレーション入りで報じる週刊新聞だ。
1854年12月に起きた安政東海大地震を報じる記事とともに、下田湾内で大破したロシア船ディアナ号の図を掲載した。






ディアナ号を率いるのは海軍軍人エフィーム・プチャーチンで日露の条約交渉のために来日していた。
ディアナ号は大破の後、戸田(へだ)で修理すべく回航中に強い風雨で進水沈没した。
プチャーチンは幕府から代船の建造許可を得て3か月の突貫工事で完成し「ヘダ号」と名付けられた。

建造の様子を記録した絵巻が作られ、完成したヘダ号を前に日本人ロシア人がともに喜ぶ様子などが描かれている。

この間にプチャーチンは日露和親条約の締結に成功していた。






昨年プーチン大統領が来日し日露首脳会談を行ったときに高精細複製絵巻が贈呈された。

ほかにも地震関連の古い史料が多数展示されていて、なかなか面白かった。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (ポージィ)
2017-08-02 12:55:58
しばしご無沙汰しました。
↓新宿エイサーや大和の阿波踊りが先週末に開催だったのですね。
私の故郷の小さな町も土日がお祭りで、親戚たちの集まりに
参加してきました。お祭り自体はエイサーや阿波踊りとはくらぶべくもない
小さなものですが、それなりの伝統はあるもの。でも、この先守り続けていけるか、
毎年心配しています。
 
古い地震の資料の記事、興味深く拝見しました。改めて地震国であることを
突き付けられます。様々な工夫をして備えがされてきていても、
巨大地震に対しては、何百年もたった現在でも、人間は自然の力の前に
無力なのは変わらないとも思いました。
人間は自然を征服しようとし、できたと思いがちな傾向がありますが、
畏怖の念や謙虚さは失ってはいけませんね。
そうそう、今日は、午前2時ころ地震で起こされたのでした。
返信する
ポージィ さん (おーちゃん)
2017-08-02 20:20:22
こんばんは。
新宿エイサーは初めて知りました。
沖縄生まれでも東京の行事として定着し始めているのは結構なことです。
故郷の小さなお祭りは存続していくのが大変なようですね。ご苦労が実ってほしいものです。

地震はけっこう古い資料がいろいろあって驚きました。
日本書紀のころから地震という言葉もあったのですね。

今朝の地震は気づきませんでした。
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