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横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

酒匂川の文命堤

2024-09-27 20:08:37 | 日記



酒匂川のサイクリングロードを溯っていくと、パークゴルフ場の少し先で終点になる。







その先の細い道を上がっていく。







森の広場のようなところに出る。大口広場と呼ばれていて、春には桜が見事だそうだ。







今はあちこちにヒガンバナが咲いていた。下に酒匂川が見える。







大口広場のすぐ傍に福澤神社がある。
そこに設置された「文命堤」の説明板によると、
暴れ川だった酒匂川は暴れ川で、しばしば大口付近で氾濫し流路を変えていた。
慶長年間ごろに大口堤と岩流瀬(がらせ)堤が築かれ足柄平野に水田が発達することになった。
しかし宝永の富士山噴火により火山灰が降り積もり河床が浅くなって、堤は決壊した。
徳川吉宗の命により田中丘隅(休愚)が復旧工事を行い享保11年(1726)二つの堤が完成した。
丘隅は二つの堤に治水の神と言われる禹王(称号は文命)を祀った文命宮を造ったという。
大口堤を文命東堤、岩流瀬堤を文命西堤と名付けられた。
享保19年に再び決壊したのを復旧したが、本格的復旧は明治時代になってからだという。







福澤神社には文命堤に関係した石造物が幾つかあったのを鳥居脇にまとめて設置された。
奥、右から文命東堤前碑(文命堤の由来や祭礼の創始などが刻まれている。荻生徂徠が添削)、
中央が文命宮祠(丘隅の建立。台石、蓋石、笠石は文命西堤の祠を参考に復元されている)、
左端が文命東堤旧碑(荻生徂徠が添削する前の丘隅による原文)







文命宮祠。蓋に文命宮と書かれている。