甘利明氏の本音・「政治とカネ」問題は無くせる

2016-01-30 14:20:08 | 日記

 甘利明氏の本音・「政治とカネ」問題は無くせる

 

 甘利明大臣の閣僚辞任。説明責任と称してマイクに向かった甘利明氏は、会見説明の後半に次のような言葉を述べている。いわゆる民間人との接触をするにあたって「いい人と付き合っているだけでは選挙は落ちる」「小選挙区だから来る人拒まずでなければ当選しない」「これからもこういうことは起きるだろう」と。そこには、議員もさることながら、その議員の弱み(落ちたくない)と議員の権力を計算して接触をはかってくる有権者にも責任がある。

 お祝いごとやお願いごとで相手先に訪問することがある。その場合どうだろう、手ぶらとはいかないとなれば大抵はお金を包む。大方の皆さんは(私も含め)「ぽろっと祝儀袋だけでは失礼だ」として菓子折りに添える。頂いた方はその上にある現金を意識する。それを含めて「ご丁寧に」と挨拶を返す。これは今日の日常的習慣であると思うが、どうだろう。

 そこで甘利氏の説明責任である。相手からの差出物を受け取り「処理をするように」と秘書に申し付けたという。そして適正な処理が行われたとなっているが、菓子折りと一緒に受け取った袋が現金であることを意識した。意識したからこそ「適正処理」を支持したのである。この光景はその世界では日常的にあることなのだろう。その場合受け取らずに返すことは「小選挙区議員にとってはできない」ことである。それは相手の気持ちを傷つけることになるから。

 相手の社会的な地位やその規模の別はあるだろうが、甘利氏側にとっては、日常的に行われてきたと受け止められないか。そこに落とし穴があったと受けとめるのだが、どうだろう。そして、辞任を表明した後の甘利氏の心の隙間に本音が出たと考える。

 さて、国政選挙の選挙区ごとの有権者1人あたりの「一票の重み(価値)」が不均衡な状態になっていることが問題となっている。司法の判断も是是非非である。また地方から都市部への人口の移動、さらには人口縮小の中でますますその矛盾は拡大していく。国会議員にとっては自らの選挙にかかわるものであるだけに抵抗も増大する。

 甘利明氏は最後に良いことを提起してくれた。小選挙区制度がある限り「政治とカネ」の問題は今後も引き続き起きるだろう。それは「議員(候補者)と住民(有権者)との『あ・うん』の関係」を断ち切ることができないからである。

 今回の事件を通して「政治家個人への政治献金」は厳しく制限されていくだろうが、また抜け道も作られる。「政党支部」への巧みな献金である。そしてその道を塞いだとして抜け道はさらにつくられる。巧妙に。そして小選挙区選挙が続く限り続くだろう。ではどうするのか。答えは簡単である。「国政選挙は全国比例選挙(党名選挙)」にすれば良い。少なくとも「政治とカネ」の問題はゼロとはならないまでも薄くなる。さらに「一票の重み問題」は解消できる。

 小選挙区制度を固守する政党、政治家は「巧みな裏献金」を受け取る旨味を失いたくないとする表明となる。「浜の真砂は尽きるとも、世に『裏献金』の種は尽きまじ」。そのような言葉は不要にしたいものである。