激戦の地で、再び「亡霊」を復活させてよいのか 

2016-01-26 18:20:37 | 日記

激戦の地で、再び「亡霊」を復活させてよいのか 

 

 宜野湾市の首長選挙が終り熱も覚めやらぬ次の日、報道の多くは、菅官房長官の談話をはじめとしてこれが「沖縄の民意」であり、日米安保体制のさらなる強化と「辺野古埋めて建設」に発車を掛けようとしている安倍政権の動向を報じていた。

 私は福島県の住民である。良くも悪くも地方紙二紙のニュースを大事にしたいと思っている。中央紙もそうであるから地方紙も経営的な弱さを持っている。よってその財源を財界その他に求めていく事が編集方針にも表れることは承知をしている。しかし、それでも「ちらっと」見せてくれる地方の報道魂に期待をしているひとりでもある。

 宜野湾選挙の結果は残念であった。そして悔しい。これに乗じて「夏の同日選挙」は現実味を帯びてきたと言っても過言ではないだろう。しかし、ここで私たちは引くわけにはいかない。同時に、何故あれだける票差が出たのであろうかを考えることも必要であろう。ある評論家は「共産党」との共闘が裏目に出たという。また民主党が一枚岩になれなかったとも評している。そこであらためて地元紙沖縄タイムスの報道を見て考えるのである。その中で次の記事を目にした。

 「園児が教育勅語を唱和・・宜野湾市長が出席した大会の異様・日刊ゲンダイ」というものである。その内容は2年前の平成26年5月10日 の「沖縄県祖国復帰42周年大会」におけるものである。大会は「宜野湾市」で開催され、当時の佐喜眞市長があいさつに立っている。

 その時の案内ポターには「沖縄県祖国復帰42周年記念式典・幼稚園の子供達、祖国復帰運動体験者らが登壇します」と書かれている。さらに当日の式次第の中には「体操演技と教育勅語奉唱(わかめ保育園の園児26名)」と紹介されている。何のことはない。保育園児童に教育勅語を暗記させ、それを大勢の前で唱和させたのである。

 今般も、天皇両陛下はあの世界大戦で亡くなられた多くの将兵、そして民間人の霊を慰めるためヒリッピン後に赴かれた。そしてこの間、数回もの鎮魂の旅を続けられている両陛下のお気持ちを逆なでるものであるとしか言いようがない。「朕惟フニ…」から始まり日本国民を、天皇陛下の赤子(せきし)として差し出させ、国(天皇)に殉じさせた言葉が、戦後70年を経た今日亡霊となって再び激戦地沖縄で、しかも年端のいかない幼児の魂に潜り組ませようとするうことが許されて良いのだろうか。

 その式典は「国民会議」の手によって企画された。加えて大会の‶とり‶を努めたのが地元の佐喜眞市長であった。「日本人としての誇りを多くの人に伝えていきたい」と締めくくっている。「宜野湾市」とはそのような場に、現役市長が立つことを許した「町」であったのか。

 ここに「ぎのわん市議会だより第84号・平成24年9月10日」がある。桃原功議員が質問をしている。「市長が加入している日本会議、どのような団体なのか。これからも日本会議の活動を続けていくのか」と。これに対し佐喜眞市長は「これからの行動については、日本会議の持つさまざまな政策あるいは施策などについて吟味しながら、私が同意できるものに対してはやっていきたい」と答えている。佐喜眞氏にとっては、幼児への「教育勅語の斉唱」が同意できるものの一つなのだろう。恐ろしい政治家を、また一人沖縄に生み出してしまった。そして「その親鳥が東京でよかっ良かった」と胸をなでおろしているとか。