軽井沢バスツアー事故から考える企業の仕組み

2016-01-22 13:31:24 | 日記

 軽井沢バスツアー事故から考える企業の仕組み

 

   車の免許を取ったのは45歳であった。それまでは車社会への抵抗もあり、50CCのバイクが私の足であった。しかし、求人広告の採用用件を見ると「年齢40歳未満・普通免許あり」となっている。そこで急きょ免許取得を決意し自動車学校に行くことになったのが私の運転経歴である。それ以来、車の利便を痛感した私は観光地巡りもハンドルを握ることになった。

 ある日のバスツアーを利用することにしたときの話である。バスの始発地は私の地元ではない。50キロ離れた町からの出発である。さらに60キロ走った二つ目の地点、そして50キロ離れたJR駅前が私の乗車する地点である。そして次の二つの地点を経由して高速道路に向かった。この間の距離は200キロになるだろう。それぞれの地点で乗客を乗せる。つまり幾つかの町からの集客を図らなければ成り立たない企画になっているのである。

 始発地の出発時刻は7時。すべての乗客が乗り込んだのが9時を過ぎていた。往路がこの時間帯ということは復路も同様である。観光地を巡り帰途につくバスの中での添乗員の言葉がある。「ご承知の通り運転手さんはこの後、本日出発したターミナルに戻るのが22時以降となります。それから車の整備、清掃を行います。つきましてはお客様の手元にあるゴミの類は、次のドライブインで捨てられますようお願い致します。なお運転手さんは明日もハンドルを握ることになっていますのでご協力ください」ということであった。運転士への配慮を求める添乗員の言葉である。周囲の乗客からは次のようなつぶやきが漏れる。「いゃー、怖いバスに乗ったものだと」と。

 そういえば次の光景を私は目撃をしている。見学のために乗客が下車したあとバスはエヤコーンを停止する。運転手は簡易椅子を持ち出し、バスの日陰を利用して乗客の帰りを待つ。エヤコーン停止は環境対策もあるだろうが燃費の節約である。もちろんエヤコーンだけではない。全走行にあたっての燃費は指定されており、それをオーバーした場合はペナルテが課せられるということも聞いている。コースの変更もそこに起因があるとも言われている。

 多くの若い命を失ったこの度の軽井沢スキーツアーバスの転落事故である。運転士の年齢、あるいは車両の欠陥などあらゆる面からの調査が続けられているが、報じられる情報からすれば一重に運転技術にかかわる問題として処理することができないことを痛感する。そのことを報道機関のニュース解説や特別番組が明らかにしている。その一つである1月21日の毎日新聞の記事から考えてみたい。貸し切り夜行バスの運転士からは「十分な休憩が取れない」「低賃金」などの過酷な労働環境が訴えられている。「一定規模以上の会社であれば運転士は制服を着ているだろう。しかし10年前くらいからは私服姿の運転士をよく見かける」と。過当競争の中で企画会社は運賃値下げの攻勢をかける、そのしわ寄せが運転士にくる。「安全の確保に金を掛けない」という原理が「人の命をあずかる運送業界」にまで波及していることを知らされた事故であった。

 観光広告を見て「この企画が、このような低料金でやれるの」と不思議に思うことがしばしばある。企画は旅行会社、バスはレンタル会社、そして運転士はその都度の個別雇、添乗員は派遣会社。現に私が利用したツアーの添乗員は、第三番目の私の乗車地点から乗っている。運転士の責任に矮小化することなく根本的な調査、検討、そして法制化の充実を求めるのは私だけではないと思う。