「老夫婦 今日も元気で物忘れ」・新宿・人情保健室を観る

2014-09-11 19:39:27 | 日記

   「老夫婦 今日も元気で物忘れ」・テレビ番組・「新宿、人情保健室」を観る

 

 9月7日(日)9時からのNHKスペシャル「新宿人情保健室〜老いの日によりそって」を観る。

 新宿の団地の一角に「保健室」がある。看護師やボランティアが常駐し、病院では聞けない、ちょっとした体の不安や在宅の介護などの相談にやってくる高齢者の部屋である。

 学校に保健室があるように、街中にも「保健室」があっても良いという趣旨によって設立された。

 運営の主体は、民間の訪問看護ステーションであるが、区の補助を受けての開設である。訪ねてくるお年寄りは、薬の相談から、訪問看護の相談。果てはご主人の仏壇の修理までと。

 毎年700人近くのお年寄りが利用しているという。「都会の限界集落」に向き合う施設、それが「新宿・人情保健室」である。

 ドラマの中の一場面がある。82歳の女性で一人暮らし。歩く後ろ姿も格好がよい。しかし、物忘れがひどくなる。エヤコーンの手元スイッチが見当たらない。お金がない、通帳がないといって保健室にやってくる。常駐の看護師がそのたびに家まで同行、無いと言ったスイッチも通帳もちゃんとおいてある。ある時ご飯を食べていないと。しかし、お釜の中には、しゃもじがちゃんと入っている。女性は、自分の物忘れの進行に落胆し立ち上がれなくなる。そのとき看護師は、「それが普通よ、それで良いのよ。見つからない時にはいつでも保健室に来てね。一緒に探しましょう」と。

 誰でもが通る道と言ってしまえばその通りだが、切ない場面である。

 さて、深夜放送が友達になったということをいつぞやのブログに書いた。今回も、二度目の目覚めが朝4時ちょっと過ぎである。そこで耳にした「明日へのことば」という番組である。その朝の語り手は大井玄医師である。(内科医・東京大学名誉教授 79年から長野県佐久市の「認知症老人・寝たきり老人」の宅診に関わるようになる。現在は東京都立松沢病院に籍を置きながらも桜新町アーバンクリニック在宅医療部に勤務)

 大井医師は俳句も読む。その句の一つに「痴呆仏 憩いたまいし 蓮の上」がある。痴呆症である末期がんの患者が、痛みも感じることなく安らかに逝った姿を読んだ句である。

 その大井医師が今習慣としていることがあるという。それは外来の患者の自宅にかける毎日の「5分間コール」である。

     今日はどうですかから始まり

     ご飯は食べたか、美味しかったか。

     通じはあったか。

     夜眠れたか。

     痛いところはないか。

 この電話が、患者の心をどれだけ癒すことだろう。まさに大井玄内科医は「医者」である。

 最後に、大井医師の川柳を紹介したい。

   「老夫婦 今日も元気で 物忘れ」

 

 


相乗りの福島県知事選・原発の争点なし、あるのは「復興・振興」

2014-09-11 13:53:40 | 日記

   相乗りの福島県知事選・原発の争点なし、あるのは「復興・振興」

 

 昨日のブログに「多分、相乗りの知事選になるだろう」と書いた。そしてその通りになった。

 「負けたくない選挙。負けない候補者」という自民党の思惑通りに進んだ。そして、自民党県連の代表が「腹を切って」と事を納めるという日本特有の収拾策で終わる。

 この時期、自民党福島県連が担ぎ出し、予定されていた事務所開きも「待った」を掛けられた鉢村氏は、いわき地区のあいさつ回りをしていたと地元紙は報じている。

 すでに日銀を退職している鉢村氏である。「納得できない」と述べたという。当然である。

 「藩の方針に意を唱え脱藩としたものは命を狙われる」。鉢村氏にその決意を求めたとしてもその実現はないだろう。

 そして、大方の既成政党はこの相乗りに加わる。それぞれの大義名分を掲げて。しかし、県民はそれをどう読み取るだろうか。

 昨日のブログに次のようなことも書いた。自民党直結の県政が引かれるだろうと。

 つまり、候補者としての内堀氏は原発を争点にしないだろう。そして復興を前面に押し出した政策になることは間違いない。今の自民党が福島でも沖縄でも「負けられない」ということは原発再稼働であり、安全保障政策のためである。そのために金が必要であれば、必要なだけ使うだろう。

 過般の沖縄名護市長選にあたって、当時の石破自民党幹事長は、選挙期間中の演説で「名護振興資金として500億円を用意した」と発言した。しかし、名護市民はそれを「蹴っ飛ばした」が、自民党の体質はここにある。

 街中を走る街宣のスピーカーからは「復興・振興」の言葉が飛び交うだろう。対立候補がいない訳ではない。このことに対し、私たち福島県民がどのように受け止め、どのような判断を下すのか。全国民の注目の的になることは必定である。いや全世界からも注目をされるだろう。

 その意味では、2014年度福島県知事選は、戦後の自治体選挙の歴史に残るものと言っても過言ではない。大きな曲がり角の1ページを、どのようなものにするかを求められていることは間違いない。