鳩山政権の外交ブレーンが、寺島実郎→岡本行夫に変わるかも?
(産経新聞12月22日より)
東アジア重視の姿勢を強調する一方、「今まで米国に依存しすぎていた」としていた鳩山由紀夫首相が、米国に気を使い始めている。米軍普天間飛行場の移設先送りなど「鳩山政権の一連の対米挑発行為」(政府高官)が招いた米側の怒りに気づき、ようやく対米関係の重要性を認識し始めたようだ。最近では、自身の外交ブレーンについても米国に批判的な寺島実郎・日本総合研究所会長から知米派の外交評論家、岡本行夫氏への乗り換えを模索している。
首相は22日、普天間問題でクリントン米国務長官が藤崎一郎駐米大使を呼び、日米合意に基づく現行計画の早期履行を求めたことについて「米国の姿勢を日本政府としても理解する必要がある」と述べた。
コペンハーゲンでのクリントン米国務長官との会話について、首相は19日には、移設先変更を検討するための結論先送りを米側も理解したとしていたのに対し、22日には発言を修正した。クリントン氏による大使呼び出しという異例の事態に、慌てたものとみられる。
首相は就任以来、周囲に「普天間の件は心配していない」と漏らし、首相周辺も「普天間は日米関係のほんの一部」と楽観的だったが、認識を改めざるをえなくなったようだ。
今回、藤崎氏は国務省に入る際の映像をメディアに撮らせ、クリントン氏との会談後には記者団の取材に応じて「重く受け止める」と述べた。この意味について外交筋はこう解説する。
「藤崎さんは慎重な性格で、ふだんはぶらさがり取材に応じないが、今回は国務省に行くのもあらかじめメディアに知らせておいたのだろう。首相らに現実を理解してほしかったということだ」
首相の言動も微妙に変化してきた。21日には、首相官邸を訪ねた日本と中国の有識者でつくる「新日中友好21世紀委員会」の日本側メンバーに、「(提言をまとめる際には)日米中3国の関係にしっかり目配りしてほしい」と要請した。
寺島氏は12月初め、「鳩山首相への誤解を解く」という趣旨でワシントンを訪れたが、米政府の現職当局者らは面会を拒否した。実は、日本政府内にも寺島氏の反米傾向や同盟軽視論を危ぶむ意見があり、「駐日米大使館のズムワルト首席公使を通じ、米側に寺島氏とは会わないよう働きかけた」という関係者もいた。
首相も遅まきながら寺島氏一辺倒では判断を誤ると考えたのか、目をつけたのがかつて首相が批判してきた橋本、小泉両内閣で首相補佐官を務めた岡本氏だった。岡本氏は今月中旬に訪米し、民主党、共和党を問わず幅広い関係者と日米関係を語り合っている。
首相は11日、北沢俊美防衛相の紹介で官邸で岡本氏と会い、昼食をともにした。21日には再び官邸に岡本氏を招き、外交面での協力を要請した。首相周辺には岡本氏を首相補佐官とするアイデアもあったが、岡本氏はあくまで「個人的な立場」で協力することになったという。
◆ ◆ ◆
民主党の対米外交の対等の誤り
鳩山論文に異議 従来外交の継承が基本
岡本行夫公式HP
※岡本行夫…
外交評論家、実業家。元外交官。鎌倉市及び藤沢市で育つ。父親は農林省職員。父親の仕事の関係で、中学時代は2年間クアラルンプールに滞在。
神奈川県立湘南高等学校を経て、1968年に一橋大学経済学部を卒業し、外務省入省。外務省では主として北米畑の有力ポストを歴任し、将来を嘱望される存在だったが、湾岸戦争時に外務省が自衛隊の海外派遣を見送ったことに抗議し1991年に突如辞職、周囲を驚かせた。
外務省退官後も、内閣総理大臣補佐官、内閣総理大臣外交顧問、内閣官房参与、科学技術庁参与等、政府要職を務める。
イラク共和国で殉職した奥克彦(大使)とは生前懇意であり、奥の母校である早稲田大学公共経営研究科の奥・井ノ上イラク子ども基金連携講座でも教鞭をとった。また奥の命日には毎年喪に服している。鈴木典比古(国際基督教大学学長)とはゼミの同期。外務省同期に東郷和彦ら。皇太子妃雅子が外務省時代に尊敬していた上司。
◇
岡本氏は、内閣府沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会委員を務めています。
沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会
沖縄の米軍基地所在市町村の活性化に向けた取組について検討するため、平成8年8月、内閣官房長官の私的諮問機関として設置された委員会。
(プロジェクトの目的)
(a)市町村の経済を活性化し、閉塞感を緩和し、なかんずく、若い世代に夢を与えられるもの。
(b)継続的な雇用機会を創出し、経済の自立につながるもの。
(c)長期的な活性化につなげられる「人づくり」をめざすもの。
(d)近隣市町村も含めた広域的な経済振興や環境保全に役立つもの。
(産経新聞12月22日より)
東アジア重視の姿勢を強調する一方、「今まで米国に依存しすぎていた」としていた鳩山由紀夫首相が、米国に気を使い始めている。米軍普天間飛行場の移設先送りなど「鳩山政権の一連の対米挑発行為」(政府高官)が招いた米側の怒りに気づき、ようやく対米関係の重要性を認識し始めたようだ。最近では、自身の外交ブレーンについても米国に批判的な寺島実郎・日本総合研究所会長から知米派の外交評論家、岡本行夫氏への乗り換えを模索している。
首相は22日、普天間問題でクリントン米国務長官が藤崎一郎駐米大使を呼び、日米合意に基づく現行計画の早期履行を求めたことについて「米国の姿勢を日本政府としても理解する必要がある」と述べた。
コペンハーゲンでのクリントン米国務長官との会話について、首相は19日には、移設先変更を検討するための結論先送りを米側も理解したとしていたのに対し、22日には発言を修正した。クリントン氏による大使呼び出しという異例の事態に、慌てたものとみられる。
首相は就任以来、周囲に「普天間の件は心配していない」と漏らし、首相周辺も「普天間は日米関係のほんの一部」と楽観的だったが、認識を改めざるをえなくなったようだ。
今回、藤崎氏は国務省に入る際の映像をメディアに撮らせ、クリントン氏との会談後には記者団の取材に応じて「重く受け止める」と述べた。この意味について外交筋はこう解説する。
「藤崎さんは慎重な性格で、ふだんはぶらさがり取材に応じないが、今回は国務省に行くのもあらかじめメディアに知らせておいたのだろう。首相らに現実を理解してほしかったということだ」
首相の言動も微妙に変化してきた。21日には、首相官邸を訪ねた日本と中国の有識者でつくる「新日中友好21世紀委員会」の日本側メンバーに、「(提言をまとめる際には)日米中3国の関係にしっかり目配りしてほしい」と要請した。
寺島氏は12月初め、「鳩山首相への誤解を解く」という趣旨でワシントンを訪れたが、米政府の現職当局者らは面会を拒否した。実は、日本政府内にも寺島氏の反米傾向や同盟軽視論を危ぶむ意見があり、「駐日米大使館のズムワルト首席公使を通じ、米側に寺島氏とは会わないよう働きかけた」という関係者もいた。
首相も遅まきながら寺島氏一辺倒では判断を誤ると考えたのか、目をつけたのがかつて首相が批判してきた橋本、小泉両内閣で首相補佐官を務めた岡本氏だった。岡本氏は今月中旬に訪米し、民主党、共和党を問わず幅広い関係者と日米関係を語り合っている。
首相は11日、北沢俊美防衛相の紹介で官邸で岡本氏と会い、昼食をともにした。21日には再び官邸に岡本氏を招き、外交面での協力を要請した。首相周辺には岡本氏を首相補佐官とするアイデアもあったが、岡本氏はあくまで「個人的な立場」で協力することになったという。
◆ ◆ ◆
民主党の対米外交の対等の誤り
鳩山論文に異議 従来外交の継承が基本
岡本行夫公式HP
※岡本行夫…
外交評論家、実業家。元外交官。鎌倉市及び藤沢市で育つ。父親は農林省職員。父親の仕事の関係で、中学時代は2年間クアラルンプールに滞在。
神奈川県立湘南高等学校を経て、1968年に一橋大学経済学部を卒業し、外務省入省。外務省では主として北米畑の有力ポストを歴任し、将来を嘱望される存在だったが、湾岸戦争時に外務省が自衛隊の海外派遣を見送ったことに抗議し1991年に突如辞職、周囲を驚かせた。
外務省退官後も、内閣総理大臣補佐官、内閣総理大臣外交顧問、内閣官房参与、科学技術庁参与等、政府要職を務める。
イラク共和国で殉職した奥克彦(大使)とは生前懇意であり、奥の母校である早稲田大学公共経営研究科の奥・井ノ上イラク子ども基金連携講座でも教鞭をとった。また奥の命日には毎年喪に服している。鈴木典比古(国際基督教大学学長)とはゼミの同期。外務省同期に東郷和彦ら。皇太子妃雅子が外務省時代に尊敬していた上司。
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岡本氏は、内閣府沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会委員を務めています。
沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会
沖縄の米軍基地所在市町村の活性化に向けた取組について検討するため、平成8年8月、内閣官房長官の私的諮問機関として設置された委員会。
(プロジェクトの目的)
(a)市町村の経済を活性化し、閉塞感を緩和し、なかんずく、若い世代に夢を与えられるもの。
(b)継続的な雇用機会を創出し、経済の自立につながるもの。
(c)長期的な活性化につなげられる「人づくり」をめざすもの。
(d)近隣市町村も含めた広域的な経済振興や環境保全に役立つもの。