JB・PRESSの連載、「世界の中の日本」より一部転載。
要約ですので、全体は鳩山大恐慌の足音が聞こえる 続・民主党よ、お前は何者か(2)をご覧ください。
■鳩山恐慌前夜
昨日は普天間問題、京都議定書付属書問題を題材に鳩山政権の危うさを見てきた。今日は昨日に引き続き、経済問題から現政権の脆い姿を浮き彫りにしたい。鳩山由紀夫首相が京都議定書付属書問題という「気候変動の罠」をうまくしのいだとしても、日本経済がかつてなく厳しい状態にあることに変わりはないからだ。
(中略)
25%削減達成のためエネルギー価格を引き上げたり、各業界に削減割り当てを設定したりすることになれば、恐らく、温室効果ガス排出量の多い鉄鋼・セメント業界が真っ先に耐えられなくなり、エネルギー価格の低い国を探して生産拠点を移転することになるだろう。
そもそも25%削減義務がなくても、海外に生産拠点を移す日本企業が続出することは避けられないかもしれない。
■国債の大量発行が日本を破壊する
ある財務官僚は「これはもう鳩山恐慌ですよ」と慨嘆する。
「税収は景気低迷で前年を大きく割り込み37兆円台だと言われているのに、国債の新規発行額は、目標としていた44兆円以内に収めることさえできそうにない。日本国において、税収と借金で借金の方が多かったのは敗戦直後の昭和21年度しかない。昭和22年度ですら税収の方が上回っている」と税財政の現状を説明したうえで、こう続ける。
「敗戦直後の焼け野原の時代と同じ状況だというのに、鳩山政権は国民に負担を求めることを極端に嫌う。それならマニフェストに掲げた新規施策をあきらめるしかないのに、それもしない。どちらも決断しないんですよ」
このままでは、この国は本当にだめになっていく。
■高支持率という“免罪符”こそ危険
鳩山民主党政権が、普天間問題の決着先送りで日米同盟に破壊的なダメージを与え、さらにマニフェストへのこだわりなどで日本経済をおかしくさせている。これはもう取り繕いようのない明白な事実だ。
にもかかわらず、マスメディア各社の世論調査では依然、鳩山政権の支持率が6割台と高止まりしている。これが筆者には不思議でならない。
支持の理由を見ると、行政刷新会議の「事業仕分け」作業が高く評価されていることが分かる。
しかし、マニフェストで掲げた新規施策に必要な財源は7.1兆円である。民主党のマニフェストには、国の総予算を徹底的に効率化して、新規施策分の財源を捻出すると書いてある。それなのに、仕分け作業で稼ぎ出した「予算の無駄」は1.7兆円で、子ども手当の財源(2.7兆円)にもはるかに届かない。
■普天間越年で帰還不能地点を越えてしまう危険性
もとは航空用語だが、太平洋戦争の「ポイント・オブ・ノー・リターン」(帰還不能地点)が三国同盟と南部仏印進駐の2つだったとすれば、鳩山民主党政権は今、普天間越年によって「同盟破壊」のポイント・オブ・ノー・リターンを越えてしまったのではないか。
「日本破壊」のポイント・オブ・ノー・リターンが、気候変動問題なのか、円高・デフレ対応の失敗なのか、放漫財政の果ての国債暴落なのか、科学者たちの日本脱出なのか、それは筆者にも分からない。
だが、このままでは、日本はいよいよ破滅の道を突き進むような予感がしてならない。そして、それを止められるとしたら、日本国民が一刻も早く覚醒して、鳩山政権に明確なノーを突きつけるしかない。 どうか誤解しないでほしいが、自民党を政権復帰させることがいいと主張したいのではない。政権交代しない方がよかったと言っているのでもない。
■国民が支持する限り迷走状態からは抜け出せない
支持率が急落すれば、鳩山政権が現実的な政策に転換する可能性もなくはない。あるいは、民主党内で首相交代を真剣に考える勢力が出てくるかもしれない。首相交代となれば、後継政権は鳩山政権に対する反省に立脚して誕生する可能性が高く、この迷走状態から抜け出すチャンスが出てくるかもしれない。
けれども、国民が今の鳩山政権の姿勢に対して「まあまあ良くやっているじゃないか」と思っている限り、そうした変化は生まれてこない。
鳩山政権に高支持率を与えて時間を空費することで、この国に致命的な打撃を与えることを筆者は強く恐れる。「ハテ、コンナ積もりではなかった」では遅いのである。
今年話題になった本に歴史学者・加藤陽子氏の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)がある。加藤氏が中学・高校生を相手に行った講義録を基にしたもので、平易なですます調で戦前の日本の歴史をひもといている。その中に次のようなくだりがある。
国民の生活を豊かにするはずの社会民主主義的な改革への要求が、既成政党、貴族院、枢密院など多くの壁に阻まれて実現できなかったことは、みなさんもよくご存知のはずです。その結果いかなる事態が起こったのか。
社会民主主義的な改革要求は既存の政治システムの下では無理だということで、擬似的な改革推進者としての軍部への国民の人気が高まっていったのです。(略)
ここで私が「疑似的な」改革と呼んだ理由は想像できますね。擬似的とは本物とは違うということです。(略) ここまでで述べたかったことは、国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を擬似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らないとの危惧であり教訓です。
「既成政党、貴族院、枢密院」を自民党や霞が関と置き換え、「軍部」を民主党、「疑似的な改革」をマニフェストと置き換えてみればよい。
今、眼前で演じられていることは、「本来見てはならない夢」だったのである。そのことに国民がいつになったら気づくか。この国の将来はその一点にかかっているように思えてならない。
要約ですので、全体は鳩山大恐慌の足音が聞こえる 続・民主党よ、お前は何者か(2)をご覧ください。
■鳩山恐慌前夜
昨日は普天間問題、京都議定書付属書問題を題材に鳩山政権の危うさを見てきた。今日は昨日に引き続き、経済問題から現政権の脆い姿を浮き彫りにしたい。鳩山由紀夫首相が京都議定書付属書問題という「気候変動の罠」をうまくしのいだとしても、日本経済がかつてなく厳しい状態にあることに変わりはないからだ。
(中略)
25%削減達成のためエネルギー価格を引き上げたり、各業界に削減割り当てを設定したりすることになれば、恐らく、温室効果ガス排出量の多い鉄鋼・セメント業界が真っ先に耐えられなくなり、エネルギー価格の低い国を探して生産拠点を移転することになるだろう。
そもそも25%削減義務がなくても、海外に生産拠点を移す日本企業が続出することは避けられないかもしれない。
■国債の大量発行が日本を破壊する
ある財務官僚は「これはもう鳩山恐慌ですよ」と慨嘆する。
「税収は景気低迷で前年を大きく割り込み37兆円台だと言われているのに、国債の新規発行額は、目標としていた44兆円以内に収めることさえできそうにない。日本国において、税収と借金で借金の方が多かったのは敗戦直後の昭和21年度しかない。昭和22年度ですら税収の方が上回っている」と税財政の現状を説明したうえで、こう続ける。
「敗戦直後の焼け野原の時代と同じ状況だというのに、鳩山政権は国民に負担を求めることを極端に嫌う。それならマニフェストに掲げた新規施策をあきらめるしかないのに、それもしない。どちらも決断しないんですよ」
このままでは、この国は本当にだめになっていく。
■高支持率という“免罪符”こそ危険
鳩山民主党政権が、普天間問題の決着先送りで日米同盟に破壊的なダメージを与え、さらにマニフェストへのこだわりなどで日本経済をおかしくさせている。これはもう取り繕いようのない明白な事実だ。
にもかかわらず、マスメディア各社の世論調査では依然、鳩山政権の支持率が6割台と高止まりしている。これが筆者には不思議でならない。
支持の理由を見ると、行政刷新会議の「事業仕分け」作業が高く評価されていることが分かる。
しかし、マニフェストで掲げた新規施策に必要な財源は7.1兆円である。民主党のマニフェストには、国の総予算を徹底的に効率化して、新規施策分の財源を捻出すると書いてある。それなのに、仕分け作業で稼ぎ出した「予算の無駄」は1.7兆円で、子ども手当の財源(2.7兆円)にもはるかに届かない。
■普天間越年で帰還不能地点を越えてしまう危険性
もとは航空用語だが、太平洋戦争の「ポイント・オブ・ノー・リターン」(帰還不能地点)が三国同盟と南部仏印進駐の2つだったとすれば、鳩山民主党政権は今、普天間越年によって「同盟破壊」のポイント・オブ・ノー・リターンを越えてしまったのではないか。
「日本破壊」のポイント・オブ・ノー・リターンが、気候変動問題なのか、円高・デフレ対応の失敗なのか、放漫財政の果ての国債暴落なのか、科学者たちの日本脱出なのか、それは筆者にも分からない。
だが、このままでは、日本はいよいよ破滅の道を突き進むような予感がしてならない。そして、それを止められるとしたら、日本国民が一刻も早く覚醒して、鳩山政権に明確なノーを突きつけるしかない。 どうか誤解しないでほしいが、自民党を政権復帰させることがいいと主張したいのではない。政権交代しない方がよかったと言っているのでもない。
■国民が支持する限り迷走状態からは抜け出せない
支持率が急落すれば、鳩山政権が現実的な政策に転換する可能性もなくはない。あるいは、民主党内で首相交代を真剣に考える勢力が出てくるかもしれない。首相交代となれば、後継政権は鳩山政権に対する反省に立脚して誕生する可能性が高く、この迷走状態から抜け出すチャンスが出てくるかもしれない。
けれども、国民が今の鳩山政権の姿勢に対して「まあまあ良くやっているじゃないか」と思っている限り、そうした変化は生まれてこない。
鳩山政権に高支持率を与えて時間を空費することで、この国に致命的な打撃を与えることを筆者は強く恐れる。「ハテ、コンナ積もりではなかった」では遅いのである。
今年話題になった本に歴史学者・加藤陽子氏の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)がある。加藤氏が中学・高校生を相手に行った講義録を基にしたもので、平易なですます調で戦前の日本の歴史をひもといている。その中に次のようなくだりがある。
国民の生活を豊かにするはずの社会民主主義的な改革への要求が、既成政党、貴族院、枢密院など多くの壁に阻まれて実現できなかったことは、みなさんもよくご存知のはずです。その結果いかなる事態が起こったのか。
社会民主主義的な改革要求は既存の政治システムの下では無理だということで、擬似的な改革推進者としての軍部への国民の人気が高まっていったのです。(略)
ここで私が「疑似的な」改革と呼んだ理由は想像できますね。擬似的とは本物とは違うということです。(略) ここまでで述べたかったことは、国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を擬似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らないとの危惧であり教訓です。
「既成政党、貴族院、枢密院」を自民党や霞が関と置き換え、「軍部」を民主党、「疑似的な改革」をマニフェストと置き換えてみればよい。
今、眼前で演じられていることは、「本来見てはならない夢」だったのである。そのことに国民がいつになったら気づくか。この国の将来はその一点にかかっているように思えてならない。