昨日の夕方、用事で奈良町界隈に訪れ、
あまりにもきれいな夕日でしたので、
猿沢池まで足を延ばしましたが、
沈みゆく夕日に間に合いませんでした。
↑↑↑
興福寺南大門跡に、幕がされているのに気がつきました。
それは、興福寺の『薪御能』なのです。
明日の日曜日もあるとばかり思っておりましたが、
ポスターには20日(金曜日)と21日(土曜日)と、
当日券は4500円(解説書付き)、今からではもったいないです。
でも、後方からは、無料席も用意されており、
イヤホンガイドを借りて鑑賞するのもいいかも。
但し、写真撮影は禁止されておりました。
北側正面からは、今日の入りはまずまず
後で伺った話ですが、
昨日金曜日は、7時過ぎから無料で見れたとのこと
西側の南円堂側からギリギリ覗かせていただくと
演者が舞う↑ ↑
多分、『杜若(かきつばた)』金春安明さんでしょうか?
時間がなく20分ほどでしたが、能楽堂で拝見するのとは違い
薪の火の揺らぎと鼓の音、くっきりと浮び上がる演者、
闇が忍び寄る舞台の美しさ、幽玄の世界へと誘われました。
明日のお稽古の主菓子は『杜若』にすることに決め、
今朝二種類の練りきりを用意して、作りますが?
練りきりの白と紫だけでは、さみしく、
黄身餡を足してみると、見栄えはよくなりますね。
『かきつばた』に、近づけましたでしょうか。
付記)なおHPからですが、
薪能の始まりは、ここ興福寺なのです。
”この行事は日本古典芸能の基調をなすもので、近年、
各地で野外能や薪能が行われていますが、古来、薪能といえば、
興福寺南大前の芝生で演じられてきたものを指し、
各地の薪能は戦後これにならったもので、
869年、興福寺修二会で薪猿楽が舞われたのが始まりと伝えられており、
3月に7日間行われ、能だけでも四十九番舞われていました。
能楽が大成される室町時代には、最も盛況を極めたといわれています。”
あまりにもきれいな夕日でしたので、
猿沢池まで足を延ばしましたが、
沈みゆく夕日に間に合いませんでした。
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興福寺南大門跡に、幕がされているのに気がつきました。
それは、興福寺の『薪御能』なのです。
明日の日曜日もあるとばかり思っておりましたが、
ポスターには20日(金曜日)と21日(土曜日)と、
当日券は4500円(解説書付き)、今からではもったいないです。
でも、後方からは、無料席も用意されており、
イヤホンガイドを借りて鑑賞するのもいいかも。
但し、写真撮影は禁止されておりました。
北側正面からは、今日の入りはまずまず
後で伺った話ですが、
昨日金曜日は、7時過ぎから無料で見れたとのこと
西側の南円堂側からギリギリ覗かせていただくと
演者が舞う↑ ↑
多分、『杜若(かきつばた)』金春安明さんでしょうか?
時間がなく20分ほどでしたが、能楽堂で拝見するのとは違い
薪の火の揺らぎと鼓の音、くっきりと浮び上がる演者、
闇が忍び寄る舞台の美しさ、幽玄の世界へと誘われました。
明日のお稽古の主菓子は『杜若』にすることに決め、
今朝二種類の練りきりを用意して、作りますが?
練りきりの白と紫だけでは、さみしく、
黄身餡を足してみると、見栄えはよくなりますね。
『かきつばた』に、近づけましたでしょうか。
付記)なおHPからですが、
薪能の始まりは、ここ興福寺なのです。
”この行事は日本古典芸能の基調をなすもので、近年、
各地で野外能や薪能が行われていますが、古来、薪能といえば、
興福寺南大前の芝生で演じられてきたものを指し、
各地の薪能は戦後これにならったもので、
869年、興福寺修二会で薪猿楽が舞われたのが始まりと伝えられており、
3月に7日間行われ、能だけでも四十九番舞われていました。
能楽が大成される室町時代には、最も盛況を極めたといわれています。”