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春日権現記を読む(15巻、16巻には解脱上人さんが)

2016-05-09 12:39:47 | 日記
春日大社は第六十次式年造替で、
 
この秋には正遷宮が執り行われます。
春日大社の社紋は「下がり藤」で
春日権現験記絵(1309年)にも登場している
樹齢800年有名なのは
「砂ずりの藤」はノダフジの変種なのです。
HPより
例年より早く咲きだし、10日ほども咲きほこった藤も、
HPでは、散り終わりだそうで、
これからは初夏の装いになるのですね。
15年5月下旬
『春日野の 藤はちりてに 何をかも
     御狩の人の 折りて挿頭さむ』
万葉集(作者不詳)より

今回の「春日権現験記を読む」
15巻では

唯識論を勉強し疲れた若い修学僧の頭を足で蹴ると、

大明神にそのことを咎められる

具合が悪く、明日の仏事ができないと悩んでいると
夢の中に縁側に首を掛けている鹿が一頭現れた
つまり春日大明神の加護をうけている証なんですって。


16巻では
解脱上人さんが登場されます。
鎌倉時代前期の僧で、興福寺には8歳から39歳まで、
笠置寺に39歳から54歳、その後海住山寺に移られ、
59歳で亡くなられた。
誰よりも戒律に厳しく、文章と話術に優れた方で、
古刹の復興、勧進などに尽力されており、
明恵上人ともつながりが(17巻で楽しみです)。

なぜ興福寺の僧が春日権現験記に現されるのでしょうか。
春日明神に篤い信仰をもっておられ、藤原氏の氏神であったが、
興福寺は春日明神を法相宗擁護の神と説き、
社頭で仏典を読んだり、僧侶が参籠することも多く、
移った笠置寺にも春日明神を勧請されて、祀られた。
そのことが描かれております。

春日大明神が、沓(くつ)を履いた上人の首の上に
載られているため、上人の頭が下がっています。
 
その後、神は真榊に乗り移られ、頭が軽くなり、
笠置の山の上まで一気に登られ、春日社を勧進された場所に
大きな鹿が二頭、春日社の本事仏である釈迦如来と地蔵菩薩
を表わされております。(写真なし)

神懸かる女性(右袖が下がっていることより)が僧に宣託を
それを覘く娘(背中にはお守りが)
先生は、女性は中宮寺を再興した信如とされ、
実はこの僧と関係が(この時代妻帯された僧が多かった)
ということは、三人は親子関係になるとの持論を述べられた
会場内の若い女性から”そこまで言われるのですか”と声が

二回目ですから、何とか文章が読め少しはわかったかも
それにしても、笑いもあり、本当に若い方も目立ちます。
講師、西山厚先生の影響かもしれません。
(西山厚先生は奈良国立博物館から帝塚山大学教授へ)
次回は7月ですが、先生は一足早く香雪美術館主催で
「明恵上人と春日信仰」という講演をされる予定です。
神戸市東灘区住吉までですか、ウーん