大会録

ホノマラの人々の大会の感想など

100キロチャレンジマラソン秋田 (sanzuinokawata)

2012-09-27 21:57:12 | 100キロチャレンジマラソン秋田
二回目の秋田。100㎞は4回目。
練習は一か月前に40㎞弱の長距離練を1回、高尾~陣馬往復のトレイル1回。
あとは週に1~2回、7km強走るだけ。
練習量はいつも通り。ほとんど練習してないに等しい。

ちなみに前回の秋田(第19回大会)はこんな感じ。

10km ~ 0:58 …エイドステーションのおにぎりの旨さに感動する
20km ~ 1:55 …梨があることに気づきテンションUP
30km ~ 2:55 …27km頃から足が辛くなりだす
40km ~ 4:02 …気合で乗り切る
50km ~ 5:10 …このまま行けば10時間台とか思ってしまう
60km ~ 6:35 …50kmで休みすぎ、足にくる
70km ~ 8:05 …この区間が一番辛かった気がする
80km ~ 9:35 …この区間の方が辛かった
90km ~11:04 …ヨシダさんに出会ったり、うまい棒を食べたり
100km~12:29 …あと5kmで残り75分。やっと完走が見える


大会前日は前回の反省を活かし、開始前から場所取りをして前夜祭に臨む。
ビール2杯と日本酒、オードブルを食べることができて満足。
ホテルに移動して夕食。豪華すぎた。
食べすぎかなと思うくらい食べて、温泉で露天風呂。誰も露天風呂に付き合ってくれなくてションボリ。一人温泉を満喫した。
明日の用意をして9時過ぎに就寝しようとしたが、火曜日のセミナー発表資料の暗記とかなんやらして遅くなった。

翌朝は2時起き。
朝ごはんにおにぎり2個、あんドーナツ小1個、みかんゼリー、ミニトマト。
摺れ防止のためのワセリンと日焼け止めをきちんと塗って万全の態勢を整えた。
ポケットには以前試供品でもらったアミノ何とか一本と芍薬甘草蕩一袋。
中間点にはミニトマトと芍薬甘草蕩、それに加えて前々日に痛めた足首が気になっていたのでモービリンもあわせて送る。

ラップは以下
~ 5km 32:39
~10km 30:08
~15km 29:40
~20km 29:51
~25km 27:03
~30km 28:58
~35km 27:46
~40km 30:17
~45km 27:40
~50km 29:46
~55km 27:37
~60km 31:55
~70km 68:48
~75km 33:14
~80km 38:07
~85km 36:42
~90km 35:18
~100km 71:59
Total 10時間37分37秒

【~10km】わりと速かったがタイムはいまいち。キロ表示が不正確かなと思いつつ走った。ここまでエイドなし。朝ぼらけな田んぼ道は快適!

【~20㎞】エイドで早いもの勝ちと言われたパンケーキをとりあえず食べた。エイドのおばちゃん手作りらしく美味しい、美味しいがぱさぱさして食べづらいのでお茶で流し込む。その他、おにぎり、りんご、豚汁。最初の方のエイドは梨がなくて残念。トイレ一回。エイド間は氷砂糖を舐めながら走った。秋田は全エイドに氷砂糖があってうれしい。体力の源はやはりグルコース。クエン酸回路をまわしてATPをいっぱい作ってもらわねば!

【~30㎞】エイドで梨を食べまくった。

【~40㎞】エイドで田端をこそっと抜こうとしたが気付かれて追いつかれた。と思いきや田端は登りで失速。サヨウナラ。きつい登りが始まる前なのに大丈夫かと心配になった。

【~50㎞】前回も食べた謎のフルーツ“マルメロ”煮。まあまあ美味しい。スイカも食べた気がする。トイレ一回。中間点でミニトマトを食べ、芍薬甘草蕩を飲む。かわりに芍薬甘草蕩を一袋ポケットへ。この時点でサブテンは無理っぽいのでショボン。

【~60㎞】上杉と並走するも上杉速すぎ。サヨウナラ。黄色スイカはあんま美味しくなかった。「ビールあります」看板があったが、屋内っぽいので涙をのんでスルー。そろそろ疲れてペースが落ち始める。

【~70㎞】シソジュース!

【~80㎞】トイレ一回。マルメロ煮とウメ煮の両方あるエイドでおばちゃんに、「マルメロよりウメの方が美味しいからこっち食べ」と言われた。マルメロは地元民には愛されない特産品なのか…。

【~90㎞】秋田市の女性と喋りながら走る。89kmで西に抜かれた。速かった。サヨウナラ。

【~100㎞】コースが変わっていた。そしてゴール。前回はゴールした瞬間に「もう走らなくていい」という安堵感でいっぱいになったが、今回は「もう終わってしまった」という寂しい気持ちがした。これも3年間の成長の一つだろう。

後夜祭はビールや振る舞い酒を楽しんで大満足。ビール飲み放題とは太っ腹!


タイムはベストながらもサブテンには程遠く残念。サブテンするにはさすがに練習しないといけないか。
ただ、自分が大会に出るときにいつも掲げる目標の一つ「誰よりも大会を楽しむ」は達成できたと思うので個人的には大満足。秋田を満喫した!
それに加えてひそかに目標にしていた、「沿道で応援して下さる方に出来る限り応える」も最後まで達成できたので満足。100kmは沿道の応援がたくさんで有難いので、感謝の意をこめて応えるようにしようといつも思うが最後のほうは疲れてそれどころではなくなってしまう。今回は最後まで頑張った。

最後に。今回の秋田は10人もの大人数で出場できてとても楽しかった。無責任にも色んな人を誘いまくった結果でもあるが、今回完走できなかった人も完走できる実力は十分あると思う。完走した人もできなかった人も月日が経てばまた出たくなると思うので、またみんなで100kmにでましょう。
あと、応援に来て下さった田儀さんありがとうございました。

100キロチャレンジマラソン(まや)

2012-09-27 11:31:32 | 100キロチャレンジマラソン秋田

まややんです。
完走もしていなければ、たいした練習もしていないので書くことを躊躇いましたが、今後こんなことにならぬよう反省も込めて、筆をとります。

*出場した理由
ウルトラを走る女子がまだあまりいないので、差別化したいなと思いエントリーしました。

女の子、ウルトラは色んなチャンスだよ!
(´▽`)

*練習量と言い訳
恥ずかしながら全く走ってません。

7月は掛け持ちしているサークルのことや試験もあり全く走れませんでした。箱根も通常練も行ってません。

8月は合宿の50キロと秩父練で40キロくらいと、ちょいちょい皇居とか。
合宿終わってから体調を崩し全然治らず無理をするのは辞めておきました。

9月走ったのは浦佐のレースだけ。
9月からは体調がさらに悪化してよくめまいや動悸、吐き気が。色々あってかなりネガティブになっていたので秋田は棄権しようと思っていました。

まあとりあえず秋田県に行ってみたいのと、スタートラインには立とうと思い出場を決めました。

*スタートまで
午前2時起床。頭痛。食べたものはおにぎりとお魚ソーセージ1本とバナナ1本。お茶。
格好はロンタイとTシャツと五本指ソックスとナイキの靴、帽子。スタートは寒かったのでビニール袋も着用。 
中間点には着替えのTシャツ、タオル、テーピングテープ、痛み止めの薬、ウィダー、日焼け止めを準備。

スタートは河田さん、ゆっこさん、ともちんと10時間完走予定のところに並ぶ。さあ、いよいよ。

*レース
結果を先にいうと、65キロ地点の第3関門で9時間1分で終りました。

ウォッチが壊れラップの記録もありません。

エイドでは毎回スポーツドリンクとオレンジ、梅干し。たまにおにぎり。

~5キロ
9月は浦佐以降走っていないという暴挙にでたが、逆にリラックスできたのだと言い聞かせてスタート。

暗くて走りづらかったけど自分の調子を確認しながらたくさんの人を抜き走る。ゆっこさんと河田さん、石田を抜いたことは分かった。
でも河田さんにはすぐ抜かされる。なんとも軽やかな足取りであった。

~10キロ
明るくなり始めた頃、「ここで汗をかきすぎるな、ビニール袋を脱いだ方がいい」とクリスタルランナーにアドバイスを受けたので脱ぐ。
たしかに、この頃まわりにビニール袋を着ている人は少なかった。

田丸が抜いていった。19歳の快走に期待。
ゆっこさんが後ろから声をかけてくれたので併走。
西とかまっつんさんはもうどんどん先に行ってるんだろうなーと思った瞬間、なんと後ろから笑顔の西が。
「10キロは様子みます!」とニコニコしてたがそのうち、「そろそろ皆を追ってみますね」と真顔で言って消えていった。

~20キロ
ペースが落ち併走していたゆっこさんの後ろ姿が見えなくなったが、このときはまだ元気。
クリスタルランナーについて行けば完走できると思って水色ゼッケンを探したが、もういない。

~30キロ
病は気からと言うが、痛みも気からである。
誰かと走っていると痛みは和らいでいたが、1人になるとテンションも下がり痛み発症。なぜかウォッチが止まっていたこともテンションが下がり気分が悪くなった原因の1つ。
そして頭も足も痛くて、痛み止めを服用し歩くことにした。

40キロ地点で時計を見るとスタートから5時間半が経過。
さすがに歩きすぎたなと思ったとき、痛み止めが効いてきたのか足が動くし頭痛もひいたので再び走り始める。
すると43キロ地点でゆっこさんに遭遇。ゆっこさんは中間点でリタイアするとのこと。

50キロ~
田儀さんに見守られ準備していたテーピングを足首に。ウィダーを持ち、気を取り直して再スタートするもすぐ気分が悪くなった。
どこかで吐いたがもはや記憶がない。

60キロ~
時計が12時55分を指していたことは覚えている 。
残り40キロ、残り時間4時間半ちょい。もしかしたらもしかしたら完走できるのかもと思ったが足も頭も痛いし、吐き気がひどい。

第3関門の存在は 完 全 に 忘れていた。

「あと5分だから走れー!」と大会の人に言われダッシュしたが、時すでに遅し。
関門の閉鎖に1分間に合わずそのまま収容車へ。

完。


あのとき休みすぎなければとか、あのとき歩かなければとか、少しは悔しい思いもしましたが、正直なところ、もう走らなくていいんだという安堵の方が強かったです。
どこでやめようか考えていましたが、自分からリタイア申告する決心もつかず惰性で走っていたので。
だから、「もう君のレースは終わりだよ」って言ってくれたことで、なんだかすごく救われた気がしたのです。

もし関門を突破していたら、やめる勇気もなく、足を引きずりながら頭痛や吐き気にたえながら走り続けたでしょう、きっと。

なので、こんな中途半端になってしまいましたが、あのボロボロのコンディションを考えると、もしかしたら第3関門で終わってよかったみたいです。

(しかも後日疲労骨折していたことも判明。)


*反省、まとめ
・ウルトラ出るなら走りを優先。
わたしは欲張りなので他のサークル、インターンなど色んなことに手を出してましたが、ウルトラ挑戦するなら取捨選択が重要です。

・長い距離に慣れる。
(わたしが言えることではないので、練習内容については他の皆さんにアドバイスを請うてください。)

・何よりもまず体調管理を。
心身ともに健康じゃないとウルトラはきついだけです。練習でも大会でも達成感などありません。

・関門のこと、忘れない。
おそらくホノマラーなら関門など問題ないことでしょうが、万が一のこともあるので関門閉鎖時間は頭に入れておきましょう。


もう走りたくないと今は思っていますが、性懲りもなくまたいつかエントリーしたときは今回の反省をいかし万全にして臨もうと思います。

ありがとうございました。

100キロチャレンジマラソン秋田(にしき)

2012-09-26 15:16:50 | 100キロチャレンジマラソン秋田
<ラップ>
5km 32:38:64
10km 31:12:48 (1’03)
15km 31:14:98 (1’35)
20km 30:47:65 (2’05)
25km 30:46:40 (2’36)
30km 36:26:04 (3’13)
35km 30:57:47 (3’44)
40km 36:44:92 (4’20)
45km 31:16:42 (4’52)
50km 41:31:23 (5’33) ※中間地点での休憩含む
55km 28:17:73 (6’01)
60km 32:15:35 (6’34)
65km 37:33:71 (7’11)
70km 30:15:66 (7’41)
75km 32:36:60 (8’14)
80km 34:02:73 (8’48)
85km 36:16:13 (9’24)
90km 35:12:64 (10’00)
95km 38:19:36 (10’38)
100km 33:51:64 (11’12) ※ゴールで安心して時計止め忘れたので数十秒の誤差あり

ホノマラーいっぱいいるし、一回だけ100キロ完走してみたいと思っていたのでエントリー。
目標は完走。あと、エイド以外で歩かないこと。

〈練習〉
三か月前くらいからまあちょっと距離気にするか、という気持ちになる。
6月はさくらんぼ(ハーフ)、スイカ(10km)、12時間リレーと大会が多かったのでそれで距離を稼いだ気になっていた。
毎回の通常練習で平均5周くらいずつ。
7月は期末レポートに追われてほとんど走れなかった。暑さのせいで通常練習でも平均4周くらいに。
あと、箱根企画で10km。
8月は他の人の練習量を見て焦り始めた。
合宿で30km。気が向いたときに近所を10km~20km位走るのを何回かやった気もする。
通常練習は暑くて3周でやめてしまうこともしばしば。
フル以上の距離が未知で怖すぎたので秩父旅行がとてもありがたかった。50km位しか走ってないけど「93km先まで行った」というのが自信になったし、どのくらいのペースや休憩間隔で行けば完走できそうかが初めて体感できた。
9月は浦佐と高尾山で山祭り。
一週間前から疲労抜きを意識。
土曜にゆっくり長めのフライング+短く速めの通常練習をして、水曜の通常練習で3周だけ足に刺激入れるくらいの速さで走った。あと金曜に2km刺激入れ。それ以外は一週間前なにも走らなかった。
食事は3日前くらいから炭水化物摂取を意識。(ご飯をちょっと多めに食べるとかその程度)
あと、3日前には9時くらいに寝て睡眠調節をしようとした。

〈前日から当日朝〉
自宅から東京、東京から秋田と移動中は寝ないように頑張った。
宿のきりたんぽがおいしかった。秋田っぽくてうれしかった。
9時くらいに寝た。途中一回目が覚めたけど、割としっかり起きられて安心。
朝食はいなり寿司とオレンジジュースとおにぎり。
中間地点に送る荷物は上の着替えと目薬、コンタクト、そこまで走ったご褒美としてバームクーヘン(結局ゴールしてから食べた)。
日差しがなかったので別にいらなかったかも。
スタート時は上は半袖、下はロンタイとハーパン、あと寒かったからビニールを被っていった。帽子も一応被った。ロンタイは迷ったけど涼しかったのでちょうどよかった。

〈~10km〉
ゼッケン裏にアミノバイタル5本、ポケットにウィダー持ってスタート。
(アミノバイタルは20kmごとに1本飲む予定だった。一本余ったのはゴール後に飲んだ。
ウィダーは中間地点までちまちま飲んでた)
スタート後、1キロくらいで石田氏っぽい人を抜く。
5kmらへんで河田さんに抜かれる。「また追い抜かれるかも」的なことを聞いたけどその後ゴールまで二度と会わなかった。
暗いし寒いし速さわかんないので、小谷さんからアドバイスのあったとおり「足に快いくらいのペース」を意識した。
いよいよな感じがして楽しくてちょっとにやにやしながら走ってた。
最初のエイドで被ってたビニールを捨て、秋田米をおいしくいただく。
エイドは最後まである限り全部止まった。スポドリとお米は毎回摂取してた。

〈~20km〉
いろんな人を風よけにしながら走る。気温14℃の表示があった気がする。まだ元気。
寒くてトイレに行きたくなったけどタイミングがわからず走り続ける。
20km地点でアミノバイタルを飲む。

〈~30km〉
つくばランの人が話しかけてくれて楽しく走る。
オクトーバーランのチームTシャツで走ってたので、「ほのまらってなんですか」といろんな人に聞かれた。
25km前後だった気がするけど、嶋田氏と田丸に抜かれた。
ついていくか悩んだけどまだ半分以上あるし無理はしないことにした。というかキロ6分くらいのペースだったので、無理する余裕がなかった。
30km地点であきらめてトイレへ。そこで西氏に追い抜かれる。後ろにいたのかと驚いた。

〈~40km〉
半分行ってないのに疲れが出てきて焦り始めた35km。
坂道はきつかったけど、浦佐よりましと思ったらなんか気が楽になった。
登りでも歩かない方が速いし楽と浦佐で経験していたので、歩いている人を抜かして淡々と上った。
なめこ汁のエイドで嶋田氏、西氏に追いつく。
田端もいて、あれいいのかな?と思いつつ抜いていく。
ここでもつくばランの人に遭遇。アミノバイタルを飲み忘れ、45km位で飲むことに。

〈~50km〉
登りで嶋田氏を抜き、田端に抜かれ、田丸に追いつき、とホノマラーにいっぱいあった。
田端がへばってたので、自分のペースを崩さなければ抜けると思って無理に抜かさなかった。
下りでつくばランの人としばらく併走した。
「長い距離だから筋肉疲労は当たり前、そのくらいの疲れは完走に関係ない」と言われかなり勇気づけられた。
エイドのおいしいもの情報を交換して見送った。ついでに田端を抜いて中間地点へ。
西氏が休んでるのに追いついた。田儀さんが現れて元気が出た。
5時間17分くらいで中間地点についたので、ここでタイム的な目標をサークル記録、あわよくば11時間半くらいにしようと決める。
50km通過は5時間半くらいでいいだろうと思って中間地点でちょっと休んだ。ロンタイを置いて出発。
この先のエイドでは毎回氷砂糖を二粒以上ポケットに忍ばせて飽きたら舐めるようにしていた。
エアサロも毎回足全体にスプレーしていた。

〈~60km〉
応援のおかげで元気でた。中間地点で休んだので、張り切ってちょっと飛ばしすぎたかも。
汗があまりかけなくて、仕方ないから63kmくらいで二回目のトイレ。

〈~70km〉
65km位に石田氏に抜かれる。ついに来たなと思った。沖縄を思い出した。
60km~80kmが精神的につらいと聞いていたけれど、本当だった。
石田氏を見送った後くらいからいよいよつらくなりはじめる。

〈~80km〉
ひたすらつらかった。泣きたかったけど塩分を出すわけにはいかないと我慢した。エイドにつくたびに半泣きしていた。
おばちゃんが無理しなくていいのよ、と誘惑してきたけど徐々に11時間半が見えてきていたのでそれだけを支えに走り続けた。
「下を向くな、前を見ろ!」と念じ続けた。

〈~90km〉
あと皇居何周分か考えながら走り続けた。歩きたい衝動に駆られまくったけど、目標歩かないだったのでなんとか我慢した。
ゴールの鷹巣の道路標識があるのに合川の方にコースが続いてて絶望した。

〈~ゴール〉
最後の坂にびくびくしてたけどそこまできつくなかった。ラスト5kmのトンネルが萎えポイントだと思った。
同い年くらいの女性と並走していたので最後のエイド止まるか迷ったけど、結局止まった。そしたらおいて行かれた。
絶対あれがゴールだ!と勝手に思っていた体育館っぽい建物を通り過ぎたときはもうだめだと思った。
最後三キロが異様に長かった。商店街で名前を呼ばれたときのうれしさが半端ない。
ゴールしてふらふらしてたらまや先輩がいて、我慢してた涙がわっと来た。あんなにいろんな感情のごちゃ混ぜになった涙は初めてだった。

〈感想〉
何のために走ってるかわかんなかったけど、最後のよくわかんない涙のためだったのだなーと思った。
100kmつらかった分達成感は素晴らしかった。
ただし、また出たいかとは別の問題。

100キロチャレンジマラソン秋田(田丸)

2012-09-26 11:24:32 | 100キロチャレンジマラソン秋田
田丸です。
今年の一年生の初戦に出て、ちゃっかり完走してきました(^o^)/

5km  33'27
10km  1'03'17 (29'50)
15km 1'35'59 (32'42)
20km 2'04'39 (28'40)
25km 2'32'26 (27'47)
30km 3'03'55 (31'29)
35km 3'34'07 (30'12)
40km 4'17'27 (43'20)
45km 4'55'44 (38'17)
50km 5'41'03 (45'19)←中間点休憩込み
55km 6'11'54 (30'51)
60km 6'53'06 (41'12)
65km 7'37'12 (44'06)
70km 8'14'29 (37'17)
75km 8'56'05 (41'36)
80km 9'35'15 (39'10)
80km以降 おおよそ7min/km+エイド休憩

finish 12'26'00~12'29'00位?

<大会までの練習>
7月210km 8月250km 9月110km
合宿までは足の調子が良く、順調に距離を重ねられた。しかし合宿後、足裏に痛みが出てきて8月中旬は満足のいく練習ができなかった。秩父練でも途中で太腿前側をつり、不安な状態で9月へ。太腿前側の疲労がなかなか抜けなかったので疲労抜きの期間を長くとり、9月はほとんど走りこまなかった。しかし、直前の木曜日に風邪をひいてしまったため、金曜はひたすら風邪を治すことに専念。木曜あたりからこまめに水分を摂る。

<前日>
一年生が一人の宿泊行事は、箱根、秩父に続き三回目なので、リラックスして過ごせた。前夜祭でのそばと宿での豪華な夕食をたくさん食べた。夜は9時に就寝したかったが、なかなか寝付けず結局寝たのは10時30分ごろ。

<当日>
2時に起床。と同時にキャプテンからのメールが届きやる気が高まる。朝ごはんは、宿でブドウパンと大きなどら焼き1つとオレンジジュース。そして、会場に到着してからおにぎり1つ食べ、アミノバイタルを1本飲む。
初大会ということもあり、大会気分を楽しむこと、及び完走することを最低限の目標として設定。そこから、河田さんの一年時のタイム、そして12時間切りを段階的に目標とした。
持ち物は、アミノバイタル5本と行きの新幹線で隣の席のおじさんからもらった芍薬甘草湯2袋。

~5km
ホノマラの最後尾から嶋田さんと一緒にスタート。周囲のペースに合わせてゆっくり走る。

~10km
人と人の間隔があいてきたため、少しづつ人を抜かしていく。

~15km
一個目のエイドで錦織さんを前に見つけるも、トイレに行ったため見失う。この大会では100km通じてトイレに行く回数が多かった。前を追うべく走る。エイドでは、スポドリor水+おにぎりひとつ+果物とかそんな感じ。

~25km
エイドでアミノバイタル一本飲む。気持ちよく走る。このあたりで錦織さんと嶋田さんをぬく。

~35km
ひたすら走る。道端でくつひもを結びなおしている田端さんを見かける。30km~35kmを走ってると思ってたら、30km地点の看板を見つけて若干萎えた。

~40km
上り坂に入ったときに、前半の足の疲れが一気にきた。上るときにどうしても地面を蹴ろうとしてしまうが、足の裏及び太腿の筋力がないせいですぐに疲れてしまう。ので、上りでは歩き、平地と下りで走る作戦に。この時点で、12時間切りはきつそうだと考える。36km地点のエイドでアミノバイタル一本飲み、くつを脱いで足裏をほぐすなど、長めの休憩をとる。

~45km
上りはひたすら歩く。途中で西さんに颯爽と抜かれる。その後、田端さんと錦織さんが来たので、気合いをだして走ってついていく。42km地点のエイドで二人と離される。そのエイドのあとは下りが続く。つらい。

~50km
中間地点で田端さん、錦織さん、田儀さんと出会う。おにぎりやオレンジをいくつか食べ、芍薬甘草湯を飲み、ゆっくり休憩。石田さんと嶋田さんがやってきたのを見つつ出発。

~60km
55kmまでに石田さんにぬかれる。コースガイドの高低図より、後半はほとんど下りだと思っていたら、所々に上り坂があって萎える。上り坂は歩き。

~70km
疲労による痛みで走ったり止まって屈伸したりの繰り返し。相変わらず上りは歩く。60km過ぎのエイドでアミノバイタル一本飲む。

~80km
残り時間を計算しながらのラン。30kmで270分くらいだから9min/kmが完走のボーダー。しかし後半に上りがあることを考えると、余裕はなさそう。とか考えてた。アミノバイタル一本飲む。

~85km
ここでまさかのトラップ。ウォッチが9'59'59で止まる。ラップ機能も止まる。前夜祭の会場でも売ってた型のウォッチだったのに…。サブ10しろということか。とか考えつつ、時計の機能でゴール制限時間の17時30分から逆算して残り時間を考えたりする。ラップタイムに80km以降のタイムが載ってないのはそういう理由。
そして右脚の付け根の部分が痛くなる。疲労とは違った感じで、走れなさそうな痛み。なので、走って、痛くなったら少し歩き、また走って、……の繰り返し。残り時間的に詰んだと思った。が、エイド間の距離とかかった時間をみると、実は平均して7min/kmくらいで進んでいるという事実に気付く。

~90km
ひたすら、走って歩いての繰り返し。これだと、走ってる間に抜いた人に、歩いている間に抜かれるということを何度も繰り返すため、周りの人から見たら嫌な奴だと思われているんだろう、とか考える。相変わらず、7min/kmくらいで進む。

~95km
残り時間から、もしかしたら河田さんの一年時の記録を抜けるかもしれない、と考える。本当は12時間29分53秒だが、このときは12時間24分台だと思い込んでいたため、それを切るべく頑張る。といっても、走って歩いての繰り返し。エイドでアミノバイタルを一本飲み、気合いを入れる。

~100km
残り5kmくらいから、あと代々木公園○周、と考えながら走る。23分台は厳しそうだと思い、せめて30分はきることに目標を変えて走る。商店街をぬけて、ゴールまでの直線にはいり、周りの人から応援されたとき泣きそうになるが、泣くならゴール後に泣こうと我慢。田儀さんと中川さんを見つける。そしてゴール!!、、、結局泣かなかった。

<総括>
前半飛ばしすぎたとか、そういうペース配分云々はともかく、きつくなったときに頑張れず、すぐに歩いてしまう。この性格を直さないとどんな距離でもタイムはねらえないと思う。また、上り坂の走り方もいまいちだったので、練習しておきたい。腕ふりとかも含め、全身を使って走るようにしたい。
と、いろいろ反省点、改善点はあるが、やっぱり大会って楽しいと思う。多くの人の努力で成り立っている大会だと実感できた。秋田はいい人が多かった。

‐おわり‐

みんなで×5時間in東京学芸大学(小谷)

2012-09-25 22:39:52 | みんなで×5時間in東京学芸大学
みんなで×5時間in東京学芸大学(2012/09/23)

【目的】
本レースはその2週間後に迫った神宮外苑24時間走の練習という位置づけで参加した。
目的は
①ハンドラーとの連携を確認する
②サプリメントの飲みやすさを確認する
③スピード練習
④良い記録を達成し神宮にむけて精神的安定、自信を獲得する
の4つである。

【練習】
走行距離は
7月:735km
8月:900km
9月(22まで):453km

内容としては
7月:朝と夜の2部にわけたジョギング中心。3種目耐久レース、峠走(1回)と回数は少ないが強度の高いスピード練習もこなしている。
8月:前半は2部練のジョギングで距離を稼ぐ。後半は27km jogのような1回の距離を少し増やした練習へ移行。坂ダッシュでスピード感覚を養い、心肺機能の維持にも努めた。ポイント練習は合宿の富士山1周101kmと秩父往復186km(2日間)。富士山と秩父の2日目はLSDとしてではなくスピード練習のつもりで走った。細切れで休憩が入ったり、暑さで集中力がきれることもあったがつぶれることを恐れず速いペースを心がけた。
9月:(8月終盤から)9月序盤は秩父遠足の後に患った膝の痛み(靱帯炎の可能性が高い)があったので短い距離のジョギングで鎮痛剤を使いながら痛みがひくのを待った。周囲には言わなかったが内心焦りはあった。5日から練習を本格再開。なまった体も2週間後くらいには調子が戻ってきた。9月からはスピード練習の頻度が増える。強度こそ高くはないが、坂ダッシュ、サークルでのラスト1周のダッシュ、ペース走を取り入れる。大会4日前から(7,21,19,7km)と練習量を少し落として疲労を軽くしておいた。ただし全てスピード練習なので質は高め。

【レースプラン】
スピード練習なので前半は最低4:15/kmくらいのペースは維持しようと思っていた。よって42kmを3時間、残り2時間を5:00/kmで合計66kmくらい走るのが目安となった。

【前日、当日】
練習のつもりなので特に神経質にはならず普通にアフターズの最後まで参加。緊張のないおかげで4時間ほど睡眠できた。
6:30起床。朝はカレーを食べた。スタートが11時と遅いのでスタート1時間ほど前に小さいパンを一つ補給。

【サプリメント等】
スタート前
Super VAAM 1本
レース中
VAAM for sports 500ml×2
Power Production クエン酸 500ml
アミノピュア 5g
エネルギー系ゼリー4本(計720kcal)

【レース】
経過タイムは
11km 44:44
15km 1:01:30
20km 1:22:33
25km 1:43:42
30km 2:06:20 トイレ
35km 2:27:26
40km 2:48:49
45km 3:10:34
50km 3:33:48 トイレ
55km 3:55:38
60km 4:17:33
65km 4:39:38
70km 4:59:35

天気は終止雨で雨脚もやや強め。気温は約22度と涼しかった。わざわざ応援に来てくれた仲間がいるので雨程度で精彩を欠いた走りはできないと思った。
最初の1kmは3:57で通過。最初は力が入りすぎている感があったが徐々にリラックスでき、しばらく4:03~4:05でペースが安定する。脱水が怖かったので3,4kmを目安にこまめに給水をとる。ややとりすぎたせいかトイレの回数が多くなってしまったが、ここで止まることで適度にリラックスでき楽に走り続けることができた。今回は給水、給食は走りながらとったため全体で止まったのはこのトイレ休憩2回(計3-4分)のみである。給食はエネルギーゼリー4個で合計720kcal程度。1時間ごとに摂取した。エイドには温かくおいしそうなものが並んでいるが走る事に徹した。
この大会は沿道のボランティアが常に大勢いて応援してくれたため、飽きずにとても楽しく走ることができた。RUNNETの大会レポでも非常に高い評価をうけているようである。
ハーフマラソンの距離を1:27:00くらいで通過、まだまだペースは4:15/km以上を維持しているのでサブスリーはできそうだなと思う。25~30kmで我慢できずにトイレへかけこむ。せめて半分の2時間半までは我慢したかったが腰が痛くなるほどだったので断念した。
フルマラソンの距離は2:58:00くらいで通過。しかし、まだまだ4:20/kmを楽に維持できる。45~50kmでまたトイレに行くことになるが、それ以外は全て順調。3:30~3:40~3:50~…と流れるように時間が過ぎていった。たかだか5時間走に壮絶なドラマなど必要ない。
56km通過がほぼ4時間。その頃からどこでペースアップをしようかと考え始めた。1周1kmなので残り1時間で13or14kmのどちらかだ。この頃にはペースが4:23/kmくらいまで落ちている。4:36/kmで13km、4:17/kmで14kmが実現可能である。ここは大崩れするのだけは阻止したいので13kmつまり合計69kmを目標としラスト20分くらいで勝負できそうなら70kmを目指すことにした。黙々と周回を重ね65kmで残り21:22。69kmはほぼ確定。空腹感で少し集中力が落ちてきた。ここで最後の給水をとり66kmからペースアップすることにした。65-66kmは4:28/kmとさすがに落ちてきた。残り15:53。「さぁ行くか」とギアを入れ替える。66-67km、4:08。思ったよりペースが上がっていない。70kmに少し陰りが見えた。しかし69kmならあと2km、70kmでもあと3km。そう考えると力がわいてきた。67-68km、3:57。残り7:46。68-69km、3:54。残り3:53。迷わず最後の1周へ向かう。もうほとんどの人が走り終えているのでコース上に見えるランナーはほぼいない。沿道の声援を独占してのラストスパート。70周の中で飛び抜けて充実した1周だった。69km-70km、3:28。ゴールして「やった」と思えたのは2011年のさくら道以来、あれから17ヶ月先、11100km先に待っていた。すぐに駆けつけてきた仲間達、彼らも興奮しているようだった。

【最後に】
自身初の優勝をこの大会で飾ることができました。応援してくれたみんなありがとう。
特にハンドラーの細井、ありがとう! 本番もよろしく。