大会録

ホノマラの人々の大会の感想など

UTMB2019 完走記 後編(しの)

2019-09-05 20:49:26 | UTMB
UTMB2019大会録の後編です。前編はこちら

後編はUTMBを完走してから書いています。

〈結果〉
33:27:44
224位/2543人中 (日本人10位)

完走率 62%


後編では現地入りしてからの過ごし方やレースの模様について記録しておきます。




〈レース前日まで〉
8/28出国。成田からアブダビ経由でジュネーブまでエティハド航空で向かった。大会会場のシャモニーに最も近い空港はスイスのジュネーブ。そこから乗り合いバスに一時間ほど乗ってシャモニーに到着した。
到着したのは8/29朝。レースが30日なので前日に現地入りしたことになる。かなりタイトなスケジューリングではあった。
去年も観戦でシャモニーに来ているため、ある程度要領よく動けたから問題なかったけど、早めに現地入りして身体慣らしたりするのが理想だとは思う、そんなに時差ボケは感じなかったけど。

シャモニーの街は既にUTMB一色で町中がお祭りムードになっている。到着した日はグループレースのOCC(50km)が行われており、ゴールするランナーと応援する人たちで盛り上がっていた。

到着してまずは受付へ。受付会場はゴールゲートから少し離れたところにあるスポーツ施設のようなところ。シャモニーは第1回の冬季五輪の開催地でもありウインタースポーツの聖地なのでスポーツ施設が充実している気がする。
会場に入ると、ツアーの日本人が沢山受付に来ていた。UTMBに今年もたくさんの日本人が来ているみたいだけど、ツアーで来る人のが多いのかな。

パスポートを提示してゼッケンナンバーを告げると必携品のチェックリストを渡される。20弱ある必携品の項目のうち、リストにランダムで記載されている7つのチェックを受ける。
自分の場合、ザック、携帯電話、ライト2つと予備電池、レインジャケット(おそらくここまでは全員共通)、水分1L、帽子、ホイッスルをチェックされた。そんなにチェックは厳しくなかった。
チェックが終わると手首にリボンをつけられ、ザックにも変更できないようにタグが付けられる。
その後ゼッケンと参加賞のTシャツを受け取って受付完了。
混むときは一時間ほどかかるみたいだけど、スムーズにいき15分程で受付できた。

昼食は米が食べたかったので街中にある日本食レストランさつきへ。予約してる日本人がたくさんいた。

宿のチェックインまで時間があるので午後はOCCのゴールを見たりしながら過ごした。

夕飯をさきほどのさつきでテイクアウトしてから宿へ。

レースの装備を準備したりして早めに就寝した。


〈レース当日〉
朝は早めに起きてCCCのスタートに向かう相方を見送る。CCCはUTMBのグループレースの1つで距離は100km。クールマイヨール、シャンペ、シャモニーとそれぞれレースで通過する地名の頭文字をとってCCC。朝9時スタートだが、スタート地点はイタリア側のクールマイヨールなので送迎バスで移動する必要がある。
相方を見送り、バス停付近のパン屋で朝食を済ませる。

UTMBのスタートは18時なのでまだまだ時間があるが、体力を無駄に使いたくもないので宿で全力でだらだらした。昼食は持ってきていたアルファ米やインスタントの味噌汁をとった。

15:30戦闘準備。着替えて装備を整えてスタート地点へ。スタートは混雑するし山に入ってから狭い道を抜かしていくのは大変なのでなるべく前の方の位置に陣取るべく、16時過ぎにはスタートゲートに並ぶようにした。既に100~200人くらいは並んでいたと思う。
周りにも早くきた日本人が結構いたが、特に話すわけでもなくスタートまでぼーっとしていた。

〈レース〉

《スタート》
スタートゲートはシャモニー中心部の教会前広場にある。小さい広場におよそ2500人のランナーが集まる。2時間前に整列したのでスタートまで座って待っていた。


スタート前

スタート1時間前にはアナウンスが始まり、沿道には徐々に観客も集まりはじめる。
エリートランナーは並ばずに最前列からスタートができる。エリートランナーが現れるたびにアナウンスで紹介され盛り上がっていた。
スタート5分前にもなると会場の盛り上がりは最高潮になっていた。いよいよ始まる。興奮して叫んでいる人もいた。
2分前。UTMBのメインテーマであるconquest of paradiseが流れ始めた。レースのことを考えながら何度も聴いた曲だ。
感動して早くも泣きそうになった。涙はまだ出なかったが震えた。
周りのランナーも叫んだり、仲間と抱き合ったり、動画や写真を撮っていたりと各々高まっているようだった。スタート地点に立てる喜びを噛み締めているのはたぶんどのランナーも同じだ。
ここまで本当に長かった。
あとはこのレースを存分に楽しむだけだ。モンブランを1周してまたシャモニーに帰ってくる。きっとあっという間に終わってしまうんだろうな。
色々な感情がわき上がってくる。
気持ちを落ち着ける間もなくスタートの時間が迫ってきた。
conquest of paradiseが流れている中、Go!!!の合図と共にスタート。かなり前に並べたので、列が動き始めてすぐに走り始めることができた。沿道にはまさに十重二十重といった人がランナーを鼓舞している。店先やホテルの2階3階からも人が覗いていてAllez! Allez! と叫んでいた。こんなに応援の密度が濃いレースは初めてだ。スタートしてから数kmは人が途切れなかった。


《~St-Gervais サンジェルベ 21.5km 957m+》


最初の8kmレ・ズッシュの街までは高低図を見てもコース中唯一平坦に見える区間。細かいアップダウンはたまにあったが、概ね走りやすい林道を走る。とばしすぎないように意識的に抑えていたがそれでもキロ5ほどのスピードで走っていたようだ。
40分程でレ・ズッシュに到着。小さな街だったがたくさんの人がエイドで応援していた。序盤なので多くのランナーが素通りしていたが、水とコーラを一杯ずつもらってエイドを後にした。
レ・ズッシュを出ると最初の山。後半の山に比べたらそこまで大したことのない山だが、それでも1800mほどある。800m程登る。序盤なので周りのペースも早い気がしたが、抜かしたり抜かされたりするのに避けるのが面倒なので同じペースで登った。
下りが始まると次のエイド、サンジェルベまでは下りっぱなし。淡々と前のランナーに続いて下っていった。
多くのランナーが受付でゼッケンとは別にもらえる自分の国旗が書いてある札をザックにつけている。これをつけていると後ろから抜かすときにどこの国のランナーなのか分かるようになっている。周りには日本のランナーもちらほらいたがヨーロッパのランナーが圧倒的に多かった。みんなまだ元気なのか、話しかけてきてくれる外人のランナーが多かった。日本の話題だとみんな北海道でスキーしたことあるよみたいなのが多かった。トレランやってる人はスキーもやってる人多いなあと改めて思った。
サンジェルベの街はシャモニー並みに盛り上がっていた。スタートして20kmもたっているのに応援がすごい。エイドに入る前にエイドから出てきた鏑木さんとすれ違ったので、もしかして結構いいペースかな?と思った。
エイドではオレンジなどを少し食べた。気がする。

《~Chapieux シャピュー 50.6km 2900m+》


次のエイド、コンタミンまでは登り基調だが、所々走れる感じだった気がする。があまり覚えていない。。
コンタミンはサポート可能な最初のエイドで、たくさんのサポーターがランナーの到着を待っていた。エイドに着くと中に六花さんを発見したのでご挨拶。「しのらー来てたのか!めっちゃいいペースじゃん!」と励まされた?
他にも知ってる日本人の方を見かけたりして少しテンションあがりながらエイドを後にした。
そろそろ相方がCCC後半の山場であるシャンペ湖にたどりついた頃かなと思ってLINEを開くとやっぱりそうで、弱音を吐いていたので強気に行くように激励しておいた。確かこの時に初めて自分の順位を確認した。300位以内にいるのでまずまず予定通り。上位10%を目安目標にしていた(だいたい250位以内)のでこのままペースをキープしていけば目標圏内だと思っていた。
バルムを経てボンノム峠へ向かう。夜なのであまり印象にないが、山の上の方までヘッドライトの列が続いている様子が綺麗だった。日本のトレランにはあまりないこの長い登りで多くの日本人ランナーが苦戦するらしいが、事前に作っておいたタイムテーブルを見ながら登りがあと何分続くのかの目安を持って走っていたのであまり辛くなかった気がする。とはいってもこのセクションで結構抜かれたのでヨーロッパのランナー登り強いなぁと感じた。
淡々と下ってシャピューのエイドへ。シャピューでは装備品チェックがあった。サバイバルブランケットと携帯電話、レインジャケットをチェックされた。
前半のエイドでは必要な補給だけ済ませて滞在時間も最小限にした。エイドには水、コーラ、果物の他にチーズやサラミ、パウンドケーキやクッキーといったヨーロッパならではのものも多かった。日本のエイドには、あまりないので口に合わない人はジェル等の補給だけで済ますみたいだが、自分は携帯するジェルの量を最小限にしてエイドのものも色々摂取するようにしている。

《~Courmayeur クールマイヨール 81.3km 4728m+》


3つ目の大きな山であるセイニョー峠はフランスとイタリアの国境になっている。Col Seigne. Colは峠という意味。日本でも分水嶺が都道府県境になっているように、海外でも尾根が国境となっている。登り終えると舞台はイタリア。
この辺りで寒く感じたのでミッドレイヤーを上から羽織った。今年のUTMBはずっと天気に恵まれ、気温も暖かかったので、多くのランナーは終始半袖だったが、寒さに敏感な自分は少しでも涼しく感じたら上を着るようにしている。このあとさらに寒く感じたのでレインも羽織った。寒がりすぎる。。今年は寒い年ではなくて助かった。
少し下って登り返すとコース最高地点を通過する。そこから下ってコンバル湿原のエイドへ。


エイド(Lac-Combal)

明るいとアルプスが湖面に反射して絶景らしいのだが、夜なので何も見えない。その代わりこの湿原から見上げた星空はすごく綺麗だった。立ち止まって、ヘッドライトの明かりを消して、しばらく見上げていた。
ここから一山越えるとドロップバックを預けているクールマイヨールのエイド。
クールマイヨールの街に降りてくると、石畳の細い路地の如何にもヨーロッパといった道を走ってエイドへ。
クールマイヨールに着く頃には日がのぼり明るくなった。
大きな体育館のようなところがエイドになっていて、ドロップバックは入り口の手前にかけられていたので自分で取ってから中に入る。エイドでは靴下とシャツを着替えてジェルを入れ換えておにぎりとオレンジジュースを摂取した。預けておいたレッドブルをザックに入れて出発。レッドブルは後半のつらい時間に摂取する予定で日本から持ってきた(ふつうにこっちのスーパーにも売ってた)。事前にやることは決めていたので、エイドでだらだらすることなくスムーズに行動できたと思う。(記録を見たらしっかり30分も滞在してた。)


《~Arnouvaz アルヌーバ 98.6km 5956m+》


クールマイヨールのエイドを出てしばらくロードを登るとトレイルに入る。このあたりは前後に日本人がいてたまに話しながら登っていた。登り切るとベルトーネ小屋のエイド。エイドまで登ると目の前に突如としてアルプスの峰々が現れる。絶景だった。


ベルトーネ小屋まで登るとボナッティ小屋を経てアルヌーバまでは走れるトレイルが続く。そして左手にずっとモンブランをはじめとする山々を望みながら走れる絶景トレイル。適当に写真をとりながら走った。


《~Champex-lac シャンペ湖126.6km 7310m+》


アルヌーバを出ると、フェレ峠まで登り。フェレ峠に向かう途中でコース100km地点を通過した。100km6000m+を17時間台で走れていてまだまだ余裕もある。行ける。レース前はもしかしたらフェレ峠の登りから苦戦するかもしれないと想定していたこともあって、思いの外余裕なので、意気揚々と登った。
フェレ峠はイタリアとスイスの国境になっており、フェレ峠からシャンペの手前までは約20kmのダウンヒル。この下りを終えれば一気に距離も進みゴールが近づくと思っていたが、ここまでの下りで腹筋を酷使していたせいか、腹筋に力が入らず思うようにスピードを出せない。脇腹に差し込みが来た時の感覚に近いが、痛いのはその外側?もっと筋トレやっとくべきだったなあと少し後悔した。
シャンペ湖で126km地点。自己最長距離を越えた。因みに今までの最長距離は阿蘇ラウンドトレイルの121km。
ここから先は距離的にも未知の世界。コース的にもここからの3つの大きな山を越えなければならず、時間的にも日が沈み2晩目に突入するので眠くなったりと、とにかく勝負所と位置付けていた地点。勝負所といってもペースあげたりするわけではないけど、いかに我慢できるか。
なのでシャンペに到着する前にTwitterで日本から応援してくれてる方々から力をもらおうとツイートしました。多くの人がふぁぼってくれて有り難かったけど、リプで励まして欲しかった笑 リプくれた方は本当に力になりました、ありがとうございます。という感じでつらい時間帯はちょくちょくスマホで自分の順位を確認したりSNS見て紛らわす様にしてました。
シャンペのエイドをでて順位を確認すると250位以内に入っていた。そんなに抜かしてきた感覚はないけど、エイドを他の人より手早く済ませたり、途中リタイア者が順位のカウントから外れたりでじわじわと順位は上がっていた。このままいけば200位以内も可能ではと思い始めるが、裏腹に集中力が切れ始め、所々歩きの時間も増えてきた。



《~Vallorcine ヴァロシン 153.6km 9083m+》


シャンペから次のエイドのトリエントまで距離は約17km。エイド間の予想時間が1番長くなると想定していたセクション。このセクションから登りでも順位をあげられるようになった。一方下りは腹筋が痛くなってまともにスピードを出せなくなっていた。
シャンペから気合いを入れ直したのと、Twitter効果もあってか1番つらくなると予想していたセクションをなんとか乗り切ることができた。トリエント着が20時。ここからレースは2晩目に突入。持っていたWi-Fiの電池がここで切れてしまい相方に状況を報告出来なくなってしまった。連絡手段が途絶えたけど、おそらく察してくれて速報見てゴールで待ってくれているだろうとは思ってはいたが、なんとなく心細くなって精神的に一気につらくなった。もちろんTwitter効果ももう使えない。本当の勝負所はトリエントからだった。トリエントのエイドで思い出したように持ってきたレッドブルを注入した。
あと2山越えたらゴールだけど、2山なのに30kmも残ってるのかよというのが正直な感想だった。

次の山を越えるとスイスからフランスになる。登りはまだ元気が残っていて順位をあげることができるが、下りは腹筋痛くて歩きに近いペースしか出せなくなっていてその分順位を落とした。この山の下りくらいから、誰もいないのに後ろに気配を感じたり、一瞬木が人に見えたり、少し感覚がおかしくなってきた自覚があった。早くゴールしたくてしょうがなくなった。ヴァロシンのエイドではとにかくカフェインとって目を覚まさなきゃということしか考えてなかったが、今思えばガス欠に近い症状だった気がする。食事をしっかりとるべきだった。



《~Chamonix シャモニー 171.6km 10061m+》


ヴァロシンまでくると、大きな山は残すところあと1つ。La Tete Aux Vents.この山はひたすらつづら折りのごつごつした岩山で、ラスボスに相応しい。
似せピークがいくつもあって山頂かと思ったらまだ着かない。
永遠に終わらないんじゃないかと思うほど長かった。。
やっとのおもいで山頂に着くとLa Tete Aux Ventsの表示。これであとはゴールまで11km下るだけだ!
やっと登りが終わってもエイドまで3km下りが残っていてこの下りがまた長かった。早く終わって楽になりたい、そんな思いが頭を支配していた。
なんとか最終エイドのフレジェールに到着。エイドからシャモニーの街の明かりが見えていて綺麗だった気がする。あまり覚えてないけどコーラをがぶ飲みしてさっさと出たと思う。ここから先はシャモニーまで8km下りっぱなし。ポールをしまって予備のヘッドライトを手に持ち、スピードをあげる準備をした。もう腹筋も脚も残っていないけど、早く楽になりたい思いが勝ってスピードは上がった。
全身痛くてしょうがなかった。いいいいいいいって言いながら下った。
ラストは1km弱。トレイルが終わって街に出たところで相方が待ってくれていた。ほっとした。やっとゴールできる安堵。UTMBが終わってしまう実感がわいてきた。
ラストはゴールゲートのある教会前広場を目指して街中を走る。
街は昼間ほどの賑わいはないが、午前3時だというのにランナーを出迎えてくれるひとたちが結構いた。きっと自分の前後のランナーの帰りを待っている人たちなのだろう。みんな拍手や掛け声で讃えてくれていた。

ゴール目前にして、ほんとにここまでよくやったな、という思いが込み上げてきた。
4年間目標にしてきた夢の舞台。
走る前、この100マイルで起こったことを全て心に留めておきたい、記憶しておきたい、そう思っていた。
実際に走ってみると、興奮と感動と疲労の中をふわふわと漂うような気分というか、しっかり地に足ついていない感覚というか、そんな感覚の中を進んできたような気もする。
確かに言えることは、僕の初めての100マイルの旅は最高に過酷で楽しかったということだ。

Next Finisher is Naoya Shinohara!!! From Japan!!!

フランス語だったかもしれないが、そうアナウンスしていた気がする。
涙は出なかった。

ゴール!

33時間と27分44秒かけてモンブランの周りを一周してシャモニーに戻ってきた。
ゴール後は写真を撮ってもらった。
もう少し余韻に浸っていたかったが、早く休みたかった。

フィニッシャーベストを受け取って、ゴール会場の食事スペース(エイドのようなところ)でビールを受け取った。
その場で乾杯した。夜中の3時に、100マイル走ったあとに、久しぶりに飲むビールは神の味がした。(書きたいだけ笑)

汗も冷えて寒くなってきたところで重い足を引きずりながら宿に向かった。


〈レース翌日〉
仮眠をとって目覚めた翌日というか当日。まだ午前中だったので街に出て食事をすることに。
ゴール手前、コースのそばのレストランに入って応援しながら食事。ピザとハンバーガーを食べた。あとビールも。ここにきて初めてフランスっぽい食事をした。街にはまた賑わいが出てきて、ランナーが帰ってくるたびに街中の人々が歓声で出迎える。
今日はジュネーブの空港の近くまで戻って宿泊するので、荷物を取りに帰り、もう一度街中へ。

このお祭りも今日で終わりだ。UTMBの制限時間は46時間30分。午後4時30分に全日程が終了する。UTMBは最終ランナーまで大歓声で迎えられ惜しみない拍手が送られる。
午後4時頃、会場に向かうと、大会のクロージングセレモニーとUTMBの表彰式が行われていた。男子8位に入賞した小原さんが表彰台で笑顔だったのを見届けてシャモニーを後にした。

〈その翌日〉
行きと同じくジュネーブからアブダビ経由で成田へ。
UTMBを走った日本人や中国人がたくさん乗っていた。
機内でこの文章を書いています。
疲れているし駄文かもしれません、すみません。。



〈後語り〉

初100マイルはUTMBがいいと決めてから100マイラーになるのに4年かかってしまいました。国内の100マイルに出ていればもっと早くなれたと思います。けど僕は100マイラーになりたかったのではなく、UTMBのフィニッシャーになりたかった。それだけUTMBは大きい存在であり、憧れでした。
運営、大会の規模、応援、どれもが想像以上でした。世界最大のトレイルランの祭典。その花形であるメインレースのUTMBは誰もが主役になれる舞台だと思います。簡単にお勧めできるものではありませんが、トレイルランナーなら誰もが憧れるにふさわしいレースだと思います。


今年は天気に恵まれ、比較的暖かい気候の中での開催でした。例年の完走率が50〜60%とも言われていますが、今年は62%ありました。昼間は暑く熱中症でのリタイアが多く出たと聞いていますが、寒い方が苦手な自分にとっては追い風だったと言えます。


あとがきで書くのもアレですが、今回の目標設定としては、
A目標:作成したタイムチャート通りの完走=32時間以内の完走
B目標:出走者中上位10%以内でのゴール≒34時間前後での完走
C目標:35時間以内での完走
最低目標:制限時間内での完走=46時間30分以内での完走
という設定でした。結果的にB目標達成ということになりましたが、3ヶ月の突貫工事の結果としては満足していてうまく走れたと思っています。
初めての100マイルで再現性の高い走りができたのは、自分の力を適切に把握して段階目標を設定できたこと、タイムチャートと照らし合わせてレース中の自分の調子を客観的に(統計的に)把握できたことにあると思っています。

走る前はしばらくランはひと段落することになるかなと考えていたのですが、走り終わってみると、もっとうまく走れたなとか、今度はUTMBを30時間以内で走ってみたいとか色々と考えが巡るようになりました。
次の目標は、フルマラソンでもう一回記録出したいとか、トルデジアンかTJARかなとか色々考えていますが、またいつかシャモニーに戻ってきてこのレースを走りたい。
今回のUTMBの旅はゴールではなく、スタートになりそうです。



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