大会録

ホノマラの人々の大会の感想など

第30回サロマ湖100kmウルトラマラソン(あお)

2015-07-02 00:26:42 | サロマ湖100kmウルトラマラソン
2015/6/28 第30回サロマ湖100kmウルトラマラソン

二年の青です(^o^)
初めて大会録書きます。レースも旅行記もと欲張ったら超長文になってしまったので適当に読み飛ばして下さい\(^o^)/


〈出場の経緯〉
一年時の夏合宿の70km組のゴールとか、秋田を走った人たちの大会録とか、11月の神宮でのodnさんやkwmrさんの走りを見て感化され、ウルトラに興味を持ち始める。(合宿のとき現2女の某氏に、「青くんも来年は(70km)走ってるかもね」と言われ、そのときはまさかと思ったが、そのまさかだった)

とはいえ、自分なんかに走れる距離なのか分からなかったので、とりあえずクリスマスイブに代々木公園を87周する大会に出ることに。そのときは50周で精神的に完全にやられてしまったが、先輩方に助けられつつ、何とか80kmまでは走りきることができたので、メンタルさえ何とかすれば完走は可能なのではないかと思えるようになった。

というわけで、6月のウルトラにエントリーをすることを決意。当初はしまなみ海道に出たいと思っていたのだが、なんと去年をもって終了してしまった( ゜o゜)ようだったので、サロマ、柴又、夢の島の3つで迷った末にサロマに出ることにし、(理由は覚えていない)1月頃にクリック合戦→成功。


〈練習〉
4月 140km
5月 301km
6月 173km(前日まで)

4月は3月に発症した貧血の療養で前半はほとんど練習できず。やっと治ったと思ったら今度はGW前後に調子に乗って走りすぎてあっという間に疲労がたまり、5月もあまり練習できず。6月も第一週を怪我の療養、最終週を疲労抜きに当てたのでほとんど走れず。

ただ、日曜日にはほぼ毎週30km以上走るようにし、距離練だけは積んでいた。あとは8~20kmのjogを時々やったり、通常練でスピード練したりという程度。

50km以上の練習としては、先述の智樹カップ(80km)、1月の第一回中央線企画(60km)、5月の第二回中央線企画(70km)の3回。5月の距離練では怪我に苦しみつつも、何とか心が折れてしまうことなく走りきれたので自信がついた。

大会の一週間前からは、日曜日の皇居20km練を最後に疲労抜き。水曜日の通常練で5km弱走った以外は全く走らず、睡眠をしっかり取って疲労を抜いたり、カーボローディングを意識して食事の量を増やしたりした。(ウォーターローディングはやろうとしたがぐだぐだになってしまった)


〈目標〉
自信はなかったので完走を公言していたが、9月の秋田で良い結果を出せるように、それにつながるようなレースにしたいと思っていたので、とりあえずサブ10を意識したペース(後半落ちることを考えて、エイドを含めて5km29分、走っているときは5:40/km)で突っ込むことに。最低でも54.5kmのエイドまではそれで持たせ、残りは貯金を使いつつ、最低でも完走、あわよくばサブ10くらいで考えていた。


〈前日〉
昼過ぎに羽田を出発。空港も、機内も、サロマに行く人で一杯だった。明日のコースを確認していたら、座席が隣だった、それほどランナーっぽくはない雰囲気の女性に、「同じですね」と声をかけられてびっくりした。

16時前に旭川に到着し、前日受付のためにレンタカーで湧別のスタート地点へ。ちょうど前夜祭が終わった直後だったようで、余ったお寿司を10人分もいただいてしまった。フェアウェルパーティーで確認したら、同じものが300円で売っていたらしい。噂に聞く100kmの大会に来たんだなという感じがした。(今回は早い時刻の飛行機が埋まっていて、しかも19時までの前日受付のみだったので、かなりギリギリの時間になってしまいました。来年以降出る人は、ナンバーカードを事前送付にしてもらった方が当日バタバタしなくていいかもしれません。)

いただいたお寿司を夕食にしつつ、ゴール地点より少し向こうの網走にあるホテルへ。9時前にホテルに着いて、先輩方や同期からいただいた応援メッセージを読みつつ10時頃就寝。ありがとうございました。


〈レース当日〉
1時に起床し、レンタカーで常呂のゴール地点へ。そこから送迎バスでスタート地点に向かった。
朝食はバスの中と会場に着いた後で、おにぎり2個、アンパン、納豆巻き、みかんゼリー、ウイダーインゼリーと、かなり多めに食べた。スタート30分前にアミノバイタルを2本飲んだ。

服装はいつもの青のTシャツ、黒の半ズボンに、帽子、アンダーシャツ、ロンタイ(膝下までのやつ)、静岡でもらった五本指ソックス(ググったら足裏がやられる対策として有効らしいことが分かった)。ブドウ糖と胃薬をゼッケンの裏とかポケットの中とかに入れて持っておいた。中間点には着替え、アミノバイタル、ブドウ糖、クエン酸、塩分タブレット、ウイダーインゼリー、あとは怪我対策でテーピングやらワセリンやらを送った。スペシャルドリンクはよく分からなかったので、特に利用しなかった。

スタート10分くらい前になったので整列。

ラップは以下。

3km 17:08
4km 5:27
10km 31:28
15km 26:59
20km 26:41
25km 27:29
30km 28:07
35km 31:57
40km 27:53
45km 26:58
50km 27:52(中間地点4:37:57)
55km 40:31(中間点休憩11:56)
60km 27:42
65km 32:07
70km 30:54
75km 30:58
80km 33:28
85km 30:14
90km 31:23
91km 5:54
92km 6:16
93km 6:06
94km 6:04
95km 6:58(31:18)
96km 6:01
97km 6:04
98km 5:39
99km 5:25
100km 4:59(28:08)

計 9:54:37(@5:57/km)

【0~10km】(54:02)
自分は一般の部の後ろの方に並んでスタート。3500人出てる大会だけあって、スタートまで3分くらいかかった。はじめは道の端の方を他のランナーを抜きつつ走っていたが、4kmくらいから視界が開けてきてペースアップ。やや突っ込みすぎな気がしたが、5kmの表示を見逃したのでそのまま走っていたら10kmの通過が予定より2分くらい早くて焦った。

【10~20km】(53:39)
18km過ぎの折り返しの手前で先頭集団、(へωへ)さん、篠原さんと次々すれ違い、テンションが上がったせいか、気がついたらまたペースが上がっていた。暫く横の方を走っていたおじさんとおばさんがスパルタがどうだとか、レース前に大雪山に登ろうかと思ったけどやめたとか話していて、来てはいけないところに来てしまった気がした。

【20~30km】(55:36)
後ろにちょうどいいペースで走っているおじさんがいたので、その人のペースに合わせて走る。この辺りがペースもフォームも一番安定していた。25km過ぎからはエイド5kmごとに立ち止まって、持っていたブドウ糖と水、バナナを交互に摂るようにした。

【30~40km】(59:50)
30km過ぎで1回目のトイレ休憩(4分くらい)。33km過ぎからは交通規制ができないオホーツク国道沿いの路側帯を走るコースとなる。5月以降30kmを超える距離を走る度に感じていた膝裏の痛みが、ロンタイのお陰か疲労抜きのお陰かこの日は感じられなかったので安心した。もうすぐフル通過というのを目標に走った。この辺りからは全部のエイドで止まって水とかを飲むようにした。

【40~50km】(54:50)
フル通過は3:57:55。サブ4\(^o^)/。その直後に田上が応援に来てくれてテンションアップ(^o^)。ここではあまり長居せず、54.5kmでまた会うことにしてすぐ出発した。その直後に42.195kmのモニュメントを見逃したことに気付いてテンションが下がった(>_<)。

この辺りから足が疲れはじめ、気温も上がり、アップダウンも出てきたことで辛くなりはじめたが、もうすぐ中間点&その先のエイドなのでとりあえずそこまで頑張ることにした。(このあとは95kmくらいまでエイドで回復して、暫く走ったら辛くなるという繰り返しだった)

【50~60km】(68:11)
中間点を過ぎてから距離表示が1kmごとになり、そのまま54.5kmのエイドへ。田上が迎えてくれた。ここで預けておいた荷物を受け取って、アミノバイタル、ウイダーインゼリーを飲んだり、トイレに行ったり、ワセリンを塗り直したり、ホノマラTシャツに着替えたり、ポケットにクエン酸と塩分タブレットを補充したりと色々していたら、10分以上かかってしまった。

ここで田上から篠原さん、(へωへ)さんの60km通過タイムを聞き、自分が潰れなければ80~98kmのワッカ原生花園の折り返しで篠原さんには会えそうだということが分かる。また、75kmが応援ポイントになっているということだったので、75kmまで頑張ればそのあとはすれ違いまで頑張って、ゴールまで頑張るだけだからなんとかなりそう、ここから20kmが山場だと思った。

エイドで気分転換できたので、復活(^^)。60km通過の時点で、サブ10への貯金は14分。55km通過で15分くらいの貯金があればいいなと思っていたので、ほぼ予定通り。ただ、いつ走れなくなるくらい辛くなるか分からなかったので、まだ微妙なところ、という感じだった。

【60~70km】(63:01)
60kmを過ぎてからキロ6を切れなくなってくる。(このあと95kmくらいまでは走っているときのペースは終始キロ6前後だった)距離表示が遠く感じられる。だからといってエイドで止まることをやめるとメンタル崩壊しそうだったので、今後5km32分はかかりそう、そうするとギリギリサブ10できないかなと思って諦めかけた、が、ここで魔女の森登場。日陰で、しかも向かいからの穏やかな風が気持ちいい。復活(^^)。ペースも少しだけ持ち直し、70kmまでは何とかなった。

【70~80km】(64:28)
68kmから合流してきたまだ元気な50km組にペースを乱されたり、75kmだと思っていた応援ポイントが73.5kmにあって、そこからワッカまでが以外と遠かったり、エイドを出て走りはじめる時に膝裏が痛むようになってきたり、給水まであと500m詐欺(全体的にエイドは2.5kmに1個より少なかったし、看板の表示が間違っていたりしたことも多かった)に騙されたりして辛かったが、そろそろ何としてもサブ10したくなってきたし、とりあえずワッカまであと少しだったので何とか頑張った。

79km過ぎのワッカ入口手前で3回目のトイレ休憩(3分くらい)をとり、ワッカに突入!その直後、なんと目の前に(へωへ)さん発見(へωへ)。すれ違えるということは、サブ8は厳しいということだったので複雑だったが、サブ10いけるぞと声をかけてもらって元気をもらった。

【80~90km】(61:36)
しばらく森みたいなところを走ると、徐々に視界が開けてきて、本格的にワッカ突入。両側にオレンジ色の花が咲いていて、左手にはサロマ湖、右手にはオホーツク海が見える。きれい。そして風が気持ちいい。こんなところを走れるなんて幸せだなと思ったのも束の間、すぐに景色にも飽きてきて辛くなる。気持ちの問題だとは思うが、呼吸も結構上がっていた。しかも折り返し後の方が登りが多い気がしてあと20kmもたない気がした。

84kmくらいで篠原さんとすれ違って、この時点で貯金は7分。エイドの滞在時間と、ワッカ抜けてからスパートすれば1分くらいは稼げそうだということとかを考えて、キロ6を大きく超えなければ、つまり走り続けてさえいればサブ10できそうだと計算し、キロ6前後を維持するようにした。

【90~100km】(59:24)
折り返し後の90kmを過ぎて、まだ貯金が6分くらいあったので、頑張ればグロスでもサブ10できるのではないかと思い始める。でも大崩れしたくはなかったので、残り5kmまではペースは変えず、エイドでもちゃんと水分補給はした。95kmまであと何キロとか、ワッカ抜けるまであと何キロとか、そんなことばかり考えていた。

95km手前のエイドからはノーストップでゴールまで行くことに。残り2kmちょっと、ワッカを抜ける下り坂を利用してスパート。残り1kmくらいのところでは、4km地点以降一度も会えなかった森さんが待っていてくれた。さらにペースを上げて、(蓋を開けてみればキロ5をやっと切るくらいだったが)あとトラック何周とか考えながら大通りを走っていき、ゴール手前で右に曲がったところで待っていてくれた(へωへ)さんと篠原さんと田上に迎えられてゴール!
サブ10達成(^o^)

高速コースとはいえ一応サブ10したのに皆さんを1時間以上待たせてしまいました。お待たせしました(>_<)。オシマイ。


〈翌日〉
大会当日はホテルに戻ってすぐに寝たので、翌日は朝早くに出発して、午前は摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖へ。(へωへ)さんが歩きづらそうにしているのを初めて見たのでびっくりした。摩周湖が青かったり、サロマンブルーには一生なれそうにないので、レストハウスで摩周ブルー味のアイスを食べたり、水が冷たいか確認しようとしてしゃがもうとしたらしゃがめなかったり、土産物店に寄る度に言ったことを真似してくるあいつがいて今後ははっしーと呼ぶことにしたりした。

流石北海道だけあって、移動時間が長かったので、車中ではいつものアフターズみたいな雰囲気になった。富士五湖みたいに、3つの湖を巡る大会があったらどうなるか考えたり、距離練以外にどんな企画をやれば楽しいか考えていたのに結局耐久3種競技の話になってしまったりして楽しかった。

午後には空港近くにある美瑛の青い池を訪れた。青かった。

とっても青くて、大満足な2泊3日でした\(^o^)/(ごめんなさい(>_<))


〈まとめ〉
とりあえず市民ランナーのグランドスラムと言われるサブ10を達成できて良かったが、自分はスピードも、根性もなく、練習量も決して多い訳ではない。それでも今回サブ10できたのは、何回か長い距離練を通じて、ウルトラの走り方を少しでも知ることができたからだと思う。

ウルトラを走っていれば、必ず辛い瞬間は来るけれど、時間が経って条件が変われば必ず回復する。だから、こんなに辛いのにあと何キロもあるんだと絶望するのではなく、少し先に目標となるものを見いだして(今回だったらすれ違いとか)、それを一つ一つ達成しながら回復を信じて着実に距離を積み重ねていくことが大事なのだと思う。

その回復を経験するのが距離練だと思います。そういう練習を積んでこれたのは練習に付き合ってくれた先輩方のお陰なので、本当にお礼を言いたいです。ありがとうございました。そして、これから100kmの大会に出る人には練習でフルよりも長い距離を踏むことを大切にしてほしいなと思います。

今言ったことはほとんど先輩から聞いたことの受け売りだし、平坦な100kmを一回走っただけの素人が偉そうに言うことでもない、それにサブ9、サブ8みたいな高いレベルになると話も変わってくるのだと思いますが、少しでも参考になれば嬉しいです。

今回のレースでは、エイドの滞在時間が長いことなど課題も多く見つかったので、それらを克服して9月の秋田で記録を伸ばせるように、またスピード練をしっかりして100kmサブ10に続きフルでも結果を出せるように、今後も頑張っていきたい。