大会録

ホノマラの人々の大会の感想など

スパルタスロン 2014

2014-10-03 11:47:23 | スパルタスロン
これから走る人のために簡単なレース記録。

歴史あふれるウルトラマラソンワールドクラシックのひとつ。その暑さと前半の関門の厳しさで有名なレース。
紀元前のアテネからスパルタに送られた伝令と同じ道を辿り、36時間以内246,8kmを走る。
出場資格はそれほど厳しくはない一方で、世界中から有名ランナーが集まるという類稀なイベント。

いままで走ったレースのなかでコストパフォーマンス最高、間違いなく5つ星。出場資格のある人なら、少しくらい無理をしても挑戦してみることをオススメする。でもリタイヤしてもいいやという出場の仕方は僕は好きではありませんが。


3ヶ月前ーギリシャ
大抵いつものトレーニング距離は月200kmくらい。ほぼスロージョグ。ペースは4:45くらい。
8月から焦りを覚えはじめ距離走開始。ここからレースまで週末のどちらか片方は50km, 75km, 50km, 45km, 40km, 30kmと走った。

ギリシャーレース
前日朝5km程度ジョグ。その後はごろごろ。
9時就寝、5時半起床。ご飯は特に気にせず、あるものを少し多めに食べる程度。ワセリン、足クリームを塗ってスーパーヴァームを飲んでホテル出発。
水ペットボトル、小雨が降っていたのでカッパを持って行った。

装備
靴はソーティートレーナー。薄いのが好みです。5本指ソックス。
白いTシャツにCWXプロのロングタイツ、半ズボン、頭にはタオル。いつものスタイル。ゼッケンは着替えを考えてタスキに固定。
腰回りはノースフェースのウェストポーチ、500mlのボトルが入るもの。
サプリはウィグライプロ、アミノダイレクトを1時間ごとに交互に摂取。40kmごと4袋づつおいておいた。
ドリンクは序盤は水、40km過ぎあたりから日が沈むまではヴァームウォーター粉を少し薄めに溶かして飲んでいた。これも40kmごとに数袋ずつおいた。
あとはワセリン、塩錠、胃薬、痛止も40kmごと。
食べ物は40kmごとにおかゆとお茶漬けを用意。

0-40km
小雨はすぐにあがったものの、雲が多く、気温はそれほど高くない。おそらく20度中盤くらい。5:00/km弱で走る。途中でIvanを見つけイタリア勢としばらく並走。バナナは食べる気にならず、代わりにリンゴを取りながら走る。フルマラソン地点のスイカが美味しかった。

40-80km
通り雨の後、気温上昇。擦れ、豆などができなかったのは何よりの救い。街で見た掲示板は31℃。とにかく過剰摂取気味に水分をとるとともに頭のタオルに水を含ませながら走る。60kmくらいから少しずつペースが落ちはじめ5:30/km程度に。このあたりでイタリア勢に置いて行かれた。とともに少しずつお腹が不調に。人生で初めてレース中に胃薬を使う。薬を使うことに少し罪悪感。80kmのCP, コリントスを出発したのが大体7h30mくらい。

80ー120km
我慢の時間。お腹が気持ち悪く、数kmごとにトイレに駆け込む。気温も高くまだ水分摂取も必要な上、腐ったぶどうの匂いでさらに気持ち悪さに拍車がかかる。走るペースは6:00/km以下を維持しているものの、トイレが多く、タイムが縮まらない。一番苦しかった区間。結構きつい上りもあったが100kmは9h30m, 120kmは11h45m程度だったと思う。
エイドではコーラ、蜂蜜ブレッド、クラッカーあたりをここから最後までずっと食べ続けた。意外に全て美味しいし、それほど食べづらくもない。120kmではおかゆに加えてピラフも食べた。ライト、ウィンドブレーカー受け取り。着替え。股擦れが来はじめたので、ここから定期的にワセリンを塗布。

120ー150km
日が暮れると、水分摂取が減り、お腹の調子も徐々に回復。序盤にダート道があるが、もう20m早く走っていれば明るいうちに通過できたのに残念。150kmくらいのCPエイドまでは6:00/km以下のペースを維持。15h程度で到着。ライト使用。

150ー170km
サンガス山登り。それほど急ではないが、ずっと上り。このあたりが眠さのピーク。山のふもとに来たところで、ついに歩きが入ってしまうようになった。山頂前の2kmは普通の登山、走れません。山頂ではコーヒーをもらった。山頂を抜けたところで、風が強くなり、体温が低下。加えて岩のごろごろした下り道。スピードも出せない。ここが寒さ、足裏的に一番辛かった。

170-190km
平地に戻ったものの、下りで足が持って行かれており、ときどき歩きが入ってしまうようになった。星がきれいだった。寒かった気がする。スパルタの表示が出始めるものの、峠超えのため後半はずっと坂。ずっと歩き。ウィンドブレーカー使用。

190ー220km
半分くらい歩いてしまった。24hで207km程度。30h切りを意識する。夜明け後、しばらくは気温も低い。ずっと後ろにおいて来たはずのギリシャ人を見て、さくら道のこれだから若いもんはおじさんを思い出す。その後は、ペースは遅いものの基本的にきつい上り以外は走り続ける。ライト、ウィンドブレーカー返却。

220ー240km
次で最後の坂と思うこと3回、ついにスパルタの街が眼下に見えた。坂の上りは全部歩いた。気温も大分上がって来たが、お腹の締めつけが怖かったためボトルには水を入れず、エイドだけの補給。29h切りも見えたが、既に自分の心は30h切りで満足してしまっていた。足の筋肉は当たり前だがパンパン、そろそろつりそうだったので、塩錠をラスト20kmで摂取。


240ー250km
ゴールを想像しながら、レースの楽しさを噛み締めながら走った。最後のストレートに来たときには高揚感で自然とペースがあがり、全力疾走してしまった。角を曲がってゴールにたどり着くまでのあの30秒程度、本当に幸せだった。


小川直哉