3月のお出かけは3/30(金)に14名のメンバーで 今回が4回目になる
「堺市の町歩き」に行ってきました。8:30にJR吹田に集合して、新今宮で
乗り換えて 南海線の七道駅に着きました。
左の画像はガイドの武藤さんが作ってくれた
行程で、メンバーは高齢ですので、2時間半
くらいです。「清学院」→「薫主堂」→
「鉄砲鍛冶屋敷」→「鉄砲館」→「水野鍛錬所」
→「ひな飾りの町家」→「山口家住宅」で
出発地の七道駅にもどります。
堺市では3月に「七まちひな飾りめぐり」が
開催されていて沢山の立派なひな飾りを見る
ことができました。
左の画像は今回の見学コースの地図です。
堺の町は道が碁盤の目のように南北、東西がキレイに
交わっていて、紀州街道のスタート地点です。
七道駅でガイドの武藤さんが説明してくれている
後方に「河口慧海」の像が見えます。
「清学院」は修験道の道場としての歴史を持っていて、明治初期には「清光堂」の名で寺子屋としても使われていました。
仏典を求めて日本人で初めてヒマラヤ山脈を越えてチベットに入った河口慧海(1866年~1945年)もここで学んでいました。
堺市の特産品では刃物が有名ですが、線香も特産品の一つです。「薫主堂」は昔ながらの線香御香にこだわり、今でも伝統的技法での線香づくりをしています。
私も「時代香」というリーズナブルな価格でよく売れている線香を購入しました。
「鉄砲鍛冶屋敷」は内部の見学ができずに、外観の見て説明を受けました。最初の団体写真です。
「鉄砲館」では説明のかたが、火縄銃の使い方など詳しい説明を受けて、
「火ぶたをきる」や「ネジの加工」の知識を得ました。
鉄砲掛けには足軽筒から侍筒、彫金が見事な大名筒まで並び、持たせてくれましたので写真を撮りました。
「鉄砲館」の見学をした後に2回目の団体写真を撮りました。これも一人を追加した加工写真です。
「水野鍛錬所」は旧紀州街道の通りに面して建っ
ていて、外見からは鍛冶屋とは思えない瀟洒な
雰囲気です。
店舗奥にある工房では、今も昔ながらの鍛錬で、
刀や包丁をつくり続けています。
何度も熱しては叩くことでリンや
硫黄などの不純物を飛ばし、金属組織を強靱に
していくそうです。
法隆寺の五重塔九輪にある四方魔除け鎌を
鍛鉄降魔」の古式を踏まえて鍛えたそうで、
それを持たせてくれました。
左の画像は「七まちひな飾りめぐり」のポスターに使わ
れているもので、浜寺に在住の野々村ゆみこさんの作品
です。「水野鍛錬所」のお店に飾ってあり、これが原画
ですとお聞きしました。
ここでもひな飾りを見せていただきました。
次の見学先は「ひな飾りの町家」ということで、立派なピアノが置かれているお宅のひな飾りを見ました。
そこで「つるしびな 」を見ました。「つるしびな 」は福岡県柳川のひなまつりに飾る「さげもん」が有名で
「初節句のお祝い」として、布の端切れで小物を作り飾ってお祝いしたのが始まりだとされています。
「ひな飾りの町家」で多くのひな飾りを見まし
た。 最上段のお内裏様とおひな様の並べ方は、
関東と関西で左右がちがうとのことです。
二段目には三人官女
三段目には五人囃子 四段目には右大臣、左大臣
五段目には、仕丁(しちょう)
六段目にたんす、長持
七段目に御駕籠、重箱、御所車 を置く。
並べる順序については殆ど知らずにいて、
今回調べて見ました。
「左近の桜・右近の橘」についても知りました。
最後の見学先は「山口家住宅」です。
山口家住宅の主屋は国内でも現存する数少ない
江戸初期の 町家のひとつとして、
昭和41年(1966年)に国の重要文化財に指定され
平成21年に「堺市立町家歴史館 山口家住宅」と
してオープンしました。
北側には樹齢200年の大ハゼの木を中心とする庭
があり、主屋から観ることができます。
江戸時代には「京の着倒れ大坂の食い倒れ」ととも
に、「堺の建て倒れ」と例えられたように、堺衆は
建物に贅を凝らしたといわれていますが、この建
物はその名残りを示すひとつです。
「山口家住宅」の見学の後、七道駅まで戻って
駅近くの「イオン」にある中華店で昼食にしまし
た。ビールも飲んで歓談して 3時ちかくまでゆ
っくりしました。
今回は桜が見れたらよいかと思っていましたが
まだ桜はほとんど咲いていませんでした。
途中で見かけた桜などの写真を撮ってきました。
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