ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

私が育った多度津町についてインターネットで調べて見ました。

2015-02-15 | パソコン

香川県の偉人について調べていくうちに、私が生れ育った多度津のことを

インターネットで調べて昔の記憶をたどったり、現在の町の事を知りました。

 2/14(土)に多度津町特産の「白方かき」
 をPRする
「第6回白方かき祭り」が、
 多度津町西白方の白方漁協
で行われ、
 新鮮な生カキやカキ料理を求める大勢の

 家族連れらでにぎわったそうです。
 香川県産のカキで初めてブランド化した大粒で
 良質な
「白方かき」をPRし、販路拡大に
 つなげようと開催した。

 市価より2、3割安い新鮮なカキを目当てに
 町内外から
約5千人が訪れ、開場前から
 長蛇の列をつくった。


 今年はさぬき市や岡山県の産地で記録的な不漁となる中、「白方のカキ」は例年通りの出来栄えで、むき身のパックは
販売開始から40分余りで完売。会場では家族連れやグループらが熱々の焼きカキや
カキフライなどを頬張り、冬の味覚を堪能していた。

 

以前から山田下の交差点にある香川の地酒 西野金陵
の看板が気になっていました。
今回 讃岐の観光案内やインターネットで金陵のことを調べて、多度津工場の写真をGoogleの
ストリートビューで切り抜き、
2012年に
初詣のブログて使った画像と合成しました。

山田の伊射奈岐神社に奉納されています。
調べた記事の中に、
金陵の多度津工場の近くにある
「八幡の森」のことが
書かれていました。
子どもの頃にそこの湧水が冷たくてきれい

だったことを思い出しました。

「八幡の森 ほたるの里」は、葛原正八幡宮の奥にあり、
「金陵の多度津工場」はその裏手にあります。
このあたりはきれいな湧き水が豊富だったので、
金陵の工場もここに作られたそうです。
「八幡の森」今でも暗い感じのする森である。
またこの森の中には、いつもコンコンと自然に湧き出る泉があるので、特に夏などはこの冷い湧水で、
旅人は顔を洗ったり、
呑んだり、馬にも飲ませたことであろう。
古い本で金比羅絵図にも書かれている程、この森は昔から有名な森である。 

下の画像はGoogleのストリートビューで切り取った分とインターネットから見つけたものです。

        


 10年前に亡くなった母は善通寺の生まれ
 で、
家の前に見える大麻山のふもとに
 平照寺(首山観音)があります。 
 弟が車で母と私をよく連れて行って
 くれて
 先日 聞くと今でもお参り
 しているそうです。 

 場所を確認したら、三豊郡高勢町とのこと
 でした。
 そにある石の碑は多度津の大工一同が
 普請
し、その中に祖父の名前があることに
 弟が気づいて

 写真も撮ってくれています。
    

 弘法大師が一夜で建てたと言われている
 通称「首山の観音さん」。
 首から上の病気や目・鼻などの病封じ、
 また子授けや入学祈願などを祈る参拝者が
 多く訪れ、線香の煙が絶えません。 


 私の家から小学校までの間にあった小川に
沿って
歩くと機関区へ出た。その附近の家を官舎と呼んでいて国鉄の官舎で、近くには機関車の釜で燃えかすになった石炭の山が築かれ、コークスを拾う小母ハン達の姿をよく見かけたものだ。
手前の小川にはどじょうや小鮒がいた。
この小川は鉄道に沿って鴨の踏切の近くまで延び、そこで曲がって線路の下を流れていた。場所によってはシジミが取れたりした。
大雨の後では希に鯉にもお目にかかったが、
あれは私の家の近くにある「大森」の池から
逃げ出したものと思われる。

 大人が本気でうなぎの穴釣りをしているの
にも
出会ったりした。
 この間 弟に聞くと、大森の池は今でも
 あって
養殖池になっているそうです。
 小川の近くにあった 通称「鉄砲池」
 には兄と
行って、小さな竿に大きな鮒が
 かかったことを
覚えています。
 その池も埋め立てられて、どこだったか
 分からず
ウナギの穴釣りを見かけた記憶も曖昧です。
 左の画像はインターネットから取り込んだもので
 たしか大きなみみずを使っていました。


多度津の医院について調べた中の記事に町には4人の医師(山本、是澤、高畑、塩田)と3人の歯科医(島田、横田、小野)がいたとあり、私の家は高畠醫院にかかっていました。
待合室にあった古い扇風機と年取った先生の記憶です。
往診に来てくれていたことと、父を看取ってくれたのも大先生でした。
右の写真はインターネットから見つけた高畠醫院と旧楽天堂医院とGoogleのストリートビューで切り取った分をPhotascapeで合成しました。 

下の写真はインターネットで「GEの扇風機」で
見つけたもので、高畠醫院の待合室に有ったのは
たしかGE製だったとの記憶です。 

       


一昨年の8月に東京スカイツリーを見た後に多度津の中学の時の友達に会った時に、
多度津町の埋立地にある川田工業の四国工場で
東京スカイツリーの先端を作ったと聞いたので
インターネットでそのことを調べてみました。
スカイツリーの先端にある避雷針で、川田工業はスカイツリーを作った企業の一つでした。