ひでさんの思いつき日記

志度の畑の事・お出かけの記録・パソコンに関することなど
記録に残しておきたいような出来事を時々書いていきます。

40年前の全国高校サッカー選手権の記憶をたどってみました。

2013-01-20 | お出かけ

今年の全国高校サッカー選手権の決勝戦は14日に開催の予定でしたが、

東京は爆弾低気圧による降雪で初めての順延となり、19日に開催されて

宮崎の鵬翔が優勝しました。

私の甥が関西大倉でサッカーをしていた時に大阪代表になって、全国大会での

勝って・勝って・また勝って準決勝で負けての3位だったことを思い出しました。

最近は何でもインターネットで調べてみるようになって、大阪大会の優勝校と、

全国大会の成績を見つけてまとめて見ました。

 

関西大倉が府代表になったのは昭和47年の第51回大会の時だけで、翌年には北陽が初出場で優勝していたのですね。

その後も北陽が強かったようで何度も府代表になっています。

関西大倉が全国大会に行った時の決勝戦の相手が北陽で、確か甥が延長に持ち込む得点を挙げた記憶があります。

甥はフォワードでしたが、全国大会では得点があげられず もうひとりのフォワードがハットトリックなどの

大活躍をしていました。

首都圏開催になったのは55回大会からで、そのころは大阪の長居競技場がメインの会場で、他のサッカー場にも

寒い中 何度か応援に行きました。(40年前ですからまだ若かったです。)

当時はサッカーがそれほど知られていなくて、サッカーの知識もほとんど知らず、

関西大倉のよく使ったオフサイドトラップという作戦はその時に初めて知りました。


今年の優勝校の鵬翔は1回戦からの6試合のうち、4試合がPK勝ちという史上最多の

記録だそうです。

           

いつ頃からPKで決着をつけるようになったのでしょうか?

PKを決められなかった選手が責任を痛感するだろうと可愛そうに思えます。

TVの放映時間の都合で他のスポーツのルールも変わっているようですが、

TVのおかげで今のようにサッカーが人気が出て来たとも言えます。

大阪大会から首都圏開催に変わったのもTVの都合で決まったかと聞いています。

今年 初優勝した鵬翔は良く鍛えられていて、チームワークの良さで栄冠を勝ち取ったのだと思います。