かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

原発事故はどう詠まれたか:朝日歌壇・俳壇から(事故後1年の頃)

2013年10月30日 | 鑑賞

 これは、朝日新聞の投稿欄「朝日歌壇・俳壇」に掲載された短歌と俳句の中から、東京電力福島第一原子力発電所の原子炉溶融事故に関連して詠まれたものを縮刷版から抜き書きしたものである。
 原発事故の発生時から2012年7月までの期間について順次抜き書きを進めていて、今回は2012年3月に掲載されたものである。
 2012年8月以降については、新聞発行をリアルタイムでフォローしながら適宜まとめてこのブログで紹介している。

 

2012年3月5日

目に見えぬ「セシウム」思い皮を剥く今までそのまま食べていた大根
     (東京都)牛尾小夜子 (佐佐木幸綱選)

校庭はブルーシートに公園もブルーシートで地球は青い
     (福島市)伊藤緑 (佐佐木幸綱選)

錆びついた鉄棒、ブランコ引き抜かれ除染始まる十一箇月後
     (福島市)澤正宏 (佐佐木幸綱選)

原子力半島凍る下北に寒立馬立つ見れば孕みぬ
     (三沢市)遠藤知夫 (高野公彦選)

みちのくの恨みを羽根に鳥帰る
     (立川市)松尾軍治 (金子兜太選)

 

2012年3月12日

家族は皆避難させだが、この馬がお産するまではどごさもいがね
     (福島市)斎藤一郎 (高野公彦選)

削られし後の行き処もあらざれば汚染の土は地球の迷い子
     (福島市)美山凍子 (高野公彦選)

鮎の稚魚二十万匹群馬よりフクシマへ発つ二人が添いて
     (前橋市)荻原葉月 (馬場あき子選)

海峡もガレキも汚染も越え来る鵯の群れ房総に舞う
     (市川市)藤原祐樹 (馬場あき子選)

わが福島木の芽草の芽すこやかに
     (いわき市)坂本玄々 (長谷川櫂選)

 

2012年3月19日

掃除の後猫を叱って寂しかり「汚染の足で歩き回らないで」
     (郡山市)昆キミ子 (永田和宏選)

六万の人ら去りたる福島の山河さみしき春の陽炎
     (福島市)美山凍子 (馬場あき子選)

フクシマまで反原発のデモ行くと決めたる妻にわれ逡巡す
     (川崎市)山根繁義 (馬場あき子選)

フクシマの地に刻まれた諦めと怯えと怒りは除染で消せぬ
     (福島市)澤正宏 (佐佐木幸綱選)

全力で飼い主の車追ひし犬あきらめ戻る警戒区域に
     (郡山市)渡辺良子 (高野公彦選)

原発の収束宣言出ない春
                        (流山市)角田勇 (金子兜太選)

 


 

2012年3月26日

あの日から時計の停まりし友の家に被爆の花が黙し咲きおり
    (相模原市)松並善光 (馬場あき子選)

若きらが戻らぬ町へ戻り来る老いらは行く先ここしか無くて
    (本宮市)廣川秋男 (馬場あき子選)

寒さには耐えられるけど浜で見た青空恋しい避難者の言う
    (福島市)武藤恒雄 (馬場あき子選)

浜に生まれ海に育ちし小名浜の漁師が市に他県(よそ)の魚売る
    (北九州市)四宮修 (高野公彦選)

ぬいぐるみの首におもちゃの線量計下げて「私と同じ」と七歳
    (郡山市)渡辺良子 (永田和宏選)

ひん曲がる原発地続きつくしんぼ
    (延岡市)河野正 (金子兜太選)

福島忌ただならぬ世に老いにけり
    (いわき市)坂本玄々 (金子兜太選)

 

 


原発事故はどう詠まれたか:朝日歌壇・俳壇から(事故後11ヶ月の頃)

2013年10月28日 | 鑑賞

 これは、朝日新聞の投稿欄「朝日歌壇・俳壇」に掲載された短歌と俳句の中から、東京電力福島第一原子力発電所の原子炉溶融事故に関連して詠まれたものを縮刷版から抜き書きしたものである。
 原発事故の発生時から2012年7月までの期間について順次抜き書きを進めていて、今回は2012年2月に掲載されたものである。
 2012年8月以降については、新聞発行をリアルタイムでフォローしながら適宜まとめてこのブログで紹介している。

 

2012年2月6日

寒かろう、冷たかろう、辛かろう帰らぬ人も帰れぬ人も
     (福島市)美山凍子 (高野公彦選)

友からの年始の林檎に放射能無しのちらしあり被爆地の我に
     (本宮市)廣川秋男 (永田和宏選)

原発の廃屋といふ冬景色
     (柏市)物江里人 (長谷川櫂選)

 

2012年2月12日

さよならへさよならとふる細雪去るも残るもつらきふるさと
     (福島市)美山凍子 (永田和宏選)

人住まぬ浪江の地にも晴れマーク晴れ間戻れよ避難の人に
     (郡山市)畠山理恵子 (佐佐木幸綱選)

雪すべて放射能なり地蔵尊
     (いわき市)馬目空 (金子兜太選)

 

( 写真は記事と関係ありません)

 

2012年2月20日

気がつけば歌壇に「福島」探しいる自分の居場所あるが嬉しき
     (福島市)武藤恒雄 (佐佐木幸綱選)

福島の水はきれいと思いしがフクシマとなり水を買う日
     (郡山市)昆キミ子 (高野公彦選)

ふるさとはグラデーションに汚染されわが住みし町はピンクに染まりぬ
     (東京都)反杭螢子 (高野公彦選)

早三月原発そのまま悲しきまま
     (三重県紀北町)長井浩一 (金子兜太選)

限りなき核の異物の海寒し
     (岡山市)今井操庵 (金子兜太選)

原発はやらはで何の鬼やらひ
     (兵庫県猪名川町)小林恕水 (長谷川櫂選)

 

2012年2月27日

冬晴れのひと日あがきて作成す原発賠償金の請求書を
     (東京都)反杭螢子 (佐佐木幸綱選)

子のバスを見送る親の目に残る吹雪の中の原発三基
     (札幌市)阿部信一 (佐佐木幸綱選)

ふくしまや春水ゆるくゆるく海へ
     (福島市)坂本豊 (金子兜太選)

春の空フクシマ遠く帰れざる
     (宇治市)鈴木好美 (金子兜太選)

冬ざれの福島に住む夢のごと
     (伊達市)林ふゆ子 (長谷川櫂選)


原発事故はどう詠まれたか:朝日歌壇・俳壇から(事故後10ヶ月の頃)

2013年10月26日 | 鑑賞

 これは、朝日新聞の投稿欄「朝日歌壇・俳壇」に掲載された短歌と俳句の中から、東京電力福島第一原子力発電所の原子炉溶融事故に関連して詠まれたものを縮刷版から抜き書きしたものである。
 原発事故の発生時から2012年7月までの期間について順次抜き書きを進めていて、今回は2012年1月に掲載されたものである。
 2012年8月以降については、新聞発行をリアルタイムでフォローしながら適宜まとめてこのブログで紹介している。 

 

2012年1月9日

いつもよりやさしくゆっくり年賀状の宛先を書く「福、島、県」と
     (浜松市)石田佳子 (高野公彦選)

核弾頭、原発潜ます星の影は月覆いゆく朱(あけ)にそめつつ
     (吹田市)小林昇 (高野公彦選)

ほだげんちょ、ふくしまの米、桃、りんご、梨、柿、野菜、人も生ぎてる
     (福島市)美山凍子 (馬場あき子選)

福島のコメが泣いてる寒さかな
     (香取市)関沼男 (長谷川櫂、金子兜太選)

原発や七十億人捨案山子
     (横浜市)大井みるく (金子兜太選)


(写真は記事と関係ありません)

2012年1月16日

庭の柿今年の実放置されたまま理由も知らず重みに耐える
     (郡山市)畠山理恵子 (高野公彦選)

ここでまだ生きてゐますと柿吊るす家のありけり福島の里
     (青梅市)津田洋行 (永田和宏選)

小名浜の大き工場の中みえて構内をだれもあるいてゐない
     (川越市)小野長辰 (馬場あき子選)

峠越え君待つ職場へ急ぎ行く犬猫人が見えぬ村過ぎ
     (福島市)澤正宏 (佐佐木幸綱選)

この気持ち誰に話せば落ち着くの被災者の中で温度差がある
     (福島県)泉田ミチ子 (佐佐木幸綱選)

放射線貫き通す去年今年
     (京都市)清水光雄 (金子兜太選)

鮟鱇の腸煮え返る放射能
     (川崎市)多田敬 (金子兜太選)

原発や今年も去年の山河あり
     (いわき市)馬目空 (長谷川櫂選)

 

2012年1月23日

草の実のびっしり刺さりし防護服に玄関開くる一時帰宅は
     (郡山市)渡辺良子 (佐佐木幸綱選)

あの日から初めて入る家の中曲がりし時計の二時四十六分
     (郡山市)渡辺良子 (高野公彦選)

モロビトノコゾリテクルシミテイマスフクシマニフルユキハハイイロ
     (福島市)美山凍子 (高野公彦選)

 

2012年1月30日

九円の福島産のもやしあり買う日買わぬ日買わぬ日買う
     (袋井市)山内弓子 (佐佐木幸綱選)

風評のいまだ絶えぬに甘藍は霜巻きながら滋味増すらしも
     (ひたちなか市)篠原克彦 (高野公彦選)

反戦と反原発の海鼠かな
     (久慈市)和城弘志 (金子兜太選)

フクシマや焚くに焚けないどんど焼
     (川越市)横山由紀子 (金子兜太選)

福の島取り戻さむと初仕事
     (川口市)知念哲夫 (金子兜太選)


原発事故はどう詠まれたか:朝日歌壇・俳壇から(事故後9ヶ月の頃)

2013年10月16日 | 鑑賞

 これは、朝日新聞の投稿欄「朝日歌壇・俳壇」に掲載された短歌と俳句の中から、東京電力福島第一原子力発電所の原子炉溶融事故に関連して詠まれたものを縮刷版から抜き書きしたものである。
 原発事故の発生時から2012年7月までの期間について順次抜き書きを進めていて、今回は2011年12月に掲載されたものである。
 2012年8月以降については、新聞発行をリアルタイムでフォローしながら適宜まとめてこのブログで紹介している。

 

2011年12月5日

「惨めだね」防護服着た友が言う一時帰宅の敷居またぐ朝
     (白河県)舟部勲 (佐佐木幸綱選)

今日生まれし子が三十歳に育つころ廃炉となるのか福島原発
     (新発田市)三浦ユリコ (永田和宏選)

三陸沖の海の寂しさ土佐沖に戻りし鰹の放射能調査
     (四万十市)島村宜暢 (馬場あき子選)

放射能で作れぬ農家が招かれて十勝の農家で秋まで働く
     (帯広市)吉森美信 (馬場あき子選)

原発を避けて通れぬ野分かな
     (神戸市)森木道典 (金子兜太選)

 

2011年12月11日

たらちねの母の言葉は遠慮がち「フクシマノコメモラッテケッカイ」
     (平塚市)三井せつ子 (高野公彦選)

荒れしままの被災地映像被災者のあいつぐ自殺告げつつ流る
     (横浜市)土屋美弥子 (馬場あき子選)

お風呂場で声を殺して泣く我が子福島に残るパパ恋しくて
     (横浜市)蕪木由紀 (佐佐木幸綱選)

終わりなき始まりなのか二十キロ区域(ゾーン)を区切る赤き点滅
     (南相馬市)斎藤杏 (佐佐木幸綱選)

福島の落穂食ふてる鳥たちよ
     (いわき市)馬目空 (金子兜太選)

写真は記事と関係ありません)


2011年12月19日
 

わが里の阿武隈川が500億ベクレル海に注ぎ込みゆく
     (宮城県)大友道子 (馬場あき子選)

育みし万の茸は汚染され友はしずかに廃業告ぐる
     (福島県)佐藤照子 (佐佐木幸綱選)

「負苦島」にさせてはならぬうつくしま歌詠む力届け富来島
     (日田市)石井かおり (高野公彦選)

原発の方より来たる冬の犬
     (いわき市)馬目空 (長谷川櫂選)

 

2011年12月26日

「除染」というショベルカーが削ってく景観、文化、こころといのち
     (福島市)伊藤緑 (佐佐木幸綱選)

いわき市に逃げて来る人逃ぐる人危ふき距離の仮設住宅
     (いわき市)馬目空 (佐佐木幸綱、永田和宏選)


原発事故はどう詠まれたか:朝日歌壇・俳壇から(事故後8ヶ月の頃)

2013年10月16日 | 鑑賞

 これは、朝日新聞の投稿欄「朝日歌壇・俳壇」に掲載された短歌と俳句の中から、東京電力福島第一原子力発電所の原子炉溶融事故に関連して詠まれたものを縮刷版から抜き書きしたものである。
 原発事故の発生時から2012年7月までの期間について順次抜き書きを進めていて、今回は2011年11月に掲載されたものである。
 2012年8月以降については、新聞発行をリアルタイムでフォローしながら適宜まとめてこのブログで紹介している。

 

2011年11月7日

「福島産ですが」と梨を配る度少し故郷を裏切る心地
                        (所沢市)園鈴子 (永田和宏選)

 

2011年11月13日

三つめの季節が巡り福島を遠く離れて長袖を着る
                        (横浜市)蕪木由紀 (高野公彦選)

あの日から雨がまつわるよでならぬ雨は直なる雨こそよけれ
                        (福島市)青木崇郎 (永田和宏選)

汚染のち除染のち仮処分とう拭えざるままフクシマに冬
                        (福島市)美原凍子 (馬場あき子選)

フクシマの生活(くらし)の歌を読めばなお閑(しず)かにおれよこちらの原
                        (宇和島市)河野利夫 (佐佐木幸綱選)

変えよとふ声高らかに温きもの小さきものらの逐はれゆく国
                        (名古屋市)堀信太郎 (佐佐木幸綱選)

 

2011年11月21日

一生の間検査を受けること心の被爆は測ることなく
                        (盛岡市)菊池陽 (馬場あき子選)

避難後の月に一度の団欒を夢のようだと夫は言えり
                        (横浜市)蕪木由紀 (馬場あき子選)

 

2011年11月28日

荒草を分け入るわが家戻れざることを予感す一時帰宅に
                        (東京都)反杭蛍子 (馬場あき子、高野公彦選)

福島を「負苦島」にして冬が来る汚染されたるまんまの大地
                        (福島市)美原凍子 (高野公彦選)

西に8基、東に7基のど真中銀座に住んでフクシマを想う
                        (小浜市)津田甫子 (高野公彦選)

 

(写真は記事とは無関係)



 

 


【書評】アマルティア・セン(大門毅、東郷えりか訳)『アイデンティティと暴力』(勁草書房、2011年)

2013年10月15日 | 読書


 知識人という言葉はいまや使いにくい言葉の一つだが、この本は知識人の書と評するのが私にはいちばんしっくりする。もちろん哲学の書ではないし、思想の書とも呼びにくい。そして、読書後には、アマルティア・センは無色で透明な位置に立とうと志している、と思ったのである。
 本書で語られていることは、きわめて明快だ。世界に蔓延する国家的、民族的、宗教的暴力を克服するためには、個人におけるアイデンティティ構成の多重性(複数性)を認め、その個人のアイデンティティ選択の自由を認めることが必要だ、という主張である。

同一性(アイデンティティ)の共有意識は、単に誇りや喜びの源となるだけでなく、力や自信の源にもなるアイデンティティという考えが、汝の隣人を愛せといったお決まりのうたい文句から社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)や共同体主義(コミュニタリアニズム)の自己認識の高尚な理論にいたるまで、幅広くもてはやされていることは驚くに値しない。
 だが、アイデンティティは人を殺すこともできる。しかも、容易にである。一つの集団への強い――そして排他的な――帰属意識は往々にして、その他の集団は隔たりのある異なった存在だという感覚をともなう。仲間内の団結心は、集団相互の不和をあおりやすい。 (p. 17)

 そして、単一のアイデンティティの共有がもたらす不幸な(不正義な,と言ってもいい)事例は後を絶たない。「住民が一致団結して……よく融和したコミュニティが、よそから移り住んできた移民の家の窓には嫌がらせのために煉瓦を投げ込むコミュニティ」 (p. 18) に容易に変容する。
  多数の人びとを単一基準のアイデンティティ幻想に追い込むことによってさらにいっそう深刻な暴力、集団殺戮に至るような暴力に発展する事例がかつて数えきれないほどあり、現在も数えきれないほど起こり続けている。アーリア民族とユダヤ人、セルビア人とモスレム、フツ族とツチ族、シーア派とスンニ派、セルビア人とモスレム、イラク人(トルコ人)とクルド人、シンハラ人とタミル人、ミャンマーの仏教徒とモスレム、イラク・アブグレイブ刑務所におけるアメリカ兵・軍属とイラク人、などなど数え上げればキリがないほど暴力の根源としての単一基準アイデンティティの問題が挙げられる。

 そのような現実を強く憂慮するアマルティア・センの思考は、自らの出自における強烈な経験と、アイデンティティに関する自己認識のありようという二重の始点から出発する。

 私は一九四〇年代の分離政策と結びついたヒンドゥー・ムスリム間の暴動を経験した子供のころの記憶から、一月にはごく普通の人間だった人びとが、七月には情け容赦ないヒンドゥー教徒と好戦的なイスラム教徒に変貌していった変わり身の速さが忘れられない。殺戮を指揮する者たちに率いられた民衆の手で、何十万もの人びとが殺された。民衆は「わが同胞」のために、それ以外の人びとを殺したのだ。暴力は、テロの達人たちが掲げる好戦的な単一基準のアイデンティティを、だまされやすい人びとに押しつけることによって助長される。 (p. 17)

私はアジア人であるのと同時に、インド国民でもあり、バングラデシュの祖先をもつベンガル人でもあり、アメリカもしくはイギリスの居住者でもあり、経済学者でもあれば、哲学もかじっているし、物書きで、サンスクリット研究者で、世俗主義と民主主義の熱心な信奉者であり、男であり、フェミニストでもあり、異性愛者だが同性愛者の権利は擁護しており、非宗教的な生活を送っているがヒンドゥーの家系出身で、バラモンではなく、来世は信じていない(質問された場合に備えて言えば、「前世」も信じていない)。これは私が同時に属しているさまざまなカテゴリーのほんの一部にすぎず、状況しだいで私を動かし、引き込む帰属カテゴリーは、もちろんこれ以外にもたくさんある。 (p. 39)

 やっかいなことは,野心や政治的意図によって単一基準アイデンティティに人びとを縛りつけてしまう考え方やその実践家ばかりではないことだ。多くの人びとは、なにか揺るぎない単一のアイデンティティを欲してしまう。「自分探し」などと言う言葉が流行るのもそのせいにちがいない。単一の,隣の人と同一のアイデンティティを確認することでなにがしかの安心があるのだろう。
 私たちのアイデンティティが現実的に多様な側面から成り立っていること、私たちはある時には一つの側面を強調したアイデンティティを持つ者として振る舞い、別の時には異なった側面のアイデンティティを強調して生きていること、私と同じように他人もまたアイデンティティの多重性を生きていること、などを基本的な人間存在の事実として確認しておくことが、本書を読み進めるための最低の前提である。

 本書では、そのかなりの部分を費やして、単一基準のアイデンティティで世界を理解しようとする考え方を批判している。その主要な批判的論述に入る前に、いわばウォーミングアップのような具合で、まったく反対の立場の考え方をしている「合理的な愚か者」を批判する。「合理的な愚か者」とはアイデンティティを軽視する人間、とくに経済人(経済学者やエコノミストと称する)を指す。

 人はきわめて利己的であるという仮定は、現代の多くの経済学者にとって明らかに「自然の理」であるようだ。利己性こそ「理性」――こともあろうに――がつねに要求するものだというさらなる主張が、これまた頻繁になされることによって、そのような思い込みの奇妙さはいっそう際立つものになってきた。やたらによく耳にする――極めつけの議論と呼ばれる――主張もある。それは次のような問いかけをするものだ。「自分の利益にならないなら、なぜそもそもそれをやろうとしたのか?」このような、皮肉屋的な懐疑主義にかかれば、モハンダス・ガンディーやマーティン・ルーサー・キング・ジュニア、マザー・テレサ、ネルソン・マンデラのような偉人もたいそうな愚か者になり、その他大勢のわれわれのあいだにも、小粒の愚か者がいることになる。そういう主張は、社会のなかで多様な帰属関係と責務をもちながら生きている人間を動かすさまざまな動機をまったく無視している。一途で身勝手な人間は、行動に関する基礎を多数の経済理論に提供し、「経済人」とか「合理的エージェント」といった高尚な専門用語によって、やたらに美化されてきた。 (p. 42)

 経済で世界を理解しようとする人びとが人間のアイデンティティを認めるとすれば、おそらくは、利潤を生み出しながら搾取される人間と、その利潤を集約する人間という二つのカテゴリーくらいではないのかと揶揄したくなるほど,彼らは単純明快に合理的であるらしい。著者が「合理的な愚か者」を相手するのはこの程度であって、著述の大部はもっぱら「高尚な理論による還元主義(リダクショニズム)〔過度の単純化〕」に充てられる。なぜなら、それは、「意図していなくても、低俗な政治による暴力を引き起こすうえで大きく寄与することがある」 (p. 8) からである。
 「現代の社会や経済に関する考えに、こうした二種類の還元主義が蔓延している」 (p. 41) という。一つは、「社会関係資本」論や共同体主義(コミュニタリアニズム)である。

社会理論のいくつかの学派では、暗黙のうちにしろ、単一帰属を事実上決め込んでいるものが驚くほど多く見られる。そのような考え方は、共同体主義的な思想家のあいだでかなりよく受け入れられており、また世界の人びとを文明のカテゴリーに分けたがる政治文化学者にも好まれているようだ。人それぞれを、ただ一つの帰属関係にしっかりと組み込まれた存在と見なすことによって、複雑に入り組んだ複数の集団や多数の忠誠心などは消し去られ、人間らしい豊かな暮らしを送る贅沢さは、だれもがただ一つの生まれながらの枠内に「置かれて」いるのだとする型どおりの偏狭な主張にとって代わられている。 (p. 40-1)

 もう一つの還元主義は、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』に見るような文明という単一のカテゴリーで人間のアイデンティティを見る思想である。

 想像から生まれた単一基準のアイデンティティが利用される顕著な例は、「文明の衝突」というよく議論されるテーマの知的背景となる基本的分類の概念に見られる。こうした考え方は、とくに近年、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』が出版されて以降、提唱されるようになった。このアプローチの難点は、衝突が起きるのかどうかという問題をとりあげるはるか以前に、単一基準で分類されているところにある。実際、文明の衝突という命題は、いわゆる文明の境界線に沿った単一基準の分類法がもつ支配的な力に、概念的に依存している。それがたまたま宗教上の区分とほぼ一致しているため、そこにひたすら関心が集まっているのだ。ハンチントンは「西洋文明」を「イスラム文明」、「ヒンドウー文明」、「仏教文明」などと対比させている。宗教の違いによる対立だったはずのものが、一つの支配的で硬直した区分によって明確に色分けされた構想のなかに組み込まれているのだ。 (p. 27)

 〈9・11〉をめぐって多くの思想家が真剣で深刻な反応を見せたが、ハンチントン流の文明の衝突として〈9・11〉があった、などとする言説はほとんどなかったと言っていい。〈9・11〉以前にハンチントンの「文明の衝突」論に対しては多くの批判が浴びせられ、否定されてもいた。
 もともと、「キリスト教文明」ではなく「西洋文明」を「イスラム文明」、「ヒンドウー文明」、「仏教文明」と対比させるという前提自体で、概念規定の過ちがある主張だったのである。「ギリシャ・ローマ文明」の影響を受けた「キリスト教文明」であるに過ぎないのに、「西洋文明」は世界の基準となりうる普遍的な価値を持つもっとも先進的な文明であるというヨーロッパ中心主義的な奢りに基づいた過誤である。
 
しかし、テレビ・ジャーナリズムなどはいちおう「文明の衝突」論は否定してみせるものの、アメリカの新保守主義的世界戦略(経済侵略)という側面に触れることなく議論を進めるため、イスラム原理主義にその原因を見るという変形の「文明の衝突」論に陥っているのが普通だった。無知で思慮が足りないほど、人は過度の単純化をしてみせる還元主義(リダクショニズム)に取り込まれやすいのである。
 
著者は、この文明の衝突論を、論考として成立する以前の程度の悪い言説と見なす。

 文明の衝突論の難点は、避けがたい衝突かどうかを論ずる以前の問題である。なにしろ、単一基準の分類法のみが妥当だという前提から始まるからだ。それどころか、「文明は衝突するのか?」という問いかけがもとにしている前提は、人間はなによりもまず異なった別々の文明に分類することができて、異なった人間相互の関係はなぜか、とくに理解をいちじるしく損ねることなく、異なった文明相互の関係という観点から判断できるというものなのだ。この命題の基本的な欠陥は、文明が衝突しなければならないのかを問うはるか以前にさかのぼるのである。
 
こうした還元主義(リダクショニズム)的な〔単純化した〕見解は、おおむね世界の歴史のあいまいな認識と結びついていると思われる。それは第一に、こうした文明のカテゴリー内部の多様性を見逃しているし、第二に、物流だけでなく知的な交流が、文明と呼ばれるものの地理的境界線を越えて及ぼす範囲と影響力を考慮していない……。 (p. 28-9)

 このような文明の衝突論を支持するのは、西洋の排外主義者やイスラム原理主義者であるが、しかし、「それに反論しつつも衝突論者による枠組みの制約内で応じようとする人にまで」(p. 29) 影響が及んでいることは間違いがない。
 
著者は、文明の衝突論が成り立たないもっとも適切な例として,彼の生まれた国であるインドを挙げる

「文明の衝突」というハンチントンの解説では、インドを「ヒンドゥー文明」として紹介することは、インドには世界のどこにもまして多くのイスラム教徒がいて、例外はインドネシアと僅差のパキスタンのみ、という事実を軽視せざるを得ないということである。インドは恣意的に定義された「イスラム世界」には含まれないかもしれないが、それでもインドには(一億四五〇〇万人のイスラム教徒がいて、これはイギリスとフランスの全人口を合算したよりも多い)ハンチントンの定義による「イスラム世界」のほぼどの国よりも、はるかに多くのイスラム教徒がいることには変わりない。また、現代のインドの文明を、この国の歴史においてムスリムが果たした主要な役割を考慮せずに考えることもできない。  (p. 75-6)

 偶然にも、二〇〇四年春にインドで行われた総選挙で、ヒンドゥー原理主義の党が率いる連立政権が大敗し、インドの国政が一変した。ムスリムの大統領が国家元首になったのみならず、非宗教的なインド共和国ではいまやシク教徒の首相と、キリスト教徒の与党党首が誕生したのだ(有権者の八〇パーセント以上がヒンドゥー教徒の世界最大の民主主義国としては、まんざらでもない結果である)。  (p. 77-8)

 文明の衝突論は、現状認識においても歴史認識においても間違っている。とはいえ、「ヒンドゥトゥワ」〔ヒンドゥー原理主義〕の政治指導者による「極端に歪んだ歴史観と現実の情報操作に」ハンチントンはしばしば引用され、「偽りの信憑性」 (p. 77) を与えているという。だからこそハンチントン流の単純な還元主義は克服されねばならないのである。

 もう一つの還元主義はマイケル・サンデルに代表される共同体主義(コミュニタリアニズム)である。著者は、少なくともコミュニタリアリズムの一部が「社会的文脈」のなかで評価しようとして、「人間をより「完全に」――そしてより「社会的に」――見ようとする実に称賛すべき理論上の試み」 (p. 245) をしたと評するもののその方法では限定的な理解にしか達しないと批判する。 

彼らにとって、コミュニティのアイデンティティはあたかも生まれつき運命づけられたものであり、個人の意思決定など必要なく(彼らの表現で言えば、ただ「認識」するのみ)、比類ない至高のものなのだ。また、世界の人びとを文明ごとの狭い枠で分割する、揺るぎない文化論者もそのなかに含まれる。 (p. 20)

 コミュニタリアンの思想家の多くは、コミュニティにもとづく支配的なアイデンティティは、選択するものではなく、単に自己認識の問題なのだとよく主張する。しかし、所属するいろいろな集団のうち、どれが相対的に重要であるかを決める選択権が当人には備わっておらず、あたかも純粋な自然現象であるかのごとく、(昼と夜を区別するように)そのアイデンティティをただ「発見」するしかないというのは信じがたい。 (p. 21)

政治哲学者のマイケル・サンデルは、この主張を(その他のコミュニタリアニズムの主張とともに)次のように明確に説いている。「コミュニティは、人びとがその一員としてなにをもっているかだけでなく、彼ら自身がなにであるかをも説明する。それは彼らが選んだ(自発的な付き合いのような)関係ではなく、彼らが発見する愛着であり、単なる属性を超えて、彼らのアイデンティティの構成要素となっている」。
 
しかし、実際には、人を豊かにするアイデンティティは、自分の居場所を発見することによってしか得られないとは限らない。それは取得し、獲得できるものでもある。 (p. 60-1)

さほどあからさまにではないが、強い影響力をもつ共同体主義(コミュニタリアニズム)の学派も、共同体への帰属にもとづいた、一人につき一つのアイデンティテのみを神聖視しており、人間を複雑で難解な社会的な生き物という本来のわれわれの姿につくりあげる、その他もろもろの共有意識を事実上ないがしろにしている。 (p. 245)

 彼らは、人が「合理的」な行動基準を追求できるのは所属するコミュニティの価値観や規範に基づいてのみだと主張する。こうした考え方は異なったコミュニティとの円滑なコミュニケーションを阻害する。アメリカが中南米や中近東の人びとの価値観に無関心なのはそのせいなのかもしれないのだ。
 極端な例で言えば,江戸時代に東北の貧しい農村に生まれた人びと(たぶん私の父祖はそうであった)は、飢えたままで短い一生をおくる水飲み百姓であるというアイデンティティに基づく以外に「合理的」な人生の判断を見いだすことができない、とコミュニタリアンは主張しているようだ。一揆を起こし、自ら死罪を得るような人間としてのアイデンティティは認められないのである。コミュニタリアンによればアイデンティティは運命のようなものである。本書の副題は「運命は幻想である」とされていて、そのような共同体主義の考えを明確に否定している。
 今ここに、現前しているコミュニティの中にアイデンティティを見つけよ、という主張はさながら政治的支配者にとってもっとも望ましい言説のようだ。国営放送としてのNHKがサンデルの連続講義を放送するのにとてもふさわしかった理由である。

 日本でのサンデルの講義の放送といい、かつての『文明の衝突』のもてはやされ方といい、還元主義の「過剰な単純さ」に人は惹きつけられやすい。これは、あたかも小泉純一郎の短い単純な政治的フレーズにほとんどの日本人が引っかけられたことと似たようなことだろう。
 このように考えてくると、もっとも典型的な単一アイデンティティ主義者としての右翼ナショナリストの言説がきわめて簡明であることも頷ける。単一基準のアイデンティティは、思考の消費を極端に惜しむ人びとに受け入れられやすいのだ。

 さらに私の興味を強く引いた本書の議論は、「多文化主義と文化的自由」と「グローバリゼーション」に関するものである。

 「近年、多文化主義は重要なものとして,より正確に言えば力強いスローガンとして(その潜在的な価値はさほど明確でないため)多くの支持を得てきた」 (p. 160) としながらも、文化的自由を根拠とする多文化主義が、しばしばその文化的自由と矛盾することがある。つまり、文化的自由と文化的保護の共存が困難であることがしばしば生じるのだ。

 多文化主義と対立する概念は「複数単一文化主義」と呼べるものだろう。そして、複数の文化スタイルが混じり合うことなく併存する場合には、多文化主義というよりは「複数単一文化主義」と見なす必要がある。「最近よく耳にする多文化主義を声高に擁護する声は、複数単一文化主義のための弁解にすぎないことが非常に多い」 (p. 218) のだ。

保守的な移民家庭の娘が、イギリスの青年とデートに出かけたくなったとすれば、それは明らかに多文化主義的な第一歩となるだろう。一方、彼女の保護者がこれを阻止しょうとすることは(たいていこのような事態になる)、文化を隔離して温存しょうとするので、とても多文化主義の行動とは言えない。ところが、複数単一文化主義を促進させるこうした親による禁止行為には、伝統文化は尊重すべきだという理由から、多文化主義者とされる多数の人びとから声高な賛同の意が寄せられる。まるで、若い女性の文化的自由にはなんの重要性もなく、それぞれの文化はなぜか枠内に押し込められて隔離されなければならないかのようである。 (p. 218)

宗教や民族性は人びとにとって重要なアイデンティティかもしれないが(継承し帰属する伝統を称えるか拒むか選択する自由がある場合はとくに)、それ以外にも人びとが尊重してしかるべき帰属先や関係があるというものだ。多文化主義は、ひどく奇妙に定義づけされない限りは、個人が市民社会に参加したり、国政に参加したり、社会的に非協調的な人生を送ったりする権利を踏みにじることはできない。そしてまた、多文化主義がどれほど重要であっても、伝統文化の命ずることが自動的にその他すべてに勝る優先順位を与えるものにはなりえない。 (p. 219)

 多文化主義の尊重という名目によって,ある種の人びとをその固有の文化に閉じ込め、自由な選択としての「文化的自由」を阻害していることが多い。その一つの例として、著者は,イギリスにおける「ムスリム、ヒンドゥー、シクの子女向けの「宗教学校」を(従来のキリスト教学校に加えて)新たに創設することを積極的に推進する公共政策」を心配する。
 これは、人のアイデンティティをその人の様々な帰属関係を捨象して、受け継がれてきた宗教や伝統を優先すべきだという狭量な多文化主義を根拠にしている。パキスタンのイスラム教の宗教学校に見られるように、「宗教優先の考えが世界で暴力を生む主要な要因になってきた」 (p. 222) のだ。

 多文化主義は,異なった文化を尊重すると同時に,その文化が自らの意志で変化していく自由をも尊重しなければならない。文化的保護は、保護を自らのアイデンティティとして選択した場合になされるべきで、保護の名による文化の強制、文化の閉じ込めは許されないのである。

 アマルティア・センは、世界の人びとは「国籍や文化、共同体、宗教の境界をはるかに越える」「幅広いアイデンティティ意識」を持っているし、持っていなければならないと考えている (p. 174) 。そのために、グローバリゼーションの持つ積極的な意義を評価する。
 グローバリゼーションの積極的な意味は、皮肉なことに「反グローバル化」運動に象徴される。「抗議運動が表明する(ときとして、たしかにかなり乱暴な意見表明にもなるが)地球規模の不満の声は、グローバルなアイデンティティ意識が存在し、グローバルな倫理に対する関心もあることの証左と見なすことができる」 (p. 174) からである。

 国境や宗教を越えたアイデンティティ意識を世界の人びとが獲得することが、単一アイデンティティ主義がもたらす現状の悲惨な暴力を克服する重要な道であることは否定できない。しかし、それはまた理念的すぎる印象を受ける。著者も指摘するように、現状のグローバリゼーションは「西洋帝国主義とつながる問題もある」 (p. 182) し、「グローバル資本主義が通常、民主主義の確立や、公教育の普及、あるいは社会の弱者のための社会的機会の向上などよりも、市場を優先していることは何度も立証されている」 (p. 193) のである。

 著者は、「グローバル経済に依然として見られる不平等は、さまざまな制度上の失敗と深く関係しており、それらは克服しなければならない」とあっさり述べているが、イラクにおける悲惨と暴力が、アメリカ合州国が持ち込んだ「制度上の失敗」などとは考えられない。アメリカ合州国が存在するという世界の「制度」そのものが失敗というなら理解できるが、アメリカの明確な政治的意図を問題にしないで「制度上の失敗」に還元することはできないと考える。この点に関して言えば、私はナオミ・クライン [1] やノーム・チョムスキー [2] の分析を信じる。
 
アクチュアルな政治行動から距離を置いて語ろうとすることが、私が冒頭に記した「アマルティア・センは無色で透明な位置に立とうと志している」という印象に繋がったのだと思う。

 

[1] ナオミ・クライン(幾島幸子、村上裕見子訳)『ショック・ドクトリン ―惨事便乗型資本主義の正体を暴く』(岩波書店、2011年)
[2] ノーム・チョムスキー(鈴木主税訳)『覇権か、生存か ―アメリカの世界戦略と人類の未来』(集英社新書、2004年)。


原発事故はどう詠まれたか:朝日歌壇・俳壇から(事故後7ヶ月の頃)

2013年10月14日 | 鑑賞

 これは、朝日新聞の投稿欄「朝日歌壇・俳壇」に掲載された短歌と俳句の中から、東京電力福島第一原子力発電所の原子炉溶融事故に関連して詠まれたものを縮刷版から抜き書きしたものである。
 原発事故の発生時から2012年7月までの期間について順次抜き書きを進めていて、今回は2011年10月に掲載されたものである。
 2012年8月以降については、新聞発行をリアルタイムでフォローしながら適宜まとめてこのブログで紹介している。

 

2011年10月3日

この子らが覚えなくてもいい事を覚えゆくなり放射線量
                       (愛知県)森田勝弘 (佐佐木幸綱選)

原発の廃墟に凝らす望の月
                       (福島市)渡辺恭彦 (金子兜太選)

 

2011年10月10日

福島に住むこと忘れ穏やかな日なかとなして障子貼る病妻(つま)
                       (本宮市)廣川秋男 (佐佐木幸綱選)

植ゑて来しひまはり除染はせぬと聞くされどひまはりことしのひまはり
                       (埼玉県)小林淳子 (高野公彦選)

二十キロ内高台に並び無人街見下ろしている三十頭の牛
                       (須賀川市)中山弧道 (高野公彦選)

五十円の桃に驚き近づけばフクシマとありフクシマと泣く
                       (所沢市)森コハル (高野公彦選)

放射性物質検査通りたるきのこの並ぶ秋のスーパー
                       (横浜市)滝妙子 (永田和宏選)

千年の月が仮設の屋根屋根をひそと照らして秋を降らせり
                        (福島市)美原凍子 (馬場あき子選)

紀伊三陸福島深し虫の闇
                       (高岡市)野尻徹治 (金子兜太選)

 

2011年10月17日

戻れない家と識りつつ部屋々々にゴキブリホイホイ据えて町去る
                       (いわき市)多田千恵 (高野公彦選)

鳳仙花の種子爆ぜつづくフクシマのみ寺に僧の在さぬ彼岸会
                       (下野市)若島安子 (馬場あき子選)

原燃は「尾駮(おぶち)の駒」が駈けた牧戻って欲しい昔のように
                       (三沢市)遠藤知夫 (佐佐木幸綱選)

 

2011年10月24日

フクシマの車で県外走るとき人目はばかる我情けなし
                       (福島市)伊藤緑 (永田和宏選)

海釣りも畑仕事もジョギングもみな奪われて福島にいる
                       (福島市)武藤恒雄 (佐佐木幸綱、高野公彦選)

福島から鳥が消えたと友の文ウグイス・カッコウ・カラスにスズメ
                       (名古屋市)諏訪兼位 (佐佐木幸綱選)

ドイツ語で我等ゲンパツやめると言う原発という日本語をつかう
                       (福岡市)鬼塚夏子 (佐佐木幸綱選)

 

2011年10月31日

風評を避けて秋刀魚がやって来た瞠れる眼に血を滲ませて
                       (岐阜県)棚橋久子 (馬場あき子選)

どんぐりもきのこたけのこ好きな熊原発事故を知る術も無く
                       (福島市)伊藤緑 (佐佐木幸綱選)

木犀の香にふわぁんと包まれて放射能からふっとはなれる
                       (福島市)美原凍子 (高野公彦選)

ふくしまに生を受けたる芋の露
                       (岡山市)森格 (金子兜太選) 


原発事故はどう詠まれたか:朝日歌壇・俳壇から(事故後6ヶ月の頃)

2013年10月12日 | 鑑賞

 これは、朝日新聞の投稿欄「朝日歌壇・俳壇」に掲載された短歌と俳句の中から、東京電力福島第一原子力発電所の原子炉溶融事故に関連して詠まれたものを縮刷版から抜き書きしたものである。
 原発事故の発生時から2012年7月までの期間について順次抜き書きを進めていて、今回は2011年9月に掲載されたものである。
 2012年8月以降については、新聞発行をリアルタイムでフォローしながら適宜まとめてこのブログで紹介している。
    (写真は記事とは関係ありません。)

 

2011年9月5日

放射性物質測定検査結果福島のももと一緒に届く
        (埼玉県)小林淳子 (佐佐木幸綱選)

原発の地震の中に生きる術持たずおろおろフクシマに住む
        (須賀川市)小沢美代子 (佐佐木幸綱選)

見つけても放射線出す一枚の家族写真を持ち出せぬ友
        (福島市)澤正宏 (佐佐木幸綱選)

 

2011年9月11日

県外へ避難する子の荷の中へ机の名札を剥がして入れぬ
        (福島市)渡部かつ子 (佐佐木幸綱選)

一歳で福島に来た私が生まれる前からあった原発
        (郡山市)畠山理恵子 (佐佐木幸綱選)

ゆらゆらと非「脱原発」主張する記事目につけばマスメディアらし
        (静岡市)篠原三郎 (佐佐木幸綱選)

親戚に居づらくなりてか被災者の一家が疲れて病院に来る
        (平塚市)西一村 (高野公彦選)

ヒマワリはかなしき花となりにけり汚染の土地にあまた咲きいて
        (福島市)美原凍子 (高野公彦選)

父を母をかえせと哭きし峠三吉 土を村をと呻く福島
        (名古屋市)諏訪兼位 (高野公彦選)

幼子ら希望を掴む両手出し体内被曝量測らるる
        (福生市)斉藤千秋 (馬場あき子選)

盆踊りの櫓の後ろ不気味なる北電泊原発が見ゆ
        (稚内市)藤林正則 (馬場あき子選)

盂蘭盆会先祖に汚染のこと伝へ古米の餅を供へて偲ぶ
        (須賀川市)布川澄夫 (馬場あき子選)

総理には桃の悲しみ分かる人
        (名古屋市)富山貴政 (長谷川櫂選)

放射能塗(まみ)れの土に父埋める
        (いわき市)馬目空 (金子兜太選)

放射能繋がる牛に深き霧
        (相馬市)鹿又一武 (金子兜太選)

 

2011年9月19日

目に見えぬベクレル案じて暮らす日は空の奥処に黒い旗舞う
        (福島市)青木崇郎 (高野公彦選)

休み明け友の転校知った子の言葉少なしひぐらしが鳴
        (福島市)新妻順子 (高野公彦選)

桃買うを迷いてポップ確認す「福島」とあり迷わずに買う
        (木津川市)中野由美子 (高野公彦選)

集まらぬ児童や生徒校庭除染首に線量計二学期始まる
        (いわき市)鈴木一功 (馬場あき子選)

江戸期より水を抱きて田に分けし助宗堤も五キロ圏内
        (福島市)新妻順子 (佐佐木幸綱選)

またひとつ更地が増えてまたひとつ まちの記憶が抜け落ちてゆく
        (福島市)米倉みなと (佐佐木幸綱選)

アカネ来て震災半年息つけば咲きながら散る萩のせわしさ
        (福島市)沢正宏 (佐佐木幸綱選)

すべりひゆ見れば鶏思ひ出す原発無くば生きてるものを
        (横浜市)荒川澄 (佐佐木幸綱選)

五感ではとらえられないセシウムをDNAは深く刻めり
        (福岡市)有田裕子 (佐佐木幸綱選)

 

2011年9月26日

原発にさよならをしたこの秋のドイツの空の風みどり色
        (ドイツ)西田リーバウ望東子 (佐佐木幸綱、高野公彦選)

夏草や一村去りし被爆の地
        (東京都)橋本栄子 (金子兜太選)

 


原発事故はどう詠まれたか:朝日歌壇・俳壇から(事故後5ヶ月の頃)

2013年10月10日 | 鑑賞

 これは、朝日新聞の投稿欄「朝日歌壇・俳壇」に掲載された短歌と俳句の中から、東京電力福島第一原子力発電所の原子炉溶融事故に関連して詠まれたものを縮刷版から抜き書きしたものである。
 原発事故の発生時から2012年7月までの期間について順次抜き書きを進めていて、今回は2011年8月に掲載されたものである。
 2012年8月以降については、新聞発行をリアルタイムでフォローしながら適宜まとめてこのブログで紹介している。

 

 

2011年8月1日

父の遺影を抱きしめる子を母が抱く埋葬も出来ぬ二十キロ圏
                         (鹿沼市)石島佳子 (永田和宏選)

安全靴脱いで寛ぐ原発の声なき男の貌が見えくる
                         (新潟県)岩田桂 (馬場あき子選)

浜岡の海に小ガメを放流す子らの未来はだれも知らない
                         (浜松市)松井惠 (馬場あき子選)

「うつくしま」福島の里はいつ還る育てし野菜捨てつつ思う
                         (福島県)斎藤栄子 (佐佐木幸綱選)

今日もまた避難の日なり夏落葉
                         (横浜市)荒川澄 (金子兜太選)

原発の囲む列島田水沸く
                         (宝塚市)塩出眞一 (長谷川櫂選)

 

2011年8月8日

故郷の思ひ輪になり輪を広げ踊る避難所提灯揺れる
                         (須賀川市)中山弧道 (馬場あき子選)

放射能の限りなく流る阿武隈の稲穂匂へる心重きまで
                         (須賀川市)布川澄夫 (佐佐木幸綱選)

気温ならすぐに実感できるのに体感できぬミリシーベル
                         (名古屋市)福田万里子 (永田和宏選)

田も畑も耕作できぬ故郷に帰還せよとは如何なる策か
                          (横浜市)荒川澄 (永田和宏選)

被爆者に被爆者加わり原爆忌
                         (アメリカ)大竹幾久子 (金子兜太選)

牛飼が里に帰れぬ左千夫の忌
                         (東京都)川瀬佳穂 (金子兜太選)

 

 2011年8月14日

まず土のセシウム量りプレイボール甲子園への道が始ま
                         (福島市)澤正宏 (佐佐木幸綱選)

わが影を直下に見つつ測りゆく借用の放射線量測定器
                         (埼玉県)大久保知代子 (佐佐木幸綱選)

音もなく放射能降る公園の夏の真昼に蝉さえ鳴かず
                         (生駒市)宮田修 (佐佐木幸綱選)

原爆を再び許さぬ誓いたて原発渦中に原爆忌来る
                         (三沢市)遠藤知夫 (高野公彦選)

色もなく汚染しずかにひろがりぬわら食む牛にも肉食むひとにも
                         (名古屋市)諏訪兼位 (馬場あき子選)

「逃げる先どこにもねべ」と原発の村人語る下北漁港
                         (三沢市)遠藤知夫 (馬場あき子選)

放射能まだ来ぬ我家のベランダに茄子も胡瓜も花つけ明日待つ
                         (平塚市)熊沢雅晴 (馬場あき子選)

原発が風上にある夏祭
                         (福井県池田町)下向良子 (長谷川櫂選)

戦争と原発合わせ語る夏
                         (横浜市)荒川澄 (長谷川櫂選)

放射能まみれでひかる蛍かな
                         (流山市)尾形ゆきお (金子兜太選)

 

2011年8月22日

子らの声せぬフクシマの夏休み蝉、蝶、トンボ虫らもさみし
                         (福島市)美原凍子 (馬場あき子選)

メルトダウンベントベクレルシーベルトセシウムわらわらストレステスト
                         (所沢市)風谷螢 (馬場あき子選)

原発に揺れる日本原爆忌
                         (芦屋市)田中節夫 (長谷川櫂選)

 

2011年8月29日

大文字の送り火用の松の木は地元で焚かれて人黙すのみ
                         (摂津市)内山豊子 (永田和弘線)

広島も昭和も遠く朝霧の秘めるセシウムに牛たちの影
                         (宮城県)須郷柏 (馬場あき子選)

悪者は核ではなく人百日紅
                         (北九州市)河原修三 (金子兜太選)

今朝秋や被爆の家に帰るてふ
                         (香取市)朝野空翠 (長谷川櫂選)

 

街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)

 


【書評】ピエール・ブルデュー(原山哲訳)『資本主義のハビトゥス』(藤原書店、1993年)

2013年10月08日 | 読書

 私にとって、この本が初めてのブルデューである。「ハビトゥス」や「ディスタクンクシオン」がブルデューに発する言葉(概念)であることは、いくつかの著作を通じて知っていた。書店で『資本主義のハビトゥス』というタイトルとブルデューの名前の組み合わせで、あまり考えることもなく手が伸びた。

 序文 (p. 5) と、巻末に附されたブルデューのインタビュー (p. 174) によれば、ブルデューは、1958年から61年にかけてアルジェリアで行なわれた民俗学的・統計的な調査による『アルジェリアにおける労働と労働者』という大著を1963年に刊行していて、ミシェル・フーコーの勧めでその簡略版といえる『アルジェリア60』を1977年に出版した。本書は、『アルジェリア60』の日本語訳として1993年に出版されている(私が手にしたのは2011年の初版第6刷である)。原題の「アルジェリア60」を受けて本書の副題には「アルジェリアの矛盾」が付されている。
 原著、訳本の刊行年からいえば、本書がコンテンポラリーな内容として読まれているとは考えにくいが、かといって、古典として読まれただろうとも想像しにくい。しかし、今ここで読む私にしてみれば、本書の内容(1960年時における植民地支配下のアルジェリアにおける資本主義システムの導入にともなうアルジェリア大衆に生じたハビトゥスの軋轢、プロレタリアと下層プロレタリアの階級分化(ディスタンクシオン)を扱っている)から言えば、この本は古典に属すると言ってもいいと思う。

 今や、日本ではプロレタリアのほとんどは体制派として資本主義の守護に回ってしまい、伝統的な既成大手労働組合は保守政党とほぼ一体化している。そして下層プロレタリアからさらに下層の貧困層プロレタリア(プレカリアート)が分化している。アルジェリアから50年を経た日本でディスタンクシオンはダイナミックかつ明確に作動しているのだ。この本は階級分化の現代的機制についても何事かを語りうるのではないかと、期待したのだ。

 社会学者としてのブルデューは、植民地の前資本主義的社会に資本主義が導入されていく実相を明らかにするための学の問題を考えることから始めている。それは、経済的指標のみで世界を理解しようとする経済学であり、それとは逆に、経済的問題を閑却化する文化人類学などである。

経済発展を妨げている文化について、ただ儀礼的に問題を提起する人々がいるが、実際は彼らは、経済行動の「合理化」について、ただそれだけについて、すなわち抽象的に、関心をもっているだけなのだ。そして、彼らは、経済理論が定義しているような「合理性」の抽象的モデルに準拠し、そこから逸脱している要因のすべては、もっぱら文化的遺産に帰せられるものであり、経済発展に対して抵抗するものとして記述してしまう(さらに悪いことには、文化的遣産のこれこれのといった側面を指摘して、たとえば、イスラム文化に言及して、経済の停滞を、そのせいにしてしまう)。すなわち、経済発展の哲学は、人類学を経済という単一の次元に還元してしまうのだが、逆説的にも、ある「合理的」経済行動が社会にとりいれられるために必要な経済的条件を無視してしまうことになるのだ。 (p. 9) 

 文化人類学はといえば、資本主義以前の社会が変化するのを考察する際、そこに単に「文化接触」の影響をみるだけである。つまり、その社会の変化は、「文化変動」とか「文化変容」として記述される。事実、文化人類学においては、しばしば、文化モデルや価値のシステムの変化は、単に、移植されるモデルと土着のモデルとの組合せの論理的帰結によるのではない、ということが看過されてしまう。だが、その文化モデルや価値の変化は、経済の変化の帰結であると同時にその条件でもあって、経済システムにさまざまに関わる個々人の経験と実践とを媒介してのみ、生起するのである。 (p. 9-10)

経済学者は、暗黙にせよ明示的にせよ、資本主義システムが可能となるためには経済人はどのようであるべきか、と、自問してから、資本主義的人間に固有の経済的意識のさまざまな範疇を、経済的、社会的条件から独立した普遍的な範疇とみなそうとする。それとともに、経済学者は、経済的意識の構造が、個人的および集合的に生成されるということを看過してしまう危険を冒すのである。 (p. 18-9)

 そうした批判を踏まえて、自らの社会学的探求の方法論を宣言し、その意義を強調して次のように述べる。

 各行為主体の(経済的、あるいは、それ以外の)さまざまな実践を貫く根底には、その行為主体が、彼の階級状況を規走している客観的、集合的な未来にたいして、客観的に保持している関係がある。この行為主体の未来にたいする関係は、行為主体のハビトゥスを媒介としているが、ハビトゥスそれ自体、さまざまな類型の経済的条件によって生産されるものなのである。そうであるなら、行為主体の未来との関係についての、つまり、時間に関する性向についての社会学によってこそ、従来の伝統的な問題、すなわち、生活条件の変化が、人々の性向の変化に先行して、それを決定づけるのかどうか、あるいは、その逆なのかどうか、といった議論をのりこえることが出来るのだ。 (p. 11)

 外部から移植され強制的に課せられた経済構造に、性向やイデオロギーが適応する過程、つまり、経済的必然性の圧力を受けて、性向のあらたなシステムが、つくり直される過程を、分析の第一の対象とすることは、心理学的主観主義に陥ることにはならないし、また、本質論的エスノセントリズムに陥ることにも、さらさら、ならない。心理学的主観主義とは、経済的主体の性向が、客観的な経済的、社会的諸関係の構造を生み出すと考えることである。また、本質論的エスノセントリズムとは、この心理学的主観主義と、しばしば結びついているものだが、西欧資本主義の経済的性向を普遍的と考えて、効用や選好を最大限に充足させようとする願望が、あらゆる経済活動を支配する原理であるとすることである。 (p. 16)

 資本主義導入に対する人々の対応が、各行為主体が抱く主観的未来と社会が準備する客観的未来のギャップばかりではなく、前資本主義的ハビトゥス固有の時間概念と資本主義的時間概念のギャップが人々の行動性向を支配している。つまり、「序文」においてすでに示唆されているように、「行為主体の未来との関係」が問題を解く鍵となっている。 

生活の物的条件に客観的に刻まれている未来との関係のなかにこそ、アルジェリアにおける、下層プロレタリアとプロレタリアとのディスタンクシオン〔階級的分別〕、すなわち、土地という根を失い、絶望した大衆の反乱への性向と、他方、未来を領有しようとして自分の現在を充分に統御している組織化された労働者の革命的性向との、ディスタンクシオンの原理が働いているのだ。 (p. 6)

 アルジェリアにおける資本主義は、けっして国家、地域共同体における自立、自発的な経済発展としてあったわけではない。前資本主義的な伝統的な農業、農民への植民地支配下での資本主義経済の強制的な導入がなされた。

 伝統的な農業社会では、農業の周期全体の生産時間を時間感覚として保有していて、そのなかでは労働と収穫物を区別しないし、労働中断期であってもその期間を労働していると見なすのだ。労働の概念を私たちが考えるようなものとすれば、厳密な意味では彼らは自分の行いを労働とは考えない。つまり、農作物は大地(自然)からの贈り物であり、自然に捧げた彼らの労苦との贈与交換と考える。
 そして、「農民は、前年の農園から得られた所得にしたがって消費するのであって、これからの所得を見込んで消費するのではない」 (p. 23) し、収穫は自然(神)からの贈り物と考えるような伝統的な暮らしでは、人々は「未来のことは神のしごと」 (p. 36) というような時間概念を抱いている。


 土地を共有するような伝統的な農業社会集団では、各成員には、「たとえば小作人、農業労働者、未亡人といった人々の息子」 (p. 49) であっても何らかの活動(生産活動、いわゆる現在的な意味での労働を含む)が与えられ、個々人の集団への統合が図られる。そこでは、「社会的任務としての労働は、伝統的な義務に属するもの」 (p. 51) であって、一般等価物としての貨幣(賃金)として報いられるような資本主義的な意味での労働ではない。成員が何らかの形で活動に従事する集団内では個人的な「失業」という概念が発生しない。
 土地を共有する農業共同体は大家族制によって支えられている相互扶助的な集団社会であるが、一方で、集団を維持するための伝統的な規律が共同体、や家族の成員に課せられる。

経済とエートスとは深くかかわりあっており、土地の領有の様式、すなわち土地の共有のなかに、時間、計算、予測に対する、態度が、すべて刻印されている。しばしば、次のことが言われてきた。すなわち、この共有の制度は、消費において、また生産においてはなおのこと、集団の各成員(ないしは各世帯)が計算するのを阻む。そして、この制度は、個人の革新を禁じ、企業家精神を窒息させてしまう。消費の領域について言えば、この共有の制度は、計算を、その最も単純なもの、つまり、資源のかなり柔軟な割り当てに帰着させてしまい、資源と成員の人数との関係は考慮されることはない。その結果、なによりも、まず、出生傾向に抑止がかけられることがない。しかし、また、共有は、生産と消費とにおいて、個々人の分け前を系統的に考慮しょうとしない場合においてのみ、維持できるのだ。………要するに、共有は、事実上、計算を禁ずる。それと関連していることだが、計算の禁止は、共有財産、ならびに、家族や氏族といった、共有財産に基づく共同体を存続させるための条件なのである。 (p. 37-8)

 そのような前資本主義的な農民の社会に資本主義的貨幣経済が持ち込まれれば、当然ながらその貨幣経済システムへの反発が生じる。

そこ〔前資本主義的農業社会〕での可能性と不可能性とからなるシステムは、不安と偶発に支配される物的生活条件のなかに、客観的に刻みこまれているが、それが、行為主体に内面化されると、他ならぬ、エートスとなり、そのエートスが、唯一可能なものとしての時間の経験を課すことになるのだ。人々の生活は、次のように過ぎて行く。すなわち、人々は、資本主義的経済が要求し促進するあらゆる性向、たとえば、企業家精神、生産性や収益への配慮、計算の精神といったものをきっぱりと拒絶し、「未来のことは神のしごとだ」と言って、予測の精神を悪魔的な野望として断罪する。そして、いたるところで、「嫌なことでも必要とあらば進んで引き受け」、願望を客観的なチャンスに適合させることで満足するのだ。 (p. 36)

 しかし、自然からの贈り物としての農業収穫物や物々交換で得られた者を消費するような経済に、貨幣経済が導入されることは、人びとに前資本主義的ハビトゥスの変更を強いることになる。

物々交換のような経済的論理によって形成された行為主体は、経済的関係の普遍的な媒介としての貨幣の使用を、苦い経験を通じて、学習しなければならないのである。実際、賃金を受け取るや否や、それを、食料、衣類、家具といった現物財に替えてしまおうとする誘惑は大きい。五十年前は、農業労働者たちが、一ヶ月の労働によって得た所得を、わずか数日で使い果たしてしまう、というのは、まれなことではなかった。最近でも、南部の遊牧民の場合、現物で支払われていた羊飼いたちが、お金での賃金を受け取るようになったとき、同じような行動をとったのである。  (p. 29-30)

 前資本主義的ハビトゥスで資本主義的貨幣経済を生きねばならない農民に植民地化の圧政が加わることによって、農民の暮らしの在り様は深刻な変容を受けざるを得ない。前資本主義的な農村共同体における様々な民族的な習慣、考え方の社会学的観察による記述は興味深いが、それが変容を受けていくプロセス、資本主義のハビトゥスが育つ時間を待たずに進展して資本主義植民地化もまた実例を挙げつつ詳述されている。中でも深刻なのは、植民地政策によって容易に土地が収奪されてしまったことだろう。

農村の人々が、貨幣を扱うのが不得手で、それについての法的規則に適応できないでいることが、彼らが、土地を失うことに、大いに拍車をかけた。それで、ヴィォレットは、アルジェリア人から入会地の権利を奪った政策を非難し、次のように言う。「入植者たちは、大いに、土地収用を濫用した。(……)お金での保証は、農民にとって、意味をなさない。農民は、補償金を、すぐに使ってしまうし、それを資本として用いることはしないからだ。農民は、仕事が斡旋されても、そこから得られるわずかの所得で、やりくりすることはできないだろう。(M・ヴィオレット『アルジェリアは生き延びるか、元総督の覚え書き』パリ、アルカン刊、一九三一年、八三—九一頁) 多くの小土地所有昔は、正真の土地証書の保有者とはなったものの、その土地は、一八七三年七月二十六日から一八九七年四月二十三日まで施行された法律によって、土地不分割が破棄され、たやすく譲渡できるようになっていた。そこで、彼らは、貧しさに追い詰められていたから、お金欲しさに自分の土地を売った。彼らは貨幣の使用に疎かったので、自分のわずかの資本金を浪費してしまい、農業労働者として雇われるか、都市に逃げ込むしかなかったのである。 (p. 30-1)

 こうして、アルジェリアで植民地化が進んだ地域に残った農民や都市に流入して下層プロレタリアとなった農民は、土地や彼らの伝統を失ったがゆえに、逆説的に新たな資本主義システムに適応しやすくなり、一方で比較的植民地化を免れた地域の農民は前資本主義的ハビトゥスの中で暮らし続けることになる。

 著者は、土地を奪われた農民や都市の下層プロレタリアが資本主義のハビトゥスを獲得していくプロセスを多面的に描いていく。たとえば、都市に流入してプロレタリア化した農民にとって従来の大家族制は崩壊せざるをえないが、十分な住宅環境が得られないため擬似的な大家族制が維持されたりすることや、逆に定期的収入が得られるプロレタリアとして単一家族の住居が得られると女性はそれまでの社会的広がりを失って孤立し、「以前よりもいっそうひどく劣った役割や地位に、格下げされてしまう」 (p. 83) のである。
 そのような、下層プロレタリアやプロレタリア化した農民の生活や生活態度の変容を分析するに当たって著者は次のような注意を喚起する。

確かに、伝統的な秩序から引き離され、近代的な経済の世界に、しばしば急激に、参入することは、ハビトゥスの徹底的な変化を引き起し、また、ハビトゥスの変化を前提としていることなのであるということは疑いがない。だがそうだとしても、近代経済への適応の過程を、心理的次元に還元してしまうことは、結果を原因とみなすことなのである。実際は、人類学者が言う「文化的妥協」としての「近代化が要求する性格の変化」は、具体的には、特定の経済的、社会的条件に組み入れられた行為主体によって実現されるのだ。つまり、性格の変化は、対峙しあう異なった既存の性向や文化システムの論理には、一切、依拠してはいないのである。  (p. 61-2)

 たとえば、変容過程の仕事に対する考え方を見てみよう。都市に流入した農民は、小商人を職業として選ぶことが多い。そこでは小商いのために長い時期的スパンの計算が必要なく、売れた分だけの暮らしをする。それは、いわば収穫された物だけで暮らす農民の心性とよく似ている。それを著者は、「家内工業と商業とは、都市的社会における伝統主義の避難所である」と述べている。ここでは前資本主義ハビトゥスによって思考や習慣はあまり変化していない。
 同じ農村でも貧困のために外国や大都市で出稼ぎ労働に従事した経験を持つ農民は、仕事に従事していても自分を失業者と見なし、たとえ貧しくて仕事が十分でなくても旧来の農民は自分を失業者とは見なさない。「失業」概念の変容は次のようである。

 このように、第一の段階では、失業は、失業であると把握されずとも、「即自的」に存在しうるが、第二の段階では、失業の「意識」は、実践において表明されるが、明晰化されることはなく、断片的な形態の言説、つまり、所与の現実についてのきまりきった、トートロジ—的な表現においてのみ、表明される。次に、失業の意識の表現は、第三の段階に移行する。つまり、そこでは、意識と、その表現とは、緊密に結びついていて、意識の内容の豊かさや明確さが、その表現の豊かさや明確さとともに、増大するのである。調査の対象となった大多数の人々は、いくつもの部分的な説明を提示するが、それらは、通常、自分の職業生活の最も忘れがたい経験の表明にほかならない。そして、それらの説明には、つねに、その説明が現れるための具体的状況や条件についての明示をともなっている。 (p. 101)

 プロレタリアや下層プロレタリアのハビトゥスのもっとも顕著な表象として、著者が注目するのは「未来」に対する態度ないしは考え方である。

 未来とは、誰であれ、当該の主体にとっての、抽象的な可能的なものの場である。しかるに、実践的な将来とは、客観的可能性という意味での可能なもののことである。両者の区別は、しばしば誤解されていることだが、現在からの隔たりによって区別されるのではない。というのは、後者の実践的な将来では、多かれ少かれ現在から隔たった客観的可能性は、なかば現存しているものとして客観的時間の中に位置づけられるのであり、それら客観的可能性は、なんらかの実践ないしは自然の周期の直接的な統一の中で、客観的時間に結びつくからである。民衆の意識は、このような抽象的な未来と具体的な実践的な将来とを区別した世界を生きており、また、この区別に働きかけもするのだ。 (p. 33)

 下層プロレタリアは、必要な収入や未来への期待に関しては夢想的な誇大な願望を語る。貧しければ貧しいほど現実的未来とのギャップが大きくなる。一方、定期的な収入が得られるようになったプロレタリアは、実現できそうな未来を語るようになる。つまり、「現実的な可能性が増すにつれ、願望は、より現実主義的となり、現実的な可能性にたいしてより厳格に節度あるものとなる、ということが観察される」 (p. 91) のである。
 下層プロレタリアの悲惨について、著者は「要するに、完璧な疎外は、疎外の意識さえも抑止してしまう」 (p. 108) と述べる。

悲惨が、悲惨として把握され、明確に不当で容認しがたいものとされる体制に起因するのだと把握されるには、悲惨それ自体が緩和され、別の経済的、社会的秩序について考えるゆとりが生まれなければならない。悲惨は、あまりに全面的な必然性を下層プロレタリアに課し、理性的に思考する余裕を与えないから、下層プロレタリアは、自分たちの苦悩を、習慣として、つまり自然なこととして、生活の不可避的なものとして、受けとめるのである。そして、下層プロレタリアは、安全や必須の教養の最小限さえ持っていないから、社会秩序の全体的な変動――その変動は、秩序の原因を破棄することになりうるのだ――をはっきりと認識できないのである。 (p. 106-7)

 ブルデューの描く1960年のアルジェリアにおける下層プロレタリアの実像は、それから50年を経た日本で湯浅誠が語る不安定労働者(プレカリアート)の実像にそっくりである。

 単純に言って、朝から晩まで働いて、へとへとになって九時十時に帰ってきて、翌朝七時にはまた出勤しなければならない人には、「社会保障と税のあり方」について、一つひとつの政策課題に分け入って細かく吟味する気持ちと時間がありません。
 子育てと親の介護をしながらパートで働いて、くたくたになって一日の家事を終えた人には、それから「日中関係の今後の展望」について、日本政治と中国政治を勉強しながら、かつ日中関係の歴史的経緯をひもときながら、一つひとつの外交テーマを検討する気持ちと時間はありません。
 だから私は、最近、こう考えるようになりました。民主主義とは、高尚な理念の問題というよりはむしろ物質的な問題であり、その深まり具合は、時間と空間をそのためにどれくらい確保できるか、というきわめて即物的なことに比例するのではないか。 [1]

 ブルデューは、プロレタリア化した農民層や都市の下層プロレタリアが潜在的な革命への力であることは認めるものの、下層プロレタリアの「夢への逃避や、宿命論的なあきらめ」ではなくて、規則的な収入が得られるプロレタリアの合理的な時間概念、願望が組織化された革命的態度が必要だという。

 「先進資本主義」国である日本のプロレタリアのうち、労働組合に組織化された労働貴族的な部分の言動はいまや資本家と見まがうほどで、保守政党と政治的行動の歩調をぴったりと合わせている。
 そして、アルジェリアの下層プロレタリアに相当する層は、「ワーキング・プア」とか「プレカリアート」と呼ばれ、湯浅誠が語るように政治的意識の獲得や政治的態度の表出が困難な状況に置かれている。多くの未組織プロレタリアは、マスコミに煽られるように右へ左へふわふわと揺れ動いていて、未来への階級的な希望を確定できないでいる。

 ブルデューにしたがって「プロレタリア」や「下層プロレタリア」という概念を用いてきたけれども、いまや被支配層の括りの概念としては古典的に過ぎてあまりしっくりしない。労働者は、ポスト・モダニスム社会で消費する大衆のイメージが強まり、労働の場から立ち上がるような階級としての形象は見えにくくなっている。じっさい、最近の世界各地の民衆の反乱のどこにも「プロレタリアート」と名指しできる人びとを集団として見つけ出すことができない。そして私には、そこでの「階級のハビトゥス」はどのようなものか、じつのところ、見えていないのである。

階級のハビトゥスとは、客観的状況を行為主体のうちに内在化しつつ、行為主体の一群の性向の集まりを統一する構造であるが、それぞれの性向は、あきらめにせよ現存の秩序への反逆にせよ、また、予測や計算に経済行動を従わせる傾向にせよ、客観的未来との実践的な関わりを前提としているのである。 (p. 154-5)

 

[1] 湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版、2012年)p. 85。