かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『藤田嗣治展――東と西を結ぶ絵画』 府中市美術館

2016年11月30日 | 展覧会

【2016年11月30日】

 もちろん藤田嗣治の名前を知らないわけはないし、いくつか作品も見ている。ただ、その名前が比較的強く意識の底に残るようになったのは、松本俊介の絵に興味を持っていた時期からだ。
 松本俊介の絵を見、彼自身が書いた文章や彼の絵について書かれた著作などを読んでいて、松本俊介が「抵抗の画家」だと言う人たちがいることを知った。私自身は彼が抵抗の画家だということを否定したいわけではないが、そう断言するほどの根拠を見出せなかったし、そのような評価が彼の画業に加える価値も見出せなかった。そんな流れの話の中に、藤田嗣治は代表的な「戦争画家」の一人として登場してきたのである。
 『画家と写真家の見た戦争』(世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館)を見たときに、戦争画ないしは戦争画家について私なりの考えをブログにまとめてみた。そこでは、戦争画家と呼ばれる画家であれ、虚心坦懐にその作品をそのまま見ることに意味があるだろう、などということを書いた。藤田嗣治を戦争画家として強く意識していたときがあったが、そういう点では戦争画家という予見をある程度まで排除して作品を眺めることができるかもしれない、そうであってほしい。そんなことが東京に向かう新幹線の中で考えていたことだった。


《バラ》1922年、油彩/布、81.0×65.0cm、ユニマットグループ (『図録』p. 55)。

 静物画は数点しか展示されていなかったし、花に関しては《バラ》一点だけだ。美しい絵だが、不思議な絵でもある。多くの場合、バラはバラの花そのものの美しさがあって、それが画家の美意識を通過することでいっそう美しく描かれる。花々を描く絵についてなんとなくそんなふうに思っていたが、この絵は明らかに違う。
 園芸的な観点で言えば、描かれているバラは徒長気味で、葉と葉、葉と花の間が間延びしている。しかも、花や下葉の様子から言えば、枯れかけているか、水切れのように見える。
 実感としては、花瓶に無造作に投げ込まれたまま日がたって、もうそろそろ捨てなければと思う頃の様子が描かれていると思えるのだ。しかし、この絵を見た瞬間に美しい絵だと思ったのである。野の花を無造作に投げ入れて、企まざる美しさを表現する生け花の手法があるが、それに通ずるような企まざる構図の美しさがある。直線的な枝に、花の重みに耐えかねて半円を描いてしだれて交差する姿が美しい。
 《バラ》を見た一瞬の感動をこのように後付けてみたが、おそらくはモノトーンの背景もまた重要な役割を果たしているだろう。しばしば裸婦像に描かれる乳白色の背景に通ずるような花瓶の背後の白布(紙?)がもたらす効果がとても大切だと思いながら、どうにも言葉にできないのである。


【上】《パリ風景》1918年、油彩/布、84.0×103.5cm、東京国立近代美術館 (『図録』p. 47)。
【中】《マザリ-ヌ通り》1940年、油彩/布、24.3×31.2cm、個人像 (『図録』p. 128)。
【下】《パリ、カスタニャリ通り》1958年、油彩/布、53.8×81.3cm、個人像 (『図録』p. 170)。

 藤田の初期の風景画である《パリ風景》をとても興味深く眺めた理由は、ひとえにこの絵が松本俊介の描く市街風景(もちろん東京のだが)によく似た雰囲気を持っていると感じたためである。とくに松本の《議事堂のある風景》や《ごみ捨て場付近》(まったく同じ構図の《風景》もある)がもたらす情感に近いものがある。とくに後者の《風景》は、松本の代表作と見なされることが多い《立てる像》の背景にも用いられている絵だ。
 しかし、その後の藤田嗣治の風景画には似たような雰囲気の絵は少なく、《マザリ-ヌ通り》や《パリ、カスタニャリ通り》のような明るい感じの絵が多い。色調による情感よりも、構図の美しさに力点がおかれているように思える。


【上】《裸婦像 長い髪のユキ》1923年、油彩/布、84.0×103.5cm、ユニマットグループ
 (『図録』p. 63)。

【中】《横たわる裸婦》1927年、油彩/布、81.0×100.0cm、茨城県近代美術館 
(『図録』p. 74)。

【下】《夢》1954年、油彩/布、50.8×61.3cm、個人像 (『図録』p. 162)。

 藤田嗣治特有の乳白色の裸婦像だが、《横たわる裸婦》のような筋肉質の裸婦の肢体を見たことがない。描かれている女性は、《裸婦像 長い髪のユキ》と同じ人物で、雪のように白い肌を持つことから画家自身が「ユキ」というあだ名をつけたという三番目の夫人、リュシー・バドゥーだという。
 ふっくらと描かれた肢体から筋骨隆々たる女性像への変化は、当時藤田が男性の筋肉質の裸体を描く壁画に取り組んでいたためではないかと推測されている(『図録』p. 224)。画家は人間の肉体についての解剖学的知見が必要とされているが、裸婦像でそれが顕著に示されるのは珍しいのではないかと思う。
 しかし、《裸婦像 長い髪のユキ》と《横たわる裸婦》といういわば二つの極端を経た画家は、《夢》のような美しい裸婦像を描く。たんにふくよかな肉体でもなく、解剖学的な肉体の描写でもないが、均整の取れた美しい肉体が描かれている。真っ暗な背景からのぞいている動物たちの顔が女性の肢体の美しさを際立たせているようで、印象的な作品だった。


【左】《ベルギーの婦人》1908年、水彩、パステル/紙、61.0×44.5cm、個人像 (『図録』p. 110)。
【右】《小さな主婦》1956年、油彩/布、55.0×33.0cm、いづみ画廊 (『図録』p. 164)。

 人物画も多数展示されていたが、《ベルギーの婦人》は描かれた女性の品のよさそうな美しさに惹かれた。女性の繊細な描き方と、背景となっているタペストリーらしきものに描かれている文様の描き方はやや異なっている。描かれている文様は中国風の様々な吉祥文で、一見くどくどしいのだが、いわく言い難い雰囲気を醸し出している。
 背景が藤田特有の乳白色だったり、その逆に暗い背景だったとすれば、夫人の美しさはどんな風に変化するのだろう。そんな想像を楽しむことができる絵である。
 《小さな主婦》を見たとき、この少女は童話、ファンタジーの主人公のように見えた。手に持つのはパンとミルクで、タイトル通りに家庭の使いを果たしている姿である。しかし、背景の壁や石畳なども含めて画家が主眼としているのは「ノスタルジーとシックさ」(『図録』p. 164)と図録解説にある。
 藤田嗣治がパリの路上の少女に見たノスタルジーは、私にとってはファンタジーなのだというのが面白い。20年ほど前、ドイツの田舎道を歩いた時、村の家並が幼いころ童話の挿絵で見ていたような景色に思えて感動したことがある。遠い世界の景色が私の意識の奥底の何かに通底しているらしいという発見は楽しい。


《アッツ島玉砕》1943年、油彩/布、193.5×259.5cm、東京国立近代美術館 (『図録』p. 133)

 戦争画としては、《アッツ島玉砕》、《ソロモン海域に於ける米兵の末路》、《サイパン島同胞臣節を全うす》の三点が展示されていた。日本兵、米兵、日本の民間人と描かれる人間たちは異なっているが、いずれも戦争の悲惨さが描かれている。
 これらの絵は、タイトルを見なければ、戦争賛美か戦争反対か、必ずしも明確ではない。《アッツ島玉砕》は、戦いに敗れて無残な死をさらしている日本軍の姿である。「陸軍は当初、この作品を公開することを躊躇していたという話」(『図録』p. 133)が信じられるほど、無残で残酷なまでに玉砕した日本兵の累々たる屍が描かれている。
 いま、《アッツ島玉砕》を眺めていると、この絵が軍事体制翼賛、戦争賛美の絵というのは信じがたいほどである。しかし、この絵が1943年9月1日からの「決戦美術展」に展示されると、展示作品の前に賽銭箱が置かれ、手を合わせる人が後を絶たなかったという。それは死者を悼む哀切が、絵ないしは絵に描かれた兵士たちの「靖国化」へと変化したということだろう。
 この絵が国民大衆のなかに靖国化の感情を生み出した以上、これは明確に戦争翼賛画に違いないが、しかし、藤田嗣治が戦争翼賛画家であろうとも、現代の私たちはこの《アッツ島玉砕》を反戦平和のモニュメントとして現代によみがえらせる契機を持つこともできる。芸術作品は作者の意図を超えた意味を持つことはあるのだ。そう思うのである。

[1] 『生誕130年記念 藤田嗣治展――東と西を結ぶ絵画』図録(以下、『図録』)(中日新聞社、2016年)。



街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)

小野寺秀也のホームページ
ブリコラージュ@川内川前叢茅辺