かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『カラヴァッジョ展』 国立西洋美術館

2016年04月13日 | 展覧会

【2016年3月19日】

 まだ職業人であったころ、仕事で立ち寄る街では時間を作って美術館に行くというのが習いのようになっていた。そのほかに行くべき場所を思いつかなったという事情もあったのだが、そのようにして一度に大勢の画家の絵を見る機会があっても、記憶に残っている画家や絵というのは多くない。そんな中で、あちらで一点、こちらで二点というふうに見ていたカラヴァッジョの名前とその絵は、記憶に残っている数少ない例である。
 強い印象の画家ということもあって、書店や図書館でもカラヴァッジョについての本が目について、何冊か読む機会があった。美術展で絵を見る機会の前に、ささやかながら知識が先行する珍しい例になっている。現物を見る前に、かなり好悪の感情が生まれてしまっているのはあまりいいことではないのだが。
 3月1日から『カラヴァッジョ展』が始まると知ったのはずいぶん前だったが、何とか3月中に東京での仕事の機会に恵まれたので、そのついでという気楽な形で国立西洋美術館に出かけることができた。仙台から上野は新幹線ではあっという間だが、心理的にはけっこう遠いのである。たまに出る東京は、少しの仕事と美術館、それに首相官邸前での原発再稼働抗議行動などとけっこう忙しく時間を過ごすのである。


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《トカゲに噛まれる少年》1596-97年頃、
油彩/カンヴァス、65.8×52.3cm、フィレンツェ、ロベルト・ロンギ美術史財団 
(図録 [1]、p. 75)。


【左】ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《果物籠を持つ少年》1593-94年頃、油彩/カンヴァス、
70×67cm、ローマ、ボルゲーゼ美術館 (図録、p. 95)。

【右】ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《バッカス》1597-98年頃、油彩/カンヴァス、
95×85cm、フィレンツェ、ウフィツィ美術館 (図録、p. 99)。

 1571年に生まれ、1610年に38歳で死んだカラヴァッジョの画業の初期をどのあたりと見積もればいいのか難しいが、私の中では上に掲げた《トカゲに噛まれる少年》、《果物籠を持つ少年》、《バッカス》の三作品や、今回の展示から漏れていた《病めるバッカス(バッカスとしての自画像)》(ボルゲーゼ美術館蔵)、《リュート弾き》(エルミタージュ美術館蔵)など、ヘテロともホモともいわく言い難い中性的な少年像を描いた一連の作品群をカラヴァッジョの初期のものだと受け止めていた(図録解説にもそう記されていることを確認したが)。
 正直に言えば、カラヴァッジョ絵画の中でこのような少年像をどう眺めていいのか、私には戸惑いがあった。たしかに同性愛的な趣もあるのだが、ホモかヘテロかということよりも、モデルである少年に向けた他者愛なのか、それともモデルに仮託した自己愛なのかということで悩むのである。少年愛と自己愛とが混然と表現されているという解もありそうだが、それではこれらの作品から受ける私の印象(感情)を納得させることが難しい。
 《トカゲに噛まれる少年》は、トカゲに噛まれた瞬間の驚愕を切り取って見せた作品と評されているが、一方、少年の姿態は鏡に映した自身の姿をモデルとしたとも言われている。だからこそ、トカゲに噛まれて驚いた瞬間にもかかわらず少年は噛まれた指や噛んでいるトカゲを見ることなく画家(観者)の方を見ているのである。人間の行動としては不自然ではあるが、いわば、少年の驚愕の表情を見るトカゲの目と、少年とトカゲを同時に見ている第三者(画家または観者)の目をシンクロさせた表現であると考えることもできる。
 「イタリア美術史上のもっとも優れた静物画」 [2] と評される《果物籠》(アンブロジアーナ絵画館蔵)が唯一現存するカラヴァッジョの静物画であるが、《果物籠を持つ少年》の果物籠や《バッカス》の前に置かれた果物籠にその驚くべき描写力を見ることができる。その徹底したリアリズムは、《トカゲに噛まれる少年》の水の入ったカラフェに映る室内の描写にもみられる。


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《ナルキッソス》1599年頃、油彩/カンヴァス、
113.3×94cm、ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館 (図録、p. 79)。

 異性愛か同性愛か、自己愛か他者愛か(私には)判然としない作品とほぼ同時期に《ナルキッソス》が描かれていて、いくぶん不思議な気分に陥ってしまう。《ナルキッソス》こそ自己愛を前面に押し出して描かれるだろうと思ったのだったが、ここには上述の《バッカス》などの作品が喚起する性的な要素はほとんど見られない。
 《ナルキッソス》がもっぱら訴えるのは、絵画の構図がもたらす新鮮な驚きのようなものである。水面をのぞき込むナルキッソスの体と両手が描く半円と水面に映るくらい半円とがなす鏡面対象の構図がきわめて大胆な描写となっている。
 強いて言えば、自分自身の肉体と水面に映った影とが融合して完全円に向けて一体となってしまうこと、実体と影という不即不離の存在のありようを越えて一体化する姿に徹底した(完全な)自己愛を込めて描いたということかもしれない。


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《エマオの晩餐》1606年、油彩/カンヴァス、
141×175cm、ミラノ、ブレラ絵画館 (図録、p. 141)。

 カラヴァッジョは20世紀初頭にロベルト・ロンギによって「再発見」されたという。ロンギは、カラヴァッジョ絵画を「ルミニスム」、「地上のリアリズム」、「完璧なリアリティにおける視覚の具現化」としてとらえ、〈「フォトグラム」の創始者〉と名付けた [3]。ロンギの評はカラヴァッジョの画業全体に及ぶとはいえ、私にはとくに宗教画にその特質が顕われているように思える。
 反宗教改革運動によって強力なエネルギーを与えられたバロキスムの画家たちはじつに多くの宗教画を描いた。神の偶像化を否定するプロテスタントに対して、説諭のために聖書をことごとく絵画化させようとすることは、いわば聖性の俗化そのものに違いないが、バロックの画家たちはいかに聖性を描くかに苦心したはずだ。
 しかし、そうした画家たちの中で、カラヴァッジョの宗教画は極めて特異な位置を占めているように思える。「地上のリアリズム」、「完璧なリアリティにおける視覚の具現化」であることは、安易な聖性化を許さないということをも意味しているだろう。私は、カラヴァッジョの宗教画を「聖性なき聖性」として受け止めている。
 カラヴァッジョの宗教画に描かれる人々は、市井の人々が普通に身に付けている世俗の醜悪さそのものをも併せ持つリアルな実在性を付与されている。当たり前のことだが、信仰篤き人々がすべて美しい容貌を持つわけではないのだ。
 ロンギのカラヴァッジョ絵画評をもっとも典型的に顕わしている代表的な絵は《聖マタイの召命》(ローマ、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂蔵)だと思う。それを知った頃にはローマに行く機会がなくなってしまったので、いまだにその実物を見る機会がないのだが、図版によっても《聖マタイの召命》が「ルミニスム」、「地上のリアリズム」を表現し、「完璧なリアリティにおける視覚の具現化」に成功していて、「フォトグラム」の絵画そのものであることを理解することができる。
 《聖マタイの召命》ほど「ルミニスム」性は顕著ではないが、《エマオの晩餐》におけるカラヴァッジョ特有のリアリズムは《聖マタイの召命》に匹敵する。場面は、食事をしている人物がこの直後に消えてしまい、二人の弟子はそのときになって初めてその人が復活後のキリストであったことを知るというルカ書による。半ば幻視のシーンのリアリズムである。
 幻視のシーンといえば、これも今回の展示に含まれていない《ロレートの聖母》(ローマ、サンタゴスティーノ聖堂蔵)とグエルチーノの《ロレートの聖母を礼拝するシエナの聖ベルナルディーノと聖フランチェスコ》の比較は面白い。彫刻像であるロレートの聖母を礼拝する二人がグエルチーノでは聖者であり、カラヴァッジョでは貧しい身なりの巡礼の男女である。聖母もまた、グエルチーノでは天幕の下の立像の姿のままの母子像であるのに対し、カラヴァッジョではどこかの戸口に顕われたかのような聖母子というリアリティがある。


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《エッケ・ホモ》1605年頃、油彩/カンヴァス、
128×103cm、ジェノヴァ、ストラーダ・ヌオーヴァ美術館ビアンコ宮 (図録、p. 229)。

 「地上のリアリズム」、「完璧なリアリティにおける視覚の具現化」とロベルト・ロンギによって評され、私は「聖性なき聖性」として受け止めたカラヴァッジョのいくつかの作品の中にある共通する特徴が存在する。
 俗っぽさも醜さもリアルに描かれるカラヴァッジョの人物たちの中で、キリストだけは温和で美しい顔立ちで描かれているのだ。キリストだけを切り取ってしまえば「聖性なき聖性」と言えないのである。
 《エッケ・ホモ》は、荊冠で傷つけられ、鞭打たれたキリストを指してローマ総督ピラトが「この人を見よ」と言う場面である。この絵と並べられて展示されているチゴリの《エッケ・ホモ》には鞭打たれ傷ついたキリストの裸身が描かれているが、カラヴァッジョのキリストには鞭打たれた跡は描かれていない。キリストには「地上のリアリズム」、「完璧なリアリティにおける視覚の具現化」としての肉体の傷が描かれていない。不思議に思ってもいいのかもしれないが、しかし、なぜかすんなりと納得してしまう自分がいることのほうが不思議である。


【左】ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《煙草を吸う男》1646年、油彩/カンヴァス、70.8×61.5cm、
東京富士美術館 (図録、p. 161)。
【右】グエルチーノ(本名 ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ)《ゴリアテの首を持つダヴィデ》
1650年頃、油彩/カンヴァス、120.5×102cm、東京、国立西洋美術館 (図録、p. 179)。

 今回の展示には、カラヴァッジョ作品を核に多くのカラヴァジェスキの作品が含まれている。多くのカラヴァジェスキの作品の中からラ・トゥールの《煙草を吸う男》とグエルチーノの《ゴリアテの首を持つダヴィデ》を挙げておく。
 「ルミニスム」の画家、光と影の画家としてカラヴァッジョに対抗しうる一人がジョルジュ・ド・ラ・トゥールであろう。ラ・トゥールの代表的な作品としては《大工の聖ヨセフ》が挙げられるが、それは一本の蝋燭だけを光源として描かれた絵である。《煙草を吸う男》も同じ意匠の作品で、煙草の火だけを光源としている。遠目からみてラ・トゥールに違いないと確信できるきわめて特徴的な作品である。


ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《David with the Head of Goriath》1606年頃、
油彩/カンヴァス、90.5×116cm、ウィーン美術史美術館 [4]。

 これも今回の展示から漏れているが、カラヴァッジョには《ゴリアテの首を持つダヴィデ》と題する作品があって、私が以前に実物を見ることができた数少ないカラヴァッジョ作品の一つである。それとの対比でグエルチーノの《ゴリアテの首を持つダヴィデ》を興味深く眺めたのである。《ロレートの聖母》でもグエルチーノを引き合いに出したが、それは私がカラヴァッジョとグイド・レーニとグエルチーノをバロックを代表する三人と考えているということもあるが、実際の作品を『グエルチーノ展』でまとめて見ることができたというだけで、ほかに比較しうる画家をよく知らないということにもよる。
 カラヴァッジョの《ゴリアテの首を持つダヴィデ》には次のような評がある。

一六〇九-一〇年頃制作の《ダヴイデとゴリアテの首》は、宗教画に自画像を忍び込ませることに長けたカラヴァッジョのなかでも際立った一枚である。巨人ゴリアテの首をもつダヴィデが若き日のカラヴァッジョの肖像であれば、力無くどこかを見ているゴリアテの首は制作当時のカラヴァッジョの肖像である。自分で自分の首を搔き斬る斬首は、パスティーシュによる実験の末、作中人物は分裂しなければならないとのテーゼにまで至ったパゾリーニを彷佛させる。 [5] 

 殺す人間も殺される人間も自分であること、凄惨な神話に仮託する自己像という点において強烈な印象を残す作品である。そしてそこには、殺される自分の悲惨も殺した自分の勝利感も描かれていない。
 グエルチーノのダヴィデは胸に手を当て、天を仰いで、勝利を神に感謝している(あるいは報告している)姿で描かれ、ゴリアテはすでに死者の顔である。グエルチーノの表現は、神話を再現するという点において至極まともであって、じつのところ、印象が強烈であっても、カラヴァッジョが《David with the Head of Goriath》という主題の裏に隠したものは私にはまったく見えないのである。
 グエルチーノにはダヴィデに天の神に連なる聖性を込めようとする意図が見えるが、カラヴァッジョのダヴィデには「地上のリアリズム」だけがあって、作品は「リアリズムの神」に連なっていく「聖性なき聖性」を顕わしている、と私は受け取っておくのである。

 

[1] 『カラヴァッジョ展』図録(以下、『図録』)(国立西洋美術館、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社、2016年)。
[2] 宮下規久朗『もっと知りたい カラヴァッジョ 生涯と作品』(東京美術、2009年)p. 16。
[3] 岡田温司「カラヴァッジョ復活」、岡田温司編『カラヴァッジョ鑑』(人文書院、2001年)p. 12、p. 27。
[4] 『THE KUNSTHISTORISCHES MUSEUM IN VIENNA』(BONECHI VERLAG STYRIA, 1996)p. 66。 
[5] 石田美紀、土肥秀行「交差するふたつの眼差し」、岡田温司編『カラヴァッジョ鑑』(人文書院、2001年)p. 337。



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原発を詠む(31)――朝日歌壇・俳壇から(2016年3月28日~4月4日)

2016年04月04日 | 鑑賞

朝日新聞への投稿短歌・俳句で「原発」、「原爆」に関連して詠まれたものを抜き書きした。

 

五年目の節目といわれるその日にも防護服着た人七千人がイチエフに居る
             (福島市)加藤哲彰  (3/28 佐佐木幸綱、高野公彦選)

とりどりの花の種袋手に老兄(あに)は除染の後の土に蒔くとふ
             (福島市)美原棟子  (3/28 佐佐木幸綱選)

四十年以上は自信持てないと自分で止まる高浜原発
             (三鷹市)大谷トミ子  (3/28 高野公彦選)

ふたたびを異火(ことひ)焚くとやみちのくの大災いをゆめ忘れまじ
             (山陽小野田市)蘇怜耶  (3/28 高野公彦選)

菜を買えばキャベツ七五〇〇個を捨てた農夫の自死よみがえる
             (福島市)澤正宏  (3/28 馬場あき子選)

東京のくにたちに香る沈丁花福島のわが庭に濃から
             (国立市)半杭螢子  (4/4 永田和宏選)

帰れねぇいまさら解除といわれても口惜しいけれどもう帰れねぇ
             (会津若松市)赤城昭子  (4/4 永田和宏選)

沖縄に米軍基地をつくらせて傍観してをるフクシマの我
             (いわき市)馬目弘平  (4/4 永田和宏選)

帰りたいでも帰れない原発禍帰らぬと決め涙溢るる
             (前橋市)荻原大空  (4/4 佐佐木幸綱選)

味噌汁の湯気のとなりに汚染水タンクだらけの朝刊の写真
             (香川県)薮内眞由美  (4/4 佐佐木幸綱選)

原発は妖怪なれば石棺をシェルターで覆ふ百年黙るか
             (浜松市)松井惠  (4/4 佐佐木幸綱選)

漆黒の墓石のごとく立ち並びどこへも行けぬフレコンバッグ
             (前橋市)荻原葉月  (4/4 佐佐木幸綱選)

 

白寿翁被爆の郷(さと)の梅に逝く
             (相馬市)鹿又一武  (3/28 金子兜太選)

春を食(は)む被爆の牛よフクシマよ
             (三郷市)岡崎正宏  (4/4 金子兜太選)



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