かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『ノルマンディー展――近代風景画のはじまり』 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

2014年10月03日 | 展覧会

【2014年10月2日】

 ノルマンディーと聞いて、映画で見た第二次世界大戦での連合軍のノルマンディー上陸作戦しか思い起こせないのは私の教養ではしかたないが、それにしても「ノルマンディーの風景画」という括りでこれだけの作品群が集まるのはいかにフランス絵画の世界といえども驚きである。
 美術展は、ターナーを初めとする19世紀初頭のイギリス絵画との交流から展示が始められている。 パリを流れるセーヌ川が西流してノルマンディーで太平洋に流れ込む。そのため、ノルマンディーは古くからイギリスとの交流が盛んだったのだという。とはいえ、展示の主力は、やはり印象派の時代である。地元の画家に加え、モネ、ドービニー、クールベなどの作品が並んでいる。 

 綺羅のような作品群の中でもとくに気になった(気にいった)画家がいた。印象派そのものという絵を描いたウジェーヌ・ブーダンである。図録 [1] の作家解説には、次のように記載されている(以下、カッコ書のページは図録のページである)。

BOUDIN, Eugene
1824(オンフルール)—1898(ドーヴィル)

印象派の先駆者のひとり。モネに屋外制作を勧めたことで知られる。
ル・アーヴルとオンフルールの渡し舟の船長の子として生まれる。画材屋で働いているとき、ミレーやトロワイヨンと出会い、勧めもあってパリに出るが、ルーヴル美術館で模写をするなどほとんど独学で絵を学ぶ。その後、ノルマンディーに戻り、生涯、ル・アーヴルやオンフルール、トゥルーヴィル、ド一ヴィルなどの海岸の風景を描く。むしろノルマンディ一を訪れたC.コロ一、G.クールべ、J.B.ヨンキント、そしてモネなどと親しく交わり、フランス初期風景画の成立に大きな足跡を残した。第1回印象派展に参加。海岸に浮かぶ空を描いたブーダンのことを、コロ一は「空の王者」と呼んだ。 (p.138)

 ノルマンディーで生まれ、ノルマンディーで絵を描き続けた「空の王者」の空を見るのである。

ウジェーヌ・ブーダン《川沿いの牛の群れ》油彩、カンヴァス、32×46.5cm、
ル・アーブル、アンドレ・マルロー美術館(p. 49)。

 牛や羊のいるトロワイヨンの写実的な風景画の後に、ブーダンの牛の群れを描いた絵が3点展示されていた。なかでもこの《川沿いの牛の群れ》がもっとも荒く大胆な筆致で描かれていた。動き出しそうな雲も素晴らしいが、牛の斑模様が印象的なのは、この筆遣いがあってのことだろう。

ウジェーヌ・ブーダン《オンフルール近郊、ル・プードルー》1870-73年頃、油彩、カンヴァス、32×46.5cm、
個人蔵(p. 59)。

 《川沿いの牛の群れ》に比べれば、明らかに細やかなタッチの絵だが、《オンフルール近郊、ル・プードルー》は空と水の明るさと岸辺の暗い色彩が際立った対照をなしていて、雲の多い空が眩しく見えてしまう。左上にわずかに覗く青空だが、全天に拡がる雲の背後の青空を想起させる。

ウジェーヌ・ブーダン《トゥルーヴィル、雲の浮かぶ大空》1894-97年頃、油彩、カンヴァス、59.5×81.5cm、
ル・アーブル、アンドレ・マルロー美術館(p.62)。

 隣にほとんど《トゥルーヴィル、雲の浮かぶ大空》と同じ構図の《満潮》という絵が展示されていた。はるかに細やかな筆致で描かれた《満潮》と比べると、私としては《トゥルーヴィル、雲の浮かぶ大空》の方に惹かれる。
 正直なところ、「なんでこんなに急ぐのだろう」とか「けっこう乱暴だなぁ」とも思うのだが、どうも私は、荒っぽさの中に浮かび上がってくるリアリティが、写実的なリアリティよりも良質のように感じてしまうらしい。

ウジェーヌ・ブーダン《トゥルーヴィルの海岸にて》1880-85年頃、油彩、板、13.3×26.5cm、
サンリス美術考古博物館(p.71)。

 《トゥルーヴィルの海岸にて》は、海辺に集う人びとを描いているのだが、空と砂地のねっとりとした描き方が、ブーダンの他の作品と異なっているように感じられて私の目を惹いたのだ。もちろんそれは、とても小さな作品のために筆致による微分的な光りの効果が出にくいせいだろうと思う。いわば単なるサイズ効果だと言ってしまえば簡単なのだが、画家自身はいったいどのようにそれを受け止めるものなのだろうか、とそんなことを考えてしまった絵である。

ウジェーヌ・ブーダン《ル・アーヴル、ウール停泊地》1885年、油彩、カンヴァス、65×90cm、
エヴルー美術博物館(p.81)。

 この美術展で展示されていたブーダンの全ての絵の中では、この《ル・アーヴル、ウール停泊地》が1番である。夕日が雲で反照される様子や、波立ちのきらめきの色合いまで、ブーダンの筆遣いのもっとも良質な効果が現われているようだ。海面に映る船の影は、夕日が反照しない翳りでもあって、船の存在と光の非在という対照のように感じられる。
 ほんとうに好もしい絵である。

 後半に「自立する色彩:ポスト印象主義からフォーヴィズムへ」という展示コーナーがあった。ロベール・パンションやジョルジュ・ブラック、フェリックス・ヴァロットンまで並ぶ興味深いコーナーだ。

ロベール・パンション《大型ヨットの停泊する港》1905年頃、油彩、カンヴァス、38×55cm、
個人蔵(p. 101)。

 パンションの《大型ヨットの停泊する港》は、筆致も色彩も印象派より大胆だが、とてもシックな印象を受ける絵だ。とくに船の背後の茫洋とした感じが何ともいえない。木々、草地、船、船の前景としての海、船の背後の遠景それぞれが意図的に描き分けられているような感じも受ける。

ロベール・パンション《ルーアン近郊、ベルブフの丘》1909-10年頃、油彩、カンヴァス、65×81cm、
個人蔵(p. 101)。

 パンションの絵はいくつか並んでいたが、フォーヴィズム的な要素の強い作品の中では《ルーアン近郊、ベルブフの丘》がお気に入りである。
 木々や白雲の影は明瞭に水に映っているのに、背後の鮮明な黄色、黄橙色の畑の色は水面にはかすかに反映しているだけである。それがかえって、川と陸地の色彩の対照を際立たせている。

アンリ・ド・サン=デリ《オンフルールの市場》油彩、カンヴァス、81×65cm、
ル・アーブル、アンドレ・マルロー美術館(p.111)。

 サン=デリの《オンフルールの市場》は、大胆かつ明瞭なフォーヴィズム的な色遣いの作品だ。明るくて、気持ちがよくて、快適で……そんな印象である。アンリ・ド・サン=デリの画業をよく知らないのだが、雲の形に図案化の兆しもあって、この先どのような絵を描くのだろうと興味がわく画家だ。

 最後のコーナーは、「ラウル・デュフィ:セーヌ河口に愛着を持ち続けた画家」と題して、デュフィの作品展示に充てられている。

ラウル・デュフィ《サン=タドレスで水浴する女性》1935年頃、油彩、カンヴァス、65×54cm、
ル・アーブル、アンドレ・マルロー美術館(p.121)。

 デュフィらしいデザイン化された波が漂うセーヌ河口の風景画が並べられていたが、私にとってはもっとも風景画から遠い《サン=タドレスで水浴する女性》がお気に入りである。透明感に溢れた人物像が好きなのだ(ただし、線描だけの男性像が好きなわけではない)。デュフィの青と赤の使い方にいつでも惹かれる。あえて言えば、デュフィの図案化された波や屋根は好きではない。

 風景画の美術展なのに、最後は風景画らしからぬ風景画で終ったが、風景画をしこたま堪能した後なので何の不満もない。


[1] 『ノルマンディー展 近代風景画の始まり』(以下、『図録』)(「ノルマンディー展 近代風景画の始まり」カタログ委員会、2014年)。


『ロイヤル・アカデミー展』 東京富士美術館

2014年10月02日 | 展覧会

【2014年10月1日】

 一昨日、『オルセー美術館展』を見た。展示の主力はマネ以降の印象派の画家たちである。彼らのほとんどは、アカデミーや政府が牛耳るサロンの落選者たちで、いわばアカデミーの芸術観に反発する形で、落選者たちの展覧会として印象派の活動が始まったのである。 ところが、今日は、国は違うけれど、その反対側のアカデミーの美術展である。イギリスのロイヤル・アカデミーが創設された1768年から1918年までの収集作品の展覧会である。偶然とはいえ、アカデミーに庇護された芸術とそれに反発した芸術、その双方を続けて見ることができるというのは、とても面白い経験ではある。

 マリアン・スティーヴンズが図録 [1] に「ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ」という一文を書いていて、ロイヤル・アカデミーの果たした歴史的意味を次のように述べている(以下、カッコ書のページは図録からの引用を示す)。

1760年代後半にロイヤル・アカデミーが創設されたことは、イギリス美術の発展において重大な時機となった。それ以前は国家や教会からの後援はなく、いくつかの例外を除けば宗教的作品や大規模な世俗作品、とりわけエリート支配階級の国家的価値観を称揚するような大規模な物語絵画(従来の訳では歴史画)に対する要求はほとんどなかった。むしろ芸術制作は君主にしろ、貴族や増大する富裕な中流階級の一員にしろ、個人のパトロンによって支配され、彼らは肖像画や自らの地所の記録や静物画を注文していた。ロイヤル・アカデミーはこの不均衡な関係にあからさまな抗議を申し立てた。パトロンではなく芸術家が作品を選び、その作品の芸術的な質をロイヤル・アカデミー会員からなる審査員団が保証するような公の展覧会を組織することによって、芸術家はパトロンからの独立を宣言し、職人から自立した専門家へと自らの地位を高めていった。 (p.15)

 芸術家の集団の公的(国家的支援を受けた)組織としてのアカデミーは、芸住家の社会的な自立をもたらした。一方で、芸術は集団的同意があれば優れたものだと認定されるような性質のものではないことから、アカデミーの存在は新しい芸術創造には抑圧機構として働くという歴史的役割を果たすようになる。いわば、アカデミーはそのような歴史的宿命をもってしまう。
 河村錠一郎は、「ロイヤル・アカデミーの多相性」と題する論文 (p. 48) で、アカデミーに対してなされた批判やその経緯を紹介している。よく知られた「ラファエル前派」の活動もまた、アカデミーに反発する形でなされたのであった。ただし、ラファエル前派の主要な一人であるジョン・エヴァレット・ミレイは、後年アカデミーの会長になっている。歴史は単純には進まないということだ。
 この美術展では、じつに多くの画家たちの絵が展示されているが、私がかろうじて知っている名前は、ターナー、カンスタブル、ミレイくらいである。正直に言えば、ヨーロッパの美術館でしこたま見せられるような作品が多かった。つまり、ギリシャ・ローマ神話も聖書の説話も、その世界と登場人物はすべて事実、実在と信じられていた時代に、いかにそれを忠実に描くかに腐心したような絵画が多いのである。それこそ、伝統あるいは評価済みの価値を大事にするアカデミーらしさというべきかもしれないが。

 たくさんの展示作品の中から、お気に入りをいくつかピックアップしたが、そのどれもが「ディプロマ作品」と紹介されている。いかにもアカデミーそのものらしいのだが、ディプロマ作品についても、スティーヴンズの解説がある。

アカデミーの新会員は同僚会員によって選出されねばならず、さらに「そこに留まるためには、ロイヤル・アカデミーに絵画、浅浮き彫り、その他自らの能力を示す見本」を委託し、「その時着任しているアカデミー評議会に承認される」必要があった。新会員は承認を得ると同時に君主が署名した認定状を受け取り、氏名の後ろに「RA」の頭文字をつける資格が与えられた。この慣例ゆえに、このような提出作品は「ディプロマ・ワーク」と呼ばれるようになった。 (p. 15)

デイヴィッド・ウィルキー《ネズミ探しで穴を掘る少年たち》1812年、油彩・ボード、
36.4×30.4cm、ディプロマ作品(p. 89)。

 《ネズミ探しで穴を掘る少年たち》は、その時代の庶民の風俗を描いたものだ。ブリューゲルやヤン・ステーン、ワルトミューラーなどが描く農民、庶民の暮らしぶりを描く絵が私のお気に入りのひとつで、それに連なる絵でとても興味深く感じながら(面白いし、たのしいなぁと思いながら)見た絵である。

エドウィン・ランシア《忠実な猟犬》1830年頃、油彩・カンヴァス、68.4×91.2cm、
ディプロマ作品(図録、p. 97)。

 これはもう、犬好きの私にはたまらない。芸術作品としてどうとかという問題ではない。私の中では、もっとも哀切な情景である。美術館の中でなければ涙が流れだしてしまいそうな絵である。犬が犬であることのもっとも本質的な性質は、いつの時代にあってもどのような人間が観察しても変わらない。これは忠誠だろうか、愛情だろうか。
 強いて言えば、死んだ主人の姿勢がどことなく不自然な感じがする、というくらいか。

ジョン・エヴァレット・ミレイ《ベラスケスの思い出》1868年、油彩・カンヴァス、
102.7×82.4cm、ディプロマ作品(図録、p. 113)。

 《ベラスケスの思い出》は、あの有名な《オフィーリア》を描いたミレイの作品である。ベラスケスにはスペイン王女マルガレータを描いた絵がいくつかある。当時のスペインにとって政治的脅威であったフランスに対抗するため、マルガレータ王女は幼くしてハプスブルク家の神聖ローマ皇帝レオポルト1世との政略的婚姻が定められていた。ベラスケスの絵は、いわばウイーンのハプスブルク家に贈られる見合い写真のような意味合いで描かれたのだという。
 そのベラスケスのマルガレータ像から着想を得て描かれたミレイのマルガレータは、いっそう華やかで、当然のことながらベラスケスの王女像とは明確に異なる。さらに、その描き方は、自らの《オフィーリア》とも異なるようだ。作品解説はこうである。

……この作品での表現主義的な筆致と自由なカラーリングは、彼の初期ラファエル前派時代の、抑制のきいた自然主義とは対照的である。……この作品が持つ回想的な雰囲気への好みは、当時生まれつつあった唯美主義運動と呼応している。 (p. 112)

アーネスト・アルバート・ウォーターロウ《ロワン川のほとり》1903年、油彩・カンヴァス、
92.4×67.2cm、ディプロマ作品(p. 123)。

 《ロワン川のほとり》は、空と並木で縦に二分された上部空間と陸地と川に分かれる下部空間のバランスをとても魅力的に感じた絵だ。とくに左上部で、並木の先が切れているのが、見る側のこちらまで高い並木が連なっていることを実感させるのに効果的に思える。
 構図はさておき、いい風景である。風景自身が醸し出す一般的(普遍的)な美しさと、画家が描き出す美しさが相俟って風景画はいっそう美しくなる。ただ単に写実的でも、反対に画家の個性が強すぎてもいけないのだ(たぶん)。

ジョージ・クラウセン《古い納屋の中》1908年、油彩・カンヴァス、91.6×76.6cm、
ディプロマ作品(図録、p. 132)。

 《古い納屋の中》は、農民の暮らしの一風景という要素がないでもないが、何よりも惹かれたのは、納屋の内部の木材で組み立てられた骨格そのものである。日本のかつての農家の住居も納屋もまた、自然木の形態を活かす形で建てられていた。そして、同じように、戸口から陽が差すと明るく輝く内部と暗い闇のままに残る内部とがくっきりと顕われるのだ。自然光の中では、光と闇とはともにくっきりとした存在としてあった。
 手前の闇、屋根までの細部を照らす戸口からの陽光、そしてふたたび奥の翳り。面白いことにそのどこにも人物が配されているのである。光の中でも、闇の中でも人は暮らすのであることを意味しているように。

スタナップ・フォーヴズ《港に面した窓辺》1910年、油彩・カンヴァス、112.5×86.7cm、
ディプロマ作品(図録、p. 136)。

 《港に面した窓辺》は、心落ち着いて眺められる良品だと思う。室内で手仕事をする女性像はフェルメールも多く描いているが、窓から差し込む光が絵画的な効果を強くもたらし、背後の物語を暗示する女性の仕草などというのはここにはない。ドラマ性、物語性というのは魅惑的であると同時に、刺激的でもあって、時には疲れることもあるのだ。
 この絵は、さりげなさが魅力だ。凡庸かもしれないが、窓から景色は見えるものだという私(たち)の感覚をそのまま受容してくれているようで好感を持ってしまう。そういう絵だ。

 伝統とか格式などというものにあまり縁がない私であっても、ロイヤル・アカデミーの作品群をとくに重苦しいなどと感じるわけではない。むしろ、ある種の断絶感があって、かえって気楽に鑑賞できたような気がする。そして、その作品群の中にいくらでもお気に入りを見つけられたのだった。


[1] 『ロイヤル・アカデミー展』(以下、『図録』)(東京新聞、2014年)。