かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『ポンピドゥー・センター傑作展』 東京都美術館

2016年07月13日 | 展覧会

【2016年6月29日】

 「ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで」という副題があって、総花的で主題が見えない美術展の可能性もないではない、などと思いながら新幹線に乗って出かけた。「二十世紀芸術全体が主題」などと言われようものなら、私のような人間は困惑するだけである。
 しかし、臆病者の心配はどこへやら、とても面白い展示の美術展だった。1906年のラウル・デュフィの《旗で飾られた通り》から1977年のレンゾ・ピアノ、リチャード・ロジャースの《パリ、ポンピドゥー・センターのスタディ模型》まで、1年に1作品だけを当てて選んだ作品が展示されていた。図録 [1] の目次に相当する「年表/Chronology」には作品発表年の重要な歴史的事象が3~6項目ずつ書き添えられていて、おのずとこの展示手法が目論む主題を暗示する仕掛けになっている。

 展示はいきなり(私にはそう感じられた)デュフィ《旗で飾られた通り》から始まり、ブラック《レック湾》と続く。美術展を見て、印象深い作品をいくつか取り上げ、感想をブログに書き留めておく。そんな作業を行っている身には印象深い作品が多くなりすぎる予感がして、先行き不安になるような感じでこの美術展は始まったのである。
 例えば、デュフィは一昨年開催された『デュフィ展』(2014年2月、Bunkamuraザ・ミュージアム) [2] を見る機会があったので取り上げないことにする。このように「取り上げない作品」を選ぶというネガティヴな作業は美術展鑑賞としては本末転倒だが、それだけ興味深い作品が続くということで気分は十分に楽しいのである。


モーリス・ド・ヴラマンク《川岸》1909-1910年頃、油彩/カンヴァス、81×100cm (図録、p. 33)。

 ヴラマンクの《川岸》はフォーヴィスムらしい大胆な筆致で暗い川岸が描かれているが、なによりも私が惹かれたのは、川面の青白い輝きだった。夕暮れ時の風景を描いた作品らしいが、全体を暗い色彩で描いているせいか、暮れ残る空の一部の明るさや水面の輝きが際立って見える作品である。


マルク・シャガール《ワイングラスを掲げる二人の肖像》1817-1718年、
油彩/カンヴァス、235×137cm (図録、p. 51)。

 デュフィのように個人展を見た画家作品は取り上げないようにしようという決意をあっさりと反故にしたのは、シャガールの《ワイングラスを掲げる二人の肖像》である。三年前だが『シャガール展』(2013年9月、宮城県美術館)[3] を見ているのだ。もうこの後は選びたいものを選ぶといういつものスタイルに復帰するしかないのだった。
 男女二人に花や馬、家々のある背景という構図はシャガールには珍しくないのだが、自らの結婚を喜ぶ画家の有頂天のありようがまざまざと表現されていて顔がほころんでしまうような作品である。いかにうれしいとはいえ、花嫁の肩に男性である花婿が乗ってしまう(かつがれる)というのはやりすぎだろうと茶化して見たくなるような作品で、こんな作品の味わい方は珍しく、そして楽しい。


ヴィクトール・ブラウネル《無題》1938年、油彩/厚紙、
16×22.1cm (図録、p. 97)。

 小品だが、ブラウネルの《無題》に惹きつけられた。近眼で老眼の身には、まだ細部がよくわからないうちに思い浮かべたのは、ルオーの《エクソドゥス》[4] や《避難する人たち(エクソドゥス)》[5] という作品であった。
 大きく描かれた人物から受ける印象は「不安定」ないしは「不安」感である。背景には何がしかの建築物も描かれているが、全体は荒野のようにものさびれた雰囲気がする。小さくえがかれた背景の人物は歩いているのか走っているのか判然としないが、手を振りながら去ろうとしている。
 ルオーは現代のエクソドゥスを描こうとしたのだと私は思っているのだが、ブラウネルもまた、現代人の不安と異世界への逃亡、脱出への望みを描いているというのは、私の勝手な解釈にすぎないのだろうか……


アンリ・ヴァランシ《ピンクの交響曲》1946年、油彩/カンヴァス、97×130.5cm (図録、p.113)。

 1945年、ヨーロッパでもアジアでも大戦が終わった。この年の展示は「空白」である。1945年はどの年代に属しているのか、という問いかけかもしれない。なにも展示されていない空間にエディット・ピアフの「バラ色の人生」が耳の衰えた私には聞き取りにくいほどの静かな音で流れていた。
 何もない1945年展示から移動するとアンリ・ヴァランシの《ピンクの交響曲》が目の前に現れる。「バラ色の人生」から戦後平和の「バラ色の時代」への変化なのかと思ってしまうような色彩である。バラ色に光り輝く世界はリズムに満ち溢れ、躍動している。これを戦後平和に結びつけるのは強引だと思うが、1945年、1946年となにかとても象徴的な展示(あるいは非展示)である。


ジル・キャロン《サン=ジャック通りで舗石を投げる人、
1968年5月6日》1968年、ヴィンテージ・ゼラチン・シルバー・プリント、
30×20cm (図録、p. 163)。

 1968年はカルチェ・ラタンの一シーンの写真である。日本の1968年は日本の識者にはあまり評価されていないが、ヨーロッパの1968年はヨーロッパの多くの思想家たちが重要な政治的かつ思想的「事件」(ジジェク風に表現すれば)として取り上げている。
 あの時代、友人たちと生きた時代を思い出していくぶん感傷的になってしまうが、あれから会うこともなくなった友人たちへのオマージュ代わりに取り上げておく気になった写真作品である。
 あの空中を飛んでいる敷石の破片はいったいどこに落ちたのだろう。パリと東京では石の落ちる先ははっきりと異なってはいた。それは知っている。


オーレリ-・ヌムール《白い騎士》1972年、油彩/カンヴァス、
150×150cm (図録、p. 171)。

 三つの矩形と三色だけである。マーク・ロスコの「マルチフォーム」[6] を思わせて、さらにいっそうシンプルである。造形芸術は想世界ばかりではなく表象技術においても高度化しながら複雑な表現を獲得していくだろうが、それとまったく同じように高度化された表象思念が表現の単純化の方向にも働いていくことをロスコ作品やこの《白い騎士》などが明瞭に示している。
 いかにシンプルな表象世界といえども、発見され尽くし、拓かれ尽くすということはない。芸術の表現世界は無辺だということを、このような単純極まりない構図の作品によって思い知らされるのである。


【上】セラフィーヌ・ルイ《楽園の樹》1929年、油彩/カンヴァス、195×130cm (図録、p. 75)。
【中】フルリ=ジョセフ・クレパン《寺院》1941年、油彩/カンヴァス、54×71cm (図録、p. 103)。
【下】ジャン・デュビュッフェ《騒がしい風景》1973年、塗料/樹脂積層板、241×372×3.2cm 
(図録、p. 173)。

 芸術の世界が広大無辺だということを圧倒的な事実で私が知ることになったのはアール・ブリュットの作品群に出合った時であった。
 セラフィーヌ・ルイの《楽園の樹》をひとめ見たとき、これはアール・ブリュット作品だと思ったのはあながち間違いではなかった。セラフィーヌ・ルイは、羊飼い、修道院の住み込み、家政婦などとして働き、絵は完全に独学で、この作品を描いた三年後に精神に異常をきたし入院した(図録、p. 195)という。
 厳密に言えば、アール・ブリュットというよりアンリ・ルソーに連なる「素朴派」[7] と呼ぶべきかもしれない。しかし、極小な具象細部へのこだわり、その極小細部の気の遠くなるような繰り返しや緻密な配列で一度は脱構造化された全体を構成するという画法は、アール・ブリュットと共通する。
 《寺院》を描いたフルリ=ジョセフ・クレパンは、《無題》という作品が小出由紀子の『アール・ブリュット パッション・アンド・アクション』[8] に紹介されていた画家である。《寺院》とほとんど同じ構図で、華麗で荘厳な教会建築物が描かれ、その上空には複数の「浮遊する魂」(図録、 p.200)が並んでいる。先の《無題》という作品に接したとき、私は天空に描かれた顔を「浮遊する魂」としてではなく世界を見下ろしている神々として受け取り、アルビノ・ブラスの《無題》という作品と合わせて次のように書いたことがある。

 人間の原初的な感覚から始まる宗教感情というものがあるだろう、神話を生みだす感情と精神が。アルビノ・ブラスの絵も、フルリ=ジョセフ・クレパンの絵も、原初的な感覚をはるかに越えて、世界を包みこむ神話空間を構成しているようにさえ感じる。
 象徴化された世界と、花も蝶も鳥も生みだす女神としての女性、あるいは、人間たちの生活空間を高みから見下ろしている視線たち。世界はそんなふうに構成されているのだ、と言わんばかりである。

 最後に、「アール・ブリュット」の発見者、名付け親として多くの作品を世界に紹介したジャン・デュビュッフェの功績に多大な敬意を表しつつ、彼の《騒がしい風景》を挙げておく。デュビュッフェらしくアウトサイダーズをインサイダーズの世界に重ね合わせるかのような作品である。
 この三作品は、1929年、41年、73年と1945年をまたいで製作されている。人間は時代を越えて生きることはできないが、時代を越えて通底する原初的な想世界を精神の奥底に抱えていることを示していて考えさせられる。


[1] 『ポンピドゥー・センター傑作展 ―ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで―』図録(以下、『図録』)(朝日新聞社、2016年)。
[2] 『デュフィ展』(中日新聞社、2014年)
[3] 『シャガール展』(北海道新聞社、2013年)
[4] 『ジョルジュ・ルオー展――内なる光を求めて』(出光美術館、昭和27年)p. 21。
[5] 『モローとルオー――聖なるものの継承と変容』(淡交社、2013年) p. 175。
[6] 川村記念美術館監修『マーク・ロスコ』(みすず書房、2009年)
[7] 遠藤望、加藤絢編著『アンリ・ルソーから始まる ―素朴派とアウトサイダーズの世界』世田谷美術館、2013年)
[8] 小出由紀子(編著)『アール・ブリュット パッション・アンド・アクション』(求龍堂、2008年)



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『メアリー・カサット展』 横浜美術館

2016年07月08日 | 展覧会

【2016年6月28日】

 メアリー・カサット、どこかで聞いたような画家の名前だが判然としない。アメリカ生まれの印象派の画家ということに惹かれて横浜まで出かけた。
 仙台から出ていくと東京を越えるというのは心理的に微妙なバリアがある。上野で乗り換え、東京で乗り換えるというずっと若いころの記憶が身に染みているらしい。それでも、二度目の横浜美術館である。一度目はJRを桜木町で降りて美術館まで歩いたが、今回は横浜でみなとみらい線の乗り換えるとずっと便利だという知恵もついた。


《バルコニーにて》1873年、油彩/カンヴァス、101.0×54.6cm、
フィラデルフィア美術館 (図録 [1]、p. 27)。

 会場に入って最初に眼に映ったのが《バルコニーにて》という作品で少し驚いた。印象派だというのに、半年ほど前の『プラド美術館展』 [2] の会場に入ったような印象だ。
 作品解説には、カサットは6ヶ月間スペイン、セビーリャに滞在し、プラド美術館を訪れた際にムリーリョの絵画に魅了されたと記されている(図録、p. 26)。『プラド美術館展』ではムリーリョ作品は宗教画ばかりで、風俗画に近い《バルコニーにて》とは主題が大きく異なっているが、人物も描法もスペイン画の息吹を強く感じる。
 画家が初期から盛期、晩期へと大きく変容を遂げるのは個展ではしばしば見られることだがが、《バルコニーにて》を見て、印象派の画家、メアリー・カサットへの期待感の質が微妙に変化したのは確かだ。


《桟敷席にて》1878年、油彩/カンヴァス、81.3×66.0cm、
ボストン美術館 (p. 43)。

 《桟敷席にて》は、「印象派との出会い」と題されたコーナーに展示されていた作品である。この絵を見た瞬間に感じたのは、ここにはえエドゥアール・マネがいるということだった。その場ではどこがどんな風にマネなのかまったく思い浮かばなかったのだが、帰宅してマネの画集を引っ張り出して頁を繰ったら、《黒い帽子のベルト・モリゾ》に描かれた肖像画の婦人(モリゾ)とオペラグラスを持つ婦人が似ているのだった。あるいは、《フォリ・ベルジェールの酒場の女》の黒い帽子を被った女性にも似ている。
 解説には《桟敷席にて》は《オペラ座の黒衣の婦人》と題されることもあったと記されている(図録、p. 42)が、決して服装が似ているというだけではない。女性の描き方が似ていると思うのである。ミシェル・フーコーがエドゥアール・マネを「クヮトロチェント以来の西洋絵画において基礎をなしていたもののすべてをひっくり返し」、「二十世紀絵画の始まりの一人」 [3] と評した際に取り上げた《給仕する女》や《フォリ・ベルジェールのバー》に描かれた女性(けっして黒い帽子は被っていない)にも共通した印象がある。


《髪を結う若い娘(No. 2)》1889年頃、ドライポイント(3/3ステート)、
25.8×18.3cm、アメリカ議会図書館 (p. 55)。

 カサット作品には圧倒的に女性像が多いが、《髪を結う若い娘(No. 2)》は素描に近い小品のドライポイントの作品である。あらゆる装飾を外して純粋に髪を結う仕草、上半身の姿態のみを描いていて、とても好もしい作品になっている(素描好きの私にとってという意味だが)。
 髪を結うという動きをする肉体の美しさという一点のみを抜き出して描かれ、それ以外は空白として残されている。その何もない空白こそがその作品が生み出すものの余剰と思われ、私のような受け手の情感を豊かにしてくれるような気がするのである。


【左】《化粧台の前のデニス》1908-09年頃、油彩/カンヴァス、83.5×68.9cm、
メトロポリタン美術館 (p. 87)。

【右】喜多川歌麿《高嶋おひさ 合わせ鏡》1795年頃、木版、34.9×25.1cm、
メトロポリタン美術館 (p. 101)。

 「新しい表現、新しい女性」というコーナーに「ジャポニズム」という小コーナーが含まれていて、そこに展示されていた《湯あみ(たらい)》という作品を見て、メアリー・カサット作品を見たことがあったという事実をやっと思い出した。『ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展』(2014年6月、世田谷美術館)で《湯あみ》として展示され、喜多川歌麿の錦絵《(母子図 たらい遊)》から主題や構図をとっていると紹介されていた作品 [4] だった。
 《化粧台の前のデニス》もまた、喜多川歌麿の《高嶋おひさ 合わせ鏡》と同じ主題、似た構図の作品であるが、扇子や和服を配してジャポニズムだと称する作品に比べれば、主題も構図もとても好もしいカサット作品そのものになりえている。


【左】ベルト・モリゾ《バラ色の服の少女》1888年、パステル/カンヴァス、81.5×51.3cm、
東京富士美術館 (p. 81)。

【右】マリー・ブラックモン《お茶の時間》1880年、油彩/カンヴァス、81.5×61.5cm、
プティ・パレ美術館 (p. 82)。

 上に挙げた《桟敷席にて》に描かれた婦人がマネの描いたベルト・モリゾ像に似ていると書いたが、そのモリゾ作品が同時代の女性画家に一人として《バラ色の服の少女》など数点展示されていた。
 《バラ色の服の少女》は、モリゾ作品らしくとても柔らかで淡々しい印象の作品だが、ブラックモンの作品は点描ながら主題がくっきりと描かれている。暗い木々を背景とした女性の淡いピンク色の顔が印象的な作品である。東洋人である私にはいくぶんドキッとするような印象である。


《果実をとろうとする子ども》1893年、油彩/カンヴァス、100.3×65.4cm、
ヴァージニア美術館 (p. 107)。

 モリゾやブラックモンの女性像と対比させる作品として多くの母子像の中から《果実をとろうとする子ども》を選んでみた(母親の衣服がモリゾ作品を思わせ、濃色でしっかりと描かれた背景がブラックモン作品を思わせるという理由だけだが)。
 西洋絵画では無数の聖母子像、聖マリアと幼子イエスが描かれてきた。例えば、最近開催された『ボッティチェリ展』(2016年1月) [5] では、あたかもフィリッポ・リッピ、サンドロ・ボッティチェリ、フィリピーノ・リッピの聖母子像の競作展の趣ですらあった。カサットの母子像は、そのような聖母子を描いた絵画の系譜につながるものだろう。聖母子像が多く描かれ、受容されてきたのは、その聖性、宗教性によるばかりではなく、宗教性を離れてもそこに明確に描かれている母親と子の深い情愛や堅固な結びつきへの強いシンパシーが生まれるために違いない。
 《果実をとろうとする子ども》は、たとえばグエルチーノの《聖母子と雀》 [6] のように母子そろってある対象を見つめるというしばしば見られる構図がとられている。この構図は、世界に目覚め、成長していく子とそれに寄り添う母親の姿が象徴されているだろう。


《母の愛撫》1896年頃、油彩/カンヴァス、38.1×54.0cm、
フィラデルフィア美術館 (p. 119)。

 カサットの母子像作品群の中で、私にとってもっとも印象的だったのは《母の愛撫》だった。子を抱く母の左手や子の腕をつかむ右手の力強さも印象的だが、頬に触って母親の実在を確かめようとしているかのような子の左手、少し反身になって母親の顔全体をしっかりと見定めようとしているかのような子の表情もまた強い印象を与える。
 頬に触れる幼子の柔らかな掌の感触、それに加えて、掌に伝わってくる母親の頬の暖かい感触も同時に見る者に喚起させるような絵である。私の感情は、母親の頬の皮膚感覚と、子の掌の温感とで多元的に構造化されているような美しい錯覚を与えてくれる絵である。

[1] 『メアリー・カサット展』図録(以下、『図録』)(NHK、NHKプロモーション、2016年)。
[2] 『プラド美術館展――スペイン宮廷 美への情熱』(読売新聞東京本社、2015年)
[3] ミシェル・フーコー『マネの絵画』(阿部崇訳)(筑摩書房、2006年)
[4] 『ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展――印象派を魅了した日本の美』(NHK、NHKプロモーション、2014年)

[5] 『ボッティチェリ展』(朝日新聞社、2016年)
[6] 『グエルチーノ展 ―よみがえるバロックの画家』(TBSテレビ、2015年)



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『オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展』 国立新美術館

2016年07月07日 | 展覧会

【2016年6月27日】

  ルノワールである。東京に出る機会があれば、ルノワール展の美術館に出かけるのは当然である。が、いつもの美術展のようなドキドキするような期待感はあまりない。ルノワールが好きとか嫌いとかの問題ではない。モネやゴッホでも似たような気分だったことを思い出す。
 優れた画家はいつでも圧倒的に私の想世界を凌駕する。その想像できない圧倒され方を期待してワクワクした気分で美術展に出かけるのだ。しかし、圧倒されることは間違いなくても、その圧倒され方に慣れることもあるのではないか。
 私はけっしてたくさんの画家の絵を見てきたわけではないが、私の西洋画に接する機会のことを考えれば、相対的には印象派の画家がと多かったはずだ。中でもモネやルノワールの絵がとても多い。美術展もまた印象派としてはモネやルノワールを中心に構成されることが多い。ルノワールもモネも見るたびにすごいなとは思うのだが、そのすごさに慣れてもしまうのである。
 ゴッホや日本でブームになったフェルメールでも同じような気分になることがある。不思議なことだが、そんなに多くの作品を見たわけでもないミレーでも同じ気分を味わったことがある。おそらく、日本の社会での西洋画の取り上げ方がそのまま私の気分の中に反映されているのかもしれない。取り上げられる回数の多い画家ほどその絵を「見慣れた気分」になるのだろう。東北の小さな農村で生まれ育った身にとって、西洋絵画には本や雑誌、新聞を通じてのみ接していたのだからなおさらである。


【左】《ウィリアム・シスレー》1864年、油彩/カンヴァス、81.5×65.5cm、オルセー美術館 (図録 [1]、p. 47)。
【中】《クロード・モネ》1876年、油彩/カンヴァス、84×60.5cm、オルセー美術館 (p. 53)。
【右】《自画像》1879年、油彩/カンヴァス、18.8×14.2cm、オルセー美術館 (p. 204)。

 ピエール・オーギュスト・ルノワール、画家自身が「私は人物画家だ」とモネ宛の手紙に書き記した(図録、p. 44)というほどだが、私自身のルノワールの印象をあえて名付けるとすれば「女性像の画家」とでもするのがいいと思えるほどである。
 当然ながら多くの婦人像作品が展示されていたが、ここではあえて男性の肖像画、それも三人の偉大な印象派の画家の肖像を並べてみた。シスレーとモネとルノワール自身である。自画像が本当に小さな作品だったのが残念だが、シスレーの風景画 [2] も大好きな私としては、この三画家の肖像を並べて見ると際立ってくる自己満足が嬉しいのである。


【上】《イギリス種の梨の木》1873年頃、油彩/カンヴァス、66.5×81.5cm、オルセー美術館 (p. 73)。
【下】 カミーユ・コロー《ニンフたちのダンス》1860年頃、油彩/カンヴァス、48.1×77.2cm、オルセー美術館 (p. 53)。

 「人物画家」のルノワールだが風景画も多い。2年ほど前に『モネ、風景をみる眼』と題した美術展が国立西洋美術館で開催されて、ルノワールの風景画とモネの風景画を比べてみたことがある [3]。
 ルノワールの人物画における厚みのある存在感が風景画でも顕われているようだ。葉の茂った樹木の膨張するような厚み、存在感が独特だ。逆に言えば、シスレーやコローの風景画のような空気の清浄感、透明感はそれほど感じられず、風景の奥行という点では一歩譲る。モネの風景画は、ルノワールとコローやシスレーとの中間に位置しているように思う。


【左】 《田舎のダンス》1883年、油彩/カンヴァス、180.3×90cm、オルセー美術館 (p. 120)。
【右】 《都会のダンス》1883年、油彩/カンヴァス、179.7×90cm、オルセー美術館 (p. 121)。


【左】ジェームズ・ティソ《夜会あるいは舞踏会》1878年、油彩/カンヴァス、91×51cm、オルセー美術館 (p. 115)。
【右】ベルト・モリゾ《舞踏会の装いをした若い女性》1879年、油彩/カンヴァス、71.5×54cm、オルセー美術館 (p. 121)。

 大作の《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》の展示の前は人だかりで、近くで見るのはなかなか難しいことだった。ルノワールらしい「華やかさ」にあふれた作品だが、《田舎のダンス》と《都会のダンス》はその細部の拡大図のようにも見える。
 ルノワールの風景画は、シスレーやコロー、ピサロさらにはモネ(晩年は除く)と比べてもリアリズムからずっと離れている。《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》も印象派の典型のように人物群が描かれているが、上の二つの作品はあたかもその人物群の細部を描いたかのようにリアリティが高い。それは、同時代画家の作品としてベルト・モリゾの《舞踏会の装いをした若い女性》と比べればより明確だ。
 しかし、リアリズムという点ではジェームズ・ティソの《夜会あるいは舞踏会》の方がはるかに高い。この作品を見た瞬間、ラファエル前派の絵と思ったほどだ。ジェームズ・ティソという画家は初見だが、ロンドンに移り住んで成功した画家だという。ラファエル前派が活躍したイギリスと相性が良かっただろうというのは、この作品を見れば納得できる。


【上】《後ろ姿の横たわる裸婦あるいは浴後の休息》1815-1917年、
油彩/カンヴァス、40.5×50.3cm、オルセー美術館 (p. 193)。

【中】アンリ・マティス《布をかけて横たわる裸婦》1923-1924年、
油彩/カンヴァス、38×61cm、オルセー美術館 (p. 195)。

【下】《浴女(左向きに座り腕を拭く裸婦)》1900-1902年頃、ペンと黒インク、黒色鉛筆、
サンギーヌの跡/ヴェラム紙、31.5×25cm、オルセー美術館 (p. 129)。

 ルノワールの婦人像、裸婦像を眺めながら会場を進んでいると、妙にエッジのたった、シャープな印象の裸婦像が目についた。《布をかけて横たわる裸婦》である。ルノワールのはずがないと思いながら近づいてアンリ・マティスという画家名を見つけて納得した。
 あらためてルノワールとマティスの裸婦像を並べて眺めるというのはとても興味深い。ルノワールは女性の肉体の美しさそのものを主題にしているが、マティスには裸婦像に仮託した異なった主題があるようだ。ルノワールと比べれば、もうすこし抽象的な「美」そのものへ主題を偏らせているのではないかと思うのである。
 たくさんの婦人像、裸婦像の展示作品の中で、私の一番のお気に入りになったのは《浴女(左向きに座り腕を拭く裸婦)》という小品だった。これは最近になってわかったことだが、どうも私は素描のような作品が好きなのである。画家にとっては本格的な作品のために描く素描の目的は明確に違いないが、素描に描かれなかった部分をその作品の「余剰」として受け取ることができる。そして、その余剰がどんなものかは私だけの想世界の中にある。描かれない余剰が私の自由な感受を許してくれるのである。その余剰がどんなものかを具体的に想像するわけではないが、素描から始まる情感の広がり、その豊かさが味わえるような気がするのである。 
 しかし、そういう感受のためには《浴女(左向きに座り腕を拭く裸婦)》のような見事な素描力が必要なのは言うまでもないことだ。

[1] 『オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展』図録(以下、『図録』)(日本経済新聞社、2016年)。
[2] 『アルフレッド・シスレー展――印象派、空と水辺の風景画家』(練馬区立美術館、2015年)
[3] 『モネ、風景をみる眼 ―19世紀フランス風景画の革新』(TBSテレビ、2013年)



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