かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(4)

2024年05月25日 | 脱原発


2012年11月23日


柚木ミサトさんのイラスト(FB : 多田篤毅さんの投稿、芳賀直さんのシェア写真から)

 フェイスブックに出ていた「たのむぞ、おとな」という柚木ミサトさんの絵が、とてもいい。だらしない大人としては「がんばります、なんとか」と返事しそうになる。大人たちがだらしないから、地震の巣のような国に五十基以上の原発ができ、あげくの果てのメルトダウンで人が住めない国土を作ってしまった。
 この絵を見つけたのは、ちょうど安冨歩さんの『幻影からの脱出原発危機と東大話法を越えて(明石書店、2012年)を再読していた時だった。その本にこういう記述がある。

 私が最も大切だと思うことは、子どもの利益を最大限に考える、ということです。すでに論じたようこ、子どもは、現在のところ全ての政治的過程から排除されています。その「子ども」を中心に考えることです。
 なぜなら、現代日本社会で最も欠乏しているのが子どもであり、彼らを守り、その創造性を伸ばすことが、社会全体にとつて何よりも重要だからです。それ以上に、子どもこそは我々の社会の将来であり、子どもこそは我々の創造性の源です。
[p. 215]

「こどもの利益を最大に考える」というのは、将来の社会構築のための選択肢の一つなどということではない。これなしの社会構築などはあり得ない、という必須の条件なのである。人類が処理できない放射能とそれを生みだす原発を残すことは、明らかに子どもたち、そのまた子どもたちにとって恐るべき不利益である。だから。安冨さんはこう結論する。

 我々が既に作り出してしまった放射性廃棄物の量は、もはや頭を抱えるほどに多く、それ以上に、福島第一原発の処理は、一体、何十年かかるのか、そもそも可能なのか、全く見当がつかないのです。あの原発の処理責任は、まだ生まれていない人にまで背負わされています。これほどの罪を犯しておいて、未だに原発がこの列島に存在する、ということ自体が、私には信じられないことです。これを不道徳と言わずして、何を不道徳と言うのでしょうか。 [p. 222]

 子どもには選挙権がない。自らが自らの利益を代表することができない。子どものように、この社会の中で自らの利益を主張し、社会に反映させる手段、システムをもたない人びとがいる。そのような人々を安冨歩さんは「非体制派」と名付ける。ある時は農民であったり、ある時は非正規雇用労働者であったりする。
 現時点での最も象徴的な非体制派は、福島第1原発の激しい放射能汚染区域で作業する二次、三次の下請け労働者であろう。彼らは、過剰被爆を防ぐための線量計も与えられず、さらに「放射線作業手当」すらだまし取られている。
 かつて、その非体制派としての農漁村民を「票」として取りこむことに成功したのが田中角栄で、その過程で原発立地が非体制派の農漁村に定められた、というのが安冨さんの説く原発をめぐる現代史である。
 子どもと同じように非体制派の利益をも最大にする社会こそ、私たちが目指すべき社会であることはいうまでもない。


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【メモ―フクシマ以後】 放射能汚染と放射線障害(1)

2024年05月23日 | 脱原発


2012年5月18日


「大倉ダム・大倉川支川に於いて198ベクレルと言う高い数値が出ました。」というメールが届いたのは、4月19日の深夜である。翌日、検査結果が正式に宮城県から公表された。「100 Bq/kg」という4月1日からの新しい規制値を越えるので、当然ながら法的措置が講じられ、広瀬川の釣りには厳しい制限が加えられることになる。
 正式な発表は、広瀬川の支流・大倉川の大倉ダム上流の支流・横川で4月14日採取のイワナから197 Bq/kgのセシウム137 [註1] が検出された、ということである。おなじく、横川で4月22日採取のイワナで210 Bq/kg、広瀬川支流・新川川で4月21日採取のイワナからは62 Bq/kgのセシウム137が検出された。それを受けて、広瀬名取川漁業協同組合は、4月29日付けで次のような文書を遊漁証委託取扱店宛てに送付した。


       イワナ、ヤマメの遊漁自粛のお願い。
大倉ダム上流部(ダムを含む)で採取したイワナに放射性セシウムにおいて、基準値越えが発生しましたので検査の値が基準値を下回るまでの間、大倉川への入渓を自粛して頂くようお願い致します。
                                 広瀬名取漁業協同組合

 新川川については、規制値以下と言うことで何の規制もなされていない。規制値を超えても、「入渓自粛」というきわめて緩やかな要請というのは腑に落ちないが、たぶん対応に混乱が生じていたのであろうと同情する。
 すでに2月23日採取の阿武隈川支流・内川(丸森町)のヤマメ110 Bq/kgという結果を受けて、すぐに阿武隈川漁協は解禁日である3月1日に漁業権漁場内を全面禁漁にすることを決定している。阿武隈川漁協は、4月以降の新規制値を先取りしたうえで、素早くかつ厳しい判断を下している。
 広瀬名取川漁協の対応はだいぶユルいな、と思っていたところ、その後、次のような措置を取ることが決定されている。

        緊急告知
   左記の通りイワナを全面禁漁とする。
1名取川秋保大滝より上流の全域、及び本砂金川。
2名取川支流,釜房ダムに流入する太郎川、北川、前川は5月14日現在,除外する。
3大倉ダムを含む大倉川の全域。
広瀬川本流及び新川川は今の所、除外する。
禁漁区域以外でもヤマメ、イワナは検体採捕特別許可を除き「持ち帰り禁止 全て再放流」の事。
            平成二四年五月一四日
               宮城県知事
               広瀬名取川漁業協同組合

 最近の私のヤマメ釣りは、本流に限られているのでとくに困るわけではないが、こんな状況下で釣っていて以前のように楽しめるかどうかは疑わしい。いまのところ、5月3日の大雨の後遺症で、広瀬川の濁りが取れていないので、ヤマメ釣りには出かけていないが、そろそろ我慢の限界が来そうな予感がする。
 さて、この禁漁はいつ解除されるのだろうか。少なくとも解除されるにはなかなかに難しい条件をクリアしなければならないようだ(国民の健康と安全という観点からは当然だが)。
 広瀬名取漁協が遊漁証取扱店に配布した(組合長の公印のある)文書によれば、上記の措置は「原子力災害対策本部 内閣総理大臣の指示により宮城県知事から要請があった事による」ということである。とすれば、国の指示による出荷制限等がなされたので、「基準値を超えた品目が、生産地域に広く分布」していると認定されたわけで、その解除には国の定めた以下のような解除条件を満たさなくてはならない。

(1) 解除しょうとする漁場内で毎週検査すること。
(2) 解除しょうとする漁場内での1ヶ月間の検査結果が全て基準値以下であること。(「1ヶ月間の検査結果」とは三週連続して検査することを前提としている)
(3) 1ヶ月間に3ケ所以上の検査を実施すること。

「基準値を超えた品目が、生産地域に広く分布」していないで局所的に限られていれば、県独自の指示となるが、その場合、国によって解除条件は定められてはいないが、県は上記の解除条件をふまえると言明している。(以上の知見は、3月23日開催の宮城県内水面漁場管理委員会で配布された報告事項の説明資料によっている。)
 安全のためには、この程度の困難は何としても乗り越えなければならないということだろう。
 Cs-137の物理的半減期は30年であるが、生物学的半減期(生体からCsが排出されて放射線量が半分に減る時間)は、ずっと短いであろうから、それに期待するしかないのかも知れない。

[註1]
ここで言う放射セシウムとは、Cs-137という原子核のことである。Cs-137は、中性子とウラニウムの反応で生じるウラニウムの原子核分裂で生じる核分裂生成物で、ベータ(β)崩壊(原子核中の中性子が陽子に変化しながら電子を放出して別の原子核に変化すること)によって安定な原子核Ba-137に変化する。そのベータ崩壊の時に、高エネルギー(0.51MeV(92%)、1.17MeV(8%))β線(電子と同じ)と、同じく高エネルギー(0.662MeV))のガンマ(γ)線を放出する。γ線は、光と同じ電磁波で非常に高エネルギーの光だと思えばよい。ちなみに原子核から出るとγ線、原子から出るとX線という。一般にX線の方がγ線よりエネルギーは低い。このβ線とγ線がいわゆる放射線である。MeVはエネルギーの単位で、例えば人間の体を構成するさまざまな分子は原子の結合によってできているが、その原子どうしの結合エネルギーは10~20 eV程度である。MeVは百万eVなので、MeV単位の放射線が人体に当たれば、当たった場所の多くの原子結合は簡単に敗れてしまう。例えば、DNA分子が放射線で壊されれば、癌細胞に変化したり、遺伝異常が生じる可能性があるということである。放射線が人体に及ぼす影響は恐ろしいものだが、そのような細胞は死滅しやすくて増殖しない確率が高いので、必ずそうなるというわけではない。



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原発を詠む(87)――朝日歌壇・俳壇から(2024年3月10日~2024年5月19日)

2024年05月19日 | 鑑賞

朝日新聞への投稿短歌・俳句で「原発」、「原爆」に関連して詠まれたものを抜き書きした。

 

自らを「死神」と言いしオッペンハイマーはヒロシマ、ナガサキを訪(おとな)わざりき
     (秩父市)畠山時子  (3/24 高野公彦選)

原爆の父なるオッペンハイマーにゴジラが吼(ほ)えた三月十日
     (新庄市)大山慎一  (4/14 馬場あき子選)

(よ)の森(もり)のさくら映れば切なかり廃炉は遠く桜は老ゆ
     (下野市)若島安子  (4/27 馬場あき子選)

窓口でめだたぬように保険証の下に忍ばす被爆者手帳
     (春日市)月川勝代  (5/12 佐々木幸綱選)

原発のひとつやふたつ減らせぬかわたしがジムで漕ぐ自転車で
     (東京都)富見井高志  (5/19 永田和宏選)

 

福島はつひに戻らず冬木の芽
     (福島県伊達市)佐藤茂  (3/10 長谷川櫂選)

福島に牛飼ひのゐし春惜しむ
     (福島県伊達市)佐藤茂  (4/7 長谷川櫂選)

鳥帰る原発眠る地をあとに
     (福島県伊達市)丘野沙羅子  (4/14 大串章選)

原発に沸きし福島春惜しむ
     (福島県伊達市)佐藤茂  (4/21 長谷川櫂選)

被災者の離れ離れの春惜しむ
     (福島県伊達市)佐藤茂  (5/12 大串章選)

 

(写真と記事は関係ありません)

 

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【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (3)

2024年05月10日 | 脱原発


20121111

 欠かさず参加している仙台での脱原発金曜デモは2300人の規模が普通で、17万人を集めるような東京の抗議集会がどのようなものか、想像するのはなかなか難しい。
 「1111反原発1000000人大占拠」と名付けたデモ・集会を東京で行うというので、出かけてみることにした。しかし、集合場所としての日比谷公園の使用許可が下りず、さらに東京地裁、高裁も不許可を追認したため、デモの部分は急遽取りやめになり、舗道上での抗議集会のみということになった。
 ネットをさまよっていると、「7月以降の集会が次第に勢いを失っていて、そのために権力が公園使用不許可などの攻勢に出て来たのだ」という主催する首都圏反原発連合への批判含みの論調が見られる。
 権力が弱り始めた抵抗運動を叩き始めるという「えげつなさ」を有しているという説明は確かにもっともらしい。世田谷公園を管理する東京都の責任ある人(たち)の顔を思い浮かべれば、その「えげつなさ」はなおさらもっともらしい。
 反原発デモをマスコミが取りあげることは少ないので、首都圏での運動が退潮傾向にあるかどうか、私には判断できない。しかし、そのような批判的な言動にもかかわらず、twitter上での反原発の意見表明の盛んな様子は相変わらずだし、仙台では金曜デモが退潮気味だということはまったくない。
 だから、私としては、デモを妨害しようとする行政の機制はまったく反対なのではないかと思うのだ。本当に運動が弱り始めているなら、わざわざ手を汚してつぶしにかかるよりは、むしろ、ほっといてその消滅を待つ、というストーリーもそれなりにもっともらしい。つまり、私は、いつまでたってもあきらめない運動にうろたえ始めて攻勢に出て来たのではないかと思っているのだ。「8月に東京都からやるなと言われた」とか「いろいろ圧力がある」と都の担当者が話していたという[1]。その最終責任は首長にあるとしても、「過剰な忖度」[2](つまりは、上位者へのおべんちゃら)として、うろたえやすい中、下級役人が突っ走っている可能性もありうる。
 いずれにしても、この「公園使用不許可」は反原発運動が明確な効果を生みだしている証左である、と私は考えている。原発推進派はあわて始めているのである。

[1] 1111反原発1000000人大占拠」プログラム&マップ。
[2] 森達也「A3」(集英社インターナショナル、2010年) p. 471



2013年2月15日

おおくを知ることはないのだ
ただひとつのことを
くりかえしくりかえし知るだけで
人生は不思議に微妙に変身して
かぞえきれない星のむれを胸にみたす
あるいは一箇の弾丸のように胸にのこる

   嶋岡晨「地方帰住者の思想」部分 [1]

 金曜デモにいったいどれだけ参加したのか、途中の3回を休んだことははっきりしているが、回数を数えるのが難しくなってきた(などと考えていたら「第27回目のデモに出発しま~す」というアナウンスがあった)。
 先週のデモと今週のデモとの間に格別な差異があるわけではない。自民党の馬鹿勝ちで終わった12月の総選挙の後、原発政策の大後退が危惧されているが、まだ事態は大きく動きだしていないように思う。おそらく、自民党政府はまだ私たち国民の反原発の動きを窺っているということもあるだろう。
 私たちにしても(正確には、私には、ということだが)、今は力を思い切り発揮することにではなく、意思表示を確実に繋げていくということに力点が置かれているように感じられる。3月に大きなイベントが用意されているように、春とともに力強く動き出す準備の期間のようだ。
「くりかえしくりかえし」のデモで私たちは「かぞえきれない星」を胸に抱き、いずれそれは「一箇の弾丸」のように強く飛んでいくのだ、きっと。
 これは冬ごもりする私(たち)のファンタジーではないのだ、と思う。
 「くりかえしくりかえし」のデモに出ていると、体も心もデモというちょっとした「非日常」に馴染んでくるようだ。デモも終盤にさしかかって青葉通りを歩いているとき、シュプレッヒコールで大口を開けていたらそのまま欠伸に移ってしまった。3,4回続けて欠伸が出たのだ。じつは、寒風吹きすさび、横殴りの雪の中の先週のデモの途中でも何回か欠伸が出ていたのである。
「だらしがない、緊張感がない」と一瞬は思ったのだが、そんなことはないのではないかと思い直した。年をとっても人見知りで、趣味が多くてもすべて一人遊び、そのような私が一人でデモに参加し始めたときは、それなりの心理的な障壁を乗り越える手続きは必要だった。それが今では、デモの最中に欠伸が出るほど、すっかり慣れてしまったのである。
 要するに、「くりかえしくりかえし」で、私にとってデモは〈普通〉になったのだ、と思う。つまり、デモはもう日常である。「おはよう」と挨拶するようにデモをする。「お休み」という前にデモをする。思いっきり大げさに、かつキザに表現すれば、「反原発の肉体化」である(「血肉化」の方がいいかな)。肉体化した反原発は、そのまんまで反原発である。もうデモを歩かなくても反原発なのである。
 ここまで書いてきて気付いたのだが、これはデモをサボる口実に使えそうな結論にもなっている。いや、サボるつもりは全くないのだが、これが文字通り「両刃の剣」ということか。
 いずれにせよ、反原発は私の心の最大の(一つめの)問題という位置取りから心全体にまんべんなく広がっている環境のようなものになった。そんな気がする。

こころの問題の
二つめあたりを歌うこと
冬のそよ風のため

   荒川洋治「冬のそよ風」部分 [2]

[1] 嶋岡晨「詩集 永久運動」(思潮社 1964年)p.21
[2]
荒川洋治「詩集 一時間の犬」『荒川洋治全詩集1971-2000』(思潮社 2001年)p.413



 

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【メモ―フクシマ以後】 原発・原爆についての言表をめぐって(3)

2024年05月07日 | 脱原発


2012年11月2日

輸血するごとく原発稼働せり救はんとしてほふるや未来
                                   (長野県)井上孝行 [1]

 原発を再稼働することは、その場しのぎのエネルギー対策に過ぎない。しかも、再稼働しなくてもどんな電力不足も起きなかった。大飯原発の再稼働という野田佳彦の「決断」は、この秋の臨時国会の所信表明で繰り返した彼の好きな《明日》そのものを葬り去ろうとして決断したのだ。そうでないというのであれば、彼の《明日》と私たちの《明日》は、まったく異なった世界に属する。
[1] 「朝日歌壇(高野公彦選)」(2012年8月13日付け『朝日新聞』)。

 


2012年11月16日

それを語るであろう人は
誰も私達のあとにやって来ない。
私達がなさずに置いていたものを、
手に取りそして終らせる
人は誰もいない。
 ヒルデ・ドミーン「誰も私達のあとにやってこない」部分

 「後に続くものを信ずる」というのは古典的左翼運動の常套句であった。そう信じなければ前に進めない、という心情を私はけっして否定しない。しかし、振り返ったら誰もいない、ということはしばしば起こる。私のような者にすら、似たような経験はあった。だから、「後に続くものを信ずる」ことによって行為のエネルギーを獲得することは、普遍的に可能なわけではないし、誰かに推奨できるわけのものではない。
「私はこれをやりたい」、「いま、ここ、この私が私の意志を表明する」といった、さながら古典的左翼がプチブルと罵りそうな心情がその古典的左翼の情動を凌駕しうる、と私は思っている。それこそが、古典的左翼が力を失い、反原発運動は括りようのない雑多な市民、組織されていないが多数を形成しつつある市民によって担われ続けている情動としての機制である、と考える。私は誰も代表しない。私は私しか代表していない。そのような〈私〉が集まっているのだと思う。
「11・11反原発1000000人大占拠」の群集の中に入って、ある種の高揚感を感じながらも、いわばその感覚に抗うようにヒルデ・ドミーンの詩句のようなことを考えていた。抗議に集まる大群衆はスペクタクルである。視覚が感情を支配するかのように圧倒的ですらあった。
 2001年9月11日のスペクタクルに圧倒された私たちはツインタワーの死者たちを悼む。しかし、それ以前の湾岸戦争、それ以後のイラク戦争あるいはアフガニスタンの死者たち、ツインタワーの死者数をはるかに凌駕する死者たちをどのように悼んだのか。情報操作の嵐の中で、私たちはいつの間にか〈命〉に差別を持ち込んでいたのではなかったか。だからこそ、「誰が人間としてみなされているのか? 誰の生が〈生〉と見なされているのか?」 [2] とジュディス・バトラーは語りはじめるのだ。
 スペクタクルは私たちの認識、想像力を保証しない。時として危うくする。いつもそのように自分に言い聞かせなければならない。大群衆のデモの中で、そのように考えていた。
  (中略)
 政党または政治という視点で眺めれば、日本は昏迷をきわめている。政治理念のもとに政治家が結集するなどという姿はなく、政治権力把握の方便としての離合集散ばかりが目につく。そして何よりも、ポピュリズム的な手法に容易に絡め取られているマジョリティの存在が日本を暗くしている、と私には思えるのだ。


くらがりの中におちいる罪ふかき世紀にゐたる吾もひとりぞ
             斎藤茂吉 [3]

現代といふ傲慢な発想法 あらあらしくも日輪まはる
             永井陽子 [4]

[1] 「ヒルデ・ドミーン詩集」(高橋勝義・高山尚久訳)(土曜美術社出版販売、1998年)p.99。
[2]  ジュディス・バトラー(本橋哲也訳)『生のあやうさ 哀悼と暴力の政治学』(以文社、2007年) p. 50。
[3] 「斎藤茂吉句集」山口茂吉/柴生田稔/佐藤佐太郎編(岩波文庫 2002年、ebookjapan電子書籍版)p. 260。 
[4] 「永井陽子全歌集」(青幻社 2005年)p. 343。




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【メモ―フクシマ以後】 脱原発デモの中で (2)

2024年05月04日 | 脱原発


2012年9月29日

 会場についてすぐ、前の職場の知人と出会った。懐かしくて、話がはずんで、今日のスピーチのほとんどを聞き逃した。
 かつての職場の組合では地味な活動を熱心にこなしていた知人は、「もう少したくさん集まるといいね」などと話していた。ここは個人の自発的な意志だけで集まった人たちばかりで、かつてのデモのようにいろんな組織が動員をかけて集めたわけではないので、較べようがないのではないか、などと話し合った。
 かつて、多くの組合は動員手当を出して集めることが多くあったのである。それに較べれば、個人の自由意志で集まることは、その人数の多寡を越えて、意味あることだと思う
 もうひとつの話題は、どこかのデモで「野田政権打倒!」みたいなシュプレッヒコールをして止められた人がいた、という知人の話から始まった。いわゆる、「シングル・イシュウ」問題である。
 確かに、原発はきわめて政治的なイシュウである。したがって、民主党か、自民党か、あるいはそれ以外か、という政党選択も論理的には切り離せないだろう。そもそも、原発をめぐる問題のすべては政治イシュウである。
 たとえば、年間被曝量を20mSv以下だとか、1mSv以下だとか、その数値ですら政治的に決定されているもので、科学的根拠はない。「低放射線被曝で健康被害が出た科学的証拠はない」と政府系御用学者は主張するが、じつはそれと同じレベルの科学的検証であれば、「低放射線被曝で健康被害が出ないという科学的証拠もない」のである。
 したがって、その先へ進もうとすれば、人々の生命の貴重さを重んじるか、社会運営の効率(政治的安直さ)を重んじるかの人格(人間性)そのものに基づく判断が必要なのであって、ご都合主義的な科学的精神などではないのである。
 現実に病で苦しむ人の側から論理を立てるか、論文の中のデータから論理を立てるか、これは科学の問題ではなく、人倫の問題である。科学者は、「科学的に」と称しながら容易に「人でなし」になりうるのである。
 これは、東北大学で物理学を研究し、教えることを職業としてきた科学者の端くれとしての私の実感である。
 原則論でガチガチに「シングル・イシュウ」を守ろうとすると問題が出てくるかもしれないが、できるかぎり「脱原発」の一点に心を合わせて集まるのがいいのではないか、というあたりで知人との話が収まったころにデモの出発である。

 

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