かわたれどきの頁繰り

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【書評】チェーザレ・セグレ(甲斐教行訳)『聖バルトロマイの皮』(ありな書房、2005年)

2014年01月16日 | 読書

 十二使徒の名は、次のとおりである。まずペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモンとイスカリオテのユダ。このユダはイエスを裏切ったものである。  「マタイによる福音書」第十章2-4節 [1]

 ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。このピリポがナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。ナタナエルは彼に言った。「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った。「きて見なさい」。イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。ナタナエルは言った。「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた。「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。ナタナエルは答えた。「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。イエスは答えて言われた、「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。   「ヨハネによる福音書」第一章44-51節 [2]

  聖バルトロマイは十二使徒の一人だが、聖書の記述は極端に少ない。マタイ、マルコ、ルカによる共観福音書には十二使徒の一人として名前だけが記述されている。「ヨハネによる福音書」にピリポとともに出てくるナタナエルがバルトロマイと考えられている。

 本書で取りあげられているのは、聖書には書かれていない伝承による殉教の話である。イエスの死後、バルトロマイはインドなどで布教したが、アルメニアの地で生皮を剥がされて殉教したという。
 絵画や彫刻の像が聖バルトロマイであることは、皮を剥いだナイフや剥がされた皮そのものがアトリビュートとして示されることによって明らかになる。絵画や彫刻には、このような「形象的言語」がある。本書は、「美術における言説と時間」という副題が示すように、絵画芸術における「形象的言語」についての言語学的論考である。
 訳者あとがきによれば、「一九二八年、北イタリアのピエモンテ州クーネオ近郊ヴエルッオーロに生まれた〔チェーザレ・〕セグレは、近年の退官まで長年にわたってパヴィーア大学でロマンス語学を講じてきた言語学者」 (p. 189) だそうである(私には初見である)。

 美術作品が「形象的言語」を持つのだとすれば、鑑賞にはその読解が必要になる。しかし、私にはそれが問題なのである。西洋絵画には聖書、ギリシャ・ローマ神話、象徴や寓意、歴史や古典文学から主題を得ているものが多く、その意味を理解するのにいつも難渋している。たとえば、国立新美術館で「大エルミタージュ展」を見たとき、一緒に見た娘と《寓意》について悩んだことがあった [3] 。どこかのミュージアムショップで『西洋絵画の主題物語』 [4,5] という本を見つけて読んではみたが、知識は有効に身につかない。美的感覚や倫理観や喜怒哀楽の感覚に裏打ちされていない知識では、絵画鑑賞、美の審級には役に立たないのである。ヨーロッパの人々が生まれおちたその時からの長い日常の時間の中で少しずつ培ってきたような知識と感情を一冊の本で代替できないのは当然である。記紀神話や古代中国説話に題材を取った日本画でも、その主題の背景を理解するのに難儀をしているのだから、西洋絵画ではなおさら如何ともしがたい。
 だから、時として「絵画に物語性は必要ない」などと嘯いてみるが、それは私の単なる悔し紛れである。ただ、形象的言語性が高い作品があるというのは確かだが、そのような言語性を持つことそのものが美術作品の本質とは考えられない。したがって、美術作品に「意味内容」と「美的価値」が共存していることを前提に、著者が次のような控えめな期待を論述の出発点とするのは肯ける。

ある絵の「意味内容」(significato)はその絵の「美的価値」(valore)から独立している。とはいえ美的価値は意味内容なしにはありえなかったであろう。そして意味内容のこの少なくとも時間的な先行性こそが、美術的秩序への言語学者の介入を理論的に支えてくれることを期待したい (p. 11)

 著者はまず、「絵画作品は「作者が作品に表意性(significanza)を注入する体系」だとする言語学者エミール・バンヴェニストの論考から出発する。

絵画的記号の不在をくりかえし主張しつつ、われわれはここで美術家が生みだした体系がもたらす表意作用と向きあうことにしよう。それは体系に内在し続ける表意作用であり、その規則はもっぱら体系それ自体に基づいている。美術や美術的言語は存在しない。それ自体で体系をなし、他のどんな作品とも異なる、個々の作品が存在するだけなのである。 (p. 14)

 この美術がもつ体系は記号学体系ではない。美術大系は「解釈される体系(sistema interoretato)」であり、言語体系は「解釈する体系(sistema interoretante)」 (p. 15) なのである。
 しかし、著者は、美術作品の記号的性格を否定することは、「いくつかの時代における、非常に明瞭な図像(イコン)性」と矛盾することを指摘する。その「図像(イコン)性」は美術における「解釈学の一潮流である図像解釈学の発端となった」 (p. 18) のである。

 言語的叙述から図像(イコン)表現へ、あるいは図像(イコン)表現から言語的叙述へと翻訳作業のような移行が可能である。著者は、この絵画行為をめぐる言語的叙述を二つに区分する。「委嘱主または作者がその作品のもつであろう明示的意味内容(contenuto denotativo)を記述するとき」すなわち「表象(rappresentazione)に先行する」ものを「言語的叙述 I 」、「受容者(同時に委嘱主または作者でもありうる)が画面からそれを導きだす」ものを「言語的叙述 II 」と呼ぶ。言語的叙述 I と言語的叙述 II の「本質的一致は、表象そのものの中に実現された形象的統辞法の手続きによって可能」 (p. 19) なのである。
 しかし、ここには作者と受容者との関係という点に関していくぶん問題がある。それは、絵画行為において、作者の意図する絵画の意味内容(言語的叙述 I )が、受容者が絵画から受け取る意味内容と一致していなければならないのか、ということである。そして、それは不可能だと私は考える。ジャック・デリダが言うように、そこにはいつも「ずれ」や「誤配」が生じる。そして、その「ずれ」や「誤配」こそ私たちの文化的行為に必然的なものであり、かつ文化的行為を豊かにするものですらある、と私は考える。もちろん、それは「本質的一致」を願いながらの「ずれ」なのであって、最初から一致を放棄してよいということを意味してはいない。とまれ、ここでは「希望的一致」ないしは「可能的一致」を想定することで、先に進むことにする。

 「図像(イコン)性」とともに「遠近法」も形象的言語として重要であることを、エルヴィン・パノフスキーを援用して著者は主張している。「遠近法は所与の世界概念に対応する関係体系」であり、ウスペンスキーは、「遠近法の内部に、幾何学的おとび意味論的な二重の統辞法」 (p. 21) を見極めていたのだ、という。意味論的な重要性に応じた人物や事物の遠近法的処理は、一つの絵画的統辞法なのである。パノフスキーは遠近法を「象徴形式」 (p. 24) と呼ぶ。

……遠近法と図像解釈学は、視覚的統辞法の発見における二つの相補的な瞬間とみなすことができる。遠近法は登場人物(や事物)の問の空間的および意味論的関係を指し示すとともに、観者の表現へのアプローチの種類をも決定づける。図像解釈学は普遍的-特殊的という尺度の上で機能するとともに、人物像に、彼らの相互関係に基づいて、固有名詞と普通名詞の規約と厳密な象徴的価値を与える。起こりうる物語上の展開は、ひとつの「歴史」(storia)を構築することによって、表現の継起(と共存)を結合する。 (p. 22)

図像(イコン)的、図像解釈学(イコノロジー)的、物語表現的側面は、まさしく表象の内容に属している。それらは表象行為の対象を構成する。一見してそれらは、言語にもっとも近い要素である。なぜなら単語や文章に「翻訳可能」だからである。それは言表的言語(linguaggio verbale)と絵画的言語が固有の手段で実現する共通の対象指向性(referenzialita)である……。 (p. 25)

 ここで言う対象指向性とは、遠近法と「表現の統一性の中では融合している」 (p.26) もので、単に理論的目的で遠近法と区別しているにすぎない。また、著者は、「表象(rappresentazione)」を「記号内容と視覚的記号表現の総体」を意味するものと定義する。「着想、すなわち画家の心の中にある絵画の心象」としての表象を「表象1」、それの実現(絵画表現)を「表象2」と呼ぶ。表象1を直接言葉のみで表現する場合を「言語化1」と名付け、表象2(絵画)から言語化される場合を「言語化2」と呼ぶ (p. 28) 。表象1→言語化1の過程が先述した「言語的叙述 I 」であり、表象2→言語化2が「言語的叙述 II 」である。
 レオナルド・ダ・ヴィンチの書き残した「主題構想」は、言語的叙述 I (表象1→言語化1)の好例である。

私にはレオナルドのいくつかの「主題構想」(invenzioni)を素材に用いるのが有効であると思われた。その理由はまさに、絵画による実現が(ほとんどの場合)なされなかったことが、その機能性とイメージの心象への従属を同時に示しつつ、反論の余地のない表現レヴェルでの明瞭性を言説に与えるからにほかならない。  (p. 27)

 例えば、「構想X」は《最後の晩餐》のために書かれている。著者の「構想X」の要約と理解は次のようなものである。

レオナルド・ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》フレスコ、1498年、ミラノ、
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂付属修道院食堂 (p. 117) 。

 まず驚かされるのは、「一人の男、もう一人の男、別の男」という具合に示される、登場人物たちの無名性である。……われわれはまだ普通名詞の段階におり、固有名詞にはたどりついていない。使徒たち――そのような定義さえまだなされていない――は互いに交換可能である。
 関係性の図式が優位を占めている。登場人物は、(使徒三人からなる四つのグルーブが見てとれる絵画とは異なり)二人ずつの対として眺められている。……そして二人ずつ対になったすべての構成員同士の関係、および登場人物たちと「話し手」との関係の中にこそ、時間性の感覚(頭をめぐらした、振り向いた、肩をそびやかし、等々)と、音声への示唆(耳にささやき……それを聞いている男)が生じるのである。グループ分けは場合によっては一連の複雑な動機と動作を、つまり多くの文節を含むひとつの統辞法を示唆する。 (p. 31-2)

……「構想X」が提示するのは、(a) 登場人物同士の、もしくは登場人物と事物さらには身振りという物語の暗示的断片(行為と反応)の間の位置関係、(b)三人の人物の三角法的関係を通して得られる空間公式、(c)音声的暗示、(d)動きの暗示、ということになる。 (p. 32)

 その他にも、「構想VII」では動きや音声の暗示に加えて、長期の持続に関わる表現などによって「時間性」を表現しているが、それも長い時間の持続ばかりではなく時間を圧縮した表現も見られる。もちろん、もし「構想」が絵画化されたとすれば、表象1の言語化である「構想」は、「読解の順序や事物のグループ分け」 (p. 37) を与えるであろうし、時間性とともに事物の「因果関係」 (p. 39) も与えることになる。
 「構想X」を除けば、「構想」は描かれざる表象1の言語化である。

レオナルドの「構想」は言説(discorsi)であり、われわれの解釈も言説である。絵画が実現した場合にそれを記述しようとする行為も言説であろうし、その意味を把握しようとする行為も言説であろう。私のこの論述を批判しようとする行為も言説であろうし、以下同様に続けていくことができる。……これらの言説は無限へと向かう直線上にではなく、実在するまたは計画中の作品の記合学的核を中心にもつ一連の円周上に位置している。 (p. 48-9)

 さて、問題は表象2(絵画表現)そのものおける言評である視覚的言説である。著者は、「表象は言表的言説でも視覚的言説としても実現しうる」 (p. 55) と述べて、その例として「動き」と「時間性」の表象を「心的事象としての動的効果」という章を設け、いくつかの絵を挙げて論じている。
 「動き」の例のひとつとして、《花を摘む少女》を挙げて、次のように評している。

図7 《花を摘む少女》フレスコ、ナポリ、考古学博物館 (p. 61)

 まず第一に、暗示的な動きがある。ナポリの美術館にある、スタビア出土の大変美しい《花を摘む少女》(図7)をご覧いただきたい。彼女は右手で花を手折り、左手に同じ種類の花束をもつ。われわれはこの二つのデータを結びつけ、手折る動作から束にまとめる動作への、いっそう長い時間帯を把握することができる。そのうえ、少女は歩いている。われわれは時間帯をさらに拡張して、採集行為をいっそう系統立った行動として推論することができるだろう。 (p. 59)

  絵画の時間性を観るうえで最適の例になっているのは、多くの画家によって描かれた「受胎告知」を主題とする絵画群である。有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの《受胎告知》も例示されているが、ここではそれ以外のいくつかを挙げておく。受胎告知の場面の詳細が記述されているのは「ルカによる福音書」(第1章26-38節) [6] だけだが、そのシーンの時間変化は次のような六つの場面として考えられる。少し長い引用になるが、時間性の表現の違いを見ておく。

(1)天使の到着と挨拶。「おめでとう、恵みに満ちた方」(Ave gratia plena)、等々。
(2)マリアの当惑と物思いに沈んだ状態。
(3)まもなく訪れる懐妊のお告げ。「ご覧なさい。あなたはみごもって」(ecce concipies in utero)等々。

(4)マリアの反論。「どうしてそのようなことになりえましょう」(Quomodo fiet istud?) 等々。
(5)天使の説明。「聖霊があなたの上に臨み」(spirltus sanctus superveniet in te)等々。
(6)マリアの献身。「ご覧わたしは主のはしためです」(Ecce ancilla Domini)等々。 (p. 105-6)

左:図22 シモーネ・マルティーニおよびリッポ・メンミ《受胎告知》テンペラ、板、
1333年、フィレンツェ、ウフィツィ美術館 (p. 107) 。

右:図23 アンブロージョ・ロレンツェティ《受胎告知》テンペラ、板、1344年、
シェナ、国立美術館 (p. 108) 。

 シモーネ・マルティーニおよびリッポ・メンミの作例では、レオナルドやロットと同様に、マリアの当惑が、つまり(1)および(2)の時点が描かれているが、アンプロージョ・ロレンツェッティの作例ではマリアは恭順の意を示している[(1)および(6)]。マリアの二つの態度[(2)や(6)]は厳密な動作によってコード化されている。
 
驚きを示すには、開いた掌をやや上にあげ、恭順を示すには、胸の上で両手を交差するのである。シモーネ・マルティーニは、驚きを表現するに当たって、美女らしく片手でマントを閉じ、身を守るようにやや横に体をひねるという、きわめて優雅な身振りを思いえがいている。それに対しロレンツェッティ[(1)と(6)]では、膝の上に開いたまま置かれた書物によって驚きが表わされている。マルティーニとロットにおいては、父なる神と聖霊も出現している[(1)、(2)、(5)]。またときとして天才的なヴァリエーシヨンに出会うこともある。ロレンツォ・ロットの場合がまさにそれである。この画家は、天使が聖母に姿を見られることなく、まるで追跡でもしているように背後から不意打ちをくわせるという表現によって、彼女の当惑、いや驚きを強調しており、その驚きは猫にまで伝わっている。……
 
とくにお告げの天使に関して、動作の表現は興味深い変化を示す。……到着したてでしばしば跪いた姿勢をとる天使は、ときにはまだ上空を飛行中で、滑走の動作を始めたばかりである(カルロ・ブラッチェスコ[図29])。 (p. 106-114)

左:図25 ロレンツォ・ロット《受胎告知》油彩、カンヴァス、1525-30年頃、
レカナーティ、市立絵画館 (p. 107) 。

右:図26 カルロ・ブラッチェスコ《受胎告知》テンペラ、板、15世紀最終四半世紀、
パリ、ルーブル美術館 (p. 108) 。

 聖書や神話上の人物像は、しばしばその人物のエピソードに由来する事物をアトリビュートとすることで特定される。本書のタイトルとなった「聖バルトロマイの皮」も重要なアトリビュートである。

右:図30 ドゥッチョ・ダ・ブオニンセーニャの追随者《聖バルトロマイ》14世紀前半、
シェナ、国立絵画館 (p. 120) 。
左:図31 ジョヴァンニ・デル・ビオンド派《聖バルトロマイ》14世紀前半、
フィレンツェ、アカデミア美術館 (p. 120) 。

 造形上の約束事を知ることによって、たとえばアトリビュートが特定されない普通名詞から、アトリビュートが厳密に個人を特定する固有名詞へと移行することが可能になる。われわれの文化の外部にいる者にとって、輪光をともない手に短刀をもつ男性として映る存在は、その文化の内部にいる者にとって、聖人(輪光がそのことを示す)、とりわけ使徒の一人で皮を剥がれて死んだ聖バルトロマイ(短刀は彼の殉教の象徴である)となる。たとえばドゥッチョ•ダ•ブオニンセーニャの追随者による板絵(シェナ、国立絵画館、一三二〇年頃[図30])と、ジョヴァンニ・デル・ビオンドの板絵(フィレンツェ、アカデミア美術館、一三七八年頃[図31])にこの聖人が表わされている。それに対し、ミラノ大聖堂にあるマルコ・ダグラーテの有名な彫像(一五六二年頃[図32])では、聖人は解剖学的構造をむきだしにした自らの身体に、その皮をショールのように巻きつけている。そのショールはきわめて自然に表現されているため、背後から見なければそれが皮であるとははっきりわからないほどである。実際、背後には頭部の皮まで存在している(図33)。つまり、聖人に対する拷問の結果(身体から剥ぎとられた皮)が、拷問の手段(短刀)に置き換わったのである。留意すべきは、この彫刻家が明らかに初期の解剖学的著作を利用したことである。 (p. 119-21)

右:図32 マルコ・ダグラーテ《聖バルトロマイ》(正面観)、
一五六二年、ミラノ大聖堂 (p. 121)。
左:図33 同(背面観) (p. 121)。

 著者は、「このような分析上の基準によって造形芸術の歴史をもう一度たどりなおしてみるのは、魅力的な試み」 (p. 123) のもう一つの例として、ティツィアーノの有名な《聖愛と俗愛》を挙げている。

図36A ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《聖愛と俗愛》油彩、カンバス、1514-15年、
ローマ、ボルゲーゼ美術館。 (p. 125)

 この絵は、二人の女性によってそれぞれ聖愛と俗愛が象徴的に描かれているのだが、以前ウンベルト・エーコの『美の歴史』にこの絵が載っていたのを見て、この絵の象徴性に関して、私は次のように書いたことがある。

 それまで、ヴィーナス像は裸像がほとんどであったので、右の裸のヴィーナスが「天上のヴィーナス=聖愛」、左が「地上のヴィーナス=俗愛」として素直に受けとった。きらびやかで贅沢な衣装を身につけることはじつに俗っぽい。しかし、キリスト教的倫理が支配する中世社会でもそうだったのだろうか。裸の聖母はけっして描かれない。「比較表」によれば、裸の聖母が現れるのは19世紀末のムンクによってである。ヴィーナスと聖母は違うといってしまえばそれまでだが、「双子のヴィーナス」概念が現れたときには、当然ながら俗社会の倫理、美意識も導入されたと見るべきではないか。
 いずれにしても、考えはじめたらますます迷うのである。 [6]

 つまり、断定的には理解できなかったということである。私ばかりではなく、西欧文化の観者にとっても多少は迷うものらしいことを、著者は述べている。

二人の女性は、われわれがもっている中産階級的精神と(とはいえ中世の精神ともまた)関連づけられるべきものに見える。左の女性は、きわめて慎み深いその衣服ゆえに、聖なる精神と、また右の女性は裸であるがゆえに俗なる精神と。実際はその逆なのだ。そのことは裸の女性のランプが、その炎によって聖なる思索の領域へと導いていることや、彼女がもう一人の女性より高い位置に描かれていることからもすでに察しがつく。ここでは裸体は清らかさを、つまり透明性を意味する(「裸の美徳」[nuda Virtus]、「裸の真理」[nuda Veritas])……のであって、実際「信仰」や「観想的生」の表象でも裸体が用いられている。逆に、左の女性の豪華な衣服は、媚態とまでは言わずとも、世俗性の表われとされる。 (p. 126)

 私の直感的な理解が外れていなかったことにほっとするが、図像解釈学による知識がなければ、確定的に理解することはなかなかに難しい。しかも、著者の言説はそれにとどまらず、この絵の「思想上のモデルはプラトンにある」として次のように書き進めている。

彼は『饗宴』(180c-e)においてウラニアの(天上の)ウェヌスとバンデモスの(俗世の)ウェヌスとを対置した。マルシリオ・フイチーノ (『プラトン《饗宴》注解』[VI, 7])はその影響を受けて二人の双子のウェヌスについて語っている。彼女たちの一人は、普遍的かつ永遠の美の原理である「天上の」ウェヌスと呼ばれ、もう一人は地上における美のイメージの源である、「俗世の」ウェヌスと呼ばれる。 (p. 126)

 絵画の形象的言説をめぐるセグレの言表的言説(彼はこれを対象の言説を表象するメタ言説と呼ぶ)は、ボッティチェッリの《春》や《ウェヌスの誕生》、さらにはデューラー、クラナハ、ルーベンスへと続く。

 著者は、基本的にはジャン・ルイ・シェフェールやルイ・マランなどのフランスの記号論者の形象的言表についての考えに同調しているようである。「絵画の中に特定しうる一連の場面は、絵画をテクストとして構成」しているので、そのテクストを分析することになるのだが、その読解についてこう述べている。

 読解は実質上、無数にある。実際、絵画とはシェフェールの言葉を借りるなら、認識論的空間を構成する体系の重複の結果である。その空間内で人は、体系の配列、重複、交差を通して、表意性と戯れることができる。 (p. 17)

 そうして、人は様々な美術作品にアプローチでき、豊かに言語化できるのである。じっさい、著者は失われた芸術作品、破片しか残されていない彫刻、廃墟に至るまで形象的言表の読解に歩を進める。
 ここでは触れなかったが、形象的言表の読解の理論的ベースとして、対象言表(言説)に対するメタ言語(言説)について、言語学的な考察を加えている。とくに、著者は、言語学的な拘束・制限を嫌って、「メタ言説」を採用するとしている。たぶん、そのことによって豊かな方法で芸術作品の「表意性と戯れることができる」からであろう。

 

[1] 『聖書』(日本聖書協会、1956年)「新約聖書(1954年改訳版)」p. 14。
[2] 同上、p. 137。
[3] 『大エルミタージュ美術館展』(日本テレビ放送網、2012年)。
[4] 諸川春樹、利倉隆『西洋絵画の主題物語 I 聖書編』(美術出版社、1997年)。
[5] 諸川春樹、利倉隆『西洋絵画の主題物語 II 神話編』(美術出版社、1997年)。
[6] 『聖書』(日本聖書協会、1956年)「新約聖書(1954年改訳版)」p. 83。
[7] ウンベルト・エーコ『美の歴史』 (植松靖夫監訳、川野美也子訳、東洋書林、2005年)


【書評】ユルゲン・ハーバーマス『ああ、ヨーロッパ』(岩波書店、2010年) その2

2014年01月11日 | 読書

【続き】

 

《政治的公共圏と熟議的民主主義》

 近代民主主義の制度的枠組みは三種類の要素の組み合わせから成り立っていて、立憲民主主義法治国家のそれぞれはその要素の組み合わせの強弱によって多様な政治実態を示していると、ハーバーマスは言う。その三つの要素の第一は「自分で決めた人生を営む権利」としての「市民の私的自律」で、第二は、「自由で平等な市民が政治的共同体に同じように包摂されていること」を保障する「民主主義的な国家公民権」で、第三は、「独立した政治的公共圏」 (p. 181) である。

平等な自由権、民主主義的参加、公共の意見を通じての統治――この三つの要素は、立憲国家に分類されるさまざまな国家のなかで、原則的にはひとつのまとまったデザインへと融合している。とはいいながら、国ごとに異なる伝統のなかでそれぞれ過渡的な秩序をなしている。リベラルな伝統は経済市民の自由を優先する傾向を示しているし、逆に共和主義的伝統では、積極的な国家公民による民主主義的意思形成への参加を、あるいは、熟議的な伝統では、公共権でのできるかぎり合理的な意見の形成が重視される。 (p. 183)

 平等な自由権を強調する立場は「リベラリズム」で、アメリカ合州国の政治的枠組みに強く見られ、それを特段に強調すればアナーキーな経済活動に近い「ネオリベラリズム」となる。
 民主主義的な参加を重要に考える立場は「共和主義」で、「国家へと統一された市民たちが共同で自己決定をするのであり、そうした政治的実践を可能にすることが目標」 (p. 185) とされる。
 ハーバーマスも「政治的リベラリズムと民主主義の経済理論のあいだに、また共和主義と民主主義研究のコミュニタリアニズム的方向のあいだに親和力が働いている」 (p. 188) と述べている。今日、「リベラリズム」や「ネオリベラリズム」への批判は多く見られるし、コミュニタリズムへの批判はアマルティア・セン [3] などによってなされている。

 三つ目の要素、「独立した政治的公共圏」つまり「公共の意見を通じての統治」こそがハーバーマスが提唱する政治的枠組みそのものである。

共和主義モデルにとって民主主義のプ口セスとは、共同の意思を表明することに価値があるが、リベラルなモデルにとっては、社会における経済市民の自覚された個人的利害に政府の政策が合致するように仕向けるのが、何よりも民主主義の意義である。それに対して、熟議モデルでは、公共のさまざまな意見が、できるだけ操作されず自由に交わされることが重要である。この意見の活発な交換の過程に、選挙民の意思が組み込まれていなければならない。またこの意見交換の過程に、議会その他における審議・決定の形式的手続きが組み込まれていなければならない。そしてまさにこの公的意見の場に組み込まれているがゆえに、合理化の圧力が生まれ、それこそが個々の決定のクオリティを高めるのである。 (p. 186-7)

 共和主義のモデルの場合には、国家公民の参画という側面に視点を集中しすぎている。それによって、現代の諸システムがもつ高度の複雑性に適わなくなっている。逆に合理的選択〔リベラルな民主主義〕のモデルでは、政治的行動を見るにあたって、基本的な規範的側面が見えなくなってしまう。それに対して、熟議的なモデルは、合理的選択や政治的エートスも見るには見るが、それ以上に強く意見形成・意思形成という認識上の機能に重点を置いて見る。この点で、市民たちの選好を競争民主主義に束ねあわせる行き方や、それぞれのネーションの集団としての自己決定を求める代わりに、問題解決にむかっての協調的探求が重要である。 (p. 189)

 しかし、熟議的な民主主義のためには政治的コミュニケーションが成立する熟議のアリーナとしての「政治的公共圏」が必要である。意見形成・意思形成を行なう〈場〉が欠かせないのだ。議会や政府委員会のような場は、制度的な議論の場であり、またシヴィル・ソサイエティにおける市民同士の意見のやりとりも大切な意見交換の場であるにはちがいないが、「政治的公共圏」とは議会や政府とシヴィル・ソサイエティの間に位置するようなアリーナであって、そこでは合理的なディスクルスがなされなければならない。
 「政治的公共圏」を考えるにはマスメディアを通じた政治的コミュニケーションを抜きに考えることはできない。しかし、そのマスメディアはそのまますぐれた政治的公共圏であるわけではない。

政治におけるエリートである政治家たちは、行動するにあたってマスメディアの注視に曝されている。またメディアの消費者たちも、公共の議論の変化や世論調査の動向を見守り、そのつど反応していく。さまざまな情報や考えや画像が駆け巡っていて、いわば情報のインフレが起きているのだが、そうした事態を見ると、今日では政治はマスコミにますます深く取り込まれているという印象を受ける。それどころかマスコミに吸い込まれ、マスコミによって変造されているかのようだ。  (p. 200)

法廷や議会の委員会のような制度化された意見形成や意思決定と較べると、マスメディア型のコミュニケーションには、二つの要素が欠けていることが目を引く。その第一は、集団的な決定の現場に加わる出席者相互の(あるいは欠席していても、潜在的には出席している相手との)相互交渉の欠如である。第二は、相互に対等な意見および妥当請求の交換の場では、話し手と、聞き手という役割があり、それが相互に入れ替わるのだが、そうした側面が欠如していることである。その上、マスメディアにおけるコミュニケーションの力学を見ると、議論の自由なやりとりの前提をあざ笑うかのような権力関係が露呈している。メディアの権力は、メッセージを選択し、それを伝達する時点や、伝達の仕方を自ら決定できる。 (p. 202)

 メディア権力というのは政治的・社会的枠組みではない。現在の先進民主主義的国家が採用する資本主義経済においては自発的な経済活動としてマスメディアが存在する。
 したがって、メディア王と呼ばれる「ルバート・マードックは、……自分の新聞と放送局のもつ重みを使って、マーガレット・サッチャー、ジョ—ジ・W・ブッシュ、あるいはトニー・ブレアーといった政治家の側に肩入れし」、「もう一人のメディア王のシルヴィオ・ベルルスコーニ……は……メディア所有者という法的可能性を自分に有利なプロパガンダに徹底的に利用し」、「政権に就くと、自分の政治的成功と私的財産を保護する目的の法律の制定に影響力を行使した」 (p. 232) という事態は、けっして特殊な例ではないのである。
 日本でもまた、警察官僚出身で政治家でもあった正力松太郎を社主とした読売新聞がきわめてあからさまに自民党政権を支え続けていることはよく知られている。

 しかも、日本のマスメディアの現状を眺めていると、マスメディア自体が「政治的公共圏」として政治的コミュニケーションのメディアであることに関心を持っているかどうか、危ぶまれるのである。たとえ政治的コミュニケーションがなされるにしても、それは実に多様なメディアとそのプログラムを通じてであり、「バベルの塔の言語的混乱に比せられるほどの、声や見解が千々に乱れ飛ぶイメージを与え」 (p. 203) るような状態である。しかし、ハーバーマスは「マスメディア的コミュニケーションは、膨大な公衆の反響に鈍感だというわけではない」 (p. 204) のだと期待を繋ぐ。
 マスメディアのもう一つの例としてインターネットが挙げられる。しかし、「インターネットは、テーマごとにまとまってコミュニケーションが空間を越えて迅速に進む脱空間化のためのハードウェアを提供」するものの、「拡散してバラバラになっているさまざまなメッセージを集め、選別し、再編集し、まとめるといった機能が抜けている」 (p. 207) のだ。

 政治中枢とシヴィル・ソサイエティの中間に位置する政治的公共圏は、そのどちらからも独立していなくてはならない。そうでなければ、政治的公共圏における合理的なディスクルスが保障されないからである。そのディスクルスはどんなものでなければならないか。

熟議的民主主義の基準に従えば、ディスクルスは――そしてこのディスクルスこそが民主主義的な手続きの重要な構成要素なのである――以下の三つの推定にしっかりした根拠があると思えるような性質でなければならない。第一には、重要な問いと、それについて対立する複数の見解、必要な情報、そして賛成の議論でも反対の議論でも、それを支える適切な論の組み立てが十分に試されている、という推定である。第二には、対立しあう複数の見解が浮き彫りになってきたときに、そのどちらも立論に即して検討され、それに相応した評価がなされている、という推定である。第三には、手続きにそって決定がなされるとき、どちらをとるかは、合理的な動機に従った見解こそが決め手となっている、という推定である。 (p. 213)  

 ハーバーマス自身は、「こうした高度な期待が現実となるのは、なかなか難しい」と自覚している。しかし、このように議論を進めておくことは「コミュニケーションにおける病理現象の原因を確定し、また分析するための規準が得られ」 (p. 214) るからだという。

政治的公共圏の舞台のアクターたちのあいだには、彼らがもつ権力もしくは〈資本〉〔文化資本や社会資本や経済的資本〕のカテゴリーによって序列づけられた、ある種のヒェラルキーがある。権力をマス・コミュニケーションのチャンネルを通じて公的な影響力に変換するチャンスは、アクターごとに不均衡に割り振られている。 (p. 225)

 政治中枢、政治的公共圏、シヴィル・ソサイエティと並べたとき、政治的公共圏での影響力をほとんど持たないのはシヴィル・ソサイエティのみに属する市民である。とくに政治的公共圏をマス・コミュニケーションと考えた場合には、市民の大多数は、たんなるニュースの消費者であるだけの大衆である可能性が高い。 

はたしてマスメディアの消費者たちが政治的コミュニケーションに自律した存在として参加するのに必要な前提と能力をもつていると期待していいのだろうか、そう期待するのは合理的なのだろうか、という疑念である。
 マスメディアの受け手は気の散りやすい大衆としての公衆である。彼らが熟議的な正当化プロセスにおいてふさわしい役割を果たしうるためには、エリートたちの、われわれの思うところではそれなりに合理的なディスクルスの核心を吸収し、重要な問題に関して、彼ら自身がそれなりに反省的な意見を作ることができなければならない。一見したところ、この条件は、無茶苦茶な要求で、とても満たせるものではないと思えるかもしれない。公共の問題に関する無知についての研究を見ると、平均的市民は何の関心もなく、問題についてほとんど知らない、という愕然とする実態が描かれている。  (p. 226)

 こうした実態は、小泉郵政選挙を初めとする日本の選挙民の投票行動からも明らかである。まず第一に、マスメディアの政治的・知的水準が「平均的市民は何の関心もなく、問題についてほとんど知らない」と評される程度と同水準で、政治家の口先に完璧にしてやられ、国民はそれに応じて、自民党、民主党、日本維新の会、また自民党と大量に投票行動を変える。ハーバーマスの想定する最悪のケースが、政治的公共圏と期待されるマスメディアとシヴィル・ソサイエティの構成員たる市民の双方で生じているのである。
 したがって、ハーバーマスの期待に反して、私にはなかなか現状での「可能的」政治的公共圏というのが見えてこないのである。それに対するハーバーマスの一つの答えが次のようなものであると、心細さはひとしおである。

……愕然とさせる研究データといえども、よくあるように、はっきりと否定的な結論に至るものでは必ずしもないことがわかる。というのも、長い目で見ると、読者や視聴者は、多かれ少なかれ無意識のプロセスを経てだが、政治的テーマに対して、合理的な態度をもつようになるからである。無意識と言ったのは、偶然的に得られた断片的な情報に対する、多くの場合不明瞭な、そしてその後「忘れられてしまった」さまざまな反応の集積の結果として、合理的な態度が生まれてくるためである。……「人々は、政治についての大量の知識がなくても、自分たちの政治的選択を考えるにあたってしっかりした存在でありうるのだ。」(Michael X, Delli Carpini, “gMediating democratic engagement: The impact of communications on citizens, involvement in political and civil life”, in: Kaid (Hg.) 2004, S395-434)   (p. 227)

 先に挙げたように、ベルルスコーニやマードックのようなメデイア支配の病理がある。そればかりではなく、小泉的言説に日本のマスコミがほぼ完璧に盲目的に従ってしまったように、ブッシュの「対テロ戦争」言説に対抗する他の解釈の試みすらアメリカのマスメディアに一切生じなかった (p. 230) というのもまた、マス・コミュニケーションの重大な病理、症状である。

 このようにマスメディアと受け手としての市民の双方に深刻な問題があるのだが、それを踏まえた上で、ハーバーマスは警告する。

公共圏というのは、近代の西洋社会の成果である。数多くの前提をもち、それゆえ信じられないほどに変化進展してきた成果である。とはいえ、そうした公共圏が生まれた国々や地域においてすら、公共圏が生き残れるかどうか、定かではない。とはいえ、公共圏という複雑で、また同時に脆弱なコミュニケーション構造が解体するならば、近代社会の政治的自己理解、つまり、自由で平等な市民たちのアソシェーションが自分たちで事を決めていく法治国家的民主主義という高度な自己理解を支える基本的な社会的基盤が消滅することになる。  (p. 237-8)

 

[3] アマルティア・セン(大門毅、東郷えりか訳)『アイデンティティと暴力 ――運命は幻想である』(勁草書房、2011年)。


【書評】ユルゲン・ハーバーマス『ああ、ヨーロッパ』(岩波書店、2010年) その1

2014年01月10日 | 読書

 三島憲一、鈴木直、大貫敦子の共訳になる本書は三部構成で、第一部は「ポートレート」でローティ、デリダ、ドゥウォーキンなど交流のあった思想家の受賞への祝辞や追悼文を集めてある。第二部は「ああ、ヨーロッパよ」と題し、本書のタイトルとなったヨーロッパ統合危機への憂慮と渇仰の論考が収められている。第三部は「公共圏における理性のあり方」で、ハーバーマスのハーバーマスたるべき「熟議的民主主義」への熱意が語られている二つの論考からなる。最後に「付論」として、あらためてヨーロッパ統合への希望が語られている。

《デリダとドゥウォーキン》

 讃辞や弔辞に言を差しはさむのはいかがなものかと思い、第一部には触れないでおくつもりだったが、ジャック・デリダとハーバーマスは面白い対比だし、ロナルド・ドゥウォーキンいう名前は初見だったのでメモしておく。

 ユルゲン・ハーバーマスとジャック・デリダを対照的に眺めたのは、ジョヴァンナ・ボッラドリ編著の『テロルの時代と哲学の使命』 [1] を読んだときである。「ポストモダン」思想の代表選手の一人であるデリダと「ポストモダン」思想批判を展開するハーバーマスが、〈9・11〉を直接経験したボッラドリの長時間のインタビューに答えた本である。この本の「訳者あとがき」で藤本一勇がハーバーマスとデリダについて書いていることを紹介しておく。

アメリカ「勝ち組」連合によるネオリベラル=ポリス主義政治が、「地球村」を露骨な暴力でもって「改造」しようとしている現在、「力が正義」の覇権主義的発想とは異なる、「ヨーロッパ」的な「正当性」理念の再構築が急務であり、そこに「新しい啓蒙」を軸とするハーバーマスとデリダの「連帯」の意味合いもある。ハーバーマスの「近代の未完のプロジェクト」と、デリダの(こう言えるなら)「ポストモダンの未完のプロジェクト」を接木することは、「脱構築」の発想から見てそれほど突飛なものではない……。 [2]

 10年も前に読んだ本で、ほとんど記憶が不鮮明だが、これを機会にもう一度読み直しておこうと思う。
 さて本書では、デリダとの関係についてハーバーマスは次のように記している。

ちなみに、あらゆる政治的なものを超えて私とデリダを結びつけているのは、カントのような著作家に対する哲学的な関係です。もっとも、ほぼ同世代に属しながら個人史的な背景をまったく異にするわれわれ二人を分断しているものもあります。それは後期のハイデガーです。デリダはレヴィナスに見られるようなユダヤ教的影響を受けた視点からハイデガーの思想を受容しています。これに対して私が出会うのは、一九三三年に、そしてなによりも一九四五年以降に、市民として失格した哲学者としてのハイデガーです。しかし市民としてだけではなく哲学者としてもまた、ハイデガーは、私には胡散臭く思えます。なぜなら彼は三〇年代にニーチェを、当時の流行であった新異教者としての姿そのままに受容したからです。デリダは「想起」に一神教の伝統の精神に由来する解釈を付与していますが、私の見方は異なります。ハイデガーの粗雑な「存在思想」は、ヤスパースが軸の時代と呼んだ、あの人類の意識史上の画期をなす敷居を取り払うものだと私は見ています。シナイ山で覚醒を呼びかける預言者の言葉やソクラテスのような人物の哲学的啓蒙など、さまざまな仕方で特徴づけられるあの不連続なエポックに対してハイデガーは裏切り行為をなしたというのが私の理解です。
 デリダと私が互いに、それぞれに異なるわれわれの動機の背景を理解しさえすれば、解釈の違いがそのまま事柄における違いとなる必要はありません。いずれにしても「休戦」、あるいは「和解」などというのは、われわれの間の親密でオープンな交流にとって適切な表現ではないでしょう。 (p. 68-9)

 正直に言えば、真摯に〈ドイツ〉問題に向き合ってきたヤスパースやハーバーマスの篤実さに私はとても好感を持っている。一方、一群のフランス・ポストモダン思想家たちの過剰な装飾がちりばめられているような文章に辟易しながらもその思想性にはとても惹かれている。ただ、そのどちらに対してもガヤトリ・スピヴァクのように「ヨーロッパ中心主義」ときつく批判を浴びせる(彼女によればデリダだけは違うらしい)ことにも、アジア人たる私は同意しているのである。

 初見の名前だと上記したロナルド・ドゥウォーキン(1931-2013)は、アメリカ合州国の法哲学者だという。ハーバーマスは、ジョン・ロールズと比較しながら次のように評している。

 このようにドゥウォーキンは、一人ひとりの社会市民の倫理的自由を、国家公民の道徳的=政治的自由よりも上位に置くわけですが、ここから、分配の正義に関するロールズとドゥウォーキンの構想に興味深い違いが生じます。社会民主主義的なジョン・ロールズは、資本主義社会の中で正当と見なしうる社会的不平等とは、ハンディキャップを負っている階級でさえも自分自身の利害からあえて引きうけるであろう程度のものに限られると考えます。これに対してドゥウォーキンは彼の野心的著作『至高の徳――平等の理論と実践』の中で分配の正義についての社会リベラル的理論を展開しています。そこでは私的人格の個人的自由が中心に置かれているため、自分の送りたいと思っている人生の選択についてのリスクは、それぞれが自分自身で負うことになります。すべての人が出発点において同じ資源を利用できるようにしたうえで、一種のオークションを通じて、コストのより大きい人生設計とより小さい人生設計の間で落とし听を見つけ出す。それによって機会の平等が保証されるというわけです。ただし資源の平等という観点から、環境や遺伝素質によって個人が負わされている、自分のせいではないマイナスやハンディキャップも補償される必要があります。この高度に洗練された実験ルールは専門家の間で高い評価を受けました。   (p. 83)

 現状のヨーロッパ型民主主義政治体制を原理的には容認した上で、「熟議的民主主義」を発展させようと考えるハーバーマスにとって、ドゥウォーキン的リベラリズムは重要な思想ではあるだろう。しかし私は、このようなアメリカン・リベラリズムもまた現代社会の(新自由主義的政治・経済による)格差拡大を積極的に下支えしてきた思想の一つだと考えている。せっかく一人の著名な思想家(私は知らなかったが)を知ったのだが、さしあたって読む予定には入っていない。

《ヨーロッパ統合》

 第一次、第二次世界大戦の絶対的な当事国に生まれたハーバーマスにとってヨーロッパのトランスナショナルな統合への渇仰は、次のようなやや感情的な記述にも見て取れる。

 まさに運命の日々である。西洋は、〔二〇一〇年〕五月八日に、ロシアでは五月九日にナチス・ドイツに対する戦勝記念日を祝っていた。ドイツでも五月八日を形容する正式の表現は、「解放の日」である。今年は、対独連合国の軍隊が(ポーランド部隊も加わって)一緒に戦勝記念のパレードを催した。モスクワの赤の広場の祝典では、アンゲラ・メルケル首相がプーチンのすぐ横に立っていた。彼女の存在は、「新しい」ドイツの精神を強調するものだった。戦後ドイツを生きた数世代は、自分たちの解放のロシアも参加していたことを、しかも連合軍の中で最大の犠牲を払ったことを、忘れていないことを示したのである。 (p. 243)

 しかし、ハーバーマスは、「現在私を不安にさせているのは、ヨーロッパの未来です」と明言し、「何を最終目標としてヨーロッパ統合がなされるのか」を決めることができなければ「ヨーロッパの将来はネオリベラル派の意に即した形」 (p. 100) で進められであろうと深く憂慮して、次のように問題点を指摘している。

 現在火急の三つの問題を挙げますが、それは、ただ一つの問題に絡んでいます。それは欧州連合の行動力の欠如という問題です。
 
(1)……つまり政治的構築力を超国家的なレベルで再獲得するという方法です。各国の税制が同じ方向に収斂しなければ、また財政と社会政策とを、中期的な展望にたって調和させていかなければ、ヨーロッパの社会モデルの運命を他者の手に委ねてしまうことになります。
 
(2)なりふりかまわぬ覇権的な権力政治の回帰、西側世界とイスラーム世界との衝突、世界の他の地域における国家構造の崩壊、植民地の歴史がもたらす長期的な社会的悪影響、そして失敗に終わった脱・植民地化の直接的な政治的帰結の問題――これらすべては世界がきわめて危険な状況にあることを示しています。欧州連合は、外交上の行動力をもってはじめて、アメリカ、中国、インド、日本と並んで世界政治上の役割を担うことができるでしょう。そうした場合にのみ欧州連合は、世界経済の現存の諸制度のなかで、支配的なワシントン・コンセンサスに取って替わるオータナテイヴの形成を促すことができるでしょう。そして何よりも国連のなかで、もうとっくになされるべき国連の改革――かつてはアメリカが阻止しましたが、いずれにせよこのアメリカの同意がなければ不可能な国連の改革――を進めることもできるのです。
 
(3)イラク戦争ではっきりとした西側世界の分裂の原因は、アメリカ国民自身を二つのほぼ同等の勢力に分かつ文化の闘争に求めることもできます。このようなメンタリティにおける地盤のずれの結果、これまで妥当性をもってきた政府の政策の基準も横滑りを起こしています。この問題は、アメリカと最も密接な同盟諸国にも無関係ではありません。まさに一緒に行動しなくてはならないような危機的なケースでこそ、われわれはより強いパートナーへの依存から抜け出さねばなりません。それゆえに欧州連合は固有の軍隊を必要としているのです。これまでヨーロッパ諸国は、NATOの出動の際にアメリカの司令官の指示と規則に従わねばなりませんでした。いまこそわれわれは、共同の軍事行動をする際でも、国際法や拷問の禁止や戦争犯罪に関する欧州連合自身の考え方に忠実でありうる能力が必要なのです。 
(p. 101-2)

 ヨーロッパもまた〈帝国〉としてのアメリカ合州国との〈同盟〉という名の束縛から自由を勝ち得る必要があるというわけである。そうした情況は、日本においてはいっそう深刻で、〈同盟〉はきつい呪縛として政治支配層の被支配者意識を形成しているようだ。かつて、イラクへの軍事侵略に非協力的なヨーロッパを「古いヨーロッパ」と罵ったブッシュ政権の閣僚がいたが、イラク侵略後にはその帝国的様相から「新しいヨーロッパ、古いアメリカ」という言葉が聞かれるようになったが、その「新しさ」は政治システムとしては未だまったく形をなしていないが、ハーバーマスは、NATOからの軍事的切断、独立すら指摘するのである。

 「「ポスト世俗化」の意味するところ」という論考では、ヨーロッパ啓蒙主義の伝統の中でのいわば常識的な近代社会の理解の仕方を次のようにまとめている。

 まず第一に、科学技術の進歩のおかげで、世界の構造が因果的に説明できるようになり、世界のさまざまなつながりは「脱魔術化され」、人間中心的な理解が発展してきた。科学によって啓蒙された意識は、神中心の世界像、あるいは、形而上学的な世界像とは合わなくなってしまった。
 
第二に、社会のサブシステムが機能分化していくにつれて、教会や宗教組織は、法、政治および公共の福祉、文化、教育および学問の分野に手が届かなくなって来た。教会や宗教組織は、救済財の管理という自分たち固有の機能に自己限定するようになり、宗教行為は多かれ少なかれ私的な事柄と見るようになった。それとともに全般的に公共の場での重要性を失っていった。
 
第三に、農業社会から工業社会への、さらにはポスト産業社会への発展に伴い、仝般的に豊かさの水準が向上し、社会的安全性も増大した。生活上のリスクから解放され、個人が生きて行く上での安全性も増大するに伴い、一人一人にとっては、管理不能の偶発性を「向こうの」世界の力、あるいは、宇宙の力とのコミュニケーションによって押さえ込むと称する行為の必要性が消えていった。 (p. 106-7)

 しかし、著者自身も認めているように、このようなヨーロッパ中心主義的理解は、世界の宗教意識の高まりをまったく説明できない。例えば、アメリカはキリスト教組織が比較的強大で政治的判断にも多大な影響を及ぼしているし、中東や南アジアでの宗教的紛争は拡大傾向にすらある。こうした現状を踏まえて、上のような啓蒙主義的な見方を、ハーバーマスは「西欧的合理主義のゆえに世界の他の地域にとってモデルになるはずだったヨーロッパの発展のあり方は、むしろ特殊な道に見えてくる」 (p. 107) と評しているほどである。
 そして、「宗教的に揺り動かされている世界社会」 (p. 109) にあって、「宗教は、政治的公共圏においても、社会のもつ文化においても、個人的な生活態度においても重要性がなくなったということにはかならずしもならない」 (p. 110) として、次のようにまとめている。

現代社会を「ポスト世俗化」の社会として新たに性格づけるのは、ある種の意識変化と関連してのことである。ここではこの変化の理由を三つの現象に求めてみたい。
 
(a)第一に、メディアによって世界中での紛争が、しばしば宗教的対立として報道されているのを見ているために、公共の意識に変化が生じている。ヨーロッパの大多数の市民は、自分たちの世俗化された意識状態が、世界基準から見るとあくまで相対的なものでしかないことを、自覚させられている。……宗教は近い将来消滅するという世俗主義的な確信は揺さぶられ、……文化的および社会的近代化とともに宗教の公的なまた個人的な意味も薄れていくとは確信できないのである。
 
(b)第二に、ナショナルな公共圏の内部ですら宗教は重要性を獲得しつつある。私の念頭にあるのは……、世俗化された社会の政治の分野でも、宗教組織が解釈共同体の役割を引き受けている度合いが高まっている事態である。こうした宗教組織は、論争の的になっているテーマに関して重要な意見を表明し、公共の意見形成・意思形成に影響を及ぼすことがある。……われわれの社会は、世界観的には多元主義的な社会なので、このような宗教組織からの意見表明による介入には敏感な共鳴板となっている。……議論の状況は混迷をきわめていて、どの勢力が正しい道徳的直感に依拠しているかがはじめから明らかということは、まったくなくなっている。……
 
(c)また労働移民や難民として流人して来た人々、特に伝統の力の強い文化地域から移民して来た人々は、市民たちに意識変化を引き起こす第三の契機である。……ヨーロッパ社会自身が、ポストコロニアルな移民受け入れ社会への変貌という苦痛に満ちた過程にあるのだが、そうした社会において、さまざまな宗教共同体が相互に寛容に共生するにはどうしたらいいかという問題が、流入して来るさまざまな文化を社会的にどのように統合したらいいかという困難な問題によってさらに先鋭化することになった。しかも、労働市場のグローバル化という条件の下で、この社会的統合は、社会的格差の拡大という屈辱的環境の中で果たされねばならないのだ。 (p. 110-2)

 ハーバーマスは、やはりハーバーマスらしく「宗教的に揺り動かされている世界社会」へ問題意識を拡大することなく、西洋合理主義へと立ち戻って来るのである。したがって、その上での次のような論述は当然といえば当然なのである。

下位文化(サブカルチャー)としての宗教的共同体は、そのメンバーを囲い込み状態から解放し、彼らがシヴィル・ソサイエティのなかで相互に国家公民として、同じ政治的共同体の担い手およびメンバーとして承認しあえるようにしなければならない。民主主義国家の市民として彼らは、自分たちで作った法の下で、私的な社会市民として自分たちの文化的および世界観的なアイデンティティを守り、さらには相互に尊重しあうようにならなければならない。民主主義国家、シヴィル•ソサイエティ、自立した下位文化についてのこの新たな理解こそは、今日では対立しあうことの多い普遍主義と個別主義の二つのモチ—フの正しい理解の鍵である。この二つのモチーフは本来なら相互補完的なものであるはずなのだ。政治的啓蒙の普遍主義的関心は、正しく理解された文化的多元主義がもつ個別主義のセンシビリティと矛盾するものではないのである。 (p. 116-7)

 こうした理念的言説に反対する理由は、もちろん私にはない。ただ、ボードリヤールを引き合いに出すまでもなく、流動化したポストモダン社会(ジグムント・バウマンは「リキッド・モダン」社会と呼ぶ)での恒常性幻想としての宗教性であるとか、新自由主義的政治・経済的な国家侵略への抵抗思想としての宗教性だとかいう観点は、ここにはない。そのため、私にはこのような新啓蒙主義的理念をどのように実現していくのか、その道筋がまったく想像できないのである。

 ヨーロッパは否応なく「多文化主義」の問題に直面している。ただ、「多文化主義」は様々な場面で課題を提起し、社会問題として論じられることが多いが、にもかかわらず「多文化主義」をめぐるヨーロッパの現状をハーバーマスは次のように述べて(憂えて)いる。どこまで行っても「西洋中心主義」は西洋中心主義だというわけである。西洋合理主義(啓蒙主義)では、当面「多文化主義」への解答はないと考えた方が良いのかもしれない。

イスラーム過激主義のテロを見て、それまでは多文化主義を信奉していた左翼の多くが、戦争を圧倒的に支持するリベラル・タカ派に変じてしまい、それどころか新保守主義の「啓蒙原理主義者」たちと、予想もされなかった連合を組んでしまったからである。宗旨替えをした彼らは、もともとずっと啓蒙の普遍主義的要求を拒否していた。おそらくそのゆえにだろうが、彼らはイスラーム過激派に対する闘争において、かつては批判し、(保守主義者と似たかたちで)戦いの相手にしていた啓蒙の文化を、これは「西側の文化」で、自分たちの文化だと称しやすかったのだ。「啓蒙が彼らにとって魅力的になったのは、啓蒙の諸価値が、たんに普遍的だからではなく、とりわけ、それらがまさに「われわれの」つまり、ヨーロッパの、そして西洋の価値だからである。」 (I. Buruma, Die Grnzen der Toleranz,  München:  Carl Hauser Verlag 2006, S. 34.)  (p. 123-4)

 さて、「行き詰まったヨーロッパ統合」は本書の中心的な主題である。ヨーロッパ統合の行き詰まりのもっとも見やすい結果はEU拡大によってもたらされている。それを説明するために、著者はフォブルハの言葉を引用している。

「拡大と深化のあいだにある矛盾は、今までより明白に高額の援助金によって克服する以外にない。この矛盾はEUをトリレンマへといたらしめる。EUは、これまでにもまして富の再分配を行わねばならないか、あるいは、レベルの低い統合に甘んじるか、あるいは、統一的な統合という理念を断念して、統合のレベルに段差をつけるか、である。」(ゲオルク・フォブルバ、Die Dynamik Europas (Wiesbaden: VS Verlag,2005) S. 95)  (p. 140)

 ハーバーマスのヨーロッパ統合への期待は、「西側の政治の規範的基盤の信憑性を損なってしまった」アメリカの単独行動主義による不当な「意図的な国連の無視、国際法に違反するイラク侵攻、人道的次元での度重なる国際法違反、露骨なダブルスタンダードの政治」 (p. 145) への反発が多くの国々のヨーロッパヘの期待を生み出したことにも支えられているようだ。

 世界的に重要なこの経済圏は、政治的にも注目されるようにならねばならない。それには、 二つの明白な論拠がある。(a)第一に、ひとつの国民国家だけで、国際政治に影響力をもつ可能性はほとんどないからである。国民国家は、自分の利害を実現するためにも、さまざまな国家との共演コンサートに加わらねばならない。(b)第二に、世界社会(weltgesellschaft)は多文化的に分裂していながら、システムとしてはさまざまに複雑化し、細分化している。こうした世界社会のなかでは、もしも中規模・小規模な国民国家群がグローバルな行動能力と交渉能力を備えたEUのような地域規模の政権にまとまらなければ、世界内政治(weltinnenpolitik)のために望ましいトランスナショナルな制度ができる見込みがないからである。 (p. 146-7)

 ヨーロッパ統合の「ブレーキになっているのは、政府であって、住民ではない」 (p. 163) として、ハーバーマスが提唱するのは次のようなことである。

政府はこの際、おもいきり態度を変えて、すべての加盟国で同じ選挙規則の下で同時に住民役票を行って、市民が自分たちで決定する機会を作るべきであろう。決定すべき問題は、政治的に立憲化されたヨーロッパを、しかも直接投票で選ばれた大統領と固有の外務大臣をもち、税制政策をいまよりもずっと統一化し、社会政策レジームも均等化したヨーロッパを望むのかどうかいうことである。提案は、加盟国の多数および住民の多数という「二重多数」を得たならば、承認されたとしてよいであろう。承認されたとしても、住民投票の結果、市民の多数がこの改革案に賛成した国々をのみ縛るものとすればいいだろう。私の予測では、東ヨーロッパの新規加盟諸国も、このような、当然のことながらあまりうれしくない選択肢をつきつけられたならば、どちらかといえば、中心部の国家群に加わろうとするだろう。それゆえ段差をつけた統合という政策は、決してこうした東欧の諸国家の意に反するものとして考えられてはいない。中心と周辺をもったヨーロッパとなっても、とりあえず周辺にいたいとする諸国家でも、いつでも中心部に加わるオプションを開いたままにしておけるのである。 (p. 163-4)

 ハーバーマスはこのような選挙制度による意志決定システムが実現する可能性は高いと考えているのだが、あいかわらず、私には可能性の多寡の予想すらできないのだ。もちろん、私はヨーロッパ統合を評価している。とくに、ドイツがみずからナチス・ドイツ問題に積極的に向き合い、そのうえでヨーロッパ統合の(経済的)中心となっていることに驚きばかりではなく敬意をも抱いていて、彼我のあまりにも大きな差に今さらながら落胆するばかりなのである。ハーバーマスは、大戦後を生きたドイツ人についてこう書いている。

必要なのは、国民の広汎な層におけるメンタリティの変化だった。そしてこれには大変な努力が必要だった。ヨーロッパの隣国の人々が最後に融和的な気分になったのには、なんといっても、戦後の連邦共和国に育った若い諸世代に規範的な確信が根づいたことが大きかった。そして、世界に対する彼らのオープンな態度が寄与した。そして当然のことながら、外交上の交流において、当時それぞれ活躍していた政治家たちの考えていることが信頼に値すると思われたことが、事態を動かす決定的なきっかけとなった。  (p. 248)

 西半球のドイツに対して、東半球の全体主義的侵略国家であった日本ではどうか。「戦後の日本に育った若い諸世代」に含まれる阿倍自民党内閣のもとで、日本という国は「同盟国」アメリカですら不快感を表明せざるをえないほどに東アジアの最大の不安定要因国家になりさがっている。地域統合などは夢の夢であって、それどころか地域内戦争のリスクを高めつつあるのだ。

 

[1] ユルゲン・ハーバーマス、ジャック・デリダ、ジョヴァンナ・ボッラドリ(藤本一勇、澤里岳志訳)『テロルの時代と哲学の使命』(岩波書店、2004年)。
[2] 同上、p. 326。

【続く】


【書評】樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析』(光文社、2007年)

2014年01月07日 | 読書

 

 副題の「なぜ伝統や文化が求められるか」というのが、著者がこの本で強く語りたかったことだろう。けっして、ネオリベラリズムの政治や経済、そのグローバルな展開についての論述ではなく、ネオリベラリズムが席巻する現代資本主義のもとでの社会的、文化的現象の社会学的、心理学的分析について述べているのだ。そして、ポストモダンの思想家、社会学者の様々な文化批評や社会分析が広範に紹介されていて、社会分析の教科書という印象もある。
 教科書というものはたいがい面白くないものと相場が決まっているが、この本はとても面白く読めた。その第一の理由は、多くの著書の引用として紹介される社会分析の様々な手法や概念が、私たちがよく見知っている現代、とくに日本の社会情況を適切に解説してみせていることにあると、私には思われる。自分の知らない新しい概念や思考方法が書かれていること、それを知ることによって、社会、世界(自然)が少しばかりではあっても見通しがよくなること、それが私にとっての読書の意味である。

 本書は、私たちの社会に存在している多くの問題を指摘しているものの、「おわりに」で「具体的な処方箋を書くスペースは本書にはなかった」 (p. 316) と述べているように、社会諸現象の解決策を提示しているわけではない。ただ、正しい解決方策、処方箋に至るためには著者のような「臨床社会学」の立場からの「社会の見方」や「理論的展望」(p. 317) が必須の前提的知見であることは間違いない。そして、短兵急に解決策を知りたがる私のような人間にはとくにこんな本が必要なのだと、あらためて知らされたのである。

 この論考を執筆する著者には、日本の政治における復古的な伝統主義(=原理主義)への危機感と同じように教育に対する危機感も強くあって、それが本書の基調になっているようだ。それは、新自由主義による社会の流動化が文化や言葉に基づく社会の恒常性を希薄化させたことによる。恒常性のない社会での教育の困難と、恒常性を安易に伝統に求める政治とを憂えているのである。それが、私の粗っぽい本書の要約である。

 「ネオリベラリズム」とは、「新自由主義」、また、より批判的な意味を込めて市場原理主義」「市場独裁主義」と呼ばれる、現在の社会・経済のあり方を指している。 (p. 11)

 著者は、新自由主義が1970年代の先進国の変動相場制の導入に始まると見ているようだが、それはフリードリッヒ・ハイエクに始まりミルトン・フリードマンを中心とするシカゴ学派によって提唱された新自由主義的経済政策を国際戦略として採用したアメリカ合州国やそれに追随した資本主義先進国の経済政策を意味している。
 
そこに至る資本主義の変遷を理解する上で興味深いリュック・ボルタンスキーとエヴ・シャペロ(著者はシアペロと記述)の説が紹介されている (p. 162-5)。19世紀末に表われた第1段階の資本主義は「アナーキーで個人主義的」であったためマルクス主義や社会主義の批判(「社会的批判と」と呼ばれる)が生れ、ニューディール政策などに典型的に見られるような資本主義の修正によって「福祉国家」(ジグムント・バウマン流に言えば「社会国家」 [1] )へ発展する。しかし、福祉国家化には、国家による社会への過重な干渉をもたらすというような負の側面があり、官僚主義、管理主義への反発としての「個人的でアナーキー」な「芸術的な批判」がなされて現在の(第三の)資本主義に至っており、その契機としての〈1968年〉の言説に注目しているというのである。
 
〈1968年〉の世界的な学生叛乱は、社会主義国家も資本主義国家も官僚制の強化による管理社会強化を進めていることに対する「自由」を求める闘争であったのは確かだが、官僚制に対抗できない既成左翼に対する「左翼的」叛乱でもあったというのが、私の理解である。もちろん、「個人的でアナーキー」な「芸術的な批判」であったことも肯けないわけではない。そういった意味では、青木やよひが日本の〈1968年〉について次ぎのように述べているのは印象的であった。 

確かに、政治の季節であったあの数年間が過ぎてみると、体制のシステム自体はゆるぎもしなかったが、時代の空気がはっきりと変っていた。たとえば「権威」というものの価値があらゆる分野で低落し、人々はよかれ悪しかれ自分の好みを優先させるようになった。また、年齢や階層による行動規範がくずれ、服装のユニセックス化やジーンズ化が広く定着した。風俗を含めた文化状況のこうした自由化には、人々の意識をなしくずし的に変えてゆく力がある。ウーマンリブの登場もこの背景と無縁ではない。 [2]

 ボルタンスキとシアペロの言を認めれば、〈1968年〉の新左翼的運動における思想・言説は、新自由主義的経済思想の実践に期せずして寄与する補完的な働きがあったことになる。しかし、〈1968年〉の新左翼的運動は個人の自由を主張したことに対し、新自由主義の自由とは経済活動の自由、つまり「資本」の自由を主張しているに過ぎない。そのような自由、つまり経済的な自由競争は必ずや資本という経済権力を(ときとして政治権力とともに)あらかじめ保有している階層が一人勝ちできる自由にすぎず、それが現代社会の歪みの最大の要因になっている。
 とはいえ、「社会的批判」と「芸術的批判」というカテゴリーを設けて資本主義の変遷を理解しようとするボルタンスキとシアペロの解釈は興味深いものである。

 ボルタンスキとシアペロは、資本主義に対する批判をカテゴリー化して論じており、その中でも、「芸術的批判」と「社会的批判」を対立する重要な批判カテゴリーとしている。その両者を歴史的に交替しながら現れ、相互補完的な要素をもつものと規定している。そして現在の資本主義の精神は、六八年五月以降叫ばれた、日常生活の疎外(資本主義と官僚制の結合による)の告発という、「芸術的批判」の回復によるものだとする。現在の資本主義は、フォーディイズムの原理やヒエラルキー組織を放棄して、ネットワークとしての新しい組織を発展させ、物理的・精神的安全性を犠牲にしても行為者の能動性や仕事における相対的自律性を重視する。
 
そして、もう一方の批判的言説としてある、(組織的な左翼によって担われてきたような)資本主義の「社会的批判」は、現在古い図式から出られず、新しい批判の論理を失っているとする(日本においても旧・社会党や共産党など組織的な左派の失墜が激しい)。
 
二つの批判のカテゴリーを交替的なものとして立てている彼らは、現代は次の批判(「社会的批判」)が生まれにくい状況であるとし、「資本主義は栄えているが社会は滅びつつある」と述べ、現在は「資本主義の批判における冬の時代」だとする。社会的批判を行うためには、社会が存続していなければならないが、社会が解体しつつあるため、社会的批判は構成しにくいのである。 (p. 164-5)

 彼らは「二つの批判のカテゴリーを交替的なものとして立てている」のだが、歴史的には、「社会的批判」による資本主義の修正は1920年頃に一度だけ、「芸術的批判」によるものは1970年頃にこれも一度だけ生じたにすぎない。ともに一度きりしかない事例をもって、将来も「交替的」に生じると普遍化することになる(実験物理学を業とした私にはこのような普遍化はとうてい考えにくいことだが、社会科学では理路の合理性によっては可能なのかもしれない)。むしろ、問題なのは普遍化ではなく、この普遍化が、たかだか19世紀末から100年ちょっとしか経験していない資本主義の永続性を前提していることだろう。そうでありながら、現在のように来たるべき「社会的批判」がなされない(批判の交替制が成立しない)かぎり、社会の衰退と一体となって資本主義は衰退するしかないという。逆に言えば、資本主義を超克するには資本主義が寄生する社会そのものの衰退が必須であるということになってしまう。資本主義と人間の社会は一体化して切り離せないというイメージに近い。あたかもフランシス・フクヤマの「歴史は終った」論である。これはほんとうだろうか。

 新自由主義的経済によって社会は流動化した。この現代の社会の流動状況を、著者は「プレカリテとはなにか?」という章を設けて議論している。

 社会学者のバウマンは、……これらの語が明らかにしようとするのは、不安定性(身分、権利、生活の)、不確実性(永続性と将来の安定との)、危険性(身体と、自己と、財産と、近隣と、共同体の)の三層からなる現象であるとする。  (p. 31)

 新自由主義的経済政策は、国内的には「構造改革」や「規制緩和」という名目で福祉国家からの脱却(小さい政府化)を図ることに現われたし、グローバリゼーションのもとでの国際競争力強化の名目での大量解雇や非正規雇用の拡大などとして現出した。これらはすべて企業・資本の発展が経済発展そのものだという思想であり、格差の拡大や窮乏化は無視されるのである。人々は雇用不安と低賃金の恐怖にさらされ、しかもそれらは自由な競争の結果としての個人(能力)の責任として扱われるようになった。

 プレカリテに至るもう一つの側面として、著者も「ボードリヤールは、「呪われた部分(死、幻想、否定性、悪など)」を追放したユートピアとしての消費社会」 (p. 15) と述べているように、文化、宗教、芸術に担われていた「呪われた部分」を排除しようとする志向は、社会の「呪われた部分」としてのマイノリティ(被差別ナショナル・マイノリティ)の排斥へと向かうということも挙げられるだろう。政治・経済的にも社会・文化的にもプレカリテは昂進するのである。

しかし「プレカリテ」は、しばしば「プレケール=plécaire (不安定な人)」という言葉で説明されるように、「個人化(社会現象や社会問題が、個人の問題として捉えられるようになること。例えば、虐待の背後に貧困があっても、母親の心理の問題であると考えられること)」を前提に記述されている。すなわち、社会問題としてではなく、個人の問題として扱われているのである。 (p. 36)

 プレカリテを個人の問題として切り捨てられた人々は、一人一人が各自の生き方を手探りながら生きなければならない。そこで問題になるのが「再帰性」である。

 ギデンズは、再帰性について「活動条件についての情報を、その活動が何の活動であるかを常に検討し直し、評価し直すための手段として活用すること」と述べている。
 
仏ロベール社の『社会学事典』では、仏社会学者アンサールが、再帰性を「主体が、自分自身の行為の起源や方法や結果を分析するために、自分自身の行為を振り返る能力」と定義している。
 
ギデンズが再帰的行為と対比させるのは、「伝統」や「伝統的行為」である。自分の行為の起源や結果を考えることなく、これまでなされてきたことをくり返すことが、伝統や伝統的行為である。 (p. 63)

 アンソニー・ギデンズはブレア政権のブレーンだったイギリスの社会学者で、それだけでも小泉政権の竹中平蔵を思わせて十分に胡散くさいのだが、もちろんこれはギデンズについて何も知らない私の予断(偏見)だ。
 
しかし、この社会の成員がすべて再帰的に思考し、決断し、行動しうると考えることは、各人が「合理性や論理性、高度な知的レベルをもつことを前提」している。そして、「ギデンズ自身、再帰的主体を支えるものとして、「存在論的安心」という、再帰性と相容れない再帰性の外部にある概念を精神分析理論から導入」 (p. 66) せざるを得ないのである。「存在論的安心」というのは、例えば生存のための条件への信頼であったり、安心して身を委ねられる安定した社会・文化的な伝統であったり、社会的・政治的安定性だったりするわけだが、新自由主義的な政治経済による社会の流動化は、「存在論的安心」を与えるべき社会的基盤そのものを解体してしまっている。

 このように、現在の「自己決定社会」「自己責住社会」の大きな難点は、その中に生きる主体をどう形成するのか、また問題のある者をどうケアするのかについて、その内部に、それを扱う理論がないことである。 (p. 67-8)

 著者の最も主要な主張の一つは、人間が十分な「再帰性」を獲得できて現代社会を健全に生き抜いていくために重要なのは「恒常性」だということである。

 これまでの議論で、「再帰性」という議論を掲げてきたギデンズ自身が、専門家システムは大衆の信頼によって支えられていると述べていること、創造的な再帰性は実存性をはらむ象徴的なものによって支えられ、それは他者や社会と関わること、現実を留保する時間や空間が想像のために必要であること、現実にないものを見る想像力が社会を創造していくこと、などを見てきた。
 
この信頼、象徴性、想像性、留保などが、「恒常性」と関わるものであり、「プレカリテ」とネオリベラリズムの社会の中で奪われつつあるものである。そして「恒常性」とは、これまでの議論で垣間見られるように、現実と距離をもつフィクションであり、他者と共に構成しているものである。そしてそれは文化や社会と同義である。 (p. 115)

  文化は、「本能が壊れている」人間にとって、人間と世界を橋渡しする社会的生産物である。文化の中で最も大きな位置を占めているのは「言語」である。
 
人間は、他の動物と比べて他者に絶対に依存しており、その他者が現実的に不在になるとき、その不在(は同時に自身の不在を意味する)を言語によって代補し、恒存させた。 (p. 131)

 社会が大きく変容するときにも、人々がその変化に適応するためのフィクションとしての「恒常性」が生み出される。それは「移行対象」(フレドリック・ジェイムソン、スラヴォイ・ジジェク)や「消滅する媒介装置」(上野俊哉) (p. 120) と呼ばれる。卑しい行為と見なされてきた金銭獲得の行為を乗りこえるために初期の資本家たちは「神のための利得行為」というフィクションを信ずることで乗りこえた。「プロテスタンティズムの倫理」がこの橋渡し(移行対象、媒介装置)となったというのが、マックス・ウェーバーの有名な論考である。そして、移行が済んでしまった現代の資本家には「プロテスタンティズムの倫理」は不要となる(移行対象は消滅する〉のである。

 著者は、「日本では、恒常性が維持可能な文化的・社会的空間が貧困である」と指摘し、「社会から排除され生活世界が解体している事例」としての宗教的共同性や、「同様に生活世界や共同性が解体」している若者たちが「そのつどその場で」共同性を形成していくためのコミュニケーション行為などについて「共同性を維持する現代の社会現象」 (p. 194) という章を設けて論述している。そこでは、「宗教的共同性」、「企業的共同性」、「文化的共同性」、そして「若者のコミュニケーション」が取りあげられている。

 宗教的共同性の例として、はじめに挙げられているのは「ニューエイジ」と呼ばれる宗教現象である。それはアロマテラピーやヨガなどのような心理療法を模倣した「教団組織を持たない宗教」で、「商品を消費する形で信仰されて」いて、「読書宗教」とか「オーディエンス宗教」 (p. 195) とも呼ばれている。
 例えば、アロマテラピーで香りを楽しむ人々の中で「その成分や物質が聖なる力をもっていると、本人が強く信じ」 (p. 195) ることで宗教化する。一般的に信仰には「大いなる他者」への帰依が存在するが、ニューエイジでは「自分の中の無意識」や「無限の力が信じられており」、それを通じた他人との繋がりは「観念的で脆弱」 (p. 200) なものとなる。また、宗教的共同性の例として「自己啓発セミナー」や江原啓之や細木数子などの「メディア・スピリチュアリズム」もまた批判的に分析されている。
 「企業的共同性」では「マクドナルト・カルト」が例として取りあげられ、「文化的共同性」では「オタク共同体」がオタク文化の心理学的分析も含めて論述されている。

 若者たちのコミュニケーションの特徴は、「話題も遊び内容もくるくると変わる最大の流動性と、コミュニケーションそのものにツッコミを入れる(再帰的である)最大の再帰性だけで構成されており、安定した共同性がない」 (p. 238) ことである。そして、「自分をやつす(自己主張せず目立たないように自己を相対化する)コミュニケーション」をすることでかろうじて「彼らなりの共同性―恒常性を維持している」 (p. 241) のだという。このような議論を通じて、著者は共同性の困難について次のようにまとめている。

 この章で紹介した現象に共通して見られるのは、生活世界的な共同性が信じられておらず、社会的共同性の解体の中で共同性の構成が困難になっていることである。また、若者のコミュニケーションの例のように、コミュニケーションの中で遂行的に共同性が構成されるところまで事態が進み、そうではない共同性は成立や維持が困難であり、基本的には嫌われ排除されること(共同体への囲いこみ自体が、再帰的で透明性を求める社会の巾で困難になっている)である。
 
そこでは、個人化を前提に、さまざまな共同性への接続は個人に委ねられているが、現実には、その背景に勧誘や誘惑など個人のコントロールを超える過程があり、そこには本人の自己責任を超えた困難がある。むしろ社会的コントロールがない暴力に晒されがちであり、結果的にそこから自力では回復しづらいリスクが存在する。 (p. 249-50)

 これまで取りあげられた「共同性」においては、たとえそれが貧弱であってもメタレベルでの「他者」の存在がそれなりに認められるのに対して、そのような他者への信頼なしにコミュニケーションを行なう事例として「電子メディアと解離的人格システム」が論じられている。

 電子メディアは、矛盾するものを統合するような機能を持ち合わせないまま、その能力を超えて、恒常性の機能を担おうとしている。それというのも、コミュニケーションが文化を代替しようとしているからであり、人々がコミュニケーションに文化を求め、電子メディアにその幻想を抱いているからである。
 
しかし、精神分析のモデルで見たように、コミュニケーションを可能にするためにこそ、文化的認識や営みが必要である。
 
芸術が与える新たな幻想は、政治的言説以上の、幻想の脱構築的力(再構築も含めて)をもっている 

 電子メディアについての論説には多く接することができるが、私にとっては「解離的人格システム」は馴染みのない概念である。

 「解離的人格システム」とは、人々が文字通り多重人格になっているというのではなく、まるで多重人格者のように、一人の人がさまざまな相容れない人格を使っていることを指している。
 
ある人格は真実で、ある人格は装われているというわけではなく、ある意味ではすべての人格を装っている。すべての人格を装っているなら、それらを装っているというメタレベルの人格があるはずだが、それがない状態である。ゆえに、すべての人格を装っているわけでもないしすべての人格が自分の人格というわけでもない曖昧な状態で、分裂的に複数の人格を使っている。 (p. 283)

 そして、ジル・リポヴェツキー(フランスの哲学・社会学者)によれば「解離的人格システム」はこの社会でコード化されており、「社会で共有されているポストモダン的感情制度であり、ポストモダン的儀礼」 であり、「ネオナルシシズム」の概念で説明できる (p. 287)ものだという

 リボヴェツキーは、「ネオナルシシズム」を、パーソナリティの統一性の喪失であるとし、人格の分裂によって定義している。そこに見られる法則とは、相対立するものの平和共存である。
 
リボヴェツキーは以下のように述べている。

 自分の悩み事をさらけ出したり、弱みを告白したり、孤独を吐露することは、もはやみっともないことではない。だが、理想はこれを「さりげなく」表現すること。率直さは現在の心理的現実である以上に社会的価値である。率直さは「さりげなさ」というコードに沿って表出されなければならない。過度に明け透けな表出、過度に芝居がかった言説は、もはや誠実さの印象を与えない。

 自分の悩みを「さりげなく」話すには、相当自分の気持ちが対象化できていないと不可能である。ゆえに「さりげなく」は解離的な切断になってしまうだろう。 (p. 287-8)

 社会の新自由主義的流動化による恒常性(共同性)の脆弱化は依るべき伝統や儀礼、文化の脆弱化、喪失をもたらしていて、いわば、人々はその代替として「解離的人格システム」を身にまとわざるを得なくなったとも言えるのである。
 著者は、電子メディアと解離的人格システムに関連して、次のような現実に日本で生じている深刻な事態を指摘している。

 しかし、電子メディアコミュニケーションは、想像性の負の部分を暴走させて、ヘイトスピーチ(差別的な言説)、弱者叩き、フェミバッシングなどを生む。
 
また、解離的な人格システムは、分離された感動が一人歩きすることを必ずしもコントロールできるわけではない。ネタがベタとなる政治的ハプニングは実際に起きている(コイズミ現象もそうであった)。
 
彼らのコミュニケーションは、ノリのためのメタコミュニケーションであり、それについてのメタ言及は排除され(せいぜい超疑似化の作法で維持されるのみ)、ノリを白けさせる言及は排除されている。それゆえ、一見開かれているかのような表層的な解離的人格システムは、実際にはコントロールを欠いた暴力的・排除的なシステムである。 
 
人々は昔ほど素朴にファシズム的なものに熱狂するわけではないが、暴走を止める術がむしろなくなっており、それ以外に共同性の場がないのである。どちらかといえば知っていてノッてしまう、いわゆるネタがベタになるというメカニズムである。「美しい国」だってネタがべタにならないとはいえない。改正教育基本法のセンスの悪さを多くの人が知っていながら、まさか……とタカをくくってしまったように(コイズミ選挙に対するマスコミの判断の敗北は深く自覚されただろうか)。  (p. 295-6)

 人々が貧しい再帰性の社会を生きていくためには、「恒常性」が重要だというのが著者の強い主張である。「しかし再帰性を排除するような貧しい恒常性(原理主義)も退けること」が大切だと主張する。そのために、最後に「文化の役割」という章を設けて、あらためて、恒常性を担う文化の重要性について述べている。
 最後に次の一節を引用して、まとめとする。

 人々がつながるためには、つながるための相互理解や認識、スティグレールのいうような信頼や幻想を醸造する文化的土壌が必要である。
 
ネオリベラリズムの透明性への幻想は(また安倍原理主義のような伝統的同一性を押しつける幻想も)、現実を無視して他者との同一性を押しつける暴力的なものでしかないだろう。
 
他者への興味、未来への関心、存在への問い、他者への倫理などのない状態で、社会のあり方を考えることはできないだろう。 (p. 308)

 

[1] ジグムント・バウマン(伊藤茂訳)『コラテラル・ダメージ』(青土社、2011年)
[2] 青木やよひ「政治の季節から文化革命へ」アラン・バディウ他『1968年の世界史』(藤原書店、2009年)p. 218。