かわたれどきの頁繰り

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【書評】 森達也『誰が誰に何を言ってるの?』(大和書房、2010年)

2013年04月28日 | 読書

               

 これは、森達也の映像作家、ドキュメンタリー作家らしいジャーナリスト精神溢れた優れた社会批判の書である。テレビ、新聞などのマスコミ・ジャーナリズムが目を覆いたくなるほど劣化していることを考えれば、森達也は日本のジャーナリズムの貴重な才能ではないかとずっと思っていたし、今も思っている。
 本書も含め、森達也の著作を貫いている批判精神が依っている社会正義は、どの点においても私にとって首肯できるものだ。その著作に向かったとき、ある信頼感のようなものがあって安心して読み進められるのだ。私にとっては、このような信頼感が生まれる作家(評論家)としては第一に辺見庸をあげることができるが、森達也もまた様々な場面で率直に賛意を表することのできる数少ない著述者の一人である。

 著者がこの本に収められている文章を書こうと思い至った経緯を「はじめに」で次のように述べている。 

その日も街を歩いていた。あるいは駅の構内を歩いていた。もしかしたらデパートの地下街かもしれないし、空港のゲートへと向かう通路かもしれない。とにかくどこかを歩いていた。そしてうんざりしていた。日本中どこに行っても同じような掲示や表示があることに。
 ここ数年でこれらの掲示や表示は、明らかに急激に増えている。ところが周囲を歩く人のほとんどは、これらの掲示や表示はずっと昔からあったものとでもいうように、まったく気にもとめていない。立ち止まるどころか視線を送ることすらしない。
 でもこの状況を多くの人は、全面的に容認しているわけじゃないはずだ。要するに気づいていないのだろう。あるいは馴れすぎてしまっているのかもしれない。いずれにせよ何らかのきっかけさえあれば、「これは何となく変だ」とか「これはさすがに行き過ぎだ」と気づくはずだ。
……
 そんなことを考えながら、僕は道を歩いていた。(街か駅か空港か家の周囲かは忘れたけれど)歩きながら「テロ警戒中」の掲示の前で足を止め、またこんなことを書いているよとため息をついてから、ふと思いついた。
 目の前のこの掲示や表示を、そのまま映像に記録すればよいのだ。 (p. 1-4)

 そうして、一つ一つの評論で、著者はその種の「掲示や表示」の写真を掲げ、それが日本の社会で果たしている役割の意味あるいはそれを産みだす日本社会の病理を問うている。本書の全体はテーマ別に分けられ、急速に進みつつある監視社会化を取り上げる「監視するのは誰か。そしてされるのは誰か」、不寛容を正義の代替として欺瞞する社会を取り上げる「暴走する正義」、戦争を美化する近年の言説を批判的に取り上げる「平和な国で想う戦争の空気」の3章で構成されている。

 「1章 監視するのは誰か。そしてされるのは誰か」で取り上げている写真が示す掲示や表示は、「この駅はテレビモニタ—により管理を行なっています。」 (東京メトロ溜池山王駅構内)、「魔の手から子どもを守る町 長万部!」、「テロ警戒中」(静岡・安倍川の奥の山中)、「特別警戒実施中」(都内某所)、そして「私服警官巡回中」や「警察官立寄所」などである。
 どんなに鈍感でも、これだけの写真を並べたら問題の所在は明らかであろう。日本中に犯罪者が満ちあふれているように擬装するような表示や掲示はいくら何でも行き過ぎだろう。ここには企まざる(時として企んでいる人もいるかも知れないが)日本社会の意図(悪意?)があるのだと思う。著者が言うように、このような状態を「多くの人は、全面的に容認しているわけじゃないはずだ」と思う、そう思いたい。 

 この駅はテレビモニタ—により管理を行なっています。

 違和感のひとつは「行なって」。正しい送りがなは「行って」だ。でもそんな些末な間違いは別にして、この文章は何となく落ち着かない。何かが舌足らずだ。だから文法的に解析してみょう。
 この文章の主語は「この駅」だ。述語は「(管理を)行っています」。「管理」という言葉を辞書で調べれば、「全体の統制」や「監視」、「保存維持」、「利用・改良」などの意味になる。
 そのうえでもう一度、この掲示の文面をよくよく眺めてみる。やっとわかった。文章として何となく舌足らずな理由は、主語と述語だけで目的語がないからだ。
 述語である「管理を行っています」の目的語は、テレビモニタ—に映る乗降客だ。つまり東京メトロは、「私たちはあなたたち乗降客を統制(監視・保存維持、利用や改良)しています」と、ここに宣言していることになる。まあこの場合は、いくらなんでも保存維持や利用・改良のつもりはないだろう。監視で充分だ。私たちはテレビモニタ—を使って、あなたたち乗降客を監視しています。
 つまりはそういうことだ。 (p. 18-9)

 こうした私たちの日常に危険が蔓延しているかのような過剰な安全の呼びかけは、治安が次第に悪化している、犯罪が年々凶悪化しているという思い込みによって支えられている。しかし、統計的には凶悪犯罪が減少していることは多くの社会学者が指摘しているところである。10年ほど前、ある社会学者の本で、戦後最も犯罪に多く関わったのは少年期に終戦を迎えた世代であって、彼らが青年期を迎えた時期が最も凶悪な犯罪が多かった、ということを読んだことがある。つまり、その本が書かれた当時、犯罪の凶悪化、低年齢化を憂い、「今時の若い者は……」と嘆いていたお年寄りたちが最も凶悪な(あくまで統計上であるが)世代に属していたのである。
 本書でも次のように指摘している。

 以前にも書いたけれど、戦後の日本において殺人事件の認知件想がいちばん多かったのは、1954年の3081件だ。つまり映画『ALWAYS三丁目の夕日』の時代設定から少し前。安倍晋三元首相が「美しい時代」と形容した時代でもある。貧しいが明るく前向きで希望に満ちていたあの時代に、この国は最も殺人事件が多かった。人口比では現在のほぼ4倍だ。
 近年の殺人事件の件数は毎年のように、戦後最低を記録している。つまり減少し続けている。ところが多くの人はこれを知らない。ほとんど報道されないからだ。
 このデータは警察庁のホームページの片隅に、とてもひっそりと掲載されている。できることなら知られたくないとでも言うように。 (p. 74)

 それでは、多数の監視カメラ(偽善的には防犯カメラと呼ぶ)の設置で治安は良くなったのだろうか。著者はそれを明確に否定する。

 歌舞伎町浄化作戦の目玉として、警視庁は2002年に50台の監視カメラを歌舞伎町に設置した。結果としてこの年に歌舞伎町で起きた犯罪件数は2100件。ところが設置前の2001年の犯罪件数は1800件。つまり犯罪は、減るどころか増加した。
 もちろん統計の見方は難しい。監視カメラがあったからこそ、この程度の増加にとどめられたとの見方も不可能ではない。でもここ数年の犯罪件数の動きを見れば、その見方には相当に無理がある。
 アメリカと並んで厳罰化を推進する国であるイギリスでは今、全国で450万台以上の監視カメラが設置されている。1日外を出歩けば、およそ300台のカメラに自分の映像が撮られているとのデ—タもある。ところが最近、「監視カメラがもたらす防犯効果については、駐車場での車上荒らしを5%減少することはできたが、繁華街や公共機関では効果はほとんど認められなかつた」とイギリス内務省は報告した。 (p. 36)

 にもかかわらず、なぜ私たち日本人は日本の治安が悪化している、犯罪は凶悪化していると思い込んでいるのだろう。つまり、それは国民がそう思うことで利益が生じる、あるいは立場上都合がよい人々がいることを意味している。

 いずれにせよ、治安は悪化などしていない。どんどん良くなっている。でも人は脅える。治安が悪化しているかのような報道をメディアがくりかえすから。ならばなぜメディアは、そんな報道をくりかえすのか。不安と恐怖を煽ったほうが、視聴率や部数は上がるからだ。 (p. 35)

 そのようにして、毎日が特別な警戒を要する緊急事態であるかのごとく、「テロ警戒中」、「特別警戒実施中」などという標語がいたる所に掲げられ続ける。

 慢性化した特別な状態。考えるまでもなく論理矛盾だ。慢性化と特別が共存できるはずがない。でも大多数の人たちはそこまでは考えない。とにかくとても物騒な世相なのだ。街には凶器を隠し持った不審者が跋扈し、いたいけな幼児を狙う変質者が小学校や幼稚園の周囲の闇に紛れ、テロリストは腹に巻いた爆弾をさすりながら標的を探し、凶暴な少年たちは無力な犠牲者を求めて辻を走り回る。
 おそらくはそんな状況を多くの人が想起しているのだろう。だからこそ特別な警戒と警備が必要になる。
 何度も書くけれど、日本の治安は決して悪化などしていない。でも大多数の人はこれを知らない。あるいは聞く耳を持たない。治安は悪化などしていないと言えば、「だってニュースでは凶悪な犯罪が増えていますとか言っているじゃないか」との反論が返ってくる。 (p. 50)

 治安が悪化している、犯罪が凶悪化しているという喧伝は、オーム真理教事件で極度にヒートアップする。そのおかげで存在意義を回復した公安調査庁のような具体的な利益を得る権力組織もある。しかし、「テロ警戒中」、「特別警戒実施中」のような非常事態を想像させるような宣伝は、おそらく支配統制を目指す権力システムの本質、本性によっているとも言える。つまり、特別に安全に配慮しなければならないほど危険な状態であることを国民に納得させうれば、憲法や法律を宙づりにして国民統制に乗り出すことが可能になるからである。
 そのような政治権力のあり方についてはカール・シュミツトを取り上げつつジョルジョ・アガンベンが説く「例外状態」と同質のものである。経済的な側面から見れば、ナオミ・クラインが言う「惨事資本主義」、つまり、災害や凶悪犯罪による惨事が発生するとそれを利用して社会的合理性や規範を一挙に宙づりにした「例外状態」を作り上げて改革を進めるネオリベ的動向と軌を一にするものとも言えるだろう。

 同時にまた、治安が悪いとの思い込みから派生する不安や恐怖は、人を集団化するうえでとても有効に作用する。ならば国民を効率よく統治したいと考える為政者にとって治安悪化幻想は、とても好都合な追い風になりうるとの推測も可能だろう。だからヒトラーもムッソリーニもブッシュもフセインもポル・ポトもビッグ•ブラザーもスターリンもキング・ブラッドレイも金正日もアレキサンダー大王も、ほぼ本能的に仮想敵国や仮想敵民族を設定し、その危険性を最大限に誇張しながら、国民の危機を煽ろうとする。なぜならこの危機意識は、自分たちへの強固な支持と同義だからだ。
 というわけで警察と政治家はあてにならない。 (p. 75)

 人々の犯罪に対する恐怖や不安は、オーム真理教事件の際に恐ろしいほどにふくれあがる。そうやって発生した私たち日本人の異様な集団的反応については、著者による『A3』で詳しく言及されている [1]。そこでは、殺人等に関与しなかったオーム信者も自治体によって住民登録が拒否されたり、大学による麻原彰晃の子女の入学が拒否されるなど、いわば日本国民に基本的に保障されているはずの権利があっさりと否定され、「オームだからしょうがない」という言説の蔓延が指摘されている。

 本書でも「2章 暴走する正義」において上述したようなオーム真理教事件(への反応)のことが取り上げられている。ここでは、もう少し一般化した例を紹介しておこう。それは、「過激派(テロ・ゲリラ)はあなたの近くに潜んでいる。 少しでも「変だな」と感じたら110番」というポスター写真を契機として語られる。

 いわゆる過激派が巿井に生きる人の生命・財産を脅かした事例は、(60年から70年代はともかくとして)近年ではまったくない。年間の水難事故の犠牲者数は600~700人あまり。こちらのほうがよほど深刻だ。わざわざお金をかけてポスタ—を作るなら、「海や川で泳ぐときはくれぐれも慎重に!」とか「出かけるときは浮き輪を忘れずに!」と呼びかけるポスターのほうが、国民の安全を守るという意味では、はるかに有効なはずだ。
 でもキャッチコピーの下に記されたフレーズを読んで何となく納得。

 少しでも「変だな」と感じたら110番。

 標的は過激派だけではない。少しでも変な人なのだ。着るものや髪形が「少しでも変な」人。生活のリズムが「少しでも変な」人。言動が「少しでも変な」人。少数野党を支持する人。死刑廃止を訴える人。現政権を支持しない人。警察や検察を信用しない人。テレビを1日3時間以上見ない人。そんな人は要注意。少数派は危険です。みんなで監視しましょう。なぜなら何をするかわからない。 (p. 117-8)

 こうして均質化が進行する。空気を読まない人は許さない。周囲に同調しない人は排除する。おまわりさーん。ここに変な人がいますよ。早くつかまえてください。わかりました。容疑は変であること。多数派とは違うこと。さっそく社会から排除します。 (p. 119)

 これは私自身もまたいつも感じていることだが、今、社会は不寛容性を強めつつある。それは、刑罰の厳罰化としても現われている。著者が指摘しているように、治安はけっして悪化していない、少年犯罪はけっして凶悪化していない。にもかかわらず厳罰化を憂える声は少ない。私たち日本人はテレビや新聞の煽りに簡単に乗せられてしまって疑問を抱かないということだ。

 そのような日本人である私たちは、最近、日本を軍事国家にすると公言してはばからない石原慎太郎がマスコミ・ジャーナリズムに強く批判されたという例を聞かない。とすれば、北朝鮮や中国を(仮想)敵国とみなす言説が燎原の火のごとく日本を覆い尽くすのは目前ではないかという恐怖におそわれる。
 「3章 平和な国で想う戦争の空気」は、戦争をめぐる言説を取り上げている。まず、先の戦争における東京大空襲の死者について、こう述べる。

 この10万人近い犠牲者たちを追悼する横網公園の慰霊堂は、東京大空襲の犠牲者たちを慰霊するために建立された施設ではない。
 ……変な文章だ。でも書き問違いではない。現状を正確に書こうとすると、こうなってしまう。そもそも横網公園の慰霊堂は、関東大震災における犠牲者たちを慰霊するために、昭和5年に建立された施設だ。つまり東京大空襲における10万人の犠牲者は、関東大震災の被害者の魂と合祀されたということになる。いくらなんでも乱暴すぎる。ところが、時期も意味もまったく違うふたつの災害における犠牲者を同じ施設で慰霊してしまうというその発想の安易さを、問題視する人はほとんどいない。誰も突っ込まない。関心すら向けない。 (p. 174)

 アジアに侵略の牙を向けた先の戦争を反省する戦後民主主義のあり方を「自虐史観」として非難し、反省の意思を表明している反戦的な憲法そのものを変えてしまおうとする言説が氾濫している。そのような言説に、著者はきわめて自然で常識的な言葉で応える。

 とにかく「あの戦争は自衛だから正しい」との彼らの主張を聞くたびに、不思議に思う。だってとても当たり前のことなのだから。
 すべての戦争は自衛の意識から始まる。ナチス•ドイツにおける軍隊の正式名称はドイツ国防軍(wehrmacht)だ。パレスチナを迫害し、レバノンなど周辺諸国に軍事的脅威を与え続けるイスラエルの軍隊も国防軍(Israel Defense Forces)で、アメリカのペンタゴンは国防総省(united States Department of Defense)。金正日総書記の肩書きは朝鮮人民軍最高司令官であると同時に、国防委員会委員長でもある。ピルマ(ミヤンマー)軍事政権における現在のトップであるタン・シュエの肩書きは国家平和発展評議会議長だ。
 要するに世界中の軍隊はその目的と使命を、国防や自衛に置いている。侵略軍など存在しない。 (p. 186)

 このような事実に議論の余地があるとは、私には思えない。そして、このことを私は知らなかったのだが、とても興味深い(とても愉快で面白い)事実を指摘する。

日時は日本国憲法公布のおよそ4ヵ月前である1946年6月28曰。衆院本会議で野坂〔参三〕は、憲法草案の9条を示しながら、「侵略の戦争は正しくないが、侵略された国が自国を守るための戦争は正しい」との趣旨で質問し、これに対して吉田は、「近年の戦争の多くが国家防衛権の名において行われたことは顕著なる事実であり、正当防衛や国家の防衛権による戦争を認めるということは、戦争を誘発する有害な考えである」と一蹴した。記録ではこのときの吉田の答弁に、議事堂では大きな拍手が沸いたという。
 でもその教訓と記憶は、いつのまにか消えた。本当にそんな時代があったのかと思いたくなるほどに、痕跡も残さずきれいに霧消した。だからこそ今、同じように自衛意識の塊となった隣国が被害妄想的な挑発行動をくりかえすたび、この国の政治家の多く(吉田茂の孫である麻生太郎を筆頭に)は、「やられる前にやれ」との敵基地攻撃論を、臆面もなく 口にする。
 もう一度書く。愛するものを守るためと自己陶酔的に高揚することで結局は愛するものを殺してしまったことを、僕たちはあの戦争で学んだはずだ。自衛の意識が最も燃費のいい戦争の燃料であることを、世界は20世紀以降の戦争から知ったはずだ。  (p. 197-8)

 〈9・11〉以降、戦争の形が変わったと言われるが、テロとの戦争と先の戦争、そこから見えるものがある。著者は、石原慎太郎が製作総指揮を務めた『俺は、君のためにこそ死ににいく』について自ら「この映画を"特攻隊賛歌"にするつもりはない。これは美しく悲しい青春映画であり反戦映画だ。今、世界で起きている自爆テロと特攻隊は、まったく理想の違うものだと知ってほしい」と欺瞞することを「ジハードと大東亜共栄圏の理想は違うという意味で言ったならば、あまりにレベルが低すぎる」と批判する。しかし、それにしても、石原慎太郎が「反戦映画」だと、どんな思考回路がこのような言葉をでっち上げるのか、私にはほとんど理解できないファンタジーである。まったく……。

 世界貿易センタ—に激突した旅客機の操縦桿を握り締めていたテロリストと、爆薬を抱えながらアメリカの戦艦に突撃していった特攻隊員とのあいだにもし違いがあるとすれば、「アッラーフは偉大なり」と「靖国で会おう」の違いくらいだ。確かにフレーズは違うけれど、価値ある自分の死は来世で必ず祝福されるとの考えは共通している。愛するものを守るとの大義と正義に燃えながら、同時に脅え、震え、それでも生命を捨てる覚悟をしたという意味では、位相はまったく変わらない。 (p. 199)

 著者は、最後に「心細いからこそ、僕たちは間違える」というあとがきに相当する文章の中で、「群れる動物である人類は、多数派に自らを合せようとの本能的衝動がある。少数派は心細い。もちろん僕もだ。できることなら多数派に身を置きたい。でもその結果、人は時おり、ありえないような間違いを犯してしまう。スタンピード(集団的な暴走)に荷担してしまう」と自戒する。それは、先の戦争における日本人の暴走であり、ドイツ人の暴走であったはずだ。歴史から学ぶどころか、自分が帰属する集団の行いのすべては正しい、美しいと語る人々がいる。思想ではなく、(麻薬のような)信仰である。

[1] 森達也『A3』(集英社インターナショナル、2010年)。


【書評】 バトラー、スピヴァク(竹村和子訳)『国歌を歌うのは誰か?』(岩波書店、2008年)

2013年04月22日 | 読書


 最近読んだガヤトリ・スピヴァクの『ナショナリズムと想像力 [1] に、日本で翻訳出版されたスピヴァクの著作一欄があって、その中にバトラーとの共著である本書が紹介されていた。タイトルから判断してナショナリズムに関する著作であろうと予想されたが、私の興味はどちらかといえば、フーコーに親近性を抱くジュディス・バトラーとデリダを評価するスピヴァクが繰り広げるであろう議論の行方にあった。

 訳者の竹村和子がこの二人をきわめて簡潔に次のように紹介している。

 ジュデイス・バトラーとガヤトリ・スピヴァクの対話は、現在の批評界でもっとも期待され、もっとも読者を惹きつける企画である。かたや一九九〇年出版の『ジェンダー・トラブル』以降、セクシュアリティを思想のアリーナに引き摺りだし、そればかりか思想それ自体の枠組を根底から揺るがして、さまざまな学問領域や社会運動に影響を及ぼしてきた理論家、かたや一九八〇年代半ばに発表した「サパルタンは語ることができるか」で緘黙化の暴力を言挙げして以降、フェミニズムの視点からポストコロニアリズム批評を先導し、また九〇年代にはグローバル化研究の視座を切り拓いて、ネオリベラリズムへの対抗議論を力強く繰り広げている批評家である。 (「「グローバル・ステイト」をめぐる対話 ―あとがきにかえて」、p. 97)

 続けて竹村は、二人はともにフェミニストとして発言するポスト構造主義者でありながら、バトラーは哲学出身で、スピヴァクは(比較)文学研究者であって、学問領域、関心領域が異なるため、「この二人の対話の可能性に思い至らなかった」と述べている。

 本書と平行して、バトラーの『権力の心的な生』 [2] を読んでいたのだが、じつは、すんなりと理解するのが難しかったので再読中だった。『偶発性・ヘゲモニー・普遍性 [3] を除けば、それまでのバトラーの著作をほとんど思想の書として読んでいた私は、哲学的に詳細を究めて議論を進める『権力の心的な生』に手を焼いていたのである。哲学と思想を峻別するのは難しいが、バトラーをそんなふうに受けとっていたのである。
 だからといってスピヴァクが読みやすいなどということではない。講演の書き起こしであるスピヴァクの『ナショナリズムと想像力』は一見平易にみえる文章でありながら、文学研究者らしい比喩や言い回しがあって、これまたそれほどすんなりと理解できたというわけでもない。

 加えて、私はどうも座談(対話)形式の著作をまとめるということが苦手である。二つの人格の差異の流れをうまくまとめられないのである。以前に、大塚英志と宮台真司の対談を収めた『愚民社会[4] について書いてみて、結局はどのようにまとめて良いのか混乱して、途中で投げ出してしまったような文章を書いてしまったことがある。

 これだけの言い訳をして書き出すのだが、幸いなことに本書は対談とはほど遠い構成になっている。はじめに、バトラーが「国民/国家 (nation)」と「国家/状態(state)」について長い講義を行い、スピヴァクがそれに応える形になっていて、後半部では対話の形を取っているが、ある程度まとまった発言が維持されている。そのせいか、読後感としていえば、対話というより、分担された共著のような感じである。

 議論の立ち上がる地点を、バトラーは以下のように述べる。

バトラー ステイトはかならずしも国民国家(ネイション・ステイト)ではないのです。たとえば非-国民国家もあれば、国民を基盤にした国家(ステイト)に積極的に異を唱えている安全保障の状態(ステイト)もあります。だからステイトという語はすでに「国家(ネイション)」という語からは分離されています。「ネイション」(国民/国家)と「ステイト」(国家/状態)をとりあえずハイフンで結ぶ場合(nation-state) もありますが、 そのときのハイフンはどんな働きをしているのでしょうか。説明が必要な両者の関係を、ハイフンは巧みにごまかしているのではないでしょうか。ハイフンは、国民(nation)と国家(state)のあいだに歴史的に生まれた密着性を露わにしているのでしょうか。それとも両者の関係の核心に誤謬があることを示しているのでしょうか。 (p. 1-2)

 国家(state)は、我々をどのような状態(state)にするのか。我々は、なぜ国民(nation)であるのか、あるいは国民(nation)であり続けることができるのか。実際に人々が置かれている(現実に存在する)状態(state)を具体的に指し示す、あるいは見ることができる。

バトラー 国家は最小に見積もっても、法制的な帰属を前提にしていると考えられがちですが、他方で国家は、まさに人を追放し、法的法護や義務を留保しうるものなので、そのような状態(ステイト)にわたしたちを、あるいは,わたしたちのある者を、置くことができます。国家は帰属ナシの淵源でもあり、帰属ナシを半永久状態にしておくことすらあります。(p. 3)

バトラー 人はかならずどこかに辿りつくとしても(すでにわたしたちはデストピア的な旅行談のなかにいると言ってよいでしょう)、そこが別の国民国家や別の帰属形態でないこともあるのです。それはグァンタナモ収容所のような、国家でない場所(にもかかわらず、国家権限を委任された権力が収容住人のいる領土を統制しテロル化している場所)かもしれませんし、「野外刑務所」と呼ぶのが適切なガザ地区であるかもしれないのです。 (p. 5)

 バトラーは、ハンナ・アーレントの政治論をベースに議論を進める。アーレントが「ナショナルな少数民(マイノリティ)」と呼ぶ無国籍者は、国民を強制的に国家に加担させようとする権力操作によって再生産される。つまり、国民国家は「ナショナルな少数民」を「放逐しつつ包摂」し、また、「包摂されつつ排除される者として生産」する。

バトラー ……政治は、公民権のない人や無給労動者やほとんど不可視の人たち、あるいはまったく不可視の人たちの領域を、措定しつつ排除するものなのです。存在の重みを奪われ、社会的理解可能性に満たないとされた亡霊のようなこれらの人たちは、年齢やジェンダーや人種や国籍や労働資格の点から市民の身分を奪われているだけでなく、無国籍という「身分を与えられている」のです。この最後の点は、非常に示唆的と言ってよいでしょう。なぜなら無国籍者は、身分を奪われているだけでなく、剝奪と追放を受ける身分を賦与され、そのように用意されているからです。 (p. 11)

バトラー 権力は人から自由を奪うことも、剥ぎ取ることもできません。自由は、自由の唯一の構成要素である協同行使を禁じられる人々というカテゴリーを作っていきます。したがって政治が人のカテゴリー区分を練り上げ、それを強制したとき、非市民という「身分」が生まれ、保護を受ける権利だけでなく、自由を行使する条件も奪われるという、無国籍者の資格が生まれます。「資格づける」ことは、主体の構築と排除を同時におこなうときの法制的手続きです。 (p. 15)

 バトラーは、「ユダヤ人主権の原則に則ってイスラエル国家を建設することにも反対した」アーレントの思想から、私たちは「帰属意識を共有していない人たちと共同して統治をおこなう」べきであり、「文化的親密さを共同統治の基盤にしないこと」を学ぶべきだと主張する。
 アーレントによれば、国民国家は、国民としてのアイデンティティ、特定のアイデンティティを強制する。したがって、あたかも国民国家の構造上の必然であるかのように国民アイデンティティから外れた「ナショナルな少数民」を繰り返し生産するのである。権力の領域内で言説によって、アイデンティティを「欠落している人間」が構造的に生み出されていく。  

バトラー したがってこうして放棄された生は、権力にどっぷりと浸かっています。ただし権利や義務は与えられていません。実際、放棄された生は、この理由によって権利を有さないまま、法制的なものの内部にいるのです。 (p. 22)

 立憲国家においては、「国民」は憲法によってその諸権利が保護されているはずだ。しかし、ジョルジョ・アガンベン(それと、私は読んでいないが彼が批判的に取り上げるカール・シュミツトも含めて)によるまでもなく、「憲法による保護を宙づりにする主権の権限をもたらしているのが、憲法それ自体と考えられて」いる。アガンベンが指摘するように、国家主権は「例外状態」を常態化させることで憲法も国際法をも宙づりにする。そうすることで、グァンタナモ米軍基地での捕虜でも犯罪者でもない「剝き出しの生」がアメリカ合州国の国家主権の名のもとに産みだされている。もちろん、アフガニスタンやイラクにおける事態も同様の理由による。

 バトラーは、ナショナリズムに関するハンナ・アーレントの考えを次のように評する。

バトラー 彼女はただ問題を提起しただけです――厳密に非ナショナリズムでありえるような帰属の形態はあるのか、という問いです。ナショナリズムへの批判はあまりに強いので、そのような問いにならざるをえないと思いますが、他方で、少なくともこの段階の彼女の思考では、帰属の権利を保持したいとも考えています。では、この種の帰属の権利とはどんなものでしょうか。ハイフンが付いたかたちの国民国家(nation-state)への彼女の批判はじつに徹底しており、だから彼女が明確に望んでいることは、ある種の人権に基づいた(あるいはそういった人権の行使に基づいた?)法の支配であり、それが「政治体(ポリティ)」を統治することです――この「政治体」という語は、たとえそれが古代の都市国家を典拠にしているにせよ、国民国家に代わるものとして出されています。とはいえここでわかることは、彼女は国民(ネイション)も、国民的(ナショナル)集団も、ナショナルなマジョリティも、さらにはナショナルな少数民によってさえも縛られるような法の支配を望んではいないということです。たとえ彼女が望む状態が国民国家であるとしても、それはナショナリズムとは真っ向から対抗する国民国家であり、国民国家そのものを無効にしていく国民国家なのです。もしも彼女が望む共同体や、彼女が賛同する帰属形態が、この枠組のなかで彼女に何らかの意味を与えているなら、それらが非ナショナリズム的であるということでしょう。それらがどんなものになりうるかについては、彼女は語っておらず、ただ問いを投げかけているだけです。 (p. 35-6)

 バトラーは、国民国家とナショナル・マイノリティをめぐる「非常にドラマティック」な事例、本書のタイトル『国歌を歌うのは誰か?』の由来となった興味深いエピソードを語る。それは次のようなものである。
 2006年の春ころ、アメリカ合州国西海岸で多くの都市で不法滞在者の街頭デモがなされたとき、ロサンゼルスでは「米国国歌がまるでメキシコ国歌であるかのようにスペイン語で歌われ」たという。

バトラー 「ヌエストロ・ヒムノ」(我らの歌)の出現は、国民の複数性つまり「わたしたち」や「わたしたちの」という興味深い問題を提起しました。非ナショナリズム的あるいは対抗ナショナリズム的な帰属形態に寄与するのは何かという問いを立てるときには、グローバル化について語る必要があるでしょう。ガヤトリが答えてくれると思いますが、このデモで主張されているのは、国歌を歌う権利、つまり所有の権利だけではなく、多様な帰属形態でもあるのです。 (p. 42)

 当然のように、ブッシュは「米国国家は英語で歌われるべきだ」と主張する。これは国民とは言語的多数民を意味し、言語を国民の帰属を決定し統制する手段として強制することである。国歌ならずとも、かつて大日本帝国は朝鮮半島を侵略したときに、日本臣民化を強要する手段の一つとして日本語を強制した。そのように、合州国ではナショナルな多数民が、大日本帝国ではファシズム権力(それに追随するナショナルな多数民としての日本人)がそれぞれの言語を「自分たちが望む条件で国民を規定しようとし、さらには、自由を行使できる人を定める排除規範を打ち立て、それを取り締まりさえする契機」とするのである。
 そして、それは「平等」の問題だという。

バトラー この国歌の唱和のなかに、「ソモス•エクアレス」(わたしたちは平等だ)という言葉を聞くことができます。ここで立ち止まって、この発話――「わたしたち」の平等性を大胆にも宣言しているだけでなく、翻訳について考えることも要求している発話――は、国民のただなかに翻訳という仕事を設定しているのではないかと考えなければなりません。隔絶や裂け目こそが平等の可能性の条件となり、したがって平等は、国民の同質性の拡大や増大にはつながりません。もちろんこれは、おわかりのようにわずかの複雑さを集団のなかに許容するだけで、結局は同質性の再設定でしかない複数性にすぎないかもしれません。けれどもこれを、複数性の行為と、翻訳される発話の両方として考えたとき、少なくとも二つの条件が、平等の主張のなかだけでなく、自由の行使のなかでも機能していることを見ることができるのではないでしょうか。差異と翻訳が不可欠な言語あるいは一連の言語のなかで、ある集団が自由を行使できるようになるには、リベラルな個人主義という存在論と共通言語という理念は二つとも放棄されるのです。 (p. 44-5)

 これは、スピヴァクが『ナショナリズムと想像力』で主張していたことと同質の主張である。彼女は、植民地ないしはポスト植民地的な地域における言語のクレオール語化(による言語の単一化という統制)を強く批判し、翻訳や比較文学を地域主義的に拡大強化することを訴えている

 国歌をマイノリティの言語で歌うというのは、きわめて刺激的なイメージを喚起する。最近、日本のレイシスト集団が東京・新大久保や大阪・鶴橋地区で反朝鮮民族デモを行っている。これは、阿倍自民党政権の誕生で気が強くなった一部の右翼レイシスト集団の跳ね上がり行動らしく、彼らの数倍を超える一般市民によるカウンター抗議に萎縮しはじめているらしいので、それがいかに醜悪な行いではあってもそれ自体は重要な社会的問題とはいえない。むしろ、「朝鮮人は死ね!」などとコールする日本人の集団行動にマスコミ・ジャーナリズムがさほど反応しないことの方が日本における深刻な社会的病理であろう。
 新大久保や鶴橋に住む在日の人々は、大日本帝国の誤謬によって強制的にナショナル・マイノリティとされた人々(の末裔)である。バトラーが語るマイノリティ言語で国歌を歌うという抵抗運動のことを読みながら、国歌による強制でナショナル・マイノリティとして異国に住まざるをえない人々が彼ら自身の母国語で「君が代」を歌うことをイメージした。もちろん、彼らは「君が代」を歌いたいなどとはけっして思ってはいないだろうし、現実に顕在化しているレイシストたちの醜悪な運動が誘起するであろう危険性を考えたらけっして勧められないことだが、そのような「君が代」を聞くマジョリティとしての私たち日本語国民の衝撃はどんなだろうか、と思うのである。
 それはけっして在日の人々のことだけではない。たとえば、アイヌ語で歌われてもいいし、琉球語で歌われても同じ問題を提起するだろう(ただし、これは琉球語を日本語の方言ではない独立した言語と見なすことを前提としている)。この4月28日に自民党政権は「主権回復の日」の式典を強行する。つまり、いわば沖縄の人々を日本の主権から除外するという現代の「琉球処分」を行ったサンフランシスコ平和条約の発効日(1952年4月28日)をあらためて祝うということは、まぎれもなく沖縄の人々はナショナル・マイノリティであると阿倍政権(国家権力)が宣言したに等しいのだから。
 しかし、このマイノリティの言語による「君が代斉唱」というイメージには明らかな弱点がある。つまり「君が代」そのものがそれに向いていないということである。米国国歌にせよ、多くの国の国歌は近代化の過程で形成された。その時点で、近代国民国家は曲がりなりにも理念的には多民族を内包することを前提にしている。ところが、「君が代」は近代国家形成のプロセスとは何の関係もない。むしろ、日本そのものがいまだ「未完の近代」に喘いでいる状態なのだと思う。そうであれば、マイノリティ言語で「君が代」が歌われたにせよ、バトラーが語るような国家や国民をめぐる豊かな思想的展開が生まれないのかも知れない。こういった点においても、日本は大塚英志の言う「土人」の国、宮台真司の言う「田子作」の国なのかも知れない [4]

 ここでは、マイノリティ言語で国歌を歌うということを、近代国家における抵抗の一様式であると一般化しておいて先に進もう。

バトラー たしかに国歌の唱和は街路でなされましたが、街路はまた、集結する自由をもたない人たちが集まれる場所として開かれています。これこそ、袋小路に陥るのではなく、反乱のかたちで展開できるパフォーマテイヴな矛盾だと指摘したいのです。なぜなら問題は、単に街路に国歌を響かせることではなく、街路を自由な集会の場所として開いていくことだからです。この点でその歌は、自由の表明や市民権の切望としてのみならず――実際その両方であるのですが――街路を再舞台化することとして、つまり集会の自由が法によって明確に禁止されている場所や時において集会の自由を行使することとして、理解することができるのです。たしかにこれこそパフォーマテイヴな政治であり、そこでは、主張することで非合法的になることが、まさに非合法的なことなのですが、しかしそれにもかかわらず、承認を要求する法そのものに歯向かつてもいるのです。 (p. 45-6)

 一国家におけるナショナル・マイノリティのと問題としての多民族と多言語の問題は、当然ながら「サバルタン」や「ディアスポラ」が現実に担っているであろうグローバルな諸問題に直結している。
 バトラーの長い講義を受けて、スピヴァクが語り出す。

スピヴァク 今日のグローバル化のなかに見られるのは、国民国家の衰退です。けれども指摘しておきたいのは、国家の系譜的な圧力は依然として強いことです。概してその衰退は、グローバル資本に益するように国家を経済的-政治的に再構築した結果起こっています。けれどもアーレントが気づかせてくれているように、国民国家という形態は当初から欠陥があったので、これは当然のことでもあるのです。国民国家型のさまざまな統一プログラムがあちこちで崩壊するのに伴って出現しているのは、古いかたちの多民族混成です。一方では東ヨーロッパや中央ヨーロッパの国々、そしてバルカン半島やカフカス地方があります。インドや中国も台頭してきています。これらはアーレント的意味での国民国家とは考えられない、数多くの「ナショナリティ」をもった巨大国家です。けれどもグローバル資本がポストコロニアルな性質をもっているとはいえ、抽象的な政治構造は依然として国家のなかに位置づけられています。合衆国はいくぶんポストコロニアルな好戦構造を生み出してきましたが、そのせいで問題をさらに複雑にしています。 (p. 55-6)

スピヴァク ジュディスが語るのはパフォーマテイヴな矛盾のなかに宿る権利についてですが、わたしが言いたいのは、パフォーマテイヴな矛盾でなくて宣言的なもの――普遍的な宣言――のなかに存在している権利のことで、それは国家(アーレント)と革命(マルクス)の両方の失敗のうえに成り立っているということです。このことをさらに詳しく書いたことがありますが、要約すれば、帝国主義は、持続的搾取のエイジェンシーとして機能するように植民地の行政府を整えていったということです。共産主義は、別の分野で同様のことをおこないました。経済だけでなく政治も、国民国家の衰退を促しました。この線に沿った典型の一つは、古いかたちの社会主義運動で、国家の腐敗から市民社会を守ろうとした国家外集団です。過去の推進力の残滓が、今、国家の再考にますます関心を抱いているようです。 (p. 60)

 本書では、スピヴァクの地域主義についてはほとんど触れられていない。スピヴァクの思想は、その「地域主義」の明瞭な概念がないと解けそうにもないのだが、本人自身が「まだ毛が生えたばかりのプロジェクト」 [p. 83] と評していて、私にも明確なイメージはない。はっきりしていることは、サバルタンやディアスポラが生活している場所、場所を国家の枠組みを超えて地域として包括する。そのための多言語運動(翻訳や比較文学による分析)を志向しているということくらいである

 バトラーは、スピヴァクとの共同性、共通性に言い及ぼうとして「国民国家を超えた民主主義を打ち立てようとする」ユルゲン・ハーバーマスを引き合いに出す。

バトラー 彼はEU(欧州連合)に味方する様々な見解を発表してきましたが、そこで彼が語っているのは、このような構造が民主的に作動しうること、ナショナリズムを打ち破る自己統治モデルになりうること、ポスト国家的(ナショナル)であることです。…… 民主的プロセスが起こりうるのはヨーロッパだと彼が想像したのは、偶然ではありません。なぜなら彼にとってヨーロッパは、民主的原則を明確に表現する特有の能力を蓄積してきたのであり、その民主的原則はナショナリスト的様相ではなく、文化的様相を見せているものだからです。しかし実際のところは、あなたが言うように、ヨーロッパ中心主義的様相にすぎないのですが。だからはたしてEUを自己統治の自己と考えてよいか、わたしは訝しく思っています。その自己とは、国境と移民政策を打ち立てることで自己統治する「わたしたち」なのですから。 (p. 62-3)

 批判的にハーバーマスに言及するバトラーに対して、スピヴァクはジャック・デリダで応答する

スピヴァク ハーバーマスなどのヨーロッパの思想家はコズモボリタン的普遍主義について語るときに、カントを持ち出します。時間がないので、ここではデリダの『ならず者国家』のことだけ述べましょう。デリダはここでカントの知識体系論に目を向け、カントが世界や自由を考えたときに生み出した「あたかも……のよう」の概念や、コズモボリタン的普遍主義と戦争との関係では、来るべきグローバルな民主主義を思考したり、それにコミットすることができないと述べています。またわたしがこれまで述べてきたように、ハンナ・アーレントは無国籍を語るときに国民と国家を別物と考えていたので、彼女にもう一度目を向けることも重要でないわけではないのです。デリダはのちに『友愛のポリティクス』のなかで、生まれと市民性の連結を解体しょうとするこの試みを、系譜学の脱構築と呼んでいます。批判的地域主義が始まるのは、まさにここなのです。 (p. 66-7)

 「生まれと巿民性の連結」を解体することで「批判的地域主義が始まる」という考えと、ヨーロッパ中心主義的な思想とは明確な乖離がある。かつて、『サバルタンは語ることができるか』において、ミシェル・フーコーとジル・ドゥルーズのヨーロッパ中心主義を批判したスピヴァクとしては、ハーバーマス的ヨーロッパ中心主義もまた受け入れがたいのかもしれない。

 スピヴァクは、批判的地域主義は分析ではない、歴史的な実践の積み重ねだという。さらに、スピヴァクの言は「歴史の神話詩学的概念がもつ破壊的潜勢力」に及ぶ。

スピヴァク 歴史が神話詩学的であるという考え方は、歴史が生成途中にあるということです。歴史を神話詩学と見るのは、哲学的思索の次元だけでなく、実践的政治の次元においてです。歴史を神話詩学と見るのは、哲学的思索の次元だけでなく、実践的政治の次元においても可能だと(両者の二項対立がどんなものであれ)、わたしには思えます。両者をそのように分けて考えるのは、現在の世界では危険だと考えています。 (p. 83-4)

 二人の議論の締めくくりは次のようなものである。少なくとも、私はそう思ってピックアップして、私の締めくくりとする。

スピヴァク 世界は、哲学と実践的なものの二項対立にあまりに苦しんでおり、神話詩学としての歴史を、哲学的なもの、前政治的なものに追い遣ってしまうことに苦しんでいるのです。すべてのものが苦しんでいます。 (p. 86)

バトラー 〔アーレントの〕この論文を気に入っている理由の一つは、歴史や権力の外側の存在論的状況に置かれている人が一人もいないということだと思います。こうした人たちが集まって革命を起こすことができるなら、その理由は、その人たちが苦しんできたからであり、批判してきたからであり、さまざまな理由によって結束し、分析や歴史に基づく連帯を生み出してきたからです。 (p. 86)

 

[1] ガヤトリ・C・スピヴァク(鈴木英明訳)『ナショナリズムと想像力』(青土社、2011年)。
[2] ジュディス・バトラー(佐藤嘉幸、清水知子訳)『権力の心的な生――主体化=服従化に関する諸理論』(月曜社、2012年)。
[3] ジュディス・バトラー、エルネスト・ラクラウ、スラヴォイ・ジジェク(竹村和子、村山敏勝訳)『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』、青土社、2002年)。
[4] 大塚英志、宮台真司『愚民社会』(太田出版、2012年)。
[5] ガーヤットリー・チャクラヴォルティ・スピヴァク(上村忠男訳)『サバルタンは語ることができるか』(みすず書房、1998年)。


【書評】 『シルヴィア・プラス詩集』(吉原幸子、皆見昭訳)(思潮社、1995年)

2013年04月18日 | 読書


 『吉原幸子全詩』のI、II巻が出版されてほぼ30年を経てIII巻が発刊された。それを機に、I、II巻を再読しつつ全3巻を読み通したが、そのとき、シルヴィア・プラスの詩集の翻訳を手がけていることを知った。はじめて聞く名前だが、吉原幸子が翻訳を手がけた理由に惹かれ、検索したら仙台市立図書館にあったのでさっそく借り出してきた。

 シルヴィア・プラス:1931年10月、それぞれドイツ系、オーストリア系の父母のもとにボストンで生まれた。8歳の時に父のオットー・プラスが病死。スミス女子大在学中に詩人として活動をはじめるが53年に自殺を企て、かろうじて救われる。55年にケンブリッジ大学に留学、翌56年、テッド•ヒューズと結婚する。二子をもうけるが夫の不倫に悩まされる「七年間の情熱と苦悩に満ちた」結婚生活ののち、「63年の2月に、子供たちにミルクの用意をしておいて、シルヴィア・プラスはガス自殺を果した」。 (皆見昭の「解題」による)

 詩集の構成は、プラスの人生をそのまま反映しているように思われる。まず、父の死があり、それに21歳の時の自死への意志が重なる。皆見昭は「父オットーに対する想念は、エレクトラ複合(コンプレックス)の形を取って若いプラスの詩や散文作品」に表われていると述べている [p. 158]

あなたが死んだ日にわたしは地中に潜った、
光のささない冬眠室に。
黒と金色の縞模様の蜂たちが吹雪を避けて
古代文字を彫った石板みたいに眠っている堅い地面の中に。
その冬ごもりは、二十年間は心地よかった――
まるであなたなんて存在しなかったかのように、お母さんのお腹から
神を父としてわたしが生まれて来たかのように。
お母さんのベッドは広くて、神様の匂いがついていた。
お母さんの心臓(ハート)の下へわたしが這いこんだ時、
わたしは原罪なんかに関わりはなかった。
…………
お母さんの話では、壊疽があなたを骨まで蝕んだのだってこと。

普通の人の死に方と特に違いはしなかったって。
どんなに年を取ったって、わたしはそんなに落ち着いてはいられまい。
わたしはある不名誉な自殺の亡霊、
自分の青いかみそりが咽喉にささって錆びている。
ああ、許しを乞うてあなたの門をノックしている
あなたの雌猟犬(いぬ)、あなたの娘、あなたの友を許してやってね、お父さん
わたしたち二人ともを死に追いやったのはわたしの愛でした。
                       「アゼリア小道のエレクトラ」部分 (p. 45-7)

 自らの自死も企図を通じて幼いときの父の死へと繋がっていく娘の心は、しかし、エレクトラ・コンプレックスと括ってよいものか、私にはよくわからない。精神分析における複合概念というものは、アンビバレントな心性を意味しているのだろうが、どうも私には「××コンプレックス」という精神分析の概念が何かを説明しているとは思えないのである。説明できない心的現象を「××コンプレックス」と名付けているのではないか。いつもそんなふうに疑っているのだ。

 幼いときの父の死に自分の死のイメージを重ねるのは悲しいことだ。しかし、プラスは、父の「死」に自らの「生」を繋いでみせることもあるのだ。

そして沈黙がやってきた!

別の種類の大きな沈黙。
わたしは七つで、何もわからなかった。
世界が姿を現わした。
あなたの脚は一本で、心はあくまでプロシアのもの。
………
覚えているのは青い眼と
澄色のブリーフケース。
あの時の彼は立派な男!
黒い木のように、死が黒く 口を開いた。

わたしはもう少し生き永らえる、
わたしの朝を整えながら。
これはわたしの指、これはわたしの赤ん坊。
冷たい雲は、青白い花嫁衣裳。
                 「小さなフーガ」部分 (p. 77-9)

  父の死から自らの生へ向かうのは、「わたしの赤ん坊」や「花嫁衣裳」だったのだろう。恋愛と結婚、そして二人の子供の出産。それらは、父の死と自死への企図、そのような死のイメージの連鎖から脱却する契機でありえただろう。しかし、後の詩から見るかぎり、あるいはただ、少しだけそれらから遠ざかっていただけなのかもしれないとも考えられるのだが。
 プラスは子供たちの誕生を大げさに言祝ぐような詩句を書いてはいないが、次のような詩句は、それじたい「母」を生きることの受容であろう。 

白いヒースに、蜂の羽根、
二つの自殺と、同じ家族の狼たちと、
長い空っぽの時間だけ。もうすでに、星がいくつか
けばけばしく天を彩っている。蜘蛛は自分の糸を伝って、 

湖上を渡る。虫たちもみんな
いつもの住まいを捨てている。
小鳥たちが寄って行く、寄って行く、それぞれ贈り物を持って
誕生の苦しみの場へと集まって行く。
                     「大屋敷の庭」部分(p. 48-9)

縮こまった自分の姿勢を
忘れないでいるわたしの胎児よ。
きれいな血はあなたの中で花咲く、

可愛いルビー
目覚める時に
あなたが知る痛みは、まだあなたのものではない。
                     「ニックと燭台」部分 (p. 122)

きみはまもなく気がつくだろう、
きみの傍らに木のように育つ、ひとつの不在に。
死の木、色のない木、オーストラリア産のゴムの木――
稲妻に去勢されて、葉も脱け落ちた木――幻影のようなもの、
それに豚の背のように鈍い空、まったく思いやりを欠いたもの。

でも今、きみは物言わない。
そしてわたしはきみの愚かさが、
その盲目の鏡がいとしい。のぞき込んでも、
わたしの顔が見えるだけ。それをきみはおかしがる。
梯子の横木を握るように

わたしの鼻にしがみついていてもらうのは、わたしにとって嬉しいこと。
いつの日か、きみはよくないものに触れるかも知れない、
小さな子供の頭蓋骨、圧しつぶされた青い丘、畏怖に満ちた沈黙とか。
その日までは、きみの微笑がわたしの財産。
                「父なき息子のために」全文 (p. 86-7)

  夫への不信が詩人を苦しめ、我が子を「父なき息子」と呼ばざるをえないとしても、「きみの微笑がわたしの財産」と言い切る母親は生きることができる(と私は思う)。
 だから、子を育てながら暮らすイギリスの田舎では、日々の暮らしに詩的世界を発見することもあった。それは、おそらく短い彼女の人生の中で死に煽られていない(切迫していない)貴重な時期だったのでないかとも思うのである。

今は気楽な時期、特に仕事もない。
助産婦から借りた蜜しぼり器を回して
蜜も十分手に入れた。
六つの瓶に入った蜜、
酒倉で六つの猫の目のように光りながら、

この家の中心にある窓のない暗がりの中で
静かに冬越ししている。
隣にあるのは、前の住人が残していったジャムの残骸と
空っぽに光る空き瓶の列――
何とか卿のジンの瓶。
                    「冬越し」部分 (p. 97)

 しかし、死を人生の伴侶のように生きてきた詩人は、暮らしの中の陰影にくっきりとした死と生の陰影を心に刻み込むように見ているようだ。田舎暮らしのときどきに死の影を、いや、影ならぬ死そのものを見ている。

彼らは兎を待ち構えた、その小さな死神たちは!
まるで恋人のように待ち焦がれていた。彼らは兎を興奮させた 

そしてわたしたちも深くつながった――
わたしたちの間にはワイヤーがびんと張られ、
抜けない杭が打ちこまれ、わなに似た一つの心が
すばやく動く生き物をするりと捕えると、
締めつけられて、わたしも死んだ。
                     「兔捕り」部分 (p. 81-2)

 父の死に自らの死を重ねた想像力は、さらに死をめぐる想世界においてこれから誕生してくるものを排除できるわけではない。先に挙げた誕生を歌う「大屋敷の庭」の詩句には、次のような死のイメージが先行している。

泉は涸れてバラの花も萎れた。
死の香りが漂う。あなたの誕生の日が近づく。
梨の実は太って小さな仏陀のよう。
青い霧が湖の底を浚っている。
                 「大屋敷の庭」部分 (p. 48)

 子供を産み、育て、暮らす、いわば喜びの生活のずっと深い奥底を「死」の強迫が実体のように流れている。それが意識の表面に立ち現れるのは、結婚生活の破綻、夫への不信なのかどうか、私にはよく分からない。しかし、それは明瞭にいわば悪しき力量を持って顕在化する。

愛こそはわたしの呪いの中心。
花瓶は再生されて、逃げやすいばらの花に
宿りを与える。
                「石たち」部分 (p. 56)

わたしは三十歳の荷船、いろんな積荷を捨ててしまった、
名前と住所にくっついて離れなかつたものを。
いとしい連想の数々は、すっかり洗い流された。
………
そして今わたしは尼僧、今が一番純潔なわたし。

わたしは花など要らなかった。ただわたしが欲しかったのは
掌を上に向けて横たわり空っぽでいること。
これがどんなに自由なことか、想像もつかないでしょう。
目もくらむほど大らかな心の安らぎ、
それには名札も装身具も、何も要らない。
それは死者たちが最後に摑むもの、聖餐を受ける時のように、
このかけがえのない安らぎを飲みこむ様子が目に見える。
                        「チューリップ」部分 (p. 62-3)

 そして、再び詩人の死のイメージは父の死へと回帰する。「小さなフーガ」という詩で、父の死を乗り越えたのではなかったか。それは私のたんなる思い過ごし、つまらない希望的観測に過ぎなかった。そう宣告するように次の詩は語りかける。

あなたはおしまい,もうおしまいよ、
あなたという黒靴に、あたし三十年も
白くなるほど締めつけられて
呼吸することも、くしゃみもできずに、
がまんを重ねて住んできた足でしたけど。

ダディ、あなたを殺さなきゃならないといつも思ってた。
そうするひまがないうちに、あなたは先に死んじゃった――
大理石みたいに重たくて、神様がいっぱい詰まった鞄、
サンフランシスコのあざらしみたいに
大きな灰色の足先一本持って
………
あなたは黒板の前に立っているわ、ダディ、
あたしが持ってる写真の中で。
足じゃなくあごについてる裂け目、
それでもやっぱり悪魔のかたわれ、
あの腹黒い男と同じ仲間ね、

あたしの可憐な赤い心臓(ハート)を真っ二つに嚙み裂いた男と。
あなたの埋葬の時、あたしは十歳(とお)のはず。
二十歳(はたち)の時に、あたしは死のうとした、
あなたのもとへぜひ、ぜひ戻ろうと試みて。
骨だけだってそれができると思つたの。 
                     「ダディ」部分 (p. 101、104)

 人はどんなふうに自死に向かうのか。こんなにも長いこと生きていながら私にはまったく分からない。自殺を考えることはないでもなかったが、試みのさらにその鳥羽口にも立たなかった身であれば、その心的なエネルギーの有り様や襞々の陰影の濃さなどというものを想像できない。

 次の詩は、自死の前年に書かれたという。このきっぱりとした記述をなんといったらいいのだろう。しかし、どのように理解しようと努めても、シルヴィア・プラスの死を「一つの技術」の死と受け取ることは私にはできない。

死ぬことは、
一つの技術にすぎないの、人生のほかのすべてと同じこと
わたしはそれをすばらしく上手にやるだけ。

わたしはそれを死にもの狂いでやる。
間違いなく本物だという風にやる。
天命を受けたように、と言ってもいい。

ひとりぼっちでそれをやるのはたやすいこと。
それをやってじっとしているのもたやすいこと。
               「甦りの女(レイデイ・ラザラス)」部分 (p. 127)

 吉原幸子がこの詩集の翻訳を手がける動機は何だったのか。「受苦」の詩人と評せられる吉原が、受苦に満ちた短い人生を生きたシルヴィア・プラスへのオマージュであったのだろうか。そんなふうに想像してみる。