かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『薔薇と光の画家 アンリ・ル・シダネル展』 損保ジャパン東郷青児美術館

2012年06月16日 | 展覧会

  アンリ・ル・シダネル、寡聞にして初見の画家である、いや、寡観にして、というべきか。損保ジャパン東郷青児美術館は、昨年、私の好きな画家の一人である「セガンティーニ展」を開いている。その美術館のキュレーターの企画を信じて、仙台から出て来たのである。

 古谷可由は、ル・シダネルを評するに5つの形容を用いている [1] 。「アンティミスム」の画家、「象徴主義」の画家、「最後の印象派」、「風景画家」、そして「薔薇の画家」である。性向、時代性、画題を尽くしていてわかりやすい。

          
              『アンリ・ル・シダネル展』のパンフレット。

 ヤン・ファリノー=ル・シダネルによれば [2]、ル・シダネルは1862年、モーリシャス島ポート・ルイスに生まれ、10才まで島で暮らした。ダンケルクとパリで絵を学び、印象派の影響をうけつつも、いかなる会派、流派にも属さず、フランス各地で絵画制作を行った。とくにジェルブロワに居を定めた時代には薔薇を主とした庭を作り、自宅を画題とした絵を描いた。「アンティミスト」、「薔薇の画家」と呼ばれる所以である。

 古谷の5つの形容にはないが、ポスターには「薔薇と光の画家」と謳っている。私としては、「光の画家」としての印象が最も強く残った。「光」については、古谷が次のように書いている [3]。

……ル・シダネルの場合、なかでも、先に述べたように弱い光、つまり黄昏時の光や霧に包まれた光などをとくに好んだ。確かに、モネたちのように、光り輝く世界を描いた、まさに印象主義的な作品もあるが(cat.no.9など)、多くは朝霧に包まれたり、夕焼け空の下での光であった。太陽よりも「月光」(月そのものを描いた作品はほとんどない)を好んだのもそのためであろう。それでも、光の効果に興味を寄せ、それを表現したことには変わりない。それゆえ、最後の印象派あるいは印象派の末裔と考えることができる。

         
                アンリ・ル・シダネル《快晴の朝〔カンペル〕》[4]。

  上の絵は、快晴の朝の絵である。同じく朝の絵で、太陽を描いた《朝日のあたる道沿いの川》という作品もある。展示作品の中には、《春の空〔ジェルブロワ〕》という輝くような春の雲を描いた作品もあるが、その1例を除けば、私は朝、昼、夕の時間帯の絵にそれほど「光」を感じなかったのである。奇妙な言い回しであるが、「明るい色彩」ではあるが「明るい光」ではないと感じたのだ。ガスのようなものが漂い、それに光が乱反射して、いわば不透明な感じがする。これはル・シダネル独特な効果のようで、印象派らしい描き方がもたらす効果だとは思えない。

         
          アンリ・ル・シダネル《朝日のあたる道沿いの川〔ブルターニュ〕》[5]。

 あまり「光」を感じないといっても、穏やかな風景画であると思いながら、《朝日のあたる道沿いの川》の前に立ったとき、なにかしら胸苦しさを覚えたのである。霧の朝なのかもしれないが、不透明なガスに包まれた息苦しさのようなものである。それまで感じていた「明るい色彩」の不透明感の過度な例がこれなのか、と思ったのである。

 しかし、歩を進めるにしたがい、印象は一変するのである。

          
            アンリ・ル・シダネル《月明かりのテラス〔ヴィユフランシュ〕》[6]。

 《月明かりのテラス》では、それまでの印象とはまったく逆に「透明な光」をかんじたのである。湖面の波から反射してくる光、テラスに蔦の影を作る光、その少ない光量の「光」が、ずっと向こうから透明な空気を突き抜けて、まっすぐ私の眼に飛び込んでくる。文字通り「光の画家」である、と納得したのである。しかし、この感覚は、図録ではわかりにくい。

 そうなのだ、「風景画家」ル・シダネルは、夜を描くことで(私にとっての)「光の画家」なのであった。《月下の川沿いの家》では、月光は白壁から反射されて川面へ、川面の波から反射されて私の眼へやってくる。月明かりのわずかな光量のはずなのに、光り輝くかのような夜景なのである。

          
              アンリ・ル・シダネル《月下の川沿いの家〔カンペル〕》[7]。

 ル・シダネルの代表作といえば、パンフレットに取り上げられている《テーブルと家》のようなジェルブロワの自宅を描いたもので、「アンティミスト」、「薔薇の画家」の名にふさわしい絵なのだろう。私の一番のお気に入りは、《月明かりのテラス〔ヴィユフランシュ〕》であるが、ル・シダネルらしさという点では《離れ家〔ジェルブロワ〕》をあげておこう。ジェルブロワの自宅で、庭の薔薇が描かれている。何よりも、これは夜の絵である。

 私にとって、アンリ・ル・シダネルは「月明かりの画家」、「月光の画家」である。

          
               アンリ・ル・シダネル《離れ家〔ジェルブロワ〕》[8]。

 これはル・シダネルの画業とは関係ないが、印象に残ったことがある。ル・シダネルの妹マルトは、ジョルジュ・ルオーと結婚している。意図したのかどうか定かではないが、ル・シダネルの展示が終わったところに美術館所蔵のルオーの絵が展示されていた。
 印象派風のほとんど線描のないル・シダネルの絵、対して太い線で輪郭が描かれるルオーの絵。静かな風景の画家、対してフォーヴィズムとも評された画家。ヴェルサイユ時代には同じ地区で暮らしたことすらある二人の画家の縁、そしてまったく異なる画業のその反対称性にいくぶん心惹かれて美術館をあとにしたのである。

 [1] 古谷可由「ル・シダネル、そのイメージと実像」、ヤン・ファリノー=ル・シダネル、古谷可由監修・執筆(古谷可由、小林晶子訳)『アンリ・ル・シダネル展』(以下、図録)(アンリ・ル・シダネル展カタログ委員会、2011年)p. 121。
[2] ヤン・ファリノー=ル・シダネル「アンリ・ル・シダネル(1862―1939)」、図録 p. 9。
[3] 古谷可由「ル・シダネル、そのイメージと実像」、図録p. 121。
[4] アンリ・ル・シダネル《快晴の朝〔カンペル〕》(1928年、油彩/カンバス、73×92cm、パリ、マルモッタン・モネ美術館)図録 p. 70。
[5] アンリ・ル・シダネル《朝日のあたる道沿いの川〔ブルターニュ〕》(1923年、油彩/カンバス、81×100cm、パリ、マルモッタン・モネ美術館)図録 p. 73。
[6] アンリ・ル・シダネル《川明かりのテラス〔ヴィユフランシュ〕》(1923年、油彩/カンバス、73×92cm、個人蔵)図録 p. 63。
[7] アンリ・ル・シダネル《月下の川沿いの家〔カンペル〕》(1920年、油彩/カンバス、73×92cm、岐阜県美術館)図録 p. 71。
[8] アンリ・ル・シダネル《離れ家〔ジェルブロワ〕》(1927年、油彩/カンバス、150×125cm、広島、ひろしま美術館)図録 p. 87。



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2 コメント

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Unknown (今井トシノ)
2020-07-16 12:58:55
シダネル展、開催中3回観に行きました。始めは友人と、後は一人で。
中でも一番好きだったのが、「月明かりのテラス」でした。
絵の前で何時間も佇んで居たい!
そんな佇まいの絵画ですね。
図録ではこの想いは伝えられない気持ちわかります。
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コメントありがとうございます。 (小野寺秀也)
2020-07-17 04:03:11
私も、「月明かりのテラス」の前まで進んだとき私のシダネルの印象が定まったような気がします。
勝手に「夜の光の画家」だt思い込んだのです。
それなりにいろいろな画家の展覧会を見てきましたが、シダネルは最も印象深い画家の一人でした。

最近はあまり東京に出かける機会がなく、いい美術展に出合えないのが残念ですが(もっともコロナ禍で、仙台から東京に出かけるなんて家人が目を剥いて反対しそうなこのごろですが)。
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