かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

純化する表現と透明な時間 ――初めて出合ったハンマースホイ(2)――

2019年10月28日 | 展覧会

【2009/10/17】

現在の時間と過去の時間は
おそらく未来の時間の中では現在となる
また未来の時間は過去の時間の中に含まれる。
もし凡ての時間が永遠に現在ならば
凡ての時間は贖うことができない。
かつてあったかもしれないものは
ただ冥想の世界にのみ永遠の可能性を残すひとつの抽象なのだ。
かつてあったかもしれないもの あったものは
ひとつの終局を指している
常に現在というものを。
     T・S・エリオット「バーント・ノートン」部分 [1]

【フッサールの表現論】

 ハンマースホイの絵画に初めて出合ったころ、たまたまジャック・デリダの「声と現象」 [2] を読んでいる途中であった。厳密に言えば、難しかったので再読していたのである。この本は、「フッサールの現象学における記号の問題入門」という副題が示すように、フッサールの「論理学」や「イデーン」における表現や記号の問題を批判的に論じたものである。デリダに興味があり、ついでにフッサール現象学も理解できるのではないかと、甘い期待で読み始めたのだが、現状は残念ながら「虻蜂取らず」のままである。
 「声と現象」の前半は、表現とはいかなるものかについて当てられている。フッサールにおける〈表現〉はギリシャ哲学以来の伝統通りに音声表現を本質と考える。表現における時間性、同時性の問題からそのように措定されるのだが、デリダは〈表現〉をエクリチュール一般へと拡大する。そのため、伝達される内容のずれ、誤配が生じるとするのである [3]
 とまれ、それを読みながら、なにかしらフッサールの〈表現〉についての考えがハンマースホイの絵画表現を読み解くヒントになるように感じたのである。ところが、私はいまだ「論理学」や「イデーン」を読んでいない。デリダに助けられてなんとか大著の「論理学」や「イデーン」のフッサールを、というのがこの姑息な読書の理由なのだ。フッサールについては、「デカルト的省察」と「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」くらいで終わらせるのが、私の現在の余力(たぶん、能力も)だろうとおもう。そのため、ここでは姑息で恥ずかしいのだが、デリダから「孫引き」をしながら話を進めることにする。
 フッサールは〈表現〉を言述に限定して考察していて、絵画表現を直接的に意味してはいないのだが、ここでは表現一般として(つまり、アナロジーとして)考えることにする。フッサールの〈表現〉は人間の言述行為にまつわる様々な不純要因を徹底的に排除することによって成立する。「可視性や空間性は……(中略)……意志の、そして言述(ディスクール)を開始する精神的生気づけの〈自己への現前性〉を失うほかないだろう。可視性や空間性は、文字どおり〈自己への現前性〉の死なのである。」とデリダは要約する [4]
 したがって、『われわれは、表情や身ぶりを(表現から)除外する。表情や身ぶりは……(中略)……言述の協力がなくても、ある人の精神状態が周囲の人々にとって理解可能な「表現」となるようなものなのである。このような表出=外化(エクステリオリザシオン)(Äusserungen)は、言述(Rede)という意味での表現ではまったくない』 [5] ということになる。
 不純物の排除は、さらに徹底して、「心的体験の伝達あるいは表明に属するすべてのもの」を「指標作用の名のもとに、そこから除外する」 [6] 。ここでいう「指標」とは何だろう。「指標という概念を規定してきた、内世界的(ムンダーン)現実存在、自然性、可感性、経験性、連合等々の諸価値は、なるほどわれわれが予測する多くの媒介を通してではあるが、たぶんこの非-現前性の中に、その最終的統一性を見出すことになるのかもしれない。そして、この生き生きした現在の自己への非-現前性は、同時に〈他人との関係一般〉と〈時間化作用(タンポラリザシオン)の自己への関係〉とを特徴づけているのである」 [7]
 言述や発話行為を描画行為、絵画表現と読み変えて、アナロジカルにフッサールの表現論をハンマースホイの画業に適用しようとする私に、デリダは次のような決定的な要約を与えてくれる [8]

……汚染=混淆(コンタミナシオン)は、つねに現実の会話の中で生じるので(表現は、会話においては、直感に対して永久に隠された内容を、つまり他人の体験を指示するからであり、同時にまたBedeutung〔意-味〕のイデア的内容と表現の精神的側面が、そこでは感覚的側面と結びついているのだから)、まさしく伝達作用を持たない言語の中で、独り言の言述(ディスクール)の中で、「孤独な心的生活」(im einsamen Seelenleben)の絶対的に低い声の中で、表現の手つかずの純粋性を追いつめていかなければならない。奇妙な逆説によって意-味は、あるとの関係が中断されるときにだけ、その-現性〔ex-pressivite外に-押し出すこと〕の濃縮された純粋性を抽出することができるのである。

 表現から言述の指標作用を排除して残るものは、純粋な超越論的イデアの表現となるのであろうが、もちろん前述したように、絵画表現にそのまま適用できるわけではない。しかし、私たちが普通に考えている表現というものが多くの非本質的介在物をまとったものであること、それらを排除して真正の〈表現〉が成立するということは重要である。
 そして、〈他人との関係一般〉と〈時間化作用の自己への関係〉が非-現前性を示しても、表現は成り立つ、というよりもそれによってこそ表現が成り立つとフッサールは言っている(らしい)。
 このことは、ハンマースホイの画業の基底をなす心性そのものではないか。顕在的ではないにせよ、ハンマースホイは〈他人との関係一般〉と〈時間化作用の自己への関係〉を表象する事物をカンバスから可能なかぎり排除したうえで、彼の絵画表現を成立させたいと願っていたにちがいない。実際には、そのような心性と「健常」な心性の間を揺れ動きつつ、二つの心性が張る時空上でハンマースホイの画業が成立しているのである。


図1 ハンマースホイ《室内、ストランゲーゼ30番地》 [9]
1901年、油彩、カンバス、62.5×52.5cm、ハノーファー、ニーダーザクセン州博物館


【純化のプロセス】

 その二つの心性の揺動の様子を見てみよう。図1では、テーブル、椅子、ピアノ、花台と花瓶、壁の絵、カーテンそして妻イーダらしい人物(後ろ姿であるが)までもが描かれている。すこし寂しい感じはするが、室内の道具立てはそろっている。
 おそらく、この絵についての鑑賞者の大きな関心は、テーブルやピアノの脚の影が逆向きに描かれ、ピアノの後脚、イーダの左足が描かれていないことなど、きわめて不合理、不自然であることだろうが、ここでは考えないことにしたい。というより、よく分からないのである。時間のたたみ込み(二重の時間の重ね合わせ)があるのか、社会性、日常性の排除の中途半端さなのか、精緻な精神病理学的解釈が必要なのかもしれない。いずれにしても、社会性、日常性の忌避を志向する心性の兆しは見えている。
 次の絵(図2)には、椅子に坐るイーダの後ろ姿だけが室内に存在している。同じ場所を描いた他の絵から判断すると、窓にはカーテン、壁には絵が掛けてあるはずであるが、ここでは描かれていない。


図2 ハンマースホイ《室内、ストランゲーゼ30番地》 [10]
1909年、油彩、カンバス、55.5×60.5 cm、個人蔵


図3 ハンマースホイ《陽光習作》 [11]
1906年、油彩、カンバス、54.5×46.5 cm、コペンハーゲン、デーヴィズ・コレクション

  さらに、図3になると、壁、窓、ドアというこの場所から排除できないものだけが描かれる。あたかも、この部屋で生活が営まれていないかのように。窓の向こうに見えるはずのコの字形の建物の一方も判然としない。
 これが、ハンマースホイによる〈他人との関係一般〉と〈時間化作用の自己への関係〉の表現空間における自己への非現前化へ志向する心性のもっと振れ幅が大きい絵であろう。


図4 ハンマースホイ《白い扉、あるいは開いた扉》 [12]
1905年、油彩、カンバス、52×60 cm、コペンハーゲン、デーヴィズ・コレクション

 もう1点、揺動の極にある絵を見ておこう。図4は食堂から、隣室、廊下を見通した絵である。食堂のテーブルもストーブも壁の絵ももちろん描かれない。図2と図3の対照のように、図4にも同じ部屋に後ろ向きのイーダがいたり、食堂テーブルが描かれたりする絵がいくつか存在する。制作年をみると、一つの心性からもう一つの心性へと移り変わっていったのではなく、揺り返しながら制作されていることが分かる。


【積み重なった透明な時間】

 このようなハンマースホイ固有の絵が、私たちの心に惹起するものは何だろう。何もない寂しさ、孤独感、生活感のない暗さ、暗鬱な北欧の、あるいは北欧人の気分のようなものだろうか。
 それは、累々と積み重なった生活の時間の透明化ではないのか、と私には思える。20 数年前、家の建て替えのため、全ての家財を運び出してがらんとした旧宅の部屋の中に立って、その建屋に住み始めた頃から、子供が生まれ、育ち、そして現在に至る長い時間が、そのときの現在の時間そのもののように感じられたことがある。
 暮らしてきた時間に具体的に存在した家財類がすべて排除されている空間の中でこそ、、そこでの生活に張り付いていた時間が、積み重なり、透明となって現在性としてそこにある、そのような感受が成立していたように思う。

古いさびしい空屋の中で
椅子が茫然として居るではないか。
その上に腰をかけて
編物をしてゐる娘もなく
暖爐に坐る黑猫の姿も見えない
白いがらんどうの家中で
私は物悲しい夢を見ながら
古風な柱時計のほどけて行く
錆びたぜんまいの響を聽いた
        萩原朔太郎「時計」部分 [13]

 たとえば、この詩に描かれる「がらんどうの家」には椅子があり、まだ動いている「古風な柱時計」がある。だからこそ、「編物をしてゐる娘」、「暖爐に坐る黑猫」が想起されているのである。想起される時間の射程が短いのである。 がらんどうの部屋に、現在の生活で使っている道具を置いてみよう。時間はその道具にトラップされ、現在の生活の時間のみを表象するだろう。

 ストランゲーゼ30番地の家は17世紀に建てられ、ハンマースホイは1898年から1909年までここに住んでいる [14]。図3や図4の部屋が描かれた時には、200年以上の生活の時間がそれらの部屋を過ぎていっているのである。何代もの、何家族もの生活の時間を全て見通すには、それぞれの生活に結びつくような事物があってはならない、ということが結果からの逆射として言うことができよう。
 そして、何世代、何家族もの積み重なった時間から抽象され、外化された時間性こそが、フッサールの〈表現〉を絵画表現へ翻訳したものに対応しているのはないか、と私は思う。

あかるいへやのなかに
ちいさなへやがあり
くらいへやのそとに
いくつものへやはひしめき
へやはたがいにかさなりあって
どこの土地や因習にざわめくへやにも
かならずゆかねばならない
へやは まったくぶきみで よそよそしく
いつも どこかのへやのすみで
ひとがやってくるのを
いじわるそうに待っているのは
へやの風だ
       永島卓「毒には毒を食わせてやれ」部分 [15]

 そして、累々と積み重ねられた時間は、その純化、その透明化が徹底されるにつれ、それぞれの部屋固有の積算された時間ばかりではなく、「どこの土地や因習にざわめくへや」につながるように、透明な時空の積み重ねのように変容していく。そこにもし動くものがあるとすれば、それは「へやの風」だけだ。
 ハンマースホイの絵が、累積した透明な時間を私たちの心に惹起するとき、透明であるがゆえに、感受する私たちそれぞれの累積した生活時間の、あるいはまた、父祖からの累積した記憶の時間特有の色に染まった時間として、私たちの心に現前するだろう。それこそが、NHKのテレビ番組で小栗康平が「見る側の想像力を解放している」と評したことの本質だろうと思う。

 ヴィルヘルム・ハンマースホイの絵に出合ったことは、近年の私にとってきわめて重要な事件であった。このような新鮮な驚きを伴った出会いがこの後もあるのだろうか、と思うほどである。これは私の感受力の問題だから、あまり期待できないとは思うのだが、やはり未練がましく再びのなにがしかの出会いを願ってみたりする。

[1] T・S・エリオット「エリオット詩集」(上田保、鍵谷幸信訳)(思潮社 1965年) p. 238。
[2] ジャック・デリダ「声と現象」 林好雄訳(筑摩学芸文庫、2005年)、以下「デリダ」。
[3] 東浩紀「存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて」(新潮社、1998年)。
[4] 「デリダ」 p. 78。
[5] 「デリダ」 p. 78 (出典はフッサール「論理学」第1章、第5節)。
[6] 「デリダ」 p. 82。
[7] 「デリダ」 p. 83。
[8] 「デリダ」 p. 49。
[9] 「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」 佐藤直樹、フェリックス・クレマー編(以下、「ハンマースホイ図録」)(日本経済新聞社、2008年) p. 153。
[10] 「ハンマースホイ図録」 p. 61。
[11] 「ハンマースホイ図録」 p. 149。
[12] 「ハンマースホイ図録」 p. 153。
[13] 「萩原朔太郎詩集 青猫」(新潮文庫、昭和30年) p. 230。
[14] 「ハンマースホイ図録」 p. 12。
[15] 「永島卓詩集 I 碧南偏執的複合的私言」(国文社、 昭和48年) p. 42。

【ホームページを閉じるにあたり、2009年10月17日に掲載したものを転載した】

 

 

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揺動する心 ――初めて出合ったハンマースホイ(1)――

2019年10月22日 | 展覧会

【2009/10/16】

【ハンマースホイ展】

 2008年の秋、定年退職を翌春に控えた秋に「大琳派展」を見に上野の国立博物館に出かけた。妻と一緒である。老年に近付くにつれて、尾形光琳や酒井抱一の様式美というか、意匠化された絵画や工芸に惹かれるようになっていたので、楽しみにしていた展覧会であった。
  貯まっている年休を消化したいのと、妻は火曜日だけ休めるということもあって、仕事をさぼっての遊びである。上野駅公園口から向かう道すがらの西洋美術館の看板に、全く知らない画家の展覧会の案内が出ていて、暗い室内を描いた絵のポスターが奇妙に気になったが、そのまま通りすぎた。妻も全く聞いたことがない名前だという。帰り道でハンマースホイという名前を記憶するだけでその日は終わった。
 後日、何気なくテレビのチャンネルを変えていったら、NHK教育テレビの「新日曜美術館」という番組でヴィルヘルム・ハンマースホイを取り上げているのを見つけた。ゲストの小栗康平(映画監督)、国立博物館の佐藤直樹という人の鑑賞、解説を面白く聞かせてもらった。
 司会の壇ふみが「ほとんど何も語っていないのに、でも何かを語っているように感じる」という感想を述べていて、これが「奇妙な構図」、「奇妙な静けさ」を持つハンマースホイ絵画に対する率直でど真ん中の感想のようで、番組はそのような趣旨で進められ、構成されていたようであった。
 たとえば、佐藤直樹さんはフェルメールの強い影響を指摘され、構成のよく似ている室内に立つ婦人像を描いた両者の絵を比べて、フェルメールは人が主題で解釈可能なのに、ハンマースホイの絵は人物ではなく室内のドアが主題のようにさえ見え、解釈が困難である旨の解説をしていた。
 また、小栗康平さんは人物に動きを想像させる要素がないこと、後ろ向きの人物像が多く描かれていることが見る側の想像力を解放しているのではないか、という解釈を示された。テレビ画面を通していくつかの絵を見ながらただひたすら「なるほど」と思いながら見ていたのだった。
 テレビを見た時からハンマースホイ展を見に行きたいという思いが募り、妻におそるおそるそのあたりの気持を匂わせると、意外にあっさり「行ってみたら」というので、ふたたび休暇を取って、今度はひとりで、いそいそと出かけたのである。仕事をさぼっての遊びが後ろめたいこともなく結構楽しいと感じるようになったのはいつ頃からだろうか。年を重ねて、ただただ図々しくなったのだ。 
 さて、「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」と銘打たれた展覧会である。相変わらず人の多い東京に閉口しながらも、「奇妙な、静かな感動」の一日だったのは間違いない。ただ、テレビ番組で仕入れた知識や鑑賞の仕方と私の印象には微妙にずれがあって、ちょっとだけ考え込んでしまった。


図1「ヴィルヘルム・ハンマースホイ」展の入場券


【リルケは何を見たのか】

 ギリシャ古代彫刻の素描から始まった展示に早々に出てくるのは《若い女性の肖像、画家の妹アナ・ハンマースホイ》という画家21才の作品で、当時の肖像画の基準に合わないと言うことでコンピティションで落選させられ、デンマークの美術界で論争を引き起こしたとされる油彩画である。
 美術史に素養もなく美術史的な事柄に関心が薄い私には事情はどうであれ、黒い衣服に身を包み、どのような感情も顕在的でないまま、どこか遠くを見つめている19才の少女自体もその絵も美しいと思えた。その「どこか遠くを見つめている」ということが問題だったらしいのであるが、それこそがその絵の、あるいはその少女の美しさの源泉であるとしか、私には思えないのだ。
 そのすぐ後に展示されていたのが《イーダ・エルステズの肖像、のちの画家の妻》(図2)で、この絵を見たマリア・ライナー・リルケがハンマースホイに会いに行ったという解説が付された絵である。


図2 ハンマースホイ《イーダ・エルステズの肖像、のちの画家の妻》 [4]
1890年、油彩、カンバス、106.5×86cm、コペンハーゲン国立美術館

 リルケの詩に惹かれて15才ころから19才くらいまでのあいだ何度も読み返していた私にとっては、当然ながら、この絵のどんなところにリルケが魅せられたのか、強い興味がかき立てられたのである。ハンマースホイとリルケの出会いについては、展覧会に合わせて出版された図録の中でフェリックス・クレマーという人が触れているが、リルケが何に惹かれたのかは残念ながら記されていない [1]
 私の本棚にあるリルケ全集の中の美術論 [2] や書簡 [3] のどこにもハンマースホイの名は見あたらない。簡単な手がかりはないようである。
 この絵には左の瞳が青色、右の瞳が茶色で描かれているという「驚くべき」特徴がある [5]。しかし、私の強い興味を引いたのは、同じ図録の解説に、画家はこの絵を「真っすぐにカメラの方を見つめている」イーダの「写真を元に描いた」にもかかわらず、「彼女は放心しているように虚空を見つめている」と記されている箇所である。
 また、フェリックス・クレマーは、「この画家の、会話を妨げるような固い沈黙に言及している」リルケのことを述べ、さらに、画家が「神経衰弱症に苦しみ、1900年頃には、しばしば診断を受けていたこと」がよく知られており、「デンマークで最初の神経症の画家」と呼ぶ美術史家がいる」と指摘している [1]
 これらはきわめて重要なキーに思われる。これらの指摘が、ヴィルヘルム・ハンマースホイの画業の基底を指し示しているのではないだろうか。
 ハンマースホイは家族、知人の肖像画も、コペンハーゲン市内の建築物を含む風景画も、田園や農家の風景画も、妻イーダがいる室内、いない室内の絵も、絵を描く自画像すらも描いている。つまり、画題がけっしてある範囲に偏っているとは言い難いのである。
 それは、誰もいない室内を静物画とみなせば、画家の日常、周辺を画題としていて、私たち凡庸な人間が画家一般を想像した時、その想像された画家が描くであろうごく普通の画題にすぎない。
 しかし、全ての絵に通底する特徴はきわめて個性的、ハンマースホイ固有的である。それは、どのような絵を描いても、その基盤には、社会性、日常性の拒否への静かな志向性があることである。
 画題の選択、決定に際しては、日常性も社会性も引き受け、その現在性を一心に担っている画家がいる。それは、社会性をきちんと生きようとする画家の努力、または、生い立ちや家族との暮らしがもたらす正しい(とみなされる)知恵として作用しているのだろう。
 ところが、一方で、カンバスに向き合っている表現の時空では、日常的な事柄、周りの事物、人間関係を拒否したい、忌避したいという感情に突き動かされている精神がある。 そのような二重性が、ヴィルヘルム・ハンマースホイに固有、個別的な意味ををもたらしているのではないか。そんなふうに思えるのである。芸術表現と精神病理の問題ということである。
  図2の絵に戻ろう。画家は、写真とはいえ、こちらをしっかりと見つめているイーダを見ていたはずである。「写真に黒鉛で方眼を書い」ていたそうであるから、私たちが物を見る時とは異なり、画家は強く、かつ精細にイーダを、イーダの眼を見ていたに違いない。
 しかし、対象をしっかりと見つめる眼、瞳としてではなく、「放心しているように虚空を見つめている」ように描いたのは、あきらかに画家の心象として像が成立する(描かれる)ためであろう。イーダの眼がどのような対象と切り結ぶことがないように描いたのは、社会性や日常性をまとった現実のいかなる事象からも逃れようとしている画家の精神がイーダの眼の表現へと顕在化しているからだ。
 画家の精神は、イーダを描きながらもひたすら内部世界へ、内在性へと向かっているのではないか。イーダの瞳は、画家の精神の象徴ではないか。それはおのれの実存への固執とも見えないわけではない。

通りすぎる格子のために
疲れた豹の眼には もう何も見えない
彼には無数の格子があるようで
その背後に世界はないかと思われる

このうえなく小さく輪をえがいてまわる
豹のしなやかな 剛(かた)い足並の 忍びゆく歩みは
そこに痺(しび)れて大きな意志が立っている
一つの中心を取り巻く力の舞踊のようだ

ただ 時おり瞳の帳(とばり)が 音もなく
あがると—─そのとき映像は入って
四肢のはりつめた静けさを通り
心の中で消えてゆく
     リルケ「豹」(富士川英郎 訳)全文 [6]

 この豹の眼こそ、イーダの眼、ハンマースホイが現実と向き合おうとしながらも、現実の拒否へと志向する画家の眼そのものではないか。私の遠い記憶では、この詩は実存主義を強く示す詩として大いに論じられたのである。
 ハンマースホイとリルケという同時代人が出会う契機は、「1929年にフッサールが講義し、すぐあとに変更されてフランス語に翻訳され、出版された『デカルト的省察』は、……やがて[ハイデッガーの]『存在と時間』の問題に遭遇する。それは、1935年にサルトルの「自我の超越」という論文を生み出す。」とミシェル・フーコーが指摘するように [7]、実存主義と関係しているだろう。
 絶対的な歴史や世界から語るヘーゲル的精神でもなく、客観理性から議論するカント的精神でもなく、明証的な直感から世界へ向かうエトムント・フッサールや、その弟子で実存主義の祖ともいわれるマルチン・ハイデッガーなどと同時代を生きたリルケが、内在性に沈潜しつつ、そこから表現を立ちあげるハンマースホイの芸術が醸し出す同じ時代の空気、実存主義的感性に共鳴したのではないかというのが、一つの私の推論である。


図3 ハンマースホイ《3人の若い女性》 [8]
1895年、油彩、カンバス、128×167cm、リーベ美術館


 図3の絵は前述のNHK番組でも取り上げられ、詳しく解説されたものの一枚である。3人は画家の家族で、左から義兄の妻インゲボー、妻イーダ、妹アナである。画家に近しい家族が集まりながら、それぞれは誰とも眼を合わせず、図録の解説は「空間を共有しながらも心理的な接点を持たない3人の女性は、現代社会の象徴ととることも出来るが、それはむしろ、画家から明確な「語り」を徹底的に排除した画家の芸術的志向の必然的な帰結」としている。
 そうなのである。3人の女性が実際に心理的な接点を持たないのかどうかはわからない。解説の前半部の記述はさておき、画家は3人の像が目を合わせたり、触れたり、表情を交わしたりする日常の家族が持つ関係性を排除している。現実の時間にまつわる可能な物語性を拒否しているのである。
 ここでも、リルケはハンマースホイと同じカンバスに向き合っているかのような詩を残している。

ごらん ふたりが同じ出来事を
別々に身につけ べつべつに理解するのを
それはまるで異
(ちが)
った時間が ふたつの
同じ部屋をよぎってゆくかのようだ

    リルケ「姉妹」(富士川英郎 訳)部分 [9]

 おのれの実存に正しく向き合う者は、内面の表現を同じくする。ひとりは精神病理のゆえに、ひとりは精神の言語化の辛い作業のゆえに--というのは言い過ぎだろうか。
 そして、物語性の排除(というよりも物語性の忌避というのが正確だろう)は、図2の場合と同様に、モデルとしての3人の側の在りようの問題でも、画家と3人の関係の在りようの問題ではない。ただ、ひたすらに社会性、日常性を避けたいと強く志向する画家の心性のもたらす結果であるだろう。
 図2における結婚前のイーダは、当然のように画家の愛の対象であったろうし、この絵の3人も、普通に幸せな家族を形成していると考えて何の不思議もない。前述したように、現在性がもたらすあらゆる社会性の忌避は、ハンマースホイの全てに通底しているのはないか。
 我が家の室内を描く時には、妻イーダが登場するのはごく自然だが、そのほとんどは図1のように後向きか、横向きでもその表情は判然とは描かれず、そしてついに室内は無人になるのである。
 風景画には人の姿は登場せず、現在の日常を示唆する事物もほとんど現れない。市内の城も農家も自然の一部であるかのように描かれる。あの精神を病んでいるようなユトリロですら、ゴミのような描写であれ、風景画に人物の点描を添えているのに。
 そして、これらは画家の時間的発展として現れるのではなく、画業の全プロセスにおいて、全ての画題に向き合おうとする〈健全〉な社会性を持つ画家と、現在性、社会性にまつわる物語を忌避しようとする引きこもりのような心性のもとで表現に向かおうとする画家との二重の存在として、ふたつのかけ離れた心性の間をきわめて大きな振幅で揺れ動く画家の描いた絵として私たちに立ち現れてきているのである。この揺動こそがハンマースホイの固有性であり、結果的にリルケの実存主義的表現意識に強く訴求したものだと考えられる。
 国立西洋美術館のキュレーターである佐藤直樹氏は、前述したように、17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメールの影響を示唆している [10]。指摘のように、ハンマースホイの《手紙を読むイーダ》という作品は、フェルメールの《手紙を読む青衣の女》ときわめて親近性が高い構図をしている。構図だけを取り上げれば、鏡映対称であるようにすら見える。しかし、イーダの顔から表情は読み取れず、手紙を読むという人間の行いに関係するであろう事象は一切描かれていない。  一方、フェルメールでは旅行中である夫(あるいは愛人)を示唆する地図、その関係性を強く示唆するように妊娠姿(そうではなく単なる流行のスカートがそう見えるだけだとする説もある)の婦人が描かれ、その日常性、物語性は過剰なまで表現されている。
 フェルメールの絵における物語の過剰性は、「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」1点から1編の映画が制作されるほどに私たちを物語想像へかきたてるのである [11]
 ここに、佐藤氏が指摘しているように、ハンマースホイとフェルメールの解釈不可能性、解釈可能性という大きな差異が現れる。残された作品の少ないフェルメールにも室内に人物を配置した絵は多いほうで、ハンマースホイの室内画との類似性を探せばもっとあるに違いないし、画法の影響関係も議論できるだろうが、しかし、それは専門的な絵画技術の問題で私の手には負えない。
 ハンマースホイとフェルメールの二人はその目指す表現において全くの対極に位置している、と私には思える。フェルメールは、徹底した17世紀の風俗の画家であって、物語性こそが彼が絵に込めた価値の重要な一つであるだろう。そのため、彼は《二人の紳士と女》や《取り持ち女(放蕩息子)》のような官能的な性愛を顕在的に表現する物語も描くのである [12,13]
  ハンマースホイは、これまで明らかにしたように、物語性どころか、ささやかな日常性を示唆するような事物、眼差しのように人と人との関係性を表象するものですら、可能であれば忌避したいという強い心性のもとで表現しようとしている。たとえ、人物画を描いている時でも。
 ハンマースホイの画題がどのようにして生まれてきたか、小さいけれども私なりの結論に達したと思う。次の問題は、大きな二つの心性を揺動する表現がどのようにして高い芸術性を獲得したのか、という点にある。

 

[1] 「ヴィルヘルム・ハンマースホイ『静かなる詩情』佐藤直樹、フェリックス・クレマー編(以下、「ハンマースホイ図録」)(日本経済新聞社、2008年) p. 11。
[2] 「リルケ全集」第8巻 富士川英郎編(彌生書房、昭和37年)
[3] 「リルケ全集」第10, 11巻 富士川英郎編(彌生書房、昭和36年)。
[4] 「ハンマースホイ図録」 p. 49。
[5] 「ハンマースホイ図録」 p. 48。
[6] 「世界文學大系53 リルケ」(筑摩書房 昭和34年)p.83。
[7] ミシェル・フーコー「生命─経験と科学」(廣瀬浩司訳)(「フーコー・コレクション6 生政治・統治」小林康夫、石田英敬、松浦寿輝編、筑摩学芸文庫、2006年) p. 422.
[8] 「ハンマースホイ図録」 p. 93。
[9] 「世界文學大系53 リルケ」(筑摩書房 昭和34年)p.101。
[10] 「ハンマースホイ図録」 p. 33。
[11] 「真珠の耳飾りの少女」トレイシー・シュヴァリエ原作、ピーター・ウェーバー監督(イギリス、2002年)。
[12] 尾崎彰宏「西洋絵画の巨匠⑤ フェルメール」(小学館、2006年)。
[13] 朽木ゆり子「フェルメール 全点踏破の旅」(集英社、2006年)。

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原発を詠む(59)――朝日歌壇・俳壇から(2019年9月22日~10月20日)

2019年10月21日 | 鑑賞

朝日新聞への投稿短歌・俳句で「原発」、「原爆」に関連して詠まれたものを抜き書きした。

 

三カ月の線量測定四回目ガラスバッジで九年目の秋
         (福島市)米倉みなと  (9/22 永田和宏選)

「福が満開、福のしま」のポスターよそのフクシマを我は追われき
         (国立市)半杭螢子  (9/29 高野公彦選)

浪江町へ皆で帰ろうと誓い合い避難九年目の成田山(なりたさん)(もうで)す
         (いわき市)盛岡和之  (9/29 高野公彦選)

汚染水と呼ばれし水の悲しみを溜めて千基のタンク黙せり
         (福島市)美原凍子  (10/6 馬場あき子選)

六袋のフレコンバッグ積載し十トントラック今日も列成す
         (茂原市)植田辰年  (10/6 馬場あき子選)

請戸(うけど)地区尾花繁りて雉子(きぎす)(な)く妻恋ふやうに人待つやうに
         (朝霞市)青垣進  (10/6 高野公彦選)

「汚染水」「処理水」同じフクシマの水の呼び名が立場で変わる
         (観音寺市)篠原俊則  (10/13 佐々木幸綱、高野公彦、永田和宏選)

線量計首から提げて案内さる浪江の更地「ここにわが家」と
         (盛岡市)及川三治  (10/13永田和宏選)

避難九年人影のなきわが家に赤きサルスベリの花咲き盛る
         (国立市)半杭螢子  (10/13永田和宏選)

コンビニの灯りの向こうにくろぐろと廃炉に決まりし原発十基
         (茂原市)植田辰年  (10/13 馬場あき子選)

核を持つ国のトップが他の国の格を禁じる あなたはゼウス?
         (五所川原市)戸沢大二郎  (10/20 高野公彦選)

汚染水のゆくえを問えば地の神の怒りのごとく曼殊沙華炎(も)ゆ
         (福島市)美原凍子  (10/20 高野公彦選)

生きるとは語り継ぐことビルマにて戦死せる兄被爆死の姉
         (西海市)原田覚  (10/20 馬場あき子選)

何十年草花咲かせてきた土よ除染土となりて何処へ行くのか
         (須賀川市)山本真喜子  (10/20 佐々木幸綱選)

 

流星に被爆の友の祈りかな
         (川口市)青柳悠  (10/20 大串章選)


 

 

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