8月17日から19日までと、22日から24日まで被災地に行ってきました。
17日は、仙台空港から仙台市内を経て、東松島まで行きました。
仙台市内中心部だけをみると、ビルの倒壊などもありませんし、地震や津波の影響はあったのかな?という感じです。
しかし、東松島まで行くと、家が倒壊していたり、建物が流されてなかったり、地盤沈下で浸水していると思われる地域がありました。
そういったところを見ると、津波の恐ろしさと傷跡がまだまだ残っているのを実感します。
18日は、まず仙台市役所の渡辺青葉区長と森本住環境整備課長にお会いし、お話をお伺いしました。
やっと震災後のさまざまな混乱が落ち着いてきたというお話でした。
仙台市では、避難所はもうなく、避難されていた方々はみなさん応急仮設住宅か親戚等の家に移られているそうです。
また、神戸市より早くから支援があり、現在も復興計画の作成などさまざま支援があることに感謝の言葉をいただきました。
そのあと、山元町まで行きました。
山元町のJR坂元駅は、津波で駅舎と線路の一部が流されていました。
線路は、海側ではなく、内陸側の線路が流されているのを見ると、引き波が強かったのを実感します。
22日から24日はボランティアバスツアーに参加し、石巻市雄勝町の民家のがれき等の撤去をお手伝いしました。
家の中は水浸しでめちゃくちゃ、他の家の物が流れ着いているのを見ても、津波の恐ろしさと傷跡がまだまだ残っているのを実感するのですが、震災から5か月以上経ってもまだ家の中の物を片付けられていない状況があることに驚きました。
がれき等が片づいてお家の方の表情が明るくなり、感謝の言葉をいただくと、少しはお役に立ててよかったと思います。
今回の被災地訪問で、地域よって場所によって被害状況やがれき等の撤去の状況が違うということと、復興はまだまだこれからということを感じました。
この経験を神戸としての引き続きの支援と神戸の防災に生かせるよう、がんばっていきたいと思います。
JR坂元駅
石巻市雄勝町で。津波で流されたバスがいまだ建物の上に乗っている。
17日は、仙台空港から仙台市内を経て、東松島まで行きました。
仙台市内中心部だけをみると、ビルの倒壊などもありませんし、地震や津波の影響はあったのかな?という感じです。
しかし、東松島まで行くと、家が倒壊していたり、建物が流されてなかったり、地盤沈下で浸水していると思われる地域がありました。
そういったところを見ると、津波の恐ろしさと傷跡がまだまだ残っているのを実感します。
18日は、まず仙台市役所の渡辺青葉区長と森本住環境整備課長にお会いし、お話をお伺いしました。
やっと震災後のさまざまな混乱が落ち着いてきたというお話でした。
仙台市では、避難所はもうなく、避難されていた方々はみなさん応急仮設住宅か親戚等の家に移られているそうです。
また、神戸市より早くから支援があり、現在も復興計画の作成などさまざま支援があることに感謝の言葉をいただきました。
そのあと、山元町まで行きました。
山元町のJR坂元駅は、津波で駅舎と線路の一部が流されていました。
線路は、海側ではなく、内陸側の線路が流されているのを見ると、引き波が強かったのを実感します。
22日から24日はボランティアバスツアーに参加し、石巻市雄勝町の民家のがれき等の撤去をお手伝いしました。
家の中は水浸しでめちゃくちゃ、他の家の物が流れ着いているのを見ても、津波の恐ろしさと傷跡がまだまだ残っているのを実感するのですが、震災から5か月以上経ってもまだ家の中の物を片付けられていない状況があることに驚きました。
がれき等が片づいてお家の方の表情が明るくなり、感謝の言葉をいただくと、少しはお役に立ててよかったと思います。
今回の被災地訪問で、地域よって場所によって被害状況やがれき等の撤去の状況が違うということと、復興はまだまだこれからということを感じました。
この経験を神戸としての引き続きの支援と神戸の防災に生かせるよう、がんばっていきたいと思います。
JR坂元駅
石巻市雄勝町で。津波で流されたバスがいまだ建物の上に乗っている。