三流読書人

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ドングリ小屋住人 

宮崎勤の死刑執行について

2008年06月20日 17時17分56秒 | 事件
17日、死刑囚宮崎勤の死刑を執行したと法務省は発表した。「こんなやつさっさと殺してしまえ」とつい叫びたくなるような事件が多い。
無惨な残虐な幼児殺害は憎みてもあまりある。おおかたの世論は執行されてよかったということである。
現鳩山法務大臣になって13人が執行されたという。それを世論は支持する。
世の中全体が死刑執行ということについてハードルが低くなっているような気がする。
あいつは悪い。こんな残虐な人殺しをやった、殺されてあたり前だ。だから殺せ。
そして政府権力が殺人を犯す。権力側は、国民がそれを支持したという。
命の重みを軽く見る今日の状況がこうした犯罪を生むということもありうると思う。
殺人という刑罰をつくったのは政治権力だろう。
そしてその政治は国民によって選択されたという言い訳を権力側は使うことができる。
そのしくみの恐ろしさを忘れてはいけない。
最終判断を下す法務大臣が歴代どんな人物がであったか。それも思い出す必要もある。

一方、権力側の犯罪はいかにも刑が安過ぎはしないか。
社保庁の乱脈極まる税金の使い方を見るまでもなく、政治的、経済的力の強いものによる将来どれほどの人的被害をもたらすか計り知れない危険性をふくむ大型公共工事における手抜き、人類の生存にも関わる公害、政治的判断による国際紛争への関わりこれらはどんな過ちを犯そうと日本で絞首刑になることはない。

宮崎勤の死刑執行はやむを得ない、。
が、もっと巨大な悪もある。