1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

『景行天皇伝説を巡る冒険』21.三輪山山麓で鉄バイオマットを発見!

2022-12-16 21:32:00 | 景行天皇の記録
【三輪山の麓で鉄バイオマットを発見!】
三輪山を下山し大神神社を後にしました。その日は寒波の襲来で北風を強く感じました。登拝中には僅かに雨も混じった時間もありましたが、大鳥居の下まで戻ると西の空は明るくなり天候の回復が期待できました。4泊分の荷物の入ったリュックが肩にズシリと重かったのですが、脚にはまだ余力が残っていました。
一旦国道に出ると車の少ない古い街並みが残る旧街道を進みました。参詣者で賑わっていた神社界隈とはうって変わって静かな道でした。
その旧街道沿いでは、卑弥呼の墓ではないかとされる古墳時代の初期に築造された箸墓古墳(はしはかこふん)が見られます。現在は常緑樹に覆われた箸墓古墳を通り過ぎると視界が開けます。周囲は緩く傾斜した扇状地を利用して作られた田園が広がりました。


箸墓古墳

纏向、三輪山山麓に広がる田園



そして、ふと足下に目を向けると、アスファルト道路の横の水路の底が茶褐色であることに気がつきました。
心臓が高鳴りました。
よく見ると、流れに身をまかせて水草のように揺れていたのは、地質用語でいうところの鉄バイオマットでした。地中から出ている塩ビパイプの口もとはさらに明瞭なオレンジ色となっていて、西日に照らされて美しく輝いてさえ見えます。


水路の水中に生成している鉄バイオマット


近年、民俗学や製鉄技術の分野では、古代の製鉄の始まりは弥生時代に遡るのではと強く主張されています。原料は、ここまで何度も紹介してきた鉄バクテリアによって生成した水酸化鉄が石化した褐鉄鉱です。褐鉄鉱は不純物を含むため融解温度が低く、それを鍛造すれば鉄器が製作できます。しかし、褐鉄鉱は品位が低く酸化腐食しやすいという特徴もあるため、考古学の遺物として残ることはまれなのです。遺跡が残っていないからと言って、製鉄が行われていなかったという証明にはならないというのが彼らの主張です。

地質技術者の目線やこれまでの自身の調査からは、古代の製鉄の始まりは褐鉄鉱を原料とした製鉄と考えるほうが自然のように思えてきます。

三輪山の西南麓には「金屋」という地名があり、付近の金屋遺跡からは前期縄文土器や弥生時代の遺物とともに、同層位から鉄滓や吹子の火口、焼土が出土しています。今回は訪問しませんでしたが、穴師坐兵主神社(あなしいますひょうずじんじゃ)には鉄工の跡が見られるといいます。
大和地方の人々が古代より三輪山に対して尊崇の念を抱いたのは、その秀麗な山容だけでなく水稲耕作に必要な水、その水から鉄器の原料である褐鉄鉱や、その供給元となった鉄分を多く含んだはんれい岩という特殊な山だったからではないでしょうか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『景行天皇伝説を巡る冒険』2... | トップ | 『景行天皇伝説を巡る冒険』2... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

景行天皇の記録」カテゴリの最新記事