1969/04/09に生まれて

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『景行天皇伝説を巡る冒険』23.震岳に祀られたのは先住者たち!?

2022-12-21 21:05:00 | 景行天皇の記録
【震岳に祀られたのは先住者たち!?】
第12第景行天皇は当初から震岳に八神殿を祀る計画だったと思います。
末広がりの「八」は、古来より神聖な数とされ『古事記』では「多数」を意味します。
また、「八神殿」を調べてみると、これは「天皇守護の神」と言われている神々を祀った神殿とされています。八神、すなわち、神産日神(かみむすびのかみ)、高御(たかみ)産日神、玉積(たまつめ)産日神、生(いく)産日神、足(たる)産日神、大宮売神(おおみやめのかみ)、御食津(みけつ)神、事代主(ことしろぬし)神、を祀り古代日本において国家祭祀の中枢として神祇官が祭祀を司ってきた神殿であるとされ、現在においても宮中三殿のうち「神殿」において祭祀が行われているとされています。
つまり「八神」とは、天皇を守護する神という性格から、古代においてはヤマト王権や産声を上げたばかりの「日本」に安寧や平和をもたらす神々と受けとることができます。

伝説では景行天皇の祖父に当たる第10代崇神天皇が阿蘇大明神に「茂賀の浦」の平定を命じます。阿蘇大明神がほとりに立つと湖の底から八頭の大亀が現れ、俗説ではこの化け物を退治したとあります。また、別の伝説では、景行天皇は、「茂賀ノ浦」から現れた八頭大亀を誅してその霊を「八神」として祀りました。
これらの伝説は、まるで『古事記』における天地開闢神話の山鹿バージョンとも言える内容になっています。穿った見方をすれば、この物語は後世になって『古事記』や『日本書紀』に詳しい誰かが創作したものだと言うこともできると思います。
しかし、この伝説は、この山鹿・菊池地域に古代から伝わっていた原型となる出来事を示していると考える方が自然ではないでしょうか。むしろ、そのような考え方を持つことのほうが普通の感覚に近いような気さえします。

ところで、亀は古来より神聖な生き物として崇められています。亀は「霊亀(れいき)」「神亀(じんき)」「元亀(げんき)」のように年号にも使われています。また平安時代に取りまとめられた『日本三代実録』には肥後国について以下のような記録が残されています。
貞観(貞観)16年(876年)に政治の中心施設である大極殿が火災によって焼失し、当時の清和天皇は自身の進退について悩んでいたところ、現在の菊池市旭志町にある奈我神社で白亀が捕まえられたことが太宰府を通じて朝廷に伝えられます。これを知った天皇は、白亀の出現は次の新しい天皇を祝うめでたい事が起こる前兆と考えます。そして、この一件が清和天皇の退位を促したといわれています。

亀は茂賀の浦に先住していた人々のトーテムであった可能性もあります。トーテムとは、特定の集団、「部族」、「血縁」に宗教的に結びつけられた野生の動物や植物などの象徴を指します。ちょっと違うかもしれませんが、プロ野球チームで例えれば、令和3年に優勝したのは「燕だよね。」と言うようにです。

このように、亀は化け物を指しているわけではないのです。むしろ、神聖さや尊崇の念あるいは先住者の象徴を表現していると捉えるべきと思います。

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