1969/04/09に生まれて

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『景行天皇伝説を巡る冒険』22.三輪山に祀られた敗れし神々

2022-12-19 18:36:00 | 景行天皇の記録
【三輪山に祀られた敗れし神々】
一方、三輪山に鎮まる神々は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)です。

さて、ここからは神さま達の話になります。三輪山に鎮まる大物主大神(おおものぬしのおおかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)の三柱の神は、一体どのような系譜を持った神なのでしょうか。

『古事記』では、大己貴神(おおなむちのかみ)は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟もしくは同格的存在の須佐男命(すさのおのみこと)の6代目の子孫として記されています。また、日向の高千穂に邇邇芸命(ににぎのみこと)が高天原から天孫降臨する以前に、出雲で、さまざまな苦難を乗り越えながら少彦名神(すくなひこなのかみ)の協力を得て葦原中国(あしはらのなかつくに)作った神と記されています。大物主大神(おおものぬしのおおかみ)は、少彦名神(すくなひこなのかみ)の神に次ぐ第2の協力者的な存在で、葦原中国(あしはらのなかつくに)の完成を願って三諸山(みもろやま)(現・三輪山)に祀られた神です。

しかし、せっかく苦労して大己貴神(おおなむちのかみ)たちが作った葦原中国(あしはらのなかつくに)でしたが、その繁栄ぶりを見計らったようにして高天原の神たちが国を譲るように迫ります。そして遂に、葦原中国(あしはらのなかつくに)は高天原の神たちの手に落ちます。このときの大己貴神(おおなむちのかみ)たちの無念さはいかばかりだったでしょうか。

そして時代が下りヤマト王権が確立した第10第崇神天皇の時代のときのことです。
国内に恐ろしい疫病が流行ります。このとき、崇神天皇の夢に現れた三輪山の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)のお告げによって、大物主大神の子孫にあたるオホタネコを探し出すと、オホタネコに大物主大神を祀らせました。すると、疫病は収まり、国に平和が戻りました。

大物主大神は、大己貴神とともに葦原中国を作った神です。言ってしまえば、ヤマト王権の前身にあたる高天原の神たちによる敗れし神で、繁栄を見せるヤマトの国に対して強い怨念を抱いていても不思議ではありません。

第10第崇神天皇の行動は、ともすれば日本史における祟信仰(たたりしんこう)のハシリのように捉えることもできます。
熊本出身の民俗学の権威で地名研究の第一人者であった故谷川健一氏は名著『魔の系譜』の中で、日本の王権を支えてきた影の部分を日本人の情念の歴史と捉え、死者、特に政治的敗者の怨念が、死後において生者を支配してきた様相を鋭く指摘したのでした。
しかし、敗者の死後において怨念を感じるのは実は生者です。裏を返せば無念の死を遂げた者に対する強い哀悼の情念が私たちの深いところに存在すると考えることはできないでしょうか。これこそが、私たち日本人に通底する本当の情念のように思うのです。この情念は、大災害で身近な人を亡くした方々が罪悪感を抱く気持ちの根源のようにも思えます。

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