1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

『景行天皇伝説を巡る冒険』20.三輪山と震岳・彦岳の地質の類似性】

2022-12-14 20:56:00 | 景行天皇の記録
【三輪山と震岳・彦岳の地質の類似性】
登拝口の急な階段を登りきるとしばらくは緩い尾根沿いを歩きます。足元に散らばる白っぽい長石類を含んだ小礫や土の雰囲気から、この尾根は地質図通り花崗岩系の地質であることがわかります。しかし、最初の標柱がある「丸太橋」付近から地質が一変します。丸太橋の正面の大きな岩に目が留まりますが、その割れた岩肌の新鮮なところは暗緑灰色です。はんれい岩です。三輪山はマグマがゆっくり冷え固まった深成岩のうち、鉄分を多く含んでいる特徴を持つはんれい岩からできているのです。そして、山中にある磐座(いわくら)は全てはんれい岩の岩石や岩盤です。残念ながら、地質調査で使う携帯マグネットペンを持っていなかったので(持っていくつもりが忘れた)試すことができませんでしたが、磁鉄鉱を多く含んだ磁性を示す岩石であったかもしれません。




さて、景行天皇が八神殿を祀った熊本県山鹿市の震岳の頂きに見られる岩石や岩盤は変はんれい岩です。隣の三宮を祀った彦岳は山体そのものが変はんれい岩からできています。変はんれい岩は名前の通りはんれい岩が地下の深いところで変成した岩石ですが、基本的な化学組成ははんれい岩と同じです。パッと見には専門家でない限り同じ岩石にみえます。硬さ、重さもよく似ています。そして、いずれの山も独立峰で、平地からの比高差は震岳が390m、彦岳は330mです。見る角度にもよりますが、どちらも左右対象の斜面が特徴です。さらに、これらの山を広く取り巻いている白っぽい地層は花崗岩系の岩石です。地質の組み合わせも三輪山と同じです。
全くの驚きです。


纏向の地質図
地質図Naviを利用して作成


山鹿の地質図
地質図Naviを利用して作成

ふるさとの纏向を発って数年が経過した景行天皇は、有明海から菊池川を遡ってこの地を訪れたとき、この地域の風景や大地を作る土や岩石を見てどのような思いを抱きになられたのでしょうか。
私ごとき浅学の人間が気付くレベルです。景行天皇の軍勢の中には優秀な侍臣達がいたはずです。彼らの所見や報告を聞いた景行天皇は、この地に特別な思いを抱いたに違いありません。

三輪山や彦岳、震岳(ゆるぎだけ)の頂きを形成する地質は、はんれい岩系の鉄分が多い特徴を持つ暗緑灰色の岩石からできています。鉄分を多く含むということからいろんな岩石の中でも重いという特徴もあります。この岩石は、マグマが深いところでゆっくり冷え固まってできたものですが、分布は極めて限られていて、日本全体の面積に対する比率は僅か1.37%です。
つまり、はんれい岩はそれだけ珍しい岩石であって、その岩石・地質からできている山体そのものが古代の人々にとって特別なものと認識されたとしても不思議ではありません。
三輪山が神体山となったのは、その山容だけでなく構成される地質も深く関わっていたのではないでしょうか。
そして、三輪山とほぼ同じような地質の彦岳や震岳は、霊山としての資格が十分備わっていたことから、両山とも景行天皇に祀られたのだと思います。
山鹿地域の”濃い”景行天皇の伝説の大きな背景の一つは、ここまで説明してきたような、景行天皇の生まれ故郷である纏向と類似した地質であると考えられます。



日本の地質図
はんれい岩系の地質は僅か1.37%





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『景行天皇伝説を巡る冒険』1... | トップ | 『景行天皇伝説を巡る冒険』2... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

景行天皇の記録」カテゴリの最新記事