レンズを通して見る世界ってのは、いったいどういう世界なんだろう。
学生のころ、ボクは黄鉄鉱っていう鉱物の研究をしていたから顕微鏡を通してミクロ?の世界をよくのぞいて、その小さい世界の秩序、複雑さに驚き、感動していたことを思い出すな。
当時はデジカメなんてのは超高価で、そんなもんは研究室になかったから従来の顕微鏡用の特殊カメラで何百枚も写真を撮って、その写真の中の黄鉄鉱をジーっと眺めながら、その黄鉄鉱の秘密を1年くらい考え続けたもんです。
結局、卒論では結論がでなくって、諮問ではある教授からひっちゃかめっちゃか言われたんだけど、その後の2年で、様々なことが解ってきて、「金鉱床」がどんなふうに黄鉄鉱と関連して生成されたのか着きとめることができたんです。その研究では、博士課程の先輩と共同で当時最先端の分析機器の開発も同時並行しながら、ppbオーダーの「金」分析を可能にしたことも大きな成果なんだけど、ボクにとっての大きな感心ごとというか感動だったのは、例えミクロの世界でも目に見える違いには、やはり「違い」があったこと。
だけど、当時、お世話になっていた教授にスゴク褒められたのは、ボクがその違いに気がついたことだった。ボクは「目に見える違い」って書いたけど、それは「ボクの目に見える違い」だったってことなのだ。
なんだかツマンナイ話なんだけど、目に見えない世界も媒体を通すことで見える世界があって、だけど、その世界にも秩序と複雑さがあるんだけど、実はそれが目に見える以上の世界を支配していることを知ると、やはり媒体を通して見るってことは大事だなことだと思うわけです。
媒体を通して見る目、レンズを通して見る目、そういう目に関心があります。
学生のころ、ボクは黄鉄鉱っていう鉱物の研究をしていたから顕微鏡を通してミクロ?の世界をよくのぞいて、その小さい世界の秩序、複雑さに驚き、感動していたことを思い出すな。
当時はデジカメなんてのは超高価で、そんなもんは研究室になかったから従来の顕微鏡用の特殊カメラで何百枚も写真を撮って、その写真の中の黄鉄鉱をジーっと眺めながら、その黄鉄鉱の秘密を1年くらい考え続けたもんです。
結局、卒論では結論がでなくって、諮問ではある教授からひっちゃかめっちゃか言われたんだけど、その後の2年で、様々なことが解ってきて、「金鉱床」がどんなふうに黄鉄鉱と関連して生成されたのか着きとめることができたんです。その研究では、博士課程の先輩と共同で当時最先端の分析機器の開発も同時並行しながら、ppbオーダーの「金」分析を可能にしたことも大きな成果なんだけど、ボクにとっての大きな感心ごとというか感動だったのは、例えミクロの世界でも目に見える違いには、やはり「違い」があったこと。
だけど、当時、お世話になっていた教授にスゴク褒められたのは、ボクがその違いに気がついたことだった。ボクは「目に見える違い」って書いたけど、それは「ボクの目に見える違い」だったってことなのだ。
なんだかツマンナイ話なんだけど、目に見えない世界も媒体を通すことで見える世界があって、だけど、その世界にも秩序と複雑さがあるんだけど、実はそれが目に見える以上の世界を支配していることを知ると、やはり媒体を通して見るってことは大事だなことだと思うわけです。
媒体を通して見る目、レンズを通して見る目、そういう目に関心があります。