鏡の国のアリス:短評

鏡の国のアリスの本を読みながら短評をする

言葉にいかなる意味を与えるかは、言葉を使う者つまり言葉を使用する主人が決める(GLASS6-19)

2009-04-13 00:10:23 | Weblog

 誕生日プレゼントをもらえる日は1日しかないということが今や確認され、これをアリスも認めた。するとハンプティ・ダンプティが言う。「ここにお前にとっての光栄がある。 There's glory for you! 」アリスはよくわからないので、「あなたが“光栄” glory という言葉で何を意味しているのか私にわかりません」と言う。彼が軽蔑して笑う。そして言う。「当然にもお前にはわかりっこない。私がお前に意味を言うまでは!」と。さらに付け加える。「私が“光栄”という言葉で意味するのは“うまい決着の議論” a nice knock-down argument ということだ」と。「でも“光栄”は“うまい決着の議論”という意味ではありません」とアリスが反論する。 

 PS1:アリスの反論は当然である。日常的には言葉の意味は多少の幅があるにしてもすでに定まっている。だから“光栄”は“光栄”が担う意味をすでに持っている。ところがハンプティ・ダンプティは違う立場に立つ。

 だから彼が次のように言う。  「おれが言葉を使うとき、言葉はおれが選んだぴったりそのとおりの意味だけを持つ」と彼が言う。「それ以上でも以下でもない」と。 

 PS2:確かに音声であるかぎりの言葉とその意味とは無関係でよい。特に人工の言語であれば、これはいつでも可能である。だがアリスは人工の言語の世界に住むわけではない。日常世界では音声である言語とその意味とはすでに歴史的に形成された強固な関係を持っている。ハンプティ・ダンプティは人工の言語の立場に立つ。アリスは日常世界の言語の立場に立ち、そうした言語を使用している。だから二人は次のように言う。  

 「問題はあなたが言葉に、あなたが好むようないろいろな意味を持たせてよいのか、持たせることができるのかというです」とアリスの発言。「問題はお前と私のどちらが主人かと言うことだ。それがすべてだ!」とハンプティ・ダンプティ。 

 PS3:ここで注意すべきはハンプティ・ダンプティの立場は日常世界の言語の立場をも包括していることである。確かに日常世界では音声である言語とその意味とは歴史的に形成された強固な関係を持つが、このことは、音声であるかぎりの言葉とその意味とは原理的に無関係でよいということを否定しない。アリスは日常世界の住人として、言葉に対し歴史的に形成された意味を与えると決める。しかしハンプティ・ダンプティは言葉と意味は無関係との原理的な立場に立ち、その上で人工の言語に明白なように、言葉に対し任意に自分が選んだ意味を与える。彼は日常的な言葉と意味の歴史的関係を拒否する。それは彼のいわば人工言語の場合と異なるからである。ハンプティ・ダンプティの立場からすれば、アリスが使う日常の言語も、一種の人工言語(ただし歴史的に形成された人工言語)なのである。言葉に、いかなる意味を与えるかは、原理的に、言葉を使う者つまり言葉を使用する主人、ここではアリスまたはハンプティ・ダンプティのいずれかが決めるのである。

イラスト: ハンプティ・ダンプティ