ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

お伊勢参り 15 伊雑宮

2018年01月21日 20時10分24秒 | 伊勢の散歩道
伊雑宮









伊雑宮を紐解こうとすると、一言でいうのは難しい、現地に行って又複雑になった倭姫命の旧跡地とは?
そこにはまた謎がある。
あらはばき神と謎の古代史
の中に伊雑宮の関連について述べている。抜粋して記載します。
新しい情報もありますが訂正する時間がないので取り急ぎそのまま。

大元とは、オオモト、すなわち始源の意味であり、外宮の神はまず初めに生まれた神である。
したがって万神に先がけて生まれた神こそ最高神である。

しかし、これは表向きであり「大元尊神」実体は「アラハバキ神」のことにほかならなず、ホアカリ系が渡来以前から最高の神としていたものを巧みにカムフラージュしたもであった。

伊勢神宮には、もう一つ「太一」という信仰がある。
太一を表に出した伊雑宮(いぞうのみや)の田植え祭は有名だが、その解釈はまちまちのようです。
内宮の別宮とされながらも、由来を抹殺された磯部氏の祀る伊雑宮。
伊雑宮は「延喜式」の「神名帳」に「磯神社」とある。
「倭姫世紀」では、イサワトミがヤマト姫(倭姫命)を迎えて志摩国の磯部の地に穀物の神として祀った由来を述べ
ている。
しかし、割愛しますが微妙の表現であいまいに誤魔化されてしまっている。
太一というのは、中国の陰陽五行思想から名付けられ・・・・・
太一は最高の神であり、その居所は北極とされ、北極星の神霊化であり宇宙の大元であるとしている。
この中国思想は道教に反映して道教は古代インドの密教と習合して「大元帥明王」になった。
太一という隠れ蓑を着た最高神であるアラハバキ神のことであった。

アラハバキ神すなわち大元神を取り入れたのは、渡会氏、磯部氏の一族だけではなかった。
「記紀」編纂によると欺瞞(ギマン)の歴史の押しつけという暴挙に対して古来の伝承や系譜を持つ有力氏族が反感を抱かないはずがない。
       ※欺瞞=真相が見えないようにだます。

伊雑宮の鳥居の前にも六芒星を刻んだ石灯籠があったのですが、今は撤去されています。
これがあったためイスラエルの10支族との話題が出てきたのですね。このダビデのマーク内宮などにも見られたようですね。

すっかり忘れていてチェックしそびれました。

さてさて、伊雑宮正式には「伊雜宮」と記載するが略して一般的に伊雑宮で表記します。
読み方は「いざわのみや」「いぞうぐう」、「磯部の宮」・「磯部の大神宮さん」とも呼ばれる。
鎮座地:三重県志摩市磯部町上之郷374
祭 神:天照坐皇大御神御魂 (あまてらしますすめおおみかみのみたま)
      『皇太神宮儀式帳』では天照大神御魂   
Wikipediaに面白い記載がある。
中世末以降は伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる伊佐波登美命と玉柱命(または玉柱屋姫命)の2座を祀ると考えられた。  
伊雑宮御師である西岡家に伝わる文書において、祭神「玉柱屋姫命」は「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」と書かれる。
同じ箇所に「瀬織津姫神天照大神分身在河」とある。
両神はつまるところ同じ神であると記されている。 明治以降、伊雑宮の祭神は天照大神御魂一柱とされる(神宮要綱)。

鎌倉時代成立とみられる『倭姫命世記』によると、伊勢神宮の内宮を建立した倭姫命が神宮への神饌を奉納する御贄地(みにえどころ)を探して志摩国を訪れた際、伊佐波登美命が出迎えた当地を御贄地に選定して伊雑宮を建立したとされる。神宮ではこの説を採るが、一般には『倭姫命世記』が史書とされないこと、また該当箇所は伊雑宮神官が後世に加筆したとされることから、創建は不詳とすべきである。
まぁ、加筆がどうのこうのと言ったら、古事記も日本書紀も偽書ですからね。

『倭姫命世記』については私は無知ですので、頭の整理ができません。

実は伊雑宮も目的地だったのですが、周辺はもっと興味深かったです。

境内には大きな巾着楠


度会郡大紀町の瀧原宮とともに、「天照大神の遙宮(とおのみや)」と呼ばれています。

事前に調べないで行ったものですから、遺跡らしいものが周辺にあって何か知らないまま巡りました。

何々倭姫命旧跡地




伊佐波登美命がここでつながりました。









ちょっとわかりにくいです。




風呂屋の谷 伊雑宮へ参拝する前にここで身を清めたといわれます。




少し離れたところに「上之郷の石神」と言われるところがある。 産土神とも書かれていますね。









ごめんなさい、チョット突っ込んで調べたいところですが、いずれということで・・・・お伊勢参り完結していませんので先に進みます。

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神社仏閣
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4 コメント

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いい所行けてますね。 (りひと)
2018-01-24 10:30:31
羨ましいです。私は家族を無理やり連れて行ったのが伊雑宮です。その当時秦氏関連で引っ張られてそこまで。社務所で案内の張り紙もあった境外社にも行けずでしたし、その後行った方に色々聞きましたけど海に関係ありそうですから度会さん、磯部さんなどかなり大事な聖地でしょうね。
谷社ってあるけど、美保の方のタニグクいるのかなぁ?久延毘古と関係しそうな神として認識してます。
じっくりと写真拝見させて頂きます。
雪も大変な時期ですから、ゆっくりできる時にゆっくりと心も身体もコンディション整えてくださいね。3371 今日は初地蔵の日、父の縁は地蔵と薬師っぽいですよ。参考になったらいいなあと。
りひとさんへ (ひー)
2018-01-24 16:22:27
上の郷について理解せずにUPしました。
不完全燃焼です。 もちろん「谷社」についてもまったく手つかずです。 今後の課題にします。

「地蔵の日」ってあったんですね。
明日は僕の誕生日です。
おめでとうございます。 (りひと)
2018-01-24 22:34:40
こんな時期なので言いにくい部分もあるんですけど、何しろお父様のお気持ちを考えるとやはり毎年この日を一番大事に思っていたはずなんでタイトルとさせて頂きましたよ。
25って言えば道真さんですね。守られてますね。
安心安心。宗教開祖でもいるような?安心安心。見えない力がありそうですね。

子供の誕生日も父の命日も病院都合で若干日にちがズレているとも思いますけど、それも含めてそこになった縁を感じて思う事も多いです。父の時は母の誕生日会で揉めたりして結局看病もそんな経験初めてで余裕もなかったです。けど今度誰かの関係者の看病の際でもきっとみんなでその日を迎えた事に感謝出来る自信は今はあります。病院でやったら良かったなあとも。喪の解釈でも専門家の間でも守れる状況ではないのも聞いていますし、不謹慎に縛られずその家族ごとに判断出来たら良かったなあと。家族の先例が一番妥当ですけど。
日本人、変に逆に忖度しちゃうんけど本人がどう思うだろうかとの判断で家族が意見がまとめられたらいいので、いい日にしてくださいね。お父様の一番喜んだ日、思い出話の出来るいい日にしてくださいね。9631
りひとさんへ (ひー)
2018-01-27 20:53:14
ありがとうございます。
「25」守られていますかね。少し安心しました。
親父の「一番喜んだ日」それは私が生まれた日のような感じがします。
中学の頃、いつも遊んでいた手作りの将棋盤の裏側に私の生年月日と名前が書いてありました。
いつの日か私と将棋を打つのを楽しみにしていたのでしょうね。 実際には打つことはありませんでした。
私がやっていた将棋は、はさみ将棋や山崩し・・・(笑)

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