☆あまちゃんの毎日ガハハハ日記☆

三男児+夫との生活、代表を務める会http://shirouiryo.com/のこと、自分の日常を綴る日日是好日

それはあなたのせいじゃない

2010-02-10 15:09:17 | GYOGYO
ふぉえー熱がでました。

で、休んでなさいってサインだ~ってほんのり喜び(つまり熱でも出なきゃ休まない体質・・・いかんいかん・・・)、予定していた用事はすべてキャンセルして、ずずずっとボーっとしてました。

思いの丈を吐き出したら、また、休みます。

今朝、身内に言われたことで、どうしようもなく、言いたくなったので、ここで。本人にはもちろんちゃんと言ったけれど。

ずっと思っていたのだ。


「原因があって、結果がある」という考え方は、きつくならないのかな?と。

たとえば、子どもの病気。

私が外に連れまわしちゃったから、この子がかぜをひいた、とか。

そういう考え方。

原因があって、結果があることばかりじゃないでしょう。

自然界ってそんな生やさしいもんじゃないし、人間って身体ってそんな単一じゃないし。

この原因があって、結果がある、という考え方は、ともすれば、ちょっと危険なんじゃないかなーと思っていた。

傲慢というか、自然界をなめてるっちゅーか・・・

じゃあ、明日の食糧もあるかわからない国の子ども達は何か原因があってそうなっていると?

違うでしょう。

何もかもがそんな原因をつきとめても、始まらないでしょう。

結果、起きた結果を受け止める、ってことも大切なんじゃないかなーと思ってたんだ。

でも、これだけ工業化されていて、これだけ自分が何かしたいと思えば手が届く世の中にいると、仕方ないようにも思う。

何を熱く語っているかというと、病気になったり、怪我をしたり、何が起きても、それはあなたのせいじゃないよ、ということ。

お母さんのせいじゃないよ、ということ。

原因を突き止めるのもわからないでもないけれど、その考え方には限界がある。
もちろん、原因となるものを削除することで、改善することだってある。それは知っている。

でも、原因の追究に固執しちゃうとつらくなる。

結果を受け止めよ。

そのほうがラクだし、そのほうが前に進める。

結果を受け止めて、じゃあ、次どうしようか?って話だ。

で、なんでこんなこと言ってるかというと、「私が~だから、熱出したんだ」って母に言われたからなの。孫たちが熱出しても、どうしてだ?何が悪かったんだ?っていつも原因探しをする母。じゃあ、次はこうしよう!っていうのじゃなくて、原因追求ばっかりなんだもん。もちろん母にもちゃ~んと伝えたけど、「またーGYOGYOが始まったー」(この裏には、面倒くさい・・・の意味ね★)で済まされてしまったので、ちょっと悔しくて(笑)吐き出しました。

いつか言いたいって前々から思っていたこと。今日はきっかけがあったので。

自分の病気、はともかく、子どもの病気、自分のせいだって思っている人、少なくないように感じて。

原因を追究して得られるもの、ばかりじゃない、と私は思うんです。
もう一回、面倒くさがられても、母には言ってみようっと。

それでは、熱の身体で頭で、ぼんやりと休みます。
「MOTTAINAI」の話はまた次回にします!長くなりそー

最新の画像もっと見る

9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あなたのせいじゃない (あっち)
2010-02-10 16:29:49
原因を追究したい時って、そのことをある意味受け入れたくない時なんじゃないかなって、自分の時を思い起こすとそう思います。
育児をするうえで、気をつけなきゃならないこともあるから、その作業も大事なこともあるけど、基本、私は、起こったことに意味を見出したり、学びをみつけるほうが好きです。
そのほうがハッピーだから。
特に体のゆとりのない時は、苦しい振り返り作業をすべきでないし、したところで元には戻れない。
ママがいい状態でこその、いい育児。
菌と闘って熱を出すのは体の前向きな働きだもんね。
菌をくすぶらせて無理しても、いい時間過ごせない。

よくぞ!!お熱出ました(^^)
いい細胞だ、いい体だ♪

GYOGYO王国の王様はGYOGYOさん。
人がなんて言おうが、GYOGYOさんを中心に地球が回ってるのだ~。
GYOGYOさんにいいように出来てるのだ~。

ケセラセラ☆

返信する
Unknown (ショコラ)
2010-02-10 16:55:58
うーん、なるほど・・・。
「すべては自分の責任」と思った方が誰かのせいにするより気が楽だと思ってたんですが、人に「あなたのせい」と言われちゃったりすると、自分でそう思ってはいてもやはり辛いんだよな~と最近考え直していたところでした。

「こうなったことにもきっといい意味がある」「ときにはこんなこともある」「これを生かすも殺すも自分次第」というふうに未来志向で考えられたらいいなと思います。

うちの子は今日で1歳半。小児科に検診に行ってきました。ちょうど昨日から咳が出ていて、夫が小児喘息の既往があるので、おそらく子どももそうではないかという話をして帰ってきたところです。夫にはきっと「いつも掃除を後回しにして汚くしているからだ」とか言われるんだろうな~と憂鬱です。掃除後回しは事実なので、何も言いかえせないのが悲しいっす(笑)

体調が早くよくなりますように。
返信する
お母さんも実はさすがかも?! (PON)
2010-02-10 19:41:08
ご無沙汰しています。PONです。

医療を考えるGYOGYOさんにふさわしい問いを発するお母さんだなぁと感心しました。
お母さんの問いで、痛い思いをしながら一生懸命に考えるGYOGYOさんもいい。痛い分、誠実で本質的な答えになれる気がする。すごい!

釈迦に説法だと思いますが、病気は『誰かの都合を阻害する悪いこと』だけじゃなくて、生き延びるための経験を体を使ってやるときだと、最近思い知りました。GYOGYOさんの言うとおり、結果をどう受け止めるかが、大事なんだよね~。勉強になりました!!
返信する
うーんと・・・ (ひびき)
2010-02-10 21:08:05
概ねそうだね、って思ったんだけれど、いっこだけ・・・。

>明日の食糧もあるかわからない国の子ども達は何か原因があってそうなっていると?

細かい突込みになっちゃって申し訳ないんだけけれど、これに関しては例題とするには違うんじゃないかな…と思って。

確実に原因はあるって言える。
彼らが食料を安心して得られるためには、日本を始めとする先進国と呼ばれる国々が、今の豊かな生活を捨て文化レベルを落とさなきゃかなわない=私たちの豊かな生活は彼らの犠牲の上に成り立っている、と言えると思うのね。
地球の資源が有限だから。

折角のステキなお話しの腰を折るようなこと言ってごめんね(^^;
返信する
おひさしぶりです~! (かんた母)
2010-02-11 07:51:05
すごく納得~!と思って読みました。
私もすごくそう思います。
でも、そう思えるようになったのって
子どもが生まれてからです。
それまでは、結構仕事一筋だったので
「仕事のミスやうまくいかなかった結果には、必ず原因がある」と思っていました。
でも、子どもを産む、子どもを育てる…
っていうのは、とても原因とか結果とかでははかりしれないですよね!
どんなに予防していても、病気になるときはなるし。
なんの予防もしなくても、元気な子は元気です。

私も結果をうけとめて、前に進む考え方に賛成です!!
返信する
お大事に~ (yumi)
2010-02-11 08:43:53
お熱だったのね~!
どうか、ゆっくりやすんで。お大事に。
例のセミナーは、私、行けました。
おもしろかったよ。またシェアしますね。
返信する
Unknown (GYOGYO)
2010-02-12 12:44:08
あっちさん
なるほどねーほんと、自分が気づかないことにいつも気づかせてくれるわー。そういうことか・・・(原因を究明するときは、そのことを受け入れたくないとき、というお話)

いっぱい咳が出てきた。これが出きったらスッキリするかなー。
本当にいつもステキな学びをありがとねー。

ショコラさん
味噌ってその味噌だったんだ?って最近気づきました・・・
うん、何もかもを他人のせいにすることと、何もかもを自分のせいにすること、それはどちらもちょっと危険な考え方だと私は感じています。

旦那様、大丈夫だった?お掃除に口出すということは、旦那様、きっとお掃除してくださるんだよね?ね?いっぱいやってもらいましょー

PONさん
ちょうど日記を拝読し、コメント入れようと思っていたところでした。ご無沙汰して、ごめんなさい。しかし、ものすごいもんのすごい壮絶。旦那様、そしてPONさん、その受け入れ方、本当に見事で、生について死について思いっきり考えさせられました。

母のこと、そんな風な見方をしたことがなかったです。そっか、母がああやって、原因の究明に奔走してくれるから、何か違う何か違う、ともやもやをためておけたわけだ!そう考えたら、やっぱり何もかもが繋がって自分がある、と思えます。

ひびきちゃん

そっか・・・ちょっと話が飛躍しすぎたし、例えにするには違ったか・・・ごめんなさい。
地球の資源は有限・・・その言葉の持つ意味は重いね。
今は距離を置いてしまっているのだけれど、改めて向き合わなくちゃ。

かんた母ちゃん

私も!気づけたのは、母になってからよ。
受験に就職に仕事。。。自分が頑張りさえすれば何とかなるものね。だからどうしてもそういう考えに陥っちゃうと思う。
けれど、何もかもを自分が何とかできると思うのは危険だし、そんなこと今はない、って思います。

yumiちゃん
ごめんごめん!熱だして欠席しました・・・
日記に不適切な表現があったわ。
Yumiちゃんのこのイベントや他にもお誘いいただいたお友達との集まり、などすっごく楽しみにしていたこともあったんだけど、やらなきゃいけないけれどあまりやりたくなかったこと(苦笑)、を後回しにできた喜びがあったせいで、熱に喜ぶ、というちょっと不適切な言い回しになっちゃった。ってなんでこんなに言い訳してるんだ!

セミナー、すごくよかったみたいね。
ともこちゃん@こぶたの日記で読みました。
是非是非シェアしてね。
薪割り、行ってきたんだね。先生はお身体大丈夫だった?もうかなり悪いみたいだよね・・・
返信する
明日につなげていきたいですね (つくまさ)
2010-02-13 15:37:20
GYOGYOさんも、倒れてたんですね。

私も先週は、倒れてました。やっと復活したところです。


春間近のこの時期は、そういう流れになりがちなのでしょうか。


人の力で作り上られたものと、
(たとえば、仕事なんていうのは、そういうものですよね・・)
生き物、ナマモノとでは、
原因を追究することで、
何が得られるか、ということが全然違うよねえ・・・。

バリバリのキャリアウーマン(常に「問題」を探索し、その改善を図る毎日。努力が必ず何らかの結果で現れる生活)から、育児の世界に入った私は、
その価値観の違いに触れた時、新鮮な驚きを感じました。


あっちさんが書いてらしたように、
受け入れたくない事実に直面した時にも、
そうやって、
「もし~しなかったら」というループに入っていってしまうようにも感じます。

私の母は、ムスコを失って何年もたつのに、「××なんか使わなかったら・・・、この子は××にならなかったんじゃないか」
などと、言ったりしていました。


ものごとを改善するための原因追求と、
「もし~だったとしたら」と嘆くこと。

この二つは、
同じようだけど、
生き生きと生きていく上では、
全く方向性が違うということなんですね。
返信する
Unknown (GYOGYO)
2010-02-16 16:24:56
}つくまささん{/hearts_pink/

レス遅れてごめんなさい。
仕事と育児の世界、その違いのお話、非常に興味深く読みました。

自分の手で何とかしようと思って、何とでもできてしまう、仕事。それを家庭に持ち込むのは非常に危険ですよね。
それは家庭だけでなく、活動に持ち込むのもそうではないですか?

でも本当にそれは仕事だけ別なのか?
仕事もそうあるべきなのか、根本から考え直さないといけないのかもしれない・・・と最近思っています。

私はより自然に従う仕事につきたいってことなのかな・・・

またゆっくりお話したいですね。
時間をかけて(保育園問題で時間はありがたいことに増えましたので)考えたいです。
返信する

コメントを投稿