おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

かにかくに

2011-08-25 | Weblog
半年に1回、体のゆがみを治すために整体マッサージを受ける。施すのは還暦を迎えた女性だ。雑貨店を経営したり、ゴルフ場のキャディーをしたりした後、指圧・手もみの師匠について経験を積んで独立開業とあいなった。この間、離婚をし1人娘を育て上げ孫もできた。女の道を語りながら、作務衣姿の彼女はせっせと整体を施す。

仰向けになって、うつ伏せになって、今度は横になってとの言葉を受けながら、体を動かす。うつ伏せになったわたしの手の平を見た彼女が黒のボールペンでマーキングを始めた。「ある、ある。たくさんあるわ」。ペン先の動きが手の平から伝わってくる。不思議に思って尋ねる。「なにがありましたか」。彼女が返答する。「少しばかり手相が分かるんだけど、あなたは親を看る運命にあるわよ」。彼女はしゃべり続ける。「親の介護をするのはあなたなのよ。それは先祖のことを見守るのと同じなのよ。その分、あなたは命をもらうことになるの」

左右の手の平には×印がたくさんついている。彼女が解説する。手相の中に出てくる×印(線と線とが交わってできる模様)は親を含めた先祖を見守ることを示す線だという。これが多いほど先祖を看る、いわば墓守と言うか、お墓参りや仏壇に手を合わせる時間が多くなるのだとか。確かに彼女が言う通り、墓参りや仏壇に手を合わせる時間が増えた。理由はいろいろあるが、それは事実だ。親の介護の時期に入ったのも事実だ。

仰向けになったわたしの顔を見ながら彼女は言う。「肌の色艶がいいわね。後光が差してるみたい。ゆくゆくは仏門に入るかもね」。整体を受け、目を閉じたままで言葉を返す。「仏門? 坊さんになるということ?」。彼女も言葉を返す。「そうよ。したいことはもうやったでしょう? 人のためになることをする時期に入ったのよ。親を看るのはその第1歩。わたしもねえ、したいことは今までやってしまったのよ」

仏門に入る運命にして、坊さんになるのか。NON,MERCIだ。念仏まではいいが、経は読みたくない。武蔵の五輪書の方がいい。精進料理よりイタリア料理がいい。黒檀の数珠よりラピスラズりのブレスレットがいい。袈裟よりスーツの方がいい。丸坊主頭よりは髪型と呼べるものがある方がいい。墓に囲まれた寺院に住むよりは緑に囲まれた住居がいい。仏典よりは小説の方がいい。抹香よりディオールのトワレ。弥陀の哲学より在野の精神。

信仰の世界には敬意を表するが、我流で人のために貢献したい。小乗から大乗へ。確かにそういう時期に入ってきた。失敗や挫折を含めて過去の出来事が愛おしくなってきた。現実の逆境やままならないことにも「生きていれば、こんなこともあるだろうさ」と鷹揚になった。嫌な思いも色褪せて浄化されてくる。朝起きて、5体プラス1が意のままに動くことに感謝し、「やるべきことを元気なうちにやるべきだ」との思いを毎度ながら強くする。

90分、2500円の整体施術が終わった。わたしは彼女にお金をお布施として差し出し、彼女はありがたく頂き、コーヒーをたててくれた。和ダンスの上に伏見稲荷の木札が飾ってある。深い赤色の紙に包まれている。「これは京都の伏見稲荷のもの?」。こう尋ねると彼女が教えてくれた。「わたしの還暦祝いにお客さんがわざわざ買ってきてくれたのよ」。福をもたらせば、福をもたらせられる。定めとは関係なく、親は大事にしよう。なごやかな気持ちでわたしは整体院を後にした。
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