おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

原節子 逝去

2015-11-26 | Weblog
今春、両親が連れ添うようにして亡くなったので、パソコンで年賀欠礼の文案を仕上げた直後の出来事だった。11月25日午後11時40分。なにか新しいニュースは入っているのかなと思って読売新聞のウエッブサイトを開いた。その瞬間、ニュースの冒頭にあった見出しが目に飛び込んできた。

原節子さん死去…「青い山脈」、伝説の女優

思わず声を上げた。「オー、ノォー」

息も止まった。視線は記事全体を瞬時に読み通した。ネット掲載時間は何時だ? 

「2015年11月25日 23時37分」

なんだって、たった今じゃないか。

前文の内容がすっと頭に入り込んだ。

清純派の美人スターとして戦前戦後を通じて活躍し、「永遠の処女」と呼ばれた伝説の女優、原節子(はら・せつこ、本名・会田昌江=あいだ・まさえ)さんが、9月5日に肺炎のため死去していたことが、25日分かった。95歳だった。

9月5日のことだって! 肺炎! 95歳!

本文の最初の段落の文章に視線が移る。

近親者で密葬した。同居していた親族によると、原さんは8月中旬頃から入院していた。本人の希望で亡くなったことは伏せていたという。

本人の希望で亡くなったことは伏せていた! 人々が気付いた時には既に逝った後だなんて、ああ、原節子らしい。

朝日、毎日のウエッブサイトにも目を通す。やっぱり原節子は旅立ったのだ。サイトに掲載された生前の若かりし頃のモノクロ写真や、出演した名作映画「東京物語」の1場面の写真が目に飛び込んでくる。

ここ数年、わたしはこの日が来るのを恐れつつ、いつかはやって来ることを感じていた。パソコンを開けば、まず新聞各社のウエッブニュースを閲覧していくのが常だった。そこに「原節子さん死去」の見出しがないのを知って、毎度安堵していた。元気な高齢者でも90歳の坂を越えると、途端に体力が落ちて病に伏せったり、ちょっとした転倒で骨折したり、風邪から肺炎を起こしたりするのを、両親の介護などを通じて実感していた。原節子が両親と同じ大正世代で90歳を超えていたことを知っていたので、原節子の話題をネットで読む度に体調は大丈夫なのだろうかとファンの1人として心配していた。

原節子のことは小津安二郎監督の映画で知った。「東京物語」「晩春」「麦秋」。原節子を最も美しく、最も凛とした女性として描き、撮ったのが小津監督だった。映画館、テレビ放送、ビデオ、DVDで何度見たことか。こんな永遠の処女に引かれない男はいないのではないか。そう思わせるような魅力を小津映画の中の原節子は放っていた。

わたしが鎌倉という街を好きな理由の1つは原節子が住んでいたからだ。浄妙寺を訪ねた際、わたしは原節子に遭遇したことがある。10年以上前になるだろうか。鎌倉の古刹を幾つか訪ねるうち、浄妙寺の境内にも足を踏み入れていた。境内を歩きまわっていると、中年男性の一団の中で1人が「さっき、原節子が庭で草取りしていたぜ」としゃべっていた。それは冗談だったのだが、原節子の住まいが浄妙寺の隣にある2階屋であることを指し示してくれた。あの大女優がこんな所に住んでいるのかと驚いた。

一団は立ち去り、境内は静かになった。原節子の住まいと浄妙寺境内との境には木立が連なった生垣があった。木立の根元付近で猫が寝転って日向ぼっこをしていた。猫好きなわたしはデジタルカメラを手に声を掛けながら猫を撮影していた。そのうち、なにやら人の視線を感じた。周りを見渡すが、誰もいない。ふっと上を見上げた。木立の先端に原節子の住まいの2階部分の窓が見え、そこに人影があった。わたしの顔と階上の相手の顔が見合った。あの髪形、あの顔つき。それが誰であるかがすぐに分かった。猫を撮るわたしの姿と声掛けに、微笑ましさを覚えたような表情のように見えた。わたしは声が出なかった。彼女は会釈をしたようにして奥に身を引いた。ほんの数秒間の出来事だったが、わたしには永遠に続く記憶と感慨となった。40代前半で映画界を突然去り、鎌倉に隠遁して何十年も経っていたはずだが、その人の風情は「東京物語」の中のままに思えた。猫が引きよせたくれた甘美な想いはいつまでも褪せることはない。

そして11月25日夜の原節子の訃報に接することになる。父母が旅立った年に原節子もまた。ちょっと胸が絞めつけられ感傷の想いが満ちてくる。大好きだった人が相次いで逝くなんて。いつの日かその日が来るとは分かってはいるものの、閉じた瞼の中に北風のような冷たい寂しさが溢れてくる。さよなら、節ちゃん。


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クラウド会計

2015-11-22 | Weblog
歴史の流れというものがある。その渦中にあると、身の周りの便利な事柄が当たり前の感覚となって、今ここで起きていることの凄まじく革新的で、途轍もなく画期的な歴史の誕生に立ち会っていることに、感銘、感動、歓喜することを忘れてしまうことがある。ITこと情報技術の革新は日々進行しつつ拡大発展し、社会と経済の運営、管理の在り方を変容させ、常により便利に、より外部からの防御を強め、より安全安心度を上げるよう更新を続けている。わたしは日々、パソコンを立ち上げ、ネットに接続し、ビジネスであれ、ネットサーフィンであれ、検索であれ、デジタル時代の快適さに浸っていることに毎度にんまりしてしまう。

IT革命の怒涛の流れとしてビジネス分野がある。その1例として企業の会計システムについて触れてみたい。企業経営が元気であるか、ないか、あるいは絶好調であるか、重篤であるかをどうやって見分けるのか。社長と面談し「経営はどうですかあ~」と尋ねれば済むのだろうか。それも1つの方法であろうけれども、まずは決算書つまり財務諸表を見るというか、読むこととなる。会社の資産状態を見る貸借対照表と、利益が出ているかどうかを見る損益計算書を手に取ることである。大企業であれ、中小企業であれ、零細企業であれ、同じルール、同じ土俵、同じ項目で数字が計上され、判定が下される。最終的に赤字か、黒字かの審判が出る。赤字は不調・負け、黒字は好調・勝ちとなる。引き分けだから青字にしとくか、といったことはない。

デジタル時代の話をしてるんだから、アナログ時代の話みたいにだらだら講釈を垂れないで、すっきり、早く言えよ! そんな声がわたし自身の胸の内から聞こえてきた。おっしゃる通り。キーボード打数が少なめになるように話を進めよう。企業の財務状態を示すデータが込められた決算書を作成するためには、日々の取引、すなわちお金の流れを記録する仕訳という作業が絶対必要だ。これは経理スタッフの重要な役目であり財務運営の柱でもある。

IT革命が始まる以前は、仕訳した内容を記録する記帳という作業は文字通り手書きだった。記帳のための紙に取引毎、あるいは金の出と入り毎に項目別に整理して記入していた。簿記の知識が必須となる。IT革命後は、会計ソフトが登場し、紙への記帳からパソコンを使っての入力作業へと変わった。手書き記帳時代と大きく変容したことがある。それはパソコンに日々の取引仕訳データを入力することで自動的に財務諸表と損益計算書など決算書が仕上がってしまうことだ。資金繰り状況などの財務関係の資料も自動的に出来上がる。基礎的な第1段階のデータを入力するだけで、第2段階以降のデータはもとより第10段階までのデータがあっという間にできてしまう。これは経理作業の革命である。

かつての簿記の匠による紙への記帳という旧世界から抜け出して、コンピュータを使うことで匠ではない普通の人々でも財務データづくりが短時間で簡単にできるようになった。これだけでも財務管理に大きな恩恵をもたらしているのに、さらなるデジタル新時代が到来しようとしている。それはクラウド会計ソフトである。銀行口座やクレジットカードを登録すると、取引明細を自動取得する。手入力をする必要がなく、転記ミスもなくなる。さらに、自動取得した取引明細に対応する勘定科目を自動で提案、学習機能を働かせて自動仕訳をする。もちろん、決算用や確定申告用の書類も自動で作成してしまう。

自動取得に自動仕訳、経営レポートも自動作成。経理スタッフの要とも言える仕事を奪ってしまうではないか。財務担当者の仕事はパソコンの電源を入れ、クラウド会計ソフトを立ち上げ、作業終了を確認したらパソコンの電源を落とすだけとなってしまいそうだ。経理での省人化が視野に入ってくる。引いては税理士事務所の役割を浸食していきそうだ。まだ一部ではあるが、税理士法人や企業で導入が始まっている。将来、クラウド会計ソフトと人工知能がタッグを組めば、経理スタッフは限りなく削減され、メンテナンス担当の技術者が1人がいればいいという日が遠からず到来するかもしれない。そんな時代の担当者の最大の心配は停電だけだろう。
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英語でつくる和食

2015-11-17 | Weblog
本格的な和食づくりに挑む日本人と外国人のための本である。すべてのレシピが日本語と英語で併記されている。見開きの左ページに日本語、右ページに英語で解説してあるから、日本人は英語の勉強になるし、外国人には日本語の勉強になるかもしれないが、外国人の方は相当な日本語の語彙力と読解力が要求されそうな内容である。日本人の場合は、和文がこんな英訳になるのかと感心するよりは、和食を素材にした頭の体操、もしくはクイズとして愉しんだ方が読むのに長続きしそうだ。

汁もの、ご飯もの、寿司、煮もの、焼きもの、揚げもの、蒸しもの、酢のもの、あえもの、麺料理、鍋料理、おせち料理、お菓子と、和食のオールラウンドが紹介されている。レシピのための基本的な英語を見てみよう。

材料(2人前)はingredients(serve2)となる。材料は複数の食材となるから、ingredientは複数形となる。何人前はserveを使うというのを知れば、3人前はserve3となり、2~3人前はserve2or3。これは知っていなければ、まず言えない表現だ。知らなければ、苦し紛れに2人前をtwo men beforeと直訳し、それを聞いたネイティブはチンプンカンプンの顔つきとなろう。それでは、作り方はなんと言うのか。思いを巡らすことなく英訳に目を向ける。directionsとなる。こんな言い方でいいのだと気付く。料理づくりのコツはなんと言う? tips! 材料、作り方、コツを意味する3つの英単語を知っただけで、外国人への料理の説明の1歩をすんなりと踏み出せそうだ。

この本を頭の体操にうってつけと言う由縁は、和食の名称の英訳の妙である。例えば、五目炊き込みご飯。「具材がたっぷり入っていて、誰もが大好きな、滋養あふれる、風味豊かなご飯」と日本語で説明してある。小学校低学年の児童だったら、ご飯の中に目が5つほど入っているのかな、と思うような名称だ。大人はその中身が分かっているが、これを英語で外国人に何と言えばいいのか。five ingredients……などと、覚えたばかりの英語で説明しようとすると、墓穴を掘ることになる。へたな英訳、しないがまし。右ページの答えを覗き見てみよう。Mixed Rice。混ぜご飯! 確かに、その通りでござる。と言うしかない表現である。5目であろうが、4目であろうが、そんなことは脇に置いていい。Mixedを使えば、外国人にもすんなり理解できるだろう。

それじゃ、お茶漬けはどうなる? お茶はteaだな。漬けるはえっーと……。日本語の直訳指向が抜けていない。正解の英訳はどうなっている。Tea-and-Rice。うーん、そのものずばりの言い方だ。この辺りから頭の体操っぽくなってくる。いなり寿司はどうか? いなりだからFox Sushiでどう、と行きたいところだが……。これは難度が少し上がって、Sushi Pocketsとなる。油揚げの形と役割がまさにPocketsとなるみたいだ。

白あえ。「まったりと甘みのある白みそが、食材の旨味をさらに演出してくれる」と説明してある。白はWhiteと見当がつく。あえるは意味からしてMixを使いたくなるが、正解は? White Saladとあっけなく簡潔である。それじゃ、大学いもは? 大学をUniversityと頭に思い浮かべてはいけない。この名称は引っかけるための問題に近い。Candied Sweet Potatoes。英訳の方が分かりやすいじゃないか。紅白なますはどう。なますはなんと言うのか? 英訳するのに追い詰められたら、この単語を使うべし。混ぜたやつはSaladだ! よって、正解はRed and White Saladである。

難度を上げてみよう。けんちん汁は? 見た瞬間に降参である。Tofu,Pork and Vegetable Soup,Kenchin-style。前半は具材の説明、後半はほぼそのまんまで反則技に近い。豆腐田楽はどうか? 問題は田楽をどう言うかだな。考える時間がもったいないので、即英訳を見る。Tofu Dengaku。完全に反則技だ。これがOKならば、大学いもはDaigaku Imoだし、紅白なますはKouhaku Namasuで正解になってもいいんじゃないかな。そんじゃ、お好み焼きはOkonomiyakiでいいだろうと思いきや、As-You-Like-It Pancakeだとさ。

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昭和90年

2015-11-08 | Weblog
平成の御世? あずかり知らないな。

わたしにとって、時代はずっと昭和が続いているままだ。

昭和に生まれ、昭和で育ち、そして昭和で逝くつもりだからね。

90年にわたり延々と続き、蛇行して流れる昭和の大河を遠望する。


景気の波は今も変わらず、大波小波、大潮小潮で揺らいでいる。

紙幣と硬貨が積み上がって山となり、紙幣と硬貨が財布と口座から消えていって谷となる。

上がっては下り、下っては上がるお金の波動。

その中でヒトは泳ぎ、浮かび、流され、沈み、息継ぎをして一生を過ごす。


政治は未開地がどんどん切り開かれていくように、権利と義務が広がっていった。

文化は集団と個人それぞれの躁と鬱の気分よろしく、熱狂と昂ぶり、沈静と衰退を繰り返している。

建物と風景も、つくっては壊し、壊してはつくることを不定期にやっている。

利権と商売、投資で莫大な資産を築き、豪壮な屋敷を構えても、3世代を過ぎれば有形文化財となって家主たちは立ち去ってしまう。


栄華、虚無、存続、断絶、生誕、逝去で彩られた昭和史。

軍靴、軍旗、軍艦が威風堂々とまかり通った昭和史。

婦人たちが参政権を得、洋服を纏い、水着姿を見せ、自動車を運転するようになった昭和史。


いま、昭和90年の山頂に立っている。

行く手には昭和百年の峰が見えている。

ひと息ついたことだし、丹田に新鮮な酸素をたっぷり送り込んで、次の1歩を進めていこうか。














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寝る 最良の眠り

2015-11-02 | Weblog
体内時計に従った生活を始めて長い年月が経った。「よく今まで生きてこられましたね。このままでは死にますよ。その時が来たら死亡診断書はわたしが書いてあげましょう」。心臓の先生から治療宣言をされ、別の掛かり付けの循環器科の先生からも「4つ足の動物の肉を控え、夜更かしをしてはいけません。酒は呑んでもいいが、深酒はバツです」。これら友情ある説得は、命に限りがあることを改めて認識させ、体を慈しむことを教え諭してくれるものだった。そして、1日の生活のリズムが変わり、食生活が改善された。太陽が上がる前に起床し、夜も午前零時が就寝時間となった。シンデレラ(オールド)ボーイに変身である。休日・祝日の前日は午前零時プラス1時間となることもあるが、それも大晦日など極たまにしかない。

体内時計通りの生活をしていくとどうなるか。体の調子がよくなる。そうなるとどうなるか。心の安寧が生まれてくる。心身が滑らかな動きの舞踏でもしているかのように、心地よくなってくる。不意に飛び込んでくる不快な事柄も、上手に身をかわしながら片付けていく。感情的になることもなく、ほほ笑んだ気分で鷹揚なもの言いで整理整頓してしまうようになった。ストレスが限りなく極小化され、日々たおやかな時間が過ぎていくようになる。処世術ならぬ処生術である。

心身に心地よいリズムをもたらすのは、動くこと、休むこと、眠ることである。これら3つが相互に関わるという意味での三角関数が、あるいは柔軟にして強靭であるという形が、出来上がれば最良の1日が生まれてくる。言を変えれば、バランスの良さ。もっと踏み込んで言えば、眠ることは休むことを含む。それ故に、眠りの質は人間にとって極めて重要である。

小さい時から寝付きは良かった。今でも床に就いて夜中に起きることはほとんどない。厚着をし過ぎて寝汗で目覚めるということは何度かあったが、それでも何度かしかないという頻度だ。友人、知人の中には年を経るにつれて、夜中に1度や2度手洗いに起きるという者も少なくない。ひどいのになると1、2時間置きに手洗いに起きるという者も。睡眠時無呼吸症候群とお友達になっている者もいる。今のところ、こうした夜中起きの悩みはわたしにはない。朝までぐっすりだ。こんな寝付きの良さだから、夜中に火災が発生したり、泥棒が侵入してもまったく気付かないのではないかと思ったりする。その心配も寝付けないほどのものではないのだが。

夜、ぐっすり眠る秘訣はやっぱりあるようだ。健診を受ける前日の注意事項ではないが、夜9時以降は食を控えるということだ。平たく言えば、夜9時までに夕食を済ませておくということになる。就寝3時間前に呑み食いしないという域に達するには、相当の確執の歴史があった。お茶1杯ぐらいはいいだろう。確かにわたしもそう思う。お茶がいいなら、珈琲も1杯ぐらいいいだろう、となる。ここが我慢の境界線、食欲と戦う最前線となる。ここを突破されると、ウイスキーのロック1杯ぐらいいだろうとなる。ロックで1杯? そんなのは男の呑み方ではない。ストレートをきゅっと1杯だ。寝酒としてストレート2杯で留めておくか、となる。肴はこってりとしたカマンベールチーズ2切れ、3切れ。そうそう、こうやってわたしの体は「このままでは死にますよ」と医者にお叱りを受ける羽目になったのだ。

夜9時過ぎたら、お茶ではなく、白湯をお勧めする。それと、男女を問わず床に就く前に習慣としてお手洗いに立つべし。冬場の寒さはお手洗いで夜中に起きることを誘発するので、室内を暖かくしたり、肩などが冷えて体が寒気を感じないように工夫した方がいい。快適な眠りのためには寒さ対策と夜食封じであり、深いねむりにはストレスすなわち不安、心配の種を小さいうちに摘んでしまう生活を創り上げることである。これらが出来れば、誰でもぐっすりと眠ることができるはず。

若き日の眠れぬ夜は思い悩んで人生の糧となったりするが、年を重ねて体に無理がきかない頃になると、心身に負担をかけるだけだ。心地よく、深く眠りに就く者は、いい人生を送っていると言える。よく眠った者こそ、朝の目覚めの良さを知り、身と心は意識的であれ、無意識であれ、生きていることに素直に感謝するであろう。
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風呂 最適の湯加減

2015-11-01 | Weblog
風呂好きである。夏場のシャワーを除くと、春秋冬のほぼ毎日入浴している。銭湯を経営している訳ではない。汗をかくので、汗流しの意味合いが大きい。だから、湯殿に浸かるのは5分前後ぐらいではないだろうか。なぜ、汗をかくのか。悪夢を毎夜見るからか。違う。冷や汗をかくことを起床毎にしでかすからか。違う。厚着の寝巻で寝るからか。違う。原因はもっと健康的なことである。朝、ひと汗かくぐらいのウオーキングをしているからだ。汗を軽くかく程度のウオーキングをすることが、1日の体を動かす日課、流行り言葉で言えば、ルーティンとなっている。汗をかけば着替えが必要だし、着替える際に裸になれば、そのまま脱衣場そばの風呂場へとなる。ウオーキングに出る前にお湯を沸かすスイッチを入れる。

風呂場の室温が低くなる冬場は、湯殿の蓋を開けて沸かす。ウオーキングを終えて風呂場に入る段には、湯煙で室内は寒く感じない室温となっている。湯船に浸かる前にワインやトマト、ジャガイモ、粒入りピーナッツバターなどの飲食物で鍛え上げられた、わが肉体に掛け湯をして清める。張りのある筋肉群にお湯が弾き飛ばされて流れ落ちる。千秋楽の大一番の相撲取りではないが、両手の平で両頬を軽くパン!とたたいて、左足先から湯に入れていく。湯加減はいつも、ぬ・る・め、である。

銭湯を愛好していた青年時代は、3分間で完全に茹であがってしまうような激熱の湯船に、熱々風呂大好きの老人たちと我慢比べをしていた。心臓に結構な負担が掛かっていたはずだが、若気の至りに伴う挑戦的な入浴だった。湯船を出ると、真夏の太陽に焼かれたように、首から下の体が真っ赤になっていた。血液が沸き立って体を駆け巡っていたに違いない。こんな体への解熱の役割が冷えた珈琲牛乳。ぐいっとひと呑みだ。銭湯での珈琲牛乳1本では足りず、帰路途中に自動販売機で冷えた缶珈琲を1本を買って一気呑みしていた。激烈に体を温めた後、激烈に体を冷やす。健康とは縁遠い銭湯通いだった。

ぬるめの湯加減の効用はいくつもある。気分がのんびりとなる。1日の始まりがこんなにもゆったりとしていいのかな。といった罪悪感もまったくない。ぬるま湯に浸かる。もっとも手軽で、贅沢な時間の中にいること実感するひと時となる。足を伸ばし、何度か顔を湯で拭い、天井をぼんやりと眺める。窓を開けて湯煙が窓外に流れていく様に、深山幽谷で雲が立ち上がる世界を連想してしまう。極小の幽谷世界、それがぬるま湯の湯船である。季節や気分に応じて、菖蒲湯にするもよし、蜜柑の皮を浮かべるもうよし、となる。

ゆったり気分に浸るのも、ほぼ5分間で終わる。これ以上入っていると、何もしたくなくなるから。湯殿を出て体をバスタオルで拭き、洗面場に移って髭剃り時間に入ると、気分はきりりと引き締まってくるから不思議である。髭剃りに使う水は水道栓から出した常温水。この温度が、てきぱきと動き出すための始動につながるみたいだ。

風呂の湯加減はぬるめだが、日々の生活を見回してみると、どんな湯加減になっているのだろうか。冬場のお気に入りホットミルクは風呂と同じでぬるめ嗜好。珈琲と緑茶はやや熱め。オニオンやポタージュなどのスープ類は熱め。寝起き時に呑む白湯はかなりぬるめから熱めまで、その日によって異なる。それにしても、今はぬるめの湯殿を満喫しているが、若き日の銭湯時代に熱湯を競いあったお爺ちゃんたちはその後長生きしたのかな。わたしも年を重ねて、風呂は熱いのに限るんじゃ、と宗旨替えする日が来るのだろうか。






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