「えー、きょうは?」
「もみあげの長さは今のまま。それに襟足の伸びたところを刈ってもらおうかな」
毎回、床屋の親爺との会話はこんな調子だ。通い始めてかれこれ25年になる。事前に電話予約するのだが、その時の会話も「えーっと、後30分ぐらいして行きますから」「はい、分かりましたー」。たったこれだけである。わたしも名前を言うことはないし、親爺も名前を聞くこともない。これで予約完了である。親爺の心中を代弁すれば、こうなる。「名前は知らないが、多分いつものあの人だろう」
なじみの床屋の親爺さんは趣味人である。散髪台の前にある大鏡の周りには自作の切り絵の作品が並んでいる。髪を切るは、紙を切るに通じるのか、あるいは鋏さばきという点で一致するのか、2,3カ月に1回の割合で床屋に出向くたびに作品は入れ替えになっている。時代劇の侍であったり、アル・カポネみたいなギャングだったりと人物が得意分野だ。セリフが1言、2言入っていて「止めてくれるな、おっかさん」とか「なめたら、あかんぜよ」といった具合だ。
月曜日の定休日にはカメラを持って被写体巡りするのも趣味の1つで、カメラで撮影した写真が額に入れていくつか飾ってある。題材は多彩だ。港に入った豪華客船、旧炭坑の廃墟の建物、料亭の庭園や季節の花などだ。今は梅の花を撮った作品が並んでいた。写真熱が高じて、坂本龍馬スタイルになった肖像写真もある。龍馬が幕末の長崎で撮った有名な写真、あの紋付き袴にブーツ姿とほぼ同じスタイルだ。写真館に出向いて衣装を着せてもらって撮影に及んだという自信作だ。
こちらの龍馬は脇差が1本だが、親爺龍馬は太刀と脇差の2本を差している。親爺によれば、襟足の髪が龍馬みたいに伸びていないと、写真として絵にならないという。もちろん、親爺の襟足は龍馬みたいに伸びている。
散髪の途中、奥の扉が開いて女性が顔をのぞかせ親爺に声を掛けた。「あのー、これ置いておきますから」。親爺が「ああ、ありがとう。食卓の上に置いといて」。女性が扉を閉めて奥へ引っ込んだ。「あれ、奥さんですか」という会話から始まって、親爺のお父さんのために宅配の女性が昼食を届けたと分かった。
ここから親爺のお父さんの話になった。大正7年生まれで御年92歳。とにかく元気で、病気は若い時にした盲腸以外、まったくないそうである。
「盲腸? それは病気のうちに入らないでしょう。なにか健康法があるでしょう? 例えば野菜中心の食事とか」とわたし。
「いやー、それが特にないんですよ」と親爺。
「ないと言ったって、なにもしないで92歳で元気なはずがないでしょう。煙草は吸わないとかあるでしょう」とわたし。
「いやー、煙草は70歳過ぎまで吸ってましてね。わたしらもガンになるんじゃないかって心配してたんですけど、体のどこにもガンがないんですよ」
「70過ぎまでしっかり煙草を吸ってた? うーん。それじゃ、歩いたり、泳いだり、ラジオ体操とか体にいいことを何かやってたでしょう?」とわたし。
「いやー、それがその種のことは一切関心がなくて」と親爺。
「それじゃ、なにか体にいいサプリメントとか飲んでいるのでは?」とわたし。
「いやー、薬も病院も嫌いなんですよ」と親爺。
「うーん、困ったな。なんの仕事をしてたんですか? もしかしたら床屋さん?」とわたし。
「いやー、床屋じゃなくて、子供相手に駄菓子なんかを売ったりする小店をやってましたけどねえ。元々は百姓でしたよ」と親爺。
「失礼ですけど、年齢からして認知症とかはないですか?」とわたし。
「いやー、物忘れはありますけども、認知症というほどじゃないですねえ」と親爺。
「90年以上も生きれば、体のどっかに不調があるでしょう?」とわたし。
「いやー、それがどこにもないんですよ。あー、そう言えば、わたしがどこかへ出かけて帰って来たときに家の中で転んで骨折したことがありましたなあ」と親爺。
やっと納得いく返答をもらえた。「そうそう、お年寄りは必ず転倒して骨折するんだよね。用心しなくては」とわたし。
ここらで結論を出さなくてはいけない。「結局、お父さんが長生きできたのは運が良かったということですね。強運の持ち主ですよ」とわたし。
「いやー、親父の親も90歳近くまで長生きしたんですよ」と親爺。
「親父の親が90歳近くまで生きた? ということは明治生まれですよね。長生きの家系なんだ」とわたし。
「そういうことですかねえ」と親爺。
「親爺さんも長生きしますよ」とわたし。
食事にも健康法にも関心を示さず、病院や薬は嫌い、煙草も吸っていた。それで認知症にも寝たきりにもならずに元気で昼飯を食って過ごす。こういう長寿の人もいるんだなと感心しきりである。散髪を終えて店を出た後、1つだけ聞き忘れたことがあった。「女への関心はどうだったんですか?」とわたしが尋ね、親爺が「いやー、これが手が付けられないほどマメでしてねえ」と返答してくれたら合点がいくのだが。次回の散髪の際に聞いてみよう。
「もみあげの長さは今のまま。それに襟足の伸びたところを刈ってもらおうかな」
毎回、床屋の親爺との会話はこんな調子だ。通い始めてかれこれ25年になる。事前に電話予約するのだが、その時の会話も「えーっと、後30分ぐらいして行きますから」「はい、分かりましたー」。たったこれだけである。わたしも名前を言うことはないし、親爺も名前を聞くこともない。これで予約完了である。親爺の心中を代弁すれば、こうなる。「名前は知らないが、多分いつものあの人だろう」
なじみの床屋の親爺さんは趣味人である。散髪台の前にある大鏡の周りには自作の切り絵の作品が並んでいる。髪を切るは、紙を切るに通じるのか、あるいは鋏さばきという点で一致するのか、2,3カ月に1回の割合で床屋に出向くたびに作品は入れ替えになっている。時代劇の侍であったり、アル・カポネみたいなギャングだったりと人物が得意分野だ。セリフが1言、2言入っていて「止めてくれるな、おっかさん」とか「なめたら、あかんぜよ」といった具合だ。
月曜日の定休日にはカメラを持って被写体巡りするのも趣味の1つで、カメラで撮影した写真が額に入れていくつか飾ってある。題材は多彩だ。港に入った豪華客船、旧炭坑の廃墟の建物、料亭の庭園や季節の花などだ。今は梅の花を撮った作品が並んでいた。写真熱が高じて、坂本龍馬スタイルになった肖像写真もある。龍馬が幕末の長崎で撮った有名な写真、あの紋付き袴にブーツ姿とほぼ同じスタイルだ。写真館に出向いて衣装を着せてもらって撮影に及んだという自信作だ。
こちらの龍馬は脇差が1本だが、親爺龍馬は太刀と脇差の2本を差している。親爺によれば、襟足の髪が龍馬みたいに伸びていないと、写真として絵にならないという。もちろん、親爺の襟足は龍馬みたいに伸びている。
散髪の途中、奥の扉が開いて女性が顔をのぞかせ親爺に声を掛けた。「あのー、これ置いておきますから」。親爺が「ああ、ありがとう。食卓の上に置いといて」。女性が扉を閉めて奥へ引っ込んだ。「あれ、奥さんですか」という会話から始まって、親爺のお父さんのために宅配の女性が昼食を届けたと分かった。
ここから親爺のお父さんの話になった。大正7年生まれで御年92歳。とにかく元気で、病気は若い時にした盲腸以外、まったくないそうである。
「盲腸? それは病気のうちに入らないでしょう。なにか健康法があるでしょう? 例えば野菜中心の食事とか」とわたし。
「いやー、それが特にないんですよ」と親爺。
「ないと言ったって、なにもしないで92歳で元気なはずがないでしょう。煙草は吸わないとかあるでしょう」とわたし。
「いやー、煙草は70歳過ぎまで吸ってましてね。わたしらもガンになるんじゃないかって心配してたんですけど、体のどこにもガンがないんですよ」
「70過ぎまでしっかり煙草を吸ってた? うーん。それじゃ、歩いたり、泳いだり、ラジオ体操とか体にいいことを何かやってたでしょう?」とわたし。
「いやー、それがその種のことは一切関心がなくて」と親爺。
「それじゃ、なにか体にいいサプリメントとか飲んでいるのでは?」とわたし。
「いやー、薬も病院も嫌いなんですよ」と親爺。
「うーん、困ったな。なんの仕事をしてたんですか? もしかしたら床屋さん?」とわたし。
「いやー、床屋じゃなくて、子供相手に駄菓子なんかを売ったりする小店をやってましたけどねえ。元々は百姓でしたよ」と親爺。
「失礼ですけど、年齢からして認知症とかはないですか?」とわたし。
「いやー、物忘れはありますけども、認知症というほどじゃないですねえ」と親爺。
「90年以上も生きれば、体のどっかに不調があるでしょう?」とわたし。
「いやー、それがどこにもないんですよ。あー、そう言えば、わたしがどこかへ出かけて帰って来たときに家の中で転んで骨折したことがありましたなあ」と親爺。
やっと納得いく返答をもらえた。「そうそう、お年寄りは必ず転倒して骨折するんだよね。用心しなくては」とわたし。
ここらで結論を出さなくてはいけない。「結局、お父さんが長生きできたのは運が良かったということですね。強運の持ち主ですよ」とわたし。
「いやー、親父の親も90歳近くまで長生きしたんですよ」と親爺。
「親父の親が90歳近くまで生きた? ということは明治生まれですよね。長生きの家系なんだ」とわたし。
「そういうことですかねえ」と親爺。
「親爺さんも長生きしますよ」とわたし。
食事にも健康法にも関心を示さず、病院や薬は嫌い、煙草も吸っていた。それで認知症にも寝たきりにもならずに元気で昼飯を食って過ごす。こういう長寿の人もいるんだなと感心しきりである。散髪を終えて店を出た後、1つだけ聞き忘れたことがあった。「女への関心はどうだったんですか?」とわたしが尋ね、親爺が「いやー、これが手が付けられないほどマメでしてねえ」と返答してくれたら合点がいくのだが。次回の散髪の際に聞いてみよう。