おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

オールド・ラング・サイン

2011-12-30 | Weblog
年の瀬に旧知の友と焼き鳥屋すずめへ出向く。ネタケースの前のカウンターに座る。つきだしに角切りのキャベツが小鉢に盛られて出された。串をキャベツに刺して口に運ぶ。歯ごたえがいい。食べているという食感が口中から脳内に広がる。友が注文をしていく。シイタケ、ピーマン、長ネギ、エノキの豚肉巻き、バラ、鳥皮……。「飲み物は?」。白髪頭の大将のそばでネタの出し入れをしている奥さんが尋ねた。ジョッキをやめて瓶ビールを頼む。サッポロの生が出てきた。互いにコップにつぎ合う。政治家、脚本家、元市長、元農協長ら故人となった知り合いを偲んで杯を空けた。

2人連れの客はわたしたちだけで、残りは1人でやって来たおじさんたちばかりだ。黙して酒を飲み、粛々と焼き鳥を食べている。寂しいのはお前だけじゃない。店内にあるテレビから民主党が消費税の税率を上げる論議をしているニュースが流れている。隣のおやじが画面を眺めながら呟いた。「中小企業は不景気でひいこら言っているのに、消費税を上げてさらに苦しめるつもりか。希望の灯りとなるような話をしてくれよ。お先真っ暗のブラックホールをつくってどうするんだよ」。つぶやきの度合いを超えていた。酒の肴にしては消費税率を上げる話は焼き鳥の味を不味くさせる。理由のいかんにかかわらず増税が好きな人はそうはいないだろう。ただし財務省を除いて、ということになるが。

焼き鳥で腹ごしらえをした後は店を出て、同じ並びにあるスナックかくれんぼへ。わたしたちが一番乗りだった。カウンターの端っこに2人並んで座り、焼酎のお湯割りをつくってもらう。つきだしの皮つきビーナッツをぽりぽり頬張りながら、マスターを入れて今年逝った人たちの話題となる。さまざまなエピソードが口の端に上り、元気だった当時のことが想い出された。それぞれが人生の絶頂期を味わい、失意の時間に遭遇したり、病魔に襲われたりした。故人たちはあの世に去り、わたしたちはこの世に取り残された。

時間が経つにつれて男女ペアの常連が三々五々、店にやって来た。みんな顔なじみでカウンターに座る席もほとんど決まっている。毎週、同窓会をしているみたいなもんだ。杯が進み、マイクを握ってのカラオケ風景もいつも通りだ。「アイドルを呼べ!」。だれかが叫んだ。役回りはわたしだ。携帯電話で呼び出しを掛ける。到着までの間にカウンター席に追加の席を設ける。しばらくしてアイドルがスナックの扉を開けて入って来た。女王陛下のお出ましだ。

常連から一斉に拍手が上がる。真っ赤なワンピースに白のロングブーツ姿。赤色が大好きというアイドルは身づくろいから小物、車に至るまで赤色で決めている。常連組の1人で天童よしみ似の女性が声を掛ける。「ほんとに、いつ見ても美人やなあ」。紳士服店のバイヤーであるアイドルは大原麗子似である。カラオケのリクエストは「ウイスキーがお好きでしょう」。常連組の男性たちは自分のために歌ってもらってると錯覚するほどに、アイドルは1人ひとりに語りかけるように、しっとりと歌い上げる。

年の瀬は、消費税を論議する政治家のしかめっ面と過ごすより、大原麗子の幻影と琥珀色のオー・ド・ヴィーを一杯やる方が絶対に愉しいに決まっている。アイドルとわたし、旧知の友の3人は肩を組みながら歌を歌う。友情で結ばれたわたしたちに天童よしみちゃんが割って入り、アイドルと肩を組んで歌い始めた。珍島物語。♪ふたつの島を つないだ道よ はるかに遠い 北へとつづけ ねえ とても好きよ 死ぬほど好きよ あなたとの 愛よとこしえに……。

唖然とするほどに上手だった。夜が更けるにつれ、旧知の客がやってくる。カウンター席は満員御礼だから、テーブル席が埋まっていく。歓声が上がり、熱唱が響き、チークダンスがあった。夜の静寂(しじま)と時計の針のことなどすっかり忘れ、夜のジェットストリームのようにわたしたちは生きていることを存分に味わっていた。






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ラジオからクリスマスがやって来た

2011-12-24 | Weblog
車のエンジンを掛けるとナビが起動して、今日の日付となんの日なのかを女性の声で教えてくれる。いきなり「メリークリスマス!」と来た。続いて「12月24日、クリスマスイブです」。天気晴朗なれど気温低しのイブだ。キシリトールガム3個を口に頬張ってハンドルを回す。ラジオをつけてFM放送を聴く。クリスマスソングの特集を男性パーソナルティーが告げている。

エラ・フィッツゼラルドがジングルベルを歌っている。♪ジングル、ジングル、ジングル……。いやあ、クリスマスソングをスイング、スイング、スイングでいいねえ。続いてはホワイトクリスマス。定番のビング・クロスビーをわざと外して、歌うのはディーン・マーティン。まだ見ぬ足長おじさんが歌ったならば、こんな優しく低音でまるごと包み込んでくれるような声だ。♪I'm dreaming of a white Christmas  Just like the ones I used to know……。頭の中で歌詞を追っていく。1度は外されても、やはり戻ってくるのが定番の強さ。次の音楽はビング・クロスビーのクリスマスメドレー。これまた優しい叔父さんの柔らかな声が体に沁み込んでくる。

トリを務めるのは、誰あろうフランク・シナトラだ。曲目はサイレント・ナイト。これまた大人の男はこういう風に静かに、落ち着いて、心を込め、偉ぶらず、自分自身に言い聞かせるように歌うんだよ、と思わせるような歌いっぷりだ。

Silent night, holy night!
All is calm, all is bright.
Round yon Virgin, Mother and Child.
Holy infant so tender and mild,
Sleep in heavenly peace,
Sleep in heavenly peace.

スーザン・ボイルのサイレント・ナイトもいいが、フランク・シナトラもいい。歌詞最後のSleep in heavenly peaceをはもってみる。

少年の日、クリスマスの朝は愉しかった。枕元にお菓子が詰まった赤い長靴が置いてあった。サンタクロースがいるのか、いないのかを少年たちが話し合ったのはいつごろまでだったか。サンタの正体を知ったのは、どんなきっかけがあったろうか。いつしか、クリスマスプレゼントをもらう方から渡す方になった。今宵、わたしの服装が赤いワークシャツに赤いスニーカー、緑のベレー帽なのは故あることなのだ。手袋も赤と緑のクリスマスカラーだ。チビッ子たちを訪ねて、フランク・シナトラばりにサイレント・ナイトでも歌ってみよう。

♪しーずかな夜 しーんせいな夜

♪みーんな しーずかに かーがやいてー

どうも和訳は大人の男の雰囲気がでないなあ。アルファベットとひらがなの違いは大きい。







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OK牧場の決闘

2011-12-20 | Weblog
NHKラジオ英会話をたまたま聴いていると、映画音楽を題材にして歌詞から英語を学ぶ回に出くわした。素材となったのは西部劇・OK牧場の決闘だった。歌が音楽とともに流れる。歌声から軽快、鼓舞、情景描写、雄叫びなどが頭の中を素通りしていく。歌が終わると、講師が歌詞を丁寧に訳出し解説していく。

OK牧場だから、てっきりOK RANCHと言うのかなと思っていたら、OKコラールと聞こえた。コラール? サンゴ? はてなマークがいくつも並んだ。講師の解説で合点が行った。邦訳ではOK牧場の決闘だが、原題はGunfight at the O.K. Corralだ。Corralは牧場ではなく、家畜置き場の意味だという。直訳すればオーケー家畜置き場での銃撃戦。事実をメモ書きしたように素っ気ない題名となっている。ふんどしが緩んでいると言うか、ズボンのチャックが開きっ放しみたいで、締まらない題名だ。「家畜置き場で鉄砲を撃ち合ってはいけません。家畜が怪我をしたり怯えますからね」と言いたくなる。これじゃ、お客は呼べないだろう。改めて邦訳の妙を感じさせられる。

この映画は実話を基にしている。アリゾナ州トゥームストーンで保安官のワイアット・アープ一家4人と牛泥棒のクラントン一家7人との銃撃戦。 この歌は決闘に向かうワイアット・アープの心中も表している。その心中とは愛する女性のこと。「君の愛が要るんだ。愛の炎を燃やし続けておくれ。俺が銃撃戦から戻って来るまで」。女性のことに想いを馳せることで自らを鼓舞し、高揚させ、勇ましさを増して保安官の義務としての戦いに向かう。歌の後段に決闘の結末が描写されている。寒くて静かな墓場に殺し屋たちは相並んで横たわっている。歌詞を理解した上で再び歌を聴く。

ネットの時代の威力がここから始まる。映画の銃撃戦の場面が動画でアップロードされている。さっそく視聴する。ワイアット・アープをバート・ランカスター、助っ人の1人がカーク・ダグラス。ワイアット・アープら4人が横1列になってO.K. Corralへ向かう。散弾銃を手に威風堂々、正義が通っていくという場面だ。牛泥棒一家は銃撃戦の悲惨な結果を知るよしもなく待ち受ける。歌の内容と動画の場面が折り重なっていく。ワイアット・アープは無傷、仲間に負傷者が出たが、勧善懲悪の結末となる。


銃撃戦があったアリゾナ州トゥームストーンは観光地となっているそうだ。NHKラジオ英会話のネイティブの女性講師も現地を訪ね墓場を見に行ったことなど感想を話していた。付け加えでこんなことも言っていた。「実際の銃撃戦はわずか30秒ほどで決着がついたのよ」。映画では5分間以上にわたって銃撃戦が繰り広げられていたが、事実はそんなものなんだな。真実はことごとく簡潔で、物語はいつも饒舌だ。


年の瀬は第9もいいが、OK牧場もいい。さあ、ワイアット・アープ気分で歌おう。

O.K.Corral,O.K.Corral
There the outlaw band make their final stand
O.K.Corral
Oh,my dearest one must I lay down my gun
Or take the chance of losing you forever?
Duty Calls,my back’s against the wall
Have you no kind word to say be fore I ride away?
Away

Your love,your love
I need your love
Keep the flame,let it burn
Until I return from the gunfight at O.K.Corral
If the Lord is my friend
We’ll meet at the end of the gunfight at O.K.Corral
Gunfight at O.K.Corral

Boothill,Boothill
So cold,so still
There they lay,side by side
The killers that died
In the gunfight at O・K・Corral
O.K.Corral
Gunfight at O・K・Corral
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夜明けのダイアローグ

2011-12-16 | Weblog
習慣のなせる技には凄いものがある。ここ数年、朝6時ごろに目覚めて起床しウオーキングをするのが習慣になっている。凄さを感じるのはここからだ。夏場だと戸外の明るさに誘われて朝6時かその前にぱっちりと目が開くのは当たり前、習い性となる。冬場だと朝の6時は戸外も室内も闇の中だ。にもかかわらず、夏場と同じような時間帯に目覚める。

体内に目覚まし時計が新たに組み込まれているのが分かる。どんなに暗くても、きちんと朝6時ごろに脳内が動き出して目覚めを知らせる。新聞配達ではないので、朝陽の出る前の暗いうちにウオーキングはしない。ここで朝の開けるのを待って目を閉じると2度寝となるのは分かっているので、寝床のそばにあるラジオのスイッチを入れた。これが新しい習慣との出会いとなった。

ラジオから英語放送が流れてくる。体は床の中だが、耳は放送を聴いている。夜明け前の暗闇の中で生き生きとした言葉が室内を巡る。「英語放送かあ。中学生だったころ、よく聞いていたなあ」。そんな感慨が呼び起こされた。NHKラジオ第2放送だ。朝6時から7時までの1時間に基礎英語1、基礎英語2、基礎英語3、英語物語リトルチャロ2の4つの番組が連続して放送されている。

昔と違うなあと想いながら耳を傾ける。なにが違うのか。刻苦勉励の学習スタイルから解き放たれて、とにかく英語を楽しみながら自然に覚えていくような進行と内容になっている。日本人とネイティブの講師陣が声を上げる。「キッソー、エイゴー、ツゥー!」。中高校生らのリスナーを対象としているからか、のりのりレッスンなのだ。

ネイティブ講師の体験トークも面白い。ホットチョコレート(ココア)にマシュマロを入れると美味しい、といった話が出てくる。頭の中に画像が浮かび上がる。ココアにマシュマロかあ、うーん。どんな味だろう。今度試してみようか。それにサンタがやってくる夜には、クリスマスツリーのそばにコップ1杯のミルクとビスケットを置いておくそうだ。あちこちの家庭にプレゼントを配って回るサンタの労をねぎらっての食事だとか。ウイスキーやワインの方がいいだろうと余計なお世話をしたくなるが、ノンアルコールのミルクには理由があるようだ。アルコール類だと、ソリを操るサンタが飲酒運転となるかららしい。

英語物語リトルチャロ2も物語そのものが面白い。チャロは仔犬の名前。由来は体の色が茶色と白色なので「茶と白→チャロ」。生の世界と死の世界の中間にある世界、ミドルワールドを旅する物語だ。最初、チャロが犬とは知らずに人だと思っていた。なんか変だなと思っていて毎日聴いていたら犬だと分かった。しかもこの番組はラジオ、インターネット、テレビ、携帯電話とマルチ放送を展開していることを知った。子供向けのおとぎ話ぐらいに思っていたのが、聴くうちにとりこにしていく物語でもあった。こんな面白い番組をなぜ、今まで気づくこともなかったのか。そう思えるほどの番組だ。

目覚めから起床までの1時間、英語のダイアローグに聴き入る。ライジング・ハッピネス・アワー。地理的に韓国に近いせいなのか、英語放送の合間に韓国からのラジオ放送がときおり混信する。それが英語を押しやるようにしてびっくりするほど音声が大きくなったりする。朝、起きぬけにキムチを食べるようなものである。あるいは、ポタージュにホットドック、ジンジャーエールの朝食にビビンバがいきなり割って入るようなものだ。韓国の放送の混信は英語放送とは別の次元で目を覚ましてくれるのではあるが。朝、1時間、英語を耳に入れる。わたしの1日に新たに加わった習慣だ。時間が価値を創り出す見本である。




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R.I.P.

2011-12-10 | Weblog
                 
                      


諫早市出身の脚本家、市川森一さんが10日未明に逝った。煙草なんか吸ってなかったのに肺がんだった。まだ70歳。朝食前に訃報がテレビで流れ、すかさず携帯電話に市川さんの知人から連絡があった。秋口に糖尿病で東京の病院に入院したと聞いていた。「市川先生もうまいものの食べすぎだよ。おいしいものを控えなくちゃなあ」。こんな軽口を知人と交わしていたが、糖尿病は表向きで実はがんだった。

携帯電話で知人とひとしきり話をした後、市川さんとの出会いの日々に想いを寄せた。20年ほど前、知り合いの会社社長が紹介してくれた。社長は、市川さんが脚本を手掛けたテレビドラマで主人公のモデルとなった人物だ。社長室の応接コーナーで対面した。脚本家という職業の人に会うのは初めてだった。いろんなやりとりをしたとは思うが、覚えているのは2つだけ。1つは執筆する時間帯が夜中だということ。もう1つは原稿は鉛筆で書くということだった。万年筆やボールペン、ワープロではなく、鉛筆というのが印象に残った。「消しゴムですぐ書き直しができるから」。そんな理由だった。

わたし自身、仕事ではボールペンやワープロを使っていたが、日記など個人的な書きつけは鉛筆だった。紙に書き綴るときの柔らかな感触。愛用の万年筆もボールペンもいいのだが、鉛筆はなかでもいいのだ。ペアとなる消しゴムももちろんお気に入りだ。原稿は鉛筆で書く。市川さんのこだわりに鉛筆派のわたしは親しみを覚えた。

頻繁ではなかったが、会食や飲酒をともにする機会があった。和服の美人ママがいるバーであったり、色っぽいママが1人で切り盛りする小さなスナックだったり、海が一望できる高台のホテルのレストランで奥さまが同伴したときもあった。ところが、話した内容をまったく覚えていない。話題豊富な市川さんのことだから、文学とか、テレビ文化とか、俳優とか、なにか記憶の1つにとどまっていてもいいはずなのに、まったく思い出すことができない。多分、仕事に絡むような話はなかったのかもしれない。口から出てきたら淡く溶けていくような寛いだ内容だったのだろうか。ちょっと甲高いような口調だけが記憶の底から蘇ってくる。端正でちょっと寂しげな顔立ちをわたしの心に残して、市川さんは旅立たれた。 




                     


この秋に42回目の誕生日を迎えた3カ月後、1つの命と才能がこの世から消えた。日本画家の彼女はmixiの友人の1人だった。千葉県内の私立大学芸術学部で非常勤講師をしていた。研究課題は東洋画としての日本画の可能性。 mixiの自己紹介で「好きな音楽はバカラック、あこがれのスターは市川雷蔵、あんドーナッツをこよなく愛する日本画家です」と書き、好きな映画の中に小津安二郎を挙げていた。

出会いは多分、mixiの小津安二郎コミュだったろう。2005年6月23日、彼女の日記にコメントを投じる。『プロフィールの好きな映画で「小津安二郎」を挙げてましたが、どんな作品をお気に入りなのでしょう』

彼女が返答をしてくれた。

私の祖母が映画好きということもあり、幼いころから小津作品には接していました。いろいろな作品を見ましたが、やはり最も好きなのは「東京物語」です。月並みですいません。

そして、小津作品に出ている役者さんの中でのお気に入りは何と言っても杉村春子です。まぁ、一流の女優さんなのですが、小津作品の独特のあのリアルなせりふのやり取りを最も自分ものとしてこなしているように思えます。

ちなみに、今年の私のファッションテーマは原節子スタイルです。
白ブラウスとタイトスカート、または開襟シャツとフレアスカート!


会うことは1度もなかったが、画家の発想や行動、嗜好がmixiの日記から発信されていた。SNSの流れに従って彼女の発信はmixiからtwitter、facebookへと広がっていった。自らの境遇にも触れていた。曽祖母が福岡の出身で住まいがあった福岡・大名町を訪れたことや、1歳のときに母親が26歳で亡くなり、養父母に育てられたこと。養父が没した後は養母との生活が、画学生のおしゃべりのような快活な文章の中に時折挟まれた。


2011年6月11日のmixi日記に90歳を超えた養母との面会を綴っている。

こどもの国へ母に会いに行きました。母は今、ここにある施設に暮らしています。入所したときはげっそり痩せていたのですが、今日久しぶりに見る顔はふっくらと赤みもさし、表情は明るくなり、信じられないほど元気でした。そして、私を見たとたん、私のことが分かり嬉しそうな、でも恥ずかしげな顔をしました。

一時は私の事も自分の事も忘れていたのに…。近況を手短に伝え帰ろうとする私に「せっかく来たのに寂しいわね」と言った母は昔と変わらないように見えました。きっと、母はこの施設の皆さんに大切にされてるんだと思います。いろんな施設があるなかで、私と母は本当に恵まれているのでしょう。親不孝ばかりの私ですが、今になってやっと少し親孝行が出来たのかも知れません。小雨の降るなか、たった2両の電車に揺られ帰って来ました。


11月27日、facebookに彼女は書き込んだ。「おはようございます! お天気の良い日曜日になりそうですね~! 今日はお出かけをするので晴れるとうれしいです♪」との書きだしが生前最期の文章となる。更新がないなと思っていると、友人という女性が12月1日、親族の許可を得た上でと断って、facebookに11月30日に彼女が急逝したことを書き込んだ。別の女性は告別式の案内をWEB上につくって告知した。彼女の知人男性は自らのブログに急逝の経過を記した。養母が亡くなって葬儀場に向かう際に彼女は倒れ、運ばれた病院で2日後に亡くなったという。


こんなことが人生には平然と起きる。mixiやfacebookに載った彼女の写真は遺影となった。更新されない書き込みに不在の哀しみが広がってくる。


          Rest in peace.











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飼い猫は野生化できるか

2011-12-06 | Weblog
天変地異によって飼い猫はいつ、なんどき飼い主と離れ離れになるやもしれぬ。であれば、非常時に備えた訓練が必要だろう。生きるためには、まず食い扶持を探すことが大事だ。野生に放り出された飼い猫が最初にすべき最大の仕事は狩りである。


草の陰に隠れて獲物を待つ。それにしても隠れようもない体の色だが、大丈夫か。表情は芝居がかって獲物を追う眼つきではある。





集中する時間が極めて短いのが猫の特徴。とにかくじっとしていない。と言うよりじっとしているのは無理。獲物を待つということを忘れて、昼寝でもするかといった体勢に。





恩であれ、なんであれ、すぐに忘れてしまうのが猫である。自分がなぜここにいるのかも忘れて、まどろんでしまった。





なにか足音がしたな。すくっと頭を上げ、耳を立てて神経を集中させる。





獲物とは関係がないことが分かると、一気に関心を失ってしまう。どうして狩りなんかしなくちゃいけないのか。そんな表情をしだした。やめようよ、こんな社会実験。そんなテレパシーが送られてきた。





飼い主の足にすりすりをして、ごろりんと寝転ぶ。これが生き続けるコツ。猫が野生の中で学んだ結論は、飼い猫になることである。




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紅葉狩りだ、それ行け太宰府へ

2011-12-04 | Weblog
菅原道真公ゆかりの太宰府へ。天満宮では晩秋を迎えて紅葉が見納めの彩を見せていた。





錦秋が覆いかぶさってくる。 

 



おみくじも紅葉している。





天満宮そばの光明禅寺。九州唯一の枯山水の庭園で知られるが、訪ねてみれば女盛りのようにちっとも枯れていない。





一滴海の庭。青苔は大陸と島を、白砂は水と大海を表しているそうだが、紅葉の落葉が海を麗しく染め抜いている。本来は白袴の凛とした風情だろうが、秋には艶やかな和服の趣あり。

 




柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや禅を説く君





狛犬も座っているばかりじゃつまんないから、たまにはこんな格好もしてみたいさ。





光明禅寺を出て天満宮の参道へ。やっぱり梅ヶ枝餅を頂かなくては。立派な建物の梅ヶ枝餅屋さんだ。





おじゃましたのは寿庵寺田屋。パリッ、モッチモッチとした食感の餅の中には上品な甘さのつぶ餡。奥の小庭の緋毛氈を眺めながら晩秋を味わう。















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