緑に囲まれた畑に果樹が何本か植えてある。主は顔見知りの大学教授で、四季のうち何回かやって来ては、草刈りや果樹の手入れをしている。大晦日まで間近となったある日、畑のそばを通ると、枯れ草を焼く青みがかった灰色の煙がたなびいていた。野良仕事中の教授に声をかける。久しぶりという表情をした教授は、たわわに実った果樹の1本を指差して言った。「何個か持っていきますか」。テニスボールをちょっと縦長にしたような果実は冬の風景の中で異彩を放っていた。黄色い丸い実を教授は手でちぎってわたしに渡した。檸檬が3個、手のひらの上で寄りあっている。鼻先に近付けて香りを探したが、黄色い皮の中に閉じ込められていた。
3個の檸檬を食卓の上に置いて眺める。黄色い皮だけれども濃淡がある。お日様に当たっていた部分は色合いが濃ゆくて夏蜜柑みたいな風格がある。その反対側は檸檬のイメージにぴったりの、明るい黄色だ。教授が言っていたことを思い出した。檸檬ジャムをつくろうと思い、インターネットで検索して挑戦したところ、ちっともおいしくない不味いジャムになったという。教訓として受け止め、絞った果汁に蜂蜜を加えるだけの檸檬ティーにしようと決める。年越しまでは檸檬の色合いを愉しもうと思い、小さな籠に盛って食卓のインテリアにしている。
パソコンで檸檬という漢字を打ち出しながら、ある感慨が湧いた。梶井基次郎の短編だ。小説の中でこれほど印象深い果物を他に知らない。俳句では正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の柿があるが、基次郎の檸檬の持つ爆弾もどきの迫力にはかなわない。ニュートンの林檎ぐらいでないと対抗できないかとも思うが、この林檎譚は後世の作り話という説もあって、同じ虚構であれば檸檬爆弾に軍配を上げたい。
ネットであらためて檸檬を読む。「その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた」。作品と同様に、目の前にある檸檬も冴えかえっている。この冴えはどこから来るのか。色合い? 形? 重さ? あるいは内に秘められた酸っぱい果汁? 1年間という時間の底に貯まった澱を残らず吸収して、澄ました顔をした檸檬。「不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた」。3個の檸檬を前にして食卓の上に目をやり、1個ずつ手に取って檸檬を載せていく。白い電気ポット、赤い薔薇の写真が印刷されたティッシュボックス、青い携帯電話に黄色いオブジェが鎮座した。基次郎は丸善からすたすたと立ち去ったが、わたしは歳末の奇妙で愉快な光景をもう少し眺めていよう。
3個の檸檬を食卓の上に置いて眺める。黄色い皮だけれども濃淡がある。お日様に当たっていた部分は色合いが濃ゆくて夏蜜柑みたいな風格がある。その反対側は檸檬のイメージにぴったりの、明るい黄色だ。教授が言っていたことを思い出した。檸檬ジャムをつくろうと思い、インターネットで検索して挑戦したところ、ちっともおいしくない不味いジャムになったという。教訓として受け止め、絞った果汁に蜂蜜を加えるだけの檸檬ティーにしようと決める。年越しまでは檸檬の色合いを愉しもうと思い、小さな籠に盛って食卓のインテリアにしている。
パソコンで檸檬という漢字を打ち出しながら、ある感慨が湧いた。梶井基次郎の短編だ。小説の中でこれほど印象深い果物を他に知らない。俳句では正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の柿があるが、基次郎の檸檬の持つ爆弾もどきの迫力にはかなわない。ニュートンの林檎ぐらいでないと対抗できないかとも思うが、この林檎譚は後世の作り話という説もあって、同じ虚構であれば檸檬爆弾に軍配を上げたい。
ネットであらためて檸檬を読む。「その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた」。作品と同様に、目の前にある檸檬も冴えかえっている。この冴えはどこから来るのか。色合い? 形? 重さ? あるいは内に秘められた酸っぱい果汁? 1年間という時間の底に貯まった澱を残らず吸収して、澄ました顔をした檸檬。「不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた」。3個の檸檬を前にして食卓の上に目をやり、1個ずつ手に取って檸檬を載せていく。白い電気ポット、赤い薔薇の写真が印刷されたティッシュボックス、青い携帯電話に黄色いオブジェが鎮座した。基次郎は丸善からすたすたと立ち去ったが、わたしは歳末の奇妙で愉快な光景をもう少し眺めていよう。