おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

檸檬愛歌

2012-12-30 | Weblog
緑に囲まれた畑に果樹が何本か植えてある。主は顔見知りの大学教授で、四季のうち何回かやって来ては、草刈りや果樹の手入れをしている。大晦日まで間近となったある日、畑のそばを通ると、枯れ草を焼く青みがかった灰色の煙がたなびいていた。野良仕事中の教授に声をかける。久しぶりという表情をした教授は、たわわに実った果樹の1本を指差して言った。「何個か持っていきますか」。テニスボールをちょっと縦長にしたような果実は冬の風景の中で異彩を放っていた。黄色い丸い実を教授は手でちぎってわたしに渡した。檸檬が3個、手のひらの上で寄りあっている。鼻先に近付けて香りを探したが、黄色い皮の中に閉じ込められていた。

3個の檸檬を食卓の上に置いて眺める。黄色い皮だけれども濃淡がある。お日様に当たっていた部分は色合いが濃ゆくて夏蜜柑みたいな風格がある。その反対側は檸檬のイメージにぴったりの、明るい黄色だ。教授が言っていたことを思い出した。檸檬ジャムをつくろうと思い、インターネットで検索して挑戦したところ、ちっともおいしくない不味いジャムになったという。教訓として受け止め、絞った果汁に蜂蜜を加えるだけの檸檬ティーにしようと決める。年越しまでは檸檬の色合いを愉しもうと思い、小さな籠に盛って食卓のインテリアにしている。

パソコンで檸檬という漢字を打ち出しながら、ある感慨が湧いた。梶井基次郎の短編だ。小説の中でこれほど印象深い果物を他に知らない。俳句では正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の柿があるが、基次郎の檸檬の持つ爆弾もどきの迫力にはかなわない。ニュートンの林檎ぐらいでないと対抗できないかとも思うが、この林檎譚は後世の作り話という説もあって、同じ虚構であれば檸檬爆弾に軍配を上げたい。

ネットであらためて檸檬を読む。「その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた」。作品と同様に、目の前にある檸檬も冴えかえっている。この冴えはどこから来るのか。色合い? 形? 重さ? あるいは内に秘められた酸っぱい果汁? 1年間という時間の底に貯まった澱を残らず吸収して、澄ました顔をした檸檬。「不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた」。3個の檸檬を前にして食卓の上に目をやり、1個ずつ手に取って檸檬を載せていく。白い電気ポット、赤い薔薇の写真が印刷されたティッシュボックス、青い携帯電話に黄色いオブジェが鎮座した。基次郎は丸善からすたすたと立ち去ったが、わたしは歳末の奇妙で愉快な光景をもう少し眺めていよう。
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超越していく ビギニングノート

2012-12-26 | Weblog
いよいよ2013年がやってくる。時代を乗り越えていく準備をしよう。


壁掛け用や卓上用のカレンダーの準備も整った。世界の美人ちゃんたちが月替わりで登場する「A WORLD OF BEAUTY」もJALから届いた。


屠蘇の仕込みも済んだ。邪気を屠(ほふ)り、魂を蘇らせる由縁に従って杯を重ねよう。


3段重ねのお節料理の手配も完了した。最初に箸をつけるのは栗きんとんだ。


正月に呑み乾していくボルドーの赤ワイン5本を買い込み済み。1番手はシャトー・ヴェルモンあたりで。肴は干し柿にでもするか。


鶴をあしらった締め飾りを早々と玄関に掲げた。亀でもよかったが、飛翔する姿に期待して鶴に決定。


お年玉のぽち袋も待機している。中味の金額は昨年並みなので、ぼちぼち袋に改名。


日々のウオーキングで太ももは100グラム・2000円並みの上質な肉質となった。歩くフィレ肉だ。黒毛和人と言うべきアートな太ももでもある。


各部屋の掃除や整頓も終わり、クリーニングに出していたズポンなども回収した。腰回りの増減という戦いは終わっていない。


新米を届けてくれる遠戚の農家の主に、お歳暮としてカステラを手渡す。食べ物を育てる農家は体力、知力が要る職である。


元旦にはどの下着を着ようかと思案する。ブリーフか、トランクスか。新年早々、履き心地は1年の計を左右するほどに大事だ。どっしりとしていれば、下着がなんであろうと関係がないというのが真実だが。


虫歯なし、胃潰瘍なし、水虫なし、風邪なしで健康管理も万全。ワインと屠蘇以外のアルコールは控えよう。それに高尿酸値と絶交すること。


お茶の間に飼い猫の写真を置く。互いに視線が合った。心中で名前を何度も呼ぶ。返答はないが、団らんの輪に加わっている。




  









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レ・ミゼラブル

2012-12-22 | Weblog
映画館に入り、指定席に座り、上映が始まり、冒頭場面で出演者たちのセリフが歌仕立てになっているのを見て初めて、映画レ・ミゼラブルがミュージカルを映画化した作品だと気付いた。上映中の他の作品に触手が動かない中で、極めて微細な動機で見ることにしたのだった。

「確か、人気を博した舞台劇だったな」。出演者の中で知っているのはラッセル・クロウだけで、彼が出ている映画なのかと思い、見てもいいのかなという程度の関心だった。しかも、主人公のジャン・バルジャン役は多分ラッセル・クロウだろうと呑気に構えて画面を見ていたら、どうも違う。パンを盗んだことで服役し、仮釈放後に逃亡したジャン・バルジャンを捕縛しようと執拗に追いかけ回すジャべール警部役だった。他に捕まえる奴はいないのかと思えるほどにジャン・バルジャンの目の前に何度も現れる憎まれ役である。

なんだ、ミュージカル映画か。冒頭から落胆しつつも、そのうち普通の映画のようなセリフ使いになり、合間に歌でも歌うのだろうと高をくくっていたら、いつまでたってもセリフは歌仕立てだった。上映時間が2時間半だと知っていたので、最後まで歌を聞かせられるのかと暗澹たる気持ちになった。同じ思いだったのか、いたたまれなくなった観客の男性が上映15分ほどで席を立って出て行った。当然だよなと同情し、15分見ただけで2時間半の大作映画を切り捨てる覚悟に感心もした。ミュージカルの舞台役者みたいに、大仰な表情をして、いかにも役者然とした演技で場面進行すると想定していた。そして想定通りに画面は展開していった。

ここで映画の魔力が顔を出してくる。映像の魅力、技法がミュージカルを彩り、再構成し、観客を引き込んでいく。舞台となるパリの街を俯瞰し、役者たちの顔を超アップで画面に広げ、テンポのいい画面展開を繰り返して映画ならではの世界と画面が作り上げられていく。ラッセル・クロウが朗々と歌い上げてセリフを語るのが、ちっとも違和感がない。アン・ハサウェイが「夢やぶれて(I Dreamed a Dream)」を切々と歌うのがちっとも不自然でなくなってくる。こうなると、映画の独壇場となり、観客の中にいた居心地の悪さを感じていた者(わたしだ!)はミュージカルの牢獄から釈放され、晴れて映画世界で自由の身となって物語の展開を愉しむことになる。

ジャン・バルジャンが怪力の持ち主であることに気付いた。旗を掲げる大きな丸太を1人で担いで引きずったり、転倒した荷車の下敷きになった人を救い出したりと、プロレスラー並みである。そしてジャン・バルジャンは歌がうまかった。いわゆる歌手のうまさではなく、セリフに込められた感情をうまく表現しているといううまさである。ラッセル・クロウだってそうだ。もはや、ただのセリフではその思いが物足りないのだ。セリフを歌ってくれなければ。法こそすべてと信じ、法の番人として生きてきたラッセル・クロウはジャン・バルジャンの持つ許す心と寛容さに触れて、法を超えた人間性というものに気付かされる。それゆえに自らの存在意義を失って水路に身を投げる。

レ・ミゼラブルではジャン・バルジャンが天に導かれるまでの半生が描かれる。投獄、逃亡、改心、パリ市長となる出世、孤児となった娘の育ての親。善なる存在と同時に、ひたすら隠してきた自らの素性を語る場面で正直さと勇気が浮かび上がる。命が閉じようとしている間際の告白は観客1人ひとりに静かに語りかけられる。観客たちにある感情が心の中に芽生えてくる。それは控えめに言えば、好意である。広い意味で言えば、愛である。人を慈しむ気持ちである。善なる人が召されるのに立ち会うとき、その人に好意や愛を抱いていれば、だれでも瞼の内側には自然と涙があふれてくるものである。

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エルメスとタップダンスをする

2012-12-18 | Weblog
枯れ落ち葉となってねじれたクヌギの葉が、風に吹かれてアスファルトの舗装路を転がっていった。カラカラカラ。乾いた音がいくつも目の前を通り過ぎていく。青々としていた葉が季節に応じて姿を変え、使い込んで飴色となった革製品のように見えた。色合いの良さに触発され、心中でつぶやく。「いいね!

飴色の枯れ葉の色は脳内に彩りの輪を広げていく。ベレー帽、外套、ショルダーバッグ、三つ揃いの背広、靴下、革靴……。暖色でも寒色でもない、その枯れ葉色は温かみと落ち着きを見る者にもたらす。室内にある柱、床板、木製ドア、天井板、机、木製椅子と同じ仲間となる色合い。そうか、枯れ葉は、木材となった樹木の分身だったのか。寒さ厳しい冬の到来を前に世界に飛び散っていった弥勒菩薩の化身たち。落ち葉を踏みしめると落ち着いた気分になるのは、その音と感触が、実存していることの小さな気付きをもたらすからだ。


朝日新聞に連日にわたってエルメスの広告が掲載された。色とりどりのネクタイでできたツリーと、オレンジ色の化粧箱でできたツリーの全面広告がお目見えした以降、小さな広告が続いた。モノクロの石造りの壁の中央に飾り窓がある。窓の向こうにはカラーとなった世界が見える。冬景色とエルメスの製品が日替わりで登場する。落葉樹に結ばれ風になびくスカーフであったり、裸となった枝に掛けられた真っ赤なバッグだったりする。雪で覆われた丘陵をタイヤのように転がってくる腕輪があれば、雪だるまのそばに積まれた3個のマグカップもあった。紙面からアートの香りが立ち上がっている。


枯れ葉色の季節に色鮮やかなエルメスの新聞広告を鋏で切り抜く。活字の世界から脱け出した広告はアートの色彩を一層放つようになった。金額で0の数が1個余分に多いブランド、それはエルメス。お金の回りが鈍いデフレ経済下の日本でしっかり生き続けている。優雅な製品と強靭な経営でブランド世界の高みに君臨する。運気を感じさせる切り抜きを寝室の壁にピンで留めていく。実物でなくても、寝際と目覚めのときにいい気分に浸れるじゃないか。愉しい夢を誘ってくれる新聞の切り抜きなんて、そうざらにはないもんだ。メルシーボークー、エルメス!
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ゴディバを唄おう

2012-12-11 | Weblog
師走ともなると、知人は大晦日に第9を唄うんだと言って市民合唱団での練習に余念がない。原語のドイツ語での合唱である。昨年もその前年も第9を唄って年納めをし、晴れ晴れとした気持ちで新年を迎えるのが恒例の知人は、菩提樹をドイツ語で朗々と唄い上げる声量の持ち主である。のど自慢の主ならではの年の瀬の過ごし方である。

第9を唄わない自らを振り返って、今年はどんな年の瀬を過ごそうか。過去を想い出す。初日の出を拝むための深夜登山があった。しんしんと雪が降って白銀の元旦に嬉しさがこみ上がった。年越しそばを湯がいて、茶の間ですする音が何度も飛び交った。遠くで除夜の鐘が鳴るのを聞きながら寝床に入って思いっきり背伸びをした。旧年と新年にまたがって湯船につかった。元日午前零時ちょうどに互いに初キッス。年が変わった直後に初もうでに出かけた。新年早々の海外旅行の準備で浮き浮きしていたこともあった。寂しい大晦日もあったのかもしれないが、すっかり忘れてしまっている。愉しそうな日々しか想い浮かばない。

ゴディバを頬張りながら思案する。例年とは違う大晦日を過ごせないものか。恒例、定番が24時間を埋めていく。大掃除や買い出し、注連縄の飾り付け、新しいカレンダーを掛ける。TVのニュース番組や天気予報を見る。お節の味見。せわしなさと、ちょこまかした動作がいくつも押し寄せてくる。悠然として静溢なる時間に浸りきることはできないのだろうか。大晦日にこんこんと眠る。自らをほったらかしにする。除夜の鐘にも気付かず、もちろん紅白歌合戦も遥か遠くの世界となり、初日の出や初もうでのことも脳裏からすっ飛んでいる。365日の最後の1日に脳も心も体も記憶も安息日を迎える。


寝言で第9を唄おう。


晴れたる青空 漂う雲よ

小鳥は歌えり 林に森に

心は爽やか 喜び満ちて

頬張るゴディバで 明るき笑顔



花咲く丘べに 憩える友よ

吹く風爽やか みなぎる陽射し

心は穏やか ゴディバを手にし

響くは我らの 喜びの歌


ワインもチョコもカレーも辛口が好きだが、ゴディバは例外だ。

あの絶妙な甘さは、どんな元旦の夢よりも味わい深い。







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冬の夜にフィッツジェラルド

2012-12-06 | Weblog
書庫から取り出してきた3冊の単行本を絨毯の上に置いた。THE STORIES OF F.S.FITZGERALD。邦題はフィッツジェラド作品集。“アメリカの夢”とその崩壊を描く華麗にして悲劇的な作家の全容を年代別に収めた本邦初の作品集という触れ込みの3冊。青春文学の旗手として20年代前半の7編が載った「ジャズ・エイジの物語」、内奥の悲哀と幼年期の回想をつづる中期の傑作9編が並んだ「すべて悲しき若者たち」、時代の退潮と破局への予感を秘めた30年代の19編を収録した「崩壊」。1冊目のジャズ・エイジの物語からページをめくっていく。1922年初出の「リッツ・ホテルのように大きなダイアモンド」から読み始めた。荒唐無稽で陳腐な物語だった。う~ん。心中で小さく唸る。次いで1920年初出の「バーニスの断髪宣言」に目を通す。読後に感銘の波紋は広がらなかった。むむ~ん。再び心中で首をかしげて唸る。

読み進める合間に世の中に思いを至らせる。16日に総選挙の投開票がある。新聞の情勢調査では自民優勢、民主退潮、第3極思ったほど支持広がらずとの結果。投票日までこの流れで行くのか、はたまた逆流があるのか。民主政権への審判がそのまま日本の針路を決めていく。既成政党以外に期待したい思いがあるものの、政党としてこころもとないところがあるのが懸念材料となってもいる。棄権はしないが、ずばりこの党だという確信が持てないだけに選択と決断するのが難しい。


歌舞伎界の旗手・中村勘三郎が57歳で逝去した。勘三郎の舞台は勘九郎時代を含めて直接見たことがないが、なぜなのか夢の中で1度だけ出てきたのをしっかりと覚えている。あまりにも印象深かったので、「中村勘三郎に説教をする」と題して2005年12月21日にブログで記録した。夢の中に出てきた歌舞伎役者が50代で幽界に行ってしまった。ご冥福を祈ると言い切れない、腑に落ちない宙ぶらりんの気持ちになる。


また1人、ビッグネームが逝った。デイブ・ブルーベックだ。YOMIURI ONLINEから引用する。「AP通信などによると、米ジャズ・ピアニストのデイブ・ブルーベック氏が5日、心不全のためコネティカット州内の病院で死去。91歳。第2次世界大戦で従軍した後、1940年代後半から活躍し、51年にサックス奏者のポール・デズモンドらとカルテットを結成した。クラシック音楽の品格とジャズの即興性を融合させた優美な旋律が世界の聴衆を魅了し、59年のアルバム「タイム・アウト」はジャズ界初のミリオンセラーとなった。このアルバムに収録された「テイク・ファイブ」は、日本でもCMで使われるなど広く親しまれている。(ニューヨーク)」。テイク・ファイブはお気に入りの曲だった。年に何回かこの曲を聴くのが習慣となっている。週末の夜か、日曜日の朝に聴いてデイブを偲ぼう。


北朝鮮が人工衛星だと言い張る長距離弾道ミサイルの発射予告で近隣諸国をまたもやお騒がせさせている。こんな瀬戸際外交をいつまで続けるつもりなのだろうか。ミサイルと言えば、小惑星探査機はやぶさプロジェクトマネージャーを務めたJAXAの川口淳一郎シニアフェローの講演で印象に残った話を思い出した。今の宇宙ロケットはミサイルに宇宙飛行士を縛り付けて飛ばしているのと同じという内容だ。宇宙ロケットはミサイルの技術をそのまま運用しており、弾頭のカプセルに乗った宇宙飛行士は操縦はおろか、打ち上がってしまうまで何もできないのが現状だという。この状況をなんとか改善したいというのが川口フェローの夢だ。自動車を運転するみたいに宇宙船でふんわりと宇宙に出発できるようにしたいのだという。


友人たちは有り余る体力と知力を人生のひと時に費やす。ある者は空手道場に通い、武道の心技体を学び始めた。ある者は山野を走りまわるトレイルランで体の青春と心の回春を再び味わっている。わたしがストレッチに凝っていることを話すと、「お前らしくない。似合わない」と言われた。ヒグマのような獰猛で荒々しい精神の持ち主とのイメージがあるらしい。君知るや、彼は昔の彼ならず。今じゃヒグマとは対極にあるバンビのようになっているんだ。美人のワインエキスパートに赤ワインの蘊蓄を教えてもらいたいし、美人教師に書の手ほどきもしてほしいし、美人の武道家に4の字固めをかけてもらいたいと思っている。女性の手ほどきは素直に歓迎するが、男の手ほどきは原則として歓迎しないのである。これは性別による差別ではなく、単に嗜好によるものだ。


世の中への思いから再びフィッツジェラドの世界へ戻ろう。次はどんな作品だったっけ。氷の宮殿か。頼むよ、フィッツジェラド。冬の夜に小説を読む愉しみを堪能させてくれよ。



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