霜降りっぱなしのカルビを連れと食べ始めてまもなく、ズポンのポケットに入れた携帯電話が鳴った。周りはアメリカ人のグループ、さしずめ20人ぐらいが焼肉をほおばりながら大きな声でしゃべっている。日本人はわれわれだけだ。こちらも負けずに「もしもーし」と大声で応える。この焼肉屋は日本体験ツアーのコースになっているらしい。そんなに広くも上品でもない店だけど、リーズナブルな値段でおいしいYAKINIKUを味わえるのが受けているのかも。
霜降りではなく前振りはこの程度として、電話の主は仕事で上京した友人からだった。株主優待券で宿泊した銀座のホテルから掛けている。1人でバーに行きたいが、どこがいいかいなという、世界情勢や自民党総裁選とは縁もゆかりもない話だった。
思いつくままに答える。帝国ホテルのオールドインペリアルはどうか。フランク・ロイド・ライトが設計した旧帝国ホテルの面影をしのばせる大人のバーだ。しかし、1人じゃもったいないなあ。1人寂しく飲む酒はルパンにしよう。
友人に指令を出す。怪盗ルパンの看板が光る外壁の扉を開けて階段を下れ。地下にある店だ。右手にあるカウンターの一番奥の席へ向かえ。用を足したいと思ったら奥の左手へ小走りで行け。トイレだ。用がなかったらカウンターのカーブに沿って進め。太宰治、坂口安吾、織田作之助のモノクロ写真が壁にかかっているのが目に入るだろう。そう、そこそこ。写真のそばの席に座るのだ。そこは誰もが一度は目指すゴールドシートだ。今宵の運試しをするんだ。運がなけりゃ誰かが座っていて、小1時間じゃまず動くことはないな。運がよければ、客が飲み終えて席を立つのと入れ違いに座ることができるかもしれない。富士山に登ったら剣が峰まで行こうじゃないか。ルパンじゃ、そこが頂上だ。
座ったな。いいぞ。ラッキーだ。ハイタッチだ。モンキーダンスだ。はしゃいで踊ったりするな。みっともないからな。そこからは店全体を見渡せていいだろう。客は界隈に勤めるスーツ姿のサラリーマンらでいっぱいだろう。年配もいるが、若いのも中年もいるな。女性を含めたバーテンが3,4人いて、忙しそうに立ち振る舞っているだろう。
よし、次は注文だ。まかり間違ってもビールなんか飲むなよ。中華料理店に行ってミディアムレアのステーキにしてね、なんて言うようなもんだ。ここの雰囲気では絶対ウイスキーだ。まあ、銘柄は国産でもスコッチでもいい。ただし水割りなんかにして飲むなよ。もったいないし、ウイスキーに失礼だ。オンザロックだ。よーし、注文したよな。
カットグラスに入ったウイスキーが目の前に置かれただろう。細長い穴蔵みたいな店で飲む姿は様になってるな。いきがってトレンチコートなんか着てないだろうな。ごめん、これはマイケル・ジョーダンだ。
男が1人、カウンターでウイスキーを飲む。いいひと時じゃないか。傍らの無頼派の作家たちが人生の賛歌と悲歌を奏でているよな。生まれてすみません。夫婦善哉。聖女の堕落。絶望と歓喜、糟糠の妻の手の柔らかさが浮かんでくるだろう。静かに瞳を潤ませて泣け。喪失の悲しみこそ男の涙にふさわしい。大事なものをいくつもなくしてきたよな。もっと飲みたい気分になっただろう。うん、それでいい。そこは懺悔の席なんだよ。唱えよ、心の中で。わが罪を許したまえ。
霜降りではなく前振りはこの程度として、電話の主は仕事で上京した友人からだった。株主優待券で宿泊した銀座のホテルから掛けている。1人でバーに行きたいが、どこがいいかいなという、世界情勢や自民党総裁選とは縁もゆかりもない話だった。
思いつくままに答える。帝国ホテルのオールドインペリアルはどうか。フランク・ロイド・ライトが設計した旧帝国ホテルの面影をしのばせる大人のバーだ。しかし、1人じゃもったいないなあ。1人寂しく飲む酒はルパンにしよう。
友人に指令を出す。怪盗ルパンの看板が光る外壁の扉を開けて階段を下れ。地下にある店だ。右手にあるカウンターの一番奥の席へ向かえ。用を足したいと思ったら奥の左手へ小走りで行け。トイレだ。用がなかったらカウンターのカーブに沿って進め。太宰治、坂口安吾、織田作之助のモノクロ写真が壁にかかっているのが目に入るだろう。そう、そこそこ。写真のそばの席に座るのだ。そこは誰もが一度は目指すゴールドシートだ。今宵の運試しをするんだ。運がなけりゃ誰かが座っていて、小1時間じゃまず動くことはないな。運がよければ、客が飲み終えて席を立つのと入れ違いに座ることができるかもしれない。富士山に登ったら剣が峰まで行こうじゃないか。ルパンじゃ、そこが頂上だ。
座ったな。いいぞ。ラッキーだ。ハイタッチだ。モンキーダンスだ。はしゃいで踊ったりするな。みっともないからな。そこからは店全体を見渡せていいだろう。客は界隈に勤めるスーツ姿のサラリーマンらでいっぱいだろう。年配もいるが、若いのも中年もいるな。女性を含めたバーテンが3,4人いて、忙しそうに立ち振る舞っているだろう。
よし、次は注文だ。まかり間違ってもビールなんか飲むなよ。中華料理店に行ってミディアムレアのステーキにしてね、なんて言うようなもんだ。ここの雰囲気では絶対ウイスキーだ。まあ、銘柄は国産でもスコッチでもいい。ただし水割りなんかにして飲むなよ。もったいないし、ウイスキーに失礼だ。オンザロックだ。よーし、注文したよな。
カットグラスに入ったウイスキーが目の前に置かれただろう。細長い穴蔵みたいな店で飲む姿は様になってるな。いきがってトレンチコートなんか着てないだろうな。ごめん、これはマイケル・ジョーダンだ。
男が1人、カウンターでウイスキーを飲む。いいひと時じゃないか。傍らの無頼派の作家たちが人生の賛歌と悲歌を奏でているよな。生まれてすみません。夫婦善哉。聖女の堕落。絶望と歓喜、糟糠の妻の手の柔らかさが浮かんでくるだろう。静かに瞳を潤ませて泣け。喪失の悲しみこそ男の涙にふさわしい。大事なものをいくつもなくしてきたよな。もっと飲みたい気分になっただろう。うん、それでいい。そこは懺悔の席なんだよ。唱えよ、心の中で。わが罪を許したまえ。