おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

7月の終わりにて

2007-07-31 | Weblog
2007年7月がきょう31日で終わる。下旬をメモランダム風に振り返る。

【参院選自民大敗】
小泉政権時の規制緩和、市場原理主義は地方では経済的疲弊をもたらしている。シャッターが下りた店舗が目立つ商店街、非正社員でしか雇うことができない企業の増加、将来設計が描けない非正社員の存在、賃金上昇の頭打ち、働き口の少なさと魅力のなさ。有権者の不安感、閉塞感は日増しに募る。いらだち、怒り、憤懣が安倍政権への痛烈な批判票となり、「生活が第一」を掲げた民主に投票へ。1人区での民主大勝がその証左。民主は次の総選挙で政権取りの可能性が大となった。

【小田実逝去】
1度だけ平和関係の集会場で会って挨拶を交わしたことがある。ずんぐりとした体躯に猪首、落ち着いているようでもなく穏やかでもない目つきが印象に残っている。その目の表情をどう言えばいいのだろう。相手の目の奥をのぞきこもうとしているような目つきとでも言おうか。それにしても死とは無縁のような存在感があった。

【西瓜】
夏のくだものはこれに限る。青い縞縞の模様に赤い果肉と黒い種。少年時代の方がもっとおいしかったような気がする。口の周りも手も果汁で濡れて、無作法にかぶりついていた。「いただく」という上品な言い回しではなく、「食らう」という獣に通じるような食し方だった。今、同じような「食らい方」をしても、少年時代に感じた一種の恍惚感はないだろう。少年から脱皮して成長し大人という別物になっても西瓜の味の記憶だけは残っている。西瓜のビーチボールと素材のビニールの匂いには好意を持っている。なぜだか、昔も今も。

【新型ブラックホール発見】
地球から8000万光年の距離にある場所での発見。壮大な距離が爽快感をもたらす。未知との遭遇は感嘆、驚異、快感など知的好奇心を刺激し、体に活力を満たしていく。人との出会い、風景との出会い、世界との出会い、宇宙との出会い。出会いの大小にかかわらず私に人生善き哉を何度も想い起こさせる。新しい人と出会う、あの刹那はいつも素晴らしい。Alte Liebe(アリテリーベ)にまみえる時と同じく。

【カステラ】
夢のお告げを即実行。召しませ、召しませ。緑の風を肌に感じながら緑茶とカステラをいただく。夢の中と同じ味、いやいや、もっとおいしいぞ! 2次元より3次元の世界は厚みがある分、うまさが立体的に口中に広がる。写真もいいが、実物はもっといい。カステラも人も。

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盛夏の夢の中

2007-07-27 | Weblog
盛夏の真昼に夢を見た。意味不明だが画像で表現しよう。★は意味不明度


   異星人よ、こんにちは。★★

          人類のIDカード ★





  自力飛行への憧れ ★★


                むしゃむしゃ。全部いけるぞ。★★★★




                ゆっくりとおやすみなさい。 ★


※著作権の関係で画像が後日削除される場合があります。記憶はお早めに。★★★
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時計仕掛けの土曜日

2007-07-21 | Weblog
目覚めたものの、どうも意欲減退の土曜日だと思った。やる気とその気に怠惰の重しを乗せられたみたいだ。日課の朝の散歩もさぼったし、寝床でなんとはなしにだらだらとして起床した。いつもはてきぱきと体が動く感じで洗面所に向かっているのに。

気分だけでなく体もなんとなくだるさを感じる。気圧が低い影響なのか。士気がさえない1日の始まりとなった。朝食も食べても、食べなくてもいいなという風で食欲も迷走している。珍しくだらだらとした時間を過ごす。なぜか知人に電話したくなって掛けてみる。相手はまだ寝床にいるような声だった。取り留めのない話を互いにして電話を終える。突っ込みもボケもちっとも面白くない漫才みたいな会話だった。

夕方になって別の知人から電話を受ける。「どうしている?」。相手もだるそうな声だ。「これは低気圧の影響じゃないか」と持論を展開する。「いや、そうじゃないよ」と相手も持論を展開しだした。「土曜日だからだよ。仕事が忙しくても、あるいはヒマでも、土曜日はなんとなく気合が入らないんだよ。小さい時からの刷り込みさ。土曜日だー、半どんだー、午後から休みだー、明日は日曜日だー。ということじゃないの」

定年退職でヒマな人でもカレンダーを見ながら「明日は日曜日か。休みだな」とつぶやくのをそばで聞いたことがある。日曜日と意識するだけで「休みでゆったりできる」という意識がよみがえってくるんだろうなあ。「毎日が日曜日」の身であっても。

それで今日という日の土曜日。半どん気分が体と意識の中に刷り込まれているのだろうな。先週の土曜日はこんな感じはなかったのだが。どんよりとした天気が弾みをつけたのか。針の動きが止まっていた「だるだる時計」がひょんなきっかけで動き出したようだ。どうも変な感じでさわやかでなく、だれた土曜日だ。ここちよい音楽を探そう。

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これでいい

2007-07-20 | Weblog
ビル・ゲーツはかばんの中身を披露したりしないし、

村上春樹は文学賞の選考委員をしないし、

原節子は引退の謎を語らないし、

トム・ハンクスのサインはイニシャルだけだし、

財津和夫の歌声は透明感にあふれたままだし、

東洲斎写楽はいまだに正体不明だし、

エイリアンからの宣戦布告はまだないし、

富士山は爆発しないし、

ビキニは廃れていないし、

うん、これでいい、これでいい。






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国宝・鑑真和上坐像

2007-07-18 | Weblog
昼食のため訪れた福岡市博物館のレストランで鑑真和上展のちらしを手にした。同じフロアで開催中だ。世界遺産唐招提寺の国宝9件26点を福岡で公開と記されている。カツカレーを食しながら、見るべきかを思案した。「本物がそばにあるのに見ないで帰るの?」と同席の知人に決断を迫られる。

このレストランのメニューにはエビスビールのほかに芋焼酎の黒霧島が並んでいる。博物館で芋焼酎か。なかなか洒落たことをする。鑑真像よりもほくほくのカツに気を取られ、お湯割りの黒霧島を夢想する。カツが胃に落ちて腹が据わった。いざ、鑑真展へ。

唐招提寺金堂平成大修理を記念しての展示。日本最古の肖像彫刻、鑑真和上坐像は圧巻だった。美術書などでは明るい光の下で撮影された鑑真像が有名だが、展示会では薄暗い空間の中で鑑真像が浮かび上がるようなライティングがしてあった。

8世紀の制作。神々しさが際立つ。生きているようでもある。渡日のための苦難と失明を超えて鑑真は仏教を日本に定着させた。宗教的な信念と使命感を秘めた穏やかな表情が感慨をもたらす。到達しようという意志の強さが心中の波紋となる。暑苦しく騒がしい外の世界とは異なる、静かで清涼感が漂う内省的な世界が鑑真像を通じて広がってくる。この人を見よ。そして省みよ。
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朝食にバラードを

2007-07-11 | Weblog
朝のラジオからバラードが流れてきた。スローテンポでメランコリーな歌声が梅雨には打ってつけだ。朝食にもまあ合うだろう。曲よりも歌声に懐かしさを感じた。この声は稲垣潤一ではないか。曲名は「きみのためにバラードを」。

稲垣潤一の曲でお気に入りは「ブルージン・ピエロ」。黒っぽいBMWが疾駆する映像のBGMに流れていたのを覚えている。精悍なフロントマスクを見せて走るドイツ車と、自嘲的な歌詞とやわな歌いっぷりの日本人歌手が対照的だった。この腑に落ちない組み合わせで記憶に残っているのだろう。

街中を走る黒っぽいBMWを見ると、「ブルージン・ピエロ」の一節が浮かび上がる。「馬鹿だな、馬鹿だな」だったか。BMWと稲垣潤一の組み合わせは、絶妙とどっちらけの紙一重なのだろうが、私には絶妙の方に転がってきた部類だった。

腑に落ちない組み合わせは、遊びとしては面白い。朝食にハードロック、紋付はかまのロック歌手、白いスーツに蝶ネクタイの将棋名人、モヒカン刈りの女子バレー選手たち。政治家とクールビズ。暑苦しいほどのどっちらけファッション。あのだらしない首元、どうにかならないか。

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J・K・ローリングの「世界最高の贅沢」

2007-07-07 | Weblog
魔法使いの物語ハリー・ポッターシリーズより、作者のJ・K・ローリングのオフィシャルサイトの方が私には断然興味深い。遊び心があるし読ませる内容だ。

クリップやガムの包み紙、鉛筆削り、櫛などが散らばった不整理不整頓の机上がホームページになっている。想像力の温床とも言えるごちゃごちゃ感がいい。世界的なベストセラー作家だから実際の机上は整然としたものだろうけれど、整地される前のもの書きの机の原風景を思わせる。

有名税となる自身に絡む不愉快な話が綴ってある。ネットオークションに出品された偽造サイン入りの本にあきれて購買者に注意を呼びかけたり、「J・K・ローリングは実在の作家ではなく匿名作家のグループだ」といったさまざまなデマを悪辣度で仕分けしてある。彼女のコメントが超ショートショートやエッセーみたいで面白い。

最高の執筆場所を喫茶店としている。自分で珈琲を入れる必要がないし、仕事中孤独に閉じこもっているという感じがないというのが理由となっている。客は多すぎず、少なすぎず、音楽が大きくないなどが追記してある。ペンパルになってくれ、映画に出してくれ、どうすれば出版できるの、本にサインをしてくれなどありそうな質問に丁寧に答えている。

本の収入で買ったお気に入りのものはなんですか。質問の回答はまずスコットランド北部の家を挙げる。合点がいく。次の答えがデビュー前に苦労したことを偲ばせ、実感がこもっている。「請求書の支払いをするのにお金が足りるだろうかと不安に思うあの気持ちは、とても忘れられない」と述べて、その心配をしなくてもいいというのは、世界最高の贅沢と結んでいる。不安の解消は確かに幸福感の第一歩。
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恢復するということ

2007-07-03 | Weblog
大江健三郎の講演を聴く。演題は「恢復するということ」。長崎大学医学部精神神経科開講100周年記念事業の公開講座だ。前列部分の席を占めた高校生たちの中に交じる。授業から脱線した教師が語る面白い話みたいに、ノーベル賞作家は自らの文学遍歴をたどる。

シモーヌ・ヴェイユやポール・ヴァレリーらの言葉が思索を深め、知的障害を持った長男の誕生やヒロシマ、ナガサキの被爆地を訪れたことが、「太宰の次は(自殺するのは)大江君だ」といわれた作家の中に困難を乗り越える精神力を育んでいく。

被爆地で被爆者たちの治療に当たった医師たちの存在を知る。放射線の人体への影響の知識もなく、赤チン(ヨードチンキ)を塗るしか施しようがない被爆当時の状況があった。なすすべがない中で人はどうすべきなのか。大江は言う。「恢復を祈るしかない。恢復するということは元に戻ることではない。先に進むことなのだ」

講演からの連想。恢復していくということ、それは希望をつむぐことであり、未来へ向けて歩みだすこと。悪い状態から恢復していくという気持ちを持って生きた人として、大江はエドワード・サイードを挙げた。「将来に対する明るい、意識的な楽天主義」こそが恢復するということだ。楽天主義は困難な現実を乗り越えるテコである。

大江の語る言葉には含蓄が多かった。「病気が恢復して生きているというのを感じたとき、人間だと気づいたとき、人間らしくあろうと思うとき、『生きていこう』と思う」
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