おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

2009年大晦日 A・ワイエス的風景

2009-12-31 | Weblog
窓から外を覗くと粉雪が舞っている。いい大晦日だ。2009年最後の日の風景を撮るべくデジタルカメラ持参で朝のスケッチ散歩に出向く。

車も雪化粧しておしゃれに。

 廃屋に落葉した蔦が絡まる。


 収穫後の田んぼも冬景色を演出する。

 運気が強い地域だから春を先取りだもんね。1月はヒマワリの出番?


 一応季節に合わせて蜜柑もこってり実っている。鳥も食べ飽きたか。

 美しく老いる。言うは易いが、なかなか出来るものではない。


 だれもいない校庭。わたしには少年少女の歓声が見える。

 真上に広がる青空。飛行機も写っているよ。2010年行き、未来実現号。

それでは、よい歳末を!





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マイケル・ジャクソン THIS IS IT

2009-12-29 | Weblog
号泣した。3回も観た。周りの女性たちが賛辞を惜しまないので観ることにした。

マイケル・ジャクソンことMJはことし7月、ロンドン公演をする予定だった。6月に急逝する直前までのリハーサル映像を編集した作品が「THIS IS IT」。踊り手も歌い手も演奏者も一級の面々を揃えた中で、抜きん出た一級のMJが歌に踊りに最高のパフォーマンスを見せてくれる。今年観る最後の映画となるのだろうが、今年観た中で最も印象に残る映画となる。

ライブと感じさせるほどの臨場感は映像テクニックと編集の巧みさから来ている。観る者の気分と肉体を高揚させていく感覚は、ブルース・リーの映画「燃えよドラゴン」以来だ。浮き彫りになった筋肉、突き、蹴り、ヌンチャク技で武術の凄みと迫力、艶をブルース・リーが披露すれば、MJは縦横無尽な歌声と舞踏のための最良最適な体つきと魔術的な動きで見せてくれる。

映画の中でスタッフの1人が言う。マイケルだものケタ外れのものじゃなくては。最初から真打ちが登場し最後まで引っ張っていく。踊りを指導する女性スタッフが指摘する。うまいだけじゃだめ。華がなくては。才能ある最良のスタッフからさらに最良なものを引き出す役目もMJがしていたことを映画は伝えている。観終えた後のカタルシスも年納めにふさわしい最良のものだった。





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Do it myself!

2009-12-26 | Weblog
自分でやってみたらどうなの。

言われる前に宣言してしまう。

Do it myself! 

はっきり言って料理なんかも外食よりは自分でつくる方がおいしい。味付け、風味、スパイスの種類、色の取り合わせ、食器に至るまで、何がお好みでお気に入りかを一番よく知っているのはわたし自身なのだから。外の食事で選択するとしたら、家ではやっかいすぎて手に負えないような料理となる。

小料理屋で大将のあざやかな包丁さばきに見入るのも好きな口だ。魚介にしろ、肉にしろ、野菜にしろ、食材を丁寧にさばいていく様は芸術的で、食べ物を活かしきるという精神が凛としていてここちよい。料理人は極めがいがある職業だ。

山荘の冬じたくの一つに池に網を張る作業がある。緋ブナを獲って酒の肴にするわけじゃない。冬場の貴重な餌を探してやってくるアオサギから守ってやるためだ。このアオサギ、上空から餌がありそうな場所を見つけ、家人がいないときを見計らって池の中に入って悪魔と化す。緋ブナは逃げ惑い、池の底の潟に潜り込んだり、ミニ魚礁としての石積みの間に避難する。

アオサギも必死だ。長い口ばしで緋ブナを追う。不要CDを池の周りにいくつも吊ってキラキラ光らせて威嚇するなど鳥防止のためのさまざまな方策をしても、それが見かけ倒しであることをしばらくすると見抜いてしまう。食うためなら死んでもいいという覚悟でアオサギは池に飛来してくるのでやっかいこの上ない。「あんたは動物愛護主義者だろう。野生の鳥を殺したりはしないよな」。こちらの思いを見据えて傍若無人に振る舞う。ベランダにわたしの姿を見ても驚かない。物を投げつけるにも手元には洗濯ばさみしかない。「洗濯ばさみじゃ当たっても死なないもんね」。そう思ったアオサギに向かって室内から持参したプラスチックの布団挟みを投げつける。洗濯ばさみより相当大きい物体が飛んできたのでアオサギは意表をつかれて驚き、慌てたのか、つまづくようにして飛び立った。

サギなんて日本画などでは優美に描かれているが、実物は重量感がある。広げると1メートル以上はある羽の筋肉はたくましく、羽ばたく姿も水泳選手のバタフライみたいに力強い。ラグビーみたいに正面きって突撃してきたら、押し倒されるほどの迫力がある。

ある時は「コラッ!」と大声でどなってアオサギを退散させた。日ごろ静かな地域なので、隣接する元教師の女性が何事かと怪訝な顔で当家をうかがう始末。自然豊かな環境に和歌の朗詠は似つかわしいが、罵声はどうも場違いだ。危害を加えないで相手を追い払いたいが、相手は危害を加えられないというのを知って飛来してくる。いろいろやることがあるのに、こんなことで頭を悩ましたくないのだが。

Do it myselfはまだまだ続く。小説も読むよりは書いた方が断然おもしろい。本づくりも自ら紙質、ページ立て、文字の大きさ、製本などを指定した方が楽しい。靴も自分で丁寧に専用クリームを塗り込んで磨き上げる無心のひと時がいい。乗り物もいいが、歩くのはもっといい。山野での朝陽、小雨、北風、霧と変容の中にいると生きていることを実感する。巨木に手のひらを当てて生命力に触れる無言の対話もお気に入りだ。最後に、こうして文章を書き綴ることも、表現することの源にいる感じがして、どんなテレビ番組よりも楽しい時間となっている。人まかせより、自分まかせが一番。


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スーザン・ボイルを聴く

2009-12-20 | Weblog
12月19日夜11時5分、長針と短針がV字となるころ、知人から贈られたスーザン・ボイルのCD「I Dreamed A Dream(夢やぶれて)」を寝床で聴く。彼女のシンデレラストーリーは一般ニュースやYoutubeで知っていたが、こころなごむ美声と実にきれいな英語の発音を思い知らされる。

人物像についてアマゾンから引用する。

教会のボランティアを務める48歳。2009年4月11日、ポール・ポッツを輩出したことで一躍有名になったイギリスの人気オーディション番組 「ブリテンズ・ゴット・タレント」予選に出場。ミュージカル「レ・ミゼラブル」の挿入歌「夢やぶれて(I Dreamed A Dream)」を歌い、その澄んだ歌声、歌唱力で会場を圧倒。番組終了後に動画配信サイトYoutubeにUPされたその映像の総アクセス数は、なんと2億5000万にも到達。一夜にして名声を手にいれた、2009年最も注目を浴びるシンデレラ・ガール(?)となりました。

CDのジャケット写真も、オーディション番組 出演時とは打って変わりメイクもドレス姿も決まっている。寝際に聴いた後、寝起きにも聴いた。夜明け前の闇が白んでいく中で聴く美声は、日曜日ということもあって気持をのびのびとさせてくれた。ここちよさで再び寝入ってしまった。目覚めるとカーテン越しに朝陽の金色の光が差し込んでいた。ハッピー・ゴールデン・スランバーだ。今夜も寝際に聴こう。体のためには寝酒より大人のための子守唄がいい。

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黒富士

2009-12-18 | Weblog
【第1種接近遭遇】

寝室に棟方志功のカレンダーを掛けている。安川電機が手掛け1958年から志功の作品を題材としている。2009年版は「富士の柵」秀作選と銘打ち、1月から12月までの計12枚と表紙の1枚に富士が油絵や版画で描かれている。高度な印刷技術を駆使し、版画の持ち味を出すために和紙を使ってある。

カレンダーだけど月めくりすることなく、お気に入りとなった表紙を1月から12月の今まで眺めて過ごしてきた。表紙は金富士の柵という版画だが、わたしは黒富士と呼んで起床時と就寝時の1日に2回は親しむのが日課となった。冠雪した黒富士の背景や山体の部分部分に金色が施してある。この金色が白と黒だけの富士に荘厳さをもたらしている。凡庸になりかねない富士の図柄が非凡な存在となっているのに惚れこんだ。不滅の存在の魅力というやつだ。年が改まってもこのまま掛けておくつもり。


【第2種接近遭遇】

11月のある日、九州から東京行きのJAL便に搭乗する。客席はガラガラである。中央の席はほとんど無人で両脇の窓側の席に乗客が寄せ集まっている。飛行機は傾いていないが、これじゃ会社は傾くはずだ。機内誌に目を通し、新聞を読み、コーヒーを飲み、首を回し、脚を伸ばし、退屈しのぎをしていて窓の外を眺める。遠方の雲海の中に影法師のような黒い物体を見つける。じっと見入る。津波のように見える雲の塊の中で仁王立ちしている。

富士山だ。逆光で黒富士となっている。一面に広がる白い雲の中でひと際目立っている。絶景に見とれる。機内の乗客に目を移す。だれも気付いていない。眠りこけているか、新聞に見入っている。再び窓の外を見る。さきほどあった位置に黒富士が見当たらない。どこへ行った? 視線が雲間をさまよう。突然、黒富士が真上に現れた。マウスポイントを動かすように黒富士が真下に移動した。上に戻り、下に動くことを何回か繰り返す。

飛行機が高度を下げるために左右の翼を上下させるたびに黒富士が上に下にと跳び回る。視界からふっと消えたと思いきや、彼方に三角形の黒富士が現れた。その姿がどんどん小さくなっていく。三角形の角が取れて丸くなり小さくなって点となり雲海の中に消え去った。茶目っけたっぷりの、ほとんどいたずらに近いような動きを見せた黒富士にすっかり遊ばれてしまった。


【第3種接近遭遇】

富士山の撮影に出掛けた写真家から電話が入った。「いい写真が撮れたよ。見てみない」。喫茶室でイングリッシュミルクティーをゆるりと流し込みスコーンをもぐもぐしながら作品を手にする。明け方の富士山に雲がたなびいている。「どう、この雲の形は」。写真家がにこやかに尋ねる。「これは龍じゃない」。黒富士を背景に雲海から離れた雲が飛龍となっている。

スコーンを頬張る動きが止まった。写真家の説明を聞く。写真仲間と一通り富士山を撮り終えて朝食の時間となったが、なぜか気がそぞろとなった。いち早く朝食を済ませ1人撮影現場に戻ると、吉兆あふれる光景に出くわした。ほかの仲間は既に撮り終えた安堵感から朝食を取るのにどっかとはまり、黒富士に飛龍の姿を目撃し作品にしたのは1人だけだった。幸運を得た写真家から幸運な気にさせられる話を聞き、幸運な物語を秘めた作品はわたしの書斎にやってきた。朝陽が昇るころになると、いつも龍が黒富士から飛び立って室内のもののけを追い払っている。

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昭和二十年夏、僕は兵士だった

2009-12-06 | Weblog
梯久美子(かけはし・くみこ)のノンフィクションは読み応えがあった。書名は「昭和二十年夏、僕は兵士だった」(角川書店)。8月15日の終戦を兵士として迎えた著名人5人へのインタビューを通じて戦争と人間を描写している。

梯が面談したのは、俳人の金子兜太、考古学者の大塚初重、俳優の三国連太郎、漫画家の水木しげる、建築家の池田武邦。戦争の現場と本当の自己が彼らの口から語られる。条理の無い世界が青春を呑み込み、同胞の無残な死に様が悪い夢などではなく現実であることを告げる。

金子兜太……賭博、男色、殺人―。南の島でわたしの部下は、何でもありの荒くれ男たち。でもわたしは彼らが好きだった。

大塚初重……脚にすがってくる兵隊を燃えさかる船底に蹴り落としました。私は人を殺したんです。一八歳でした。

水木しげる……もうねえ、死体慣れしてくるんです。紙くずみたいなもんだな。川を新聞紙が流れてきたのと同じです。

1冊260頁ほどの中におびただしい数の死が詰まっている。どれもこれも無残だ。語り手たちが生きて今日あるのがほとんど奇跡のように思えてくる。死に物狂いで撃ち合い、血しぶきを上げ合い、壊し合う様はもはや滑稽でさえある。こんな喜劇的なことはごめんだな。命が浮かばれない。

わが身を振り返る。どれほどわたし自身を生きてきたのかと思う。愉快な、それも実に愉快な時間をつくっていかなくては。もっと、もっと、今まで以上に。





↑きのうのわたしは霧消し抜け殻となった。あしたはどんな姿になろうか。

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